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十年ほど前 初めて訪れた那須神社の荒廃ぶりには驚きましたが<br /><br />黒羽城址の帰り道の <br /><br />道の駅 那須の与一の里に車を置いて尋ねると。<br /><br />現在のお姿は やはり 悲しいお姿でした。<br /><br />栃木県神社庁 那須神社<br />http://kir579053.kir.jp/jinjyacyo/?p=717<br /><br />住所<br /><br />大田原市南金丸1628<br /><br />JR東北線西那須野駅 バス 黒羽行き 八幡神社下車。

歴史ある 那須神社の悲しいお姿

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2013/06/29 - 2013/06/29

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義臣

義臣さん

十年ほど前 初めて訪れた那須神社の荒廃ぶりには驚きましたが

黒羽城址の帰り道の 

道の駅 那須の与一の里に車を置いて尋ねると。

現在のお姿は やはり 悲しいお姿でした。

栃木県神社庁 那須神社
http://kir579053.kir.jp/jinjyacyo/?p=717

住所

大田原市南金丸1628

JR東北線西那須野駅 バス 黒羽行き 八幡神社下車。

旅行の満足度
3.0
観光
3.0
交通
3.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
自家用車
旅行の手配内容
個別手配
  • 道の駅<br /><br /> 那須の与一の里

    道の駅

     那須の与一の里

  • 太田原市の地図。<br /><br /> 以前よりさらに綺麗になって賑やかになっていました。<br /><br /> フリーマーケットなどを開催していました。

    太田原市の地図。

     以前よりさらに綺麗になって賑やかになっていました。

     フリーマーケットなどを開催していました。

  • 道の駅 敷地内 ゆりの花

    道の駅 敷地内 ゆりの花

  • 道を隔てて<br /><br /> 那須神社、、参道。直線。約300m

    道を隔てて

     那須神社、、参道。直線。約300m

  • 与一の里<br /><br />  おおたわらの名木、<br /><br /> 那須神社のさわら。<br /><br /> 推定250年の古木

    与一の里

    おおたわらの名木、

     那須神社のさわら。

     推定250年の古木

  • 木々の間から 那須連山

    木々の間から 那須連山

  • 二の鳥居

    二の鳥居

  • 厳めしい狛犬さん<br /><br /> 阿

    厳めしい狛犬さん

     阿

  •   吽

      吽

  • 文化財 楼門

    文化財 楼門

  • 手水舎<br /><br /> 手水舟 <br /><br />  寛永19年(1642)黒羽城主 大関土佐守高増が<br /><br /> 氏神に祈願成就処として奉納<br /><br />昭和48年12月18日 指定 <br /><br />文化財って書いていないけど。<br /><br />  文化財でしょう?

    手水舎

     手水舟 

    寛永19年(1642)黒羽城主 大関土佐守高増が

     氏神に祈願成就処として奉納

    昭和48年12月18日 指定 

    文化財って書いていないけど。

      文化財でしょう?

  • 寛永19年(1639)推定 建立の楼門<br /><br />   栃木県指定文化財<br /><br />昭和55年修理 創建当時の姿に復元

    寛永19年(1639)推定 建立の楼門

       栃木県指定文化財

    昭和55年修理 創建当時の姿に復元

  • 楼門から 拝殿

    楼門から 拝殿

  • 八幡宮 独特の鳩の文字 額

    八幡宮 独特の鳩の文字 額

  • 昭和の大修理復元で綺麗ですが。

    昭和の大修理復元で綺麗ですが。

  • 楼門から 参道を振り返る

    楼門から 参道を振り返る

  • 楼門 天井画

    楼門 天井画

  • 楼門 袖<br /><br />  先は、、雑草、、生い茂る

    楼門 袖

      先は、、雑草、、生い茂る

  • 拝殿<br /><br /> 依然と変わらないお姿

    拝殿

     依然と変わらないお姿

  • 朽ちて

    朽ちて

  • 右手へと回り込む

    右手へと回り込む

  •  本殿

     本殿

  • 生い茂る雑草<br /><br /> 虫に刺された。。<br /><br />  これ以上左手へまわるのは危険<br /><br />神社裏は<br /><br />   慶応3年 (1867)12月9日に<br /><br />  黒羽城主<br /><br />大関増裕氏が狩猟に来て不慮の事故で亡くなった地です

    生い茂る雑草

     虫に刺された。。

      これ以上左手へまわるのは危険

    神社裏は

    慶応3年 (1867)12月9日に

      黒羽城主

    大関増裕氏が狩猟に来て不慮の事故で亡くなった地です

  • 朽ち果てて 一部の姿はすでに無く

    朽ち果てて 一部の姿はすでに無く

  • 典型的な 八幡造り なのに

    典型的な 八幡造り なのに

  • 朽ち果てづに<br /><br />   いつまでも。有って欲しい<br /><br />歴史は延暦年間 征夷大将軍 <br /><br />坂上田村麻呂が勧請したと伝えられるほどの神社、<br /><br />前九年の役 下向のさい戦勝祈願 凱旋の後 <br /><br />      社殿を造営 神田を寄進<br /><br />那須の与一 屋島の合戦後 太刀を寄進<br /><br />那須氏の氏神様とされて崇敬<br /><br />那須氏の後を支配した<br /><br />黒羽城主から破格の待遇を受けて<br /><br />寛永18年(1641)現在の本殿建立(県文化財)<br /><br />楼門も同時に建立<br /><br /> 明治以前は金丸八幡宮と称されていました。

    朽ち果てづに

       いつまでも。有って欲しい

    歴史は延暦年間 征夷大将軍 

    坂上田村麻呂が勧請したと伝えられるほどの神社、

    前九年の役 下向のさい戦勝祈願 凱旋の後 

          社殿を造営 神田を寄進

    那須の与一 屋島の合戦後 太刀を寄進

    那須氏の氏神様とされて崇敬

    那須氏の後を支配した

    黒羽城主から破格の待遇を受けて

    寛永18年(1641)現在の本殿建立(県文化財)

    楼門も同時に建立

     明治以前は金丸八幡宮と称されていました。

  • 太太神楽 十座残されているようです。

    太太神楽 十座残されているようです。

  • 歴史ある 獅子舞も残されているようで。<br /><br />現在も残されているようなので嬉しい事です。<br /><br />一度消えたら復元するのに<br /><br />大変な努力と人材が必要ですから。

    歴史ある 獅子舞も残されているようで。

    現在も残されているようなので嬉しい事です。

    一度消えたら復元するのに

    大変な努力と人材が必要ですから。

  • この道を隔てて賑わう<br /><br /> 道の駅「那須の与一の里」

    この道を隔てて賑わう

     道の駅「那須の与一の里」

  • 那須の与一像

    那須の与一像

  • 道の駅の背景の森が<br /><br /> 那須神社。。<br /><br />      終わり

    道の駅の背景の森が

     那須神社。。

          終わり

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