2013/06/29 - 2013/06/29
81位(同エリア214件中)
義臣さん
十年ほど前 初めて訪れた那須神社の荒廃ぶりには驚きましたが
黒羽城址の帰り道の
道の駅 那須の与一の里に車を置いて尋ねると。
現在のお姿は やはり 悲しいお姿でした。
栃木県神社庁 那須神社
http://kir579053.kir.jp/jinjyacyo/?p=717
住所
大田原市南金丸1628
JR東北線西那須野駅 バス 黒羽行き 八幡神社下車。
- 旅行の満足度
- 3.0
- 観光
- 3.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
道の駅
那須の与一の里 -
太田原市の地図。
以前よりさらに綺麗になって賑やかになっていました。
フリーマーケットなどを開催していました。 -
道の駅 敷地内 ゆりの花
-
道を隔てて
那須神社、、参道。直線。約300m -
-
与一の里
おおたわらの名木、
那須神社のさわら。
推定250年の古木 -
木々の間から 那須連山
-
二の鳥居
-
厳めしい狛犬さん
阿 -
吽
-
文化財 楼門
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手水舎
手水舟
寛永19年(1642)黒羽城主 大関土佐守高増が
氏神に祈願成就処として奉納
昭和48年12月18日 指定
文化財って書いていないけど。
文化財でしょう? -
寛永19年(1639)推定 建立の楼門
栃木県指定文化財
昭和55年修理 創建当時の姿に復元 -
楼門から 拝殿
-
八幡宮 独特の鳩の文字 額
-
昭和の大修理復元で綺麗ですが。
-
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楼門から 参道を振り返る
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楼門 天井画
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楼門 袖
先は、、雑草、、生い茂る -
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拝殿
依然と変わらないお姿 -
朽ちて
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右手へと回り込む
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本殿
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生い茂る雑草
虫に刺された。。
これ以上左手へまわるのは危険
神社裏は
慶応3年 (1867)12月9日に
黒羽城主
大関増裕氏が狩猟に来て不慮の事故で亡くなった地です -
朽ち果てて 一部の姿はすでに無く
-
典型的な 八幡造り なのに
-
朽ち果てづに
いつまでも。有って欲しい
歴史は延暦年間 征夷大将軍
坂上田村麻呂が勧請したと伝えられるほどの神社、
前九年の役 下向のさい戦勝祈願 凱旋の後
社殿を造営 神田を寄進
那須の与一 屋島の合戦後 太刀を寄進
那須氏の氏神様とされて崇敬
那須氏の後を支配した
黒羽城主から破格の待遇を受けて
寛永18年(1641)現在の本殿建立(県文化財)
楼門も同時に建立
明治以前は金丸八幡宮と称されていました。 -
太太神楽 十座残されているようです。
-
歴史ある 獅子舞も残されているようで。
現在も残されているようなので嬉しい事です。
一度消えたら復元するのに
大変な努力と人材が必要ですから。 -
この道を隔てて賑わう
道の駅「那須の与一の里」 -
那須の与一像
-
道の駅の背景の森が
那須神社。。
終わり
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