2012/05/30 - 2013/05/30
430位(同エリア1127件中)
Weiwojingさん
- WeiwojingさんTOP
- 旅行記996冊
- クチコミ137件
- Q&A回答106件
- 2,117,688アクセス
- フォロワー194人
いよいよ「旧沼津御用邸篇」です。以前から是非とも訪ねてみたいと思っていた皇室御用邸です。ここは誰でも見学することが出来ます。
前編で御紹介したように旧三輪善兵衛邸で食事と見学をした後は、「旧沼津御用邸」へ移動しました。旧沼津御用邸は、現在は「沼津御用邸記念公園」という名称で、一般公開されています。小生たちが訪ねた時はあまり人もおらず、ひっそりとしていました。
沼津御用邸は、1893年(明治26)に大正天皇(当時は皇太子)の御静養を目的に造られましたが、1945年(昭和20)7月の大空襲で本邸は焼失し、西付属邸と東付属邸だけが残りました。
西付属邸は、本邸西隣にあった川村純義伯爵の別荘を宮内省が1905年(明治38)買い上げて皇孫殿下(明治天皇の孫になる大正天皇の皇子すなわち昭和天皇や秩父宮、高松宮)のために御用邸としたものです。東付属邸は、本邸の東側に赤坂離宮東宮大夫官舎を移築した学問所でした。1945年(昭和20)に本邸が焼失後、西付属邸が本邸の役目をするようになり、昭和44年12月には沼津御用邸そのものが廃止され、現在のような沼津御用邸公園となっています。
* 「旧沼津御用邸記念公園」
静岡県沼津市下香貫島郷2802-1 TEL (055-931-0005)
交通機関:JR東海道線沼津駅下車、伊豆箱根バス多比方面行き15分御用邸前下車すぐ
URL:http://numazu-kousha.jp/goyoutei/
この日の最後に、三島にある「旧三島測候所」(現・三島測候所記念公園)を訪れました。ここは国の登録有形文化財として指定され、保存されているところです。
* 「旧三島測候所」
静岡県三島市本町2-5-24
交通機関:伊豆箱根鉄道「三島二日町駅」下車徒歩5分
- 旅行の満足度
- 5.0
PR
-
旧沼津御用邸本邸正門入口です。左右に守衛が詰める守衛所があり、かつては厳めしい守衛が立っていたものと想像します。
この門は大正天皇の皇太子時代に御用医師を務めたエルヴィン・べルツ博士のつてで、ドイツ・ゾーリンゲンで特別に造らせた鋳鉄製のものです。
(* この画像は御用邸記念公園内の売店で販売していた写真を利用したものです。) -
この古い写真は1945年(昭和20)、空襲で本御殿とともに焼失した本邸洋館です。1905年(明治38)に建てられ、明治期の御用邸としては初めての洋風建築でした。左側に本御殿の一部が見えます。
-
入口からしばらく歩いて行くと、西御殿玄関に出ます。見学者はここから入ります。ここはかつての御車寄せで、ここで皇族方は車を降りられました。
-
先ず最初に見学した部屋は、「女官応接室」です。ここは女官たちの応接間として使われた部屋です。
-
その隣に「女官室」があります。いわば女官たちの日常生活の場として使われた部屋です。
-
こちらは天皇がお休みになられた「御寝室」です。
-
御寝室の畳の縁(へり)にもご注目ください。2つの縁は模様合わせされていて、このような細かいところまで気が配られていることが分かります。
-
「御寝室」の隣にある「御着換所」です。
-
こちらは日常生活の場である「御座所」です。
御座所(居間)、寝室、御着換室の3つの部屋を総称して御座所と呼ばれていました。 -
この部屋は皇族方が食事をされる「御食堂」です。
-
-
テーブルクロスにも皇室の紋章が織り込まれています。
-
「謁見所」は天皇が滞在中、来客に面会する時に用いた部屋です。
-
「謁見所」の電燈 (シャンデリア)です。
-
展示室に昭和天皇が1914年(大正3)に学習院初等科時代に乗られた自転車(複製)が置かれています。車輪が3つあり、とても珍しいですね。
-
これは御座所前の畳敷きの廊下の写真ですが、右側は皇族方が通リ、左側は侍従や女官たちが通るようになっていました。
-
ここは「調理室」です。皇族方の食事を作っていた部屋で、当時のままの流し台やかまど等が置かれています。意外と質素なのには驚きました。和食を作ることが多かったようですが、地元の駿河湾の魚も利用されていたのでしょうね。
-
大きな天窓がありますが、これも当時のままです。換気と明かり取りのために作られたのものと思われます。
-
調理室のある建物を外から撮ってみました。中央に天窓があるのが分かりますね。
-
調理室の隅の方に水道の蛇口があります。今でも使えるのでしょうか。
-
ここは「供進所」(くしんじょ)という部屋です。皇族の食事の盛り付けや配膳をしたところです。ここから御食堂へ運ばれました。
-
[御料浴室」です。浴槽があるのではなく、掛かり湯式の浴室で、お湯は外から運び込まれていました。
-
御料浴室の隣にはトイレもあり、箱形の便器が置かれています。これは移動式のものでしょう。
-
洗面室です。洗面台が2つ並んでいます。
-
この丸いものは何だと思つたら、コンセツトを差し込む口でした。人目に触れないようになっているのですね。
-
西御殿唯一の洋室である「御玉突所」です。クラシックスタイルの四つ五式の撞球台を使用しています。この部屋は1922年(大正11)に増築されたものです。
-
建物に囲まれた小さな中庭があります。
-
外に出てみました。庭のあちこちに蘇鉄の木が植えられていますが、温暖な土地ゆえに可能なのでしょう。
-
-
-
公園内には変った花が咲いていました。これは「ブラシノキ」という名前が付いた花です。名前の通リ、ブラシの穂先のような花をしています。
-
こちらはアヤメでしょうか。この時期園内はもとよりあちこちで咲いているのを見かけました。しかし、この種のアヤメはあまり見たことは有りません。
-
-
中庭から見た御殿の一部です。この部分は一般公開されていないようです。一般公開されていないところもかなりあります。
-
この建物は公開されている部分で、小生たちが今まで見てきた建物です。
-
-
沼津御用邸内には「沼津垣」が多く用いられています。沼津垣は昔から沼津周辺で海の潮風を防ぐために用いられてきた垣根で、景観的にも実用的にも優れています。御用邸でも多く使われていることから広く知られるようになりました。
-
小さな橋がありますが、これは東附属邸へ繋がる連絡橋です。
-
御用邸のすぐ裏側には駿河湾の海がひろがり、海岸沿いを散歩することが出来ます。付近には数多くの松の木が茂り、どこまでも大きな松並木が続いています。
-
海岸に出ると、小さな橋があり、ここを通っても東付属邸へ行くことが出来ます。
見学を終えて、皇族のお住まいなのでもっと豪華で華やかな御殿かと想像していましたが、割と質素で、堅実的な生活振りを見ることができました。栃木県日光市にある田母澤御用邸も大正天皇の御静養を目的として造られており、両者は大変似た造りの建物です。 -
沼津御用邸記念公園を訪ねた後は三島に移動し、「三島測測所記念公園」へ向かいました。ここは中央気象台臨時三島出張所として1930年(昭和5)に開設されました。航空機に対する予報、警告等の通報を業務としていました。
一時マンション建設の計画が持ち上がりましたが、地域住民の反対で取りやめになり、その後、2007年5月国の登録有形文化財として登録され、保存されています。
現在は三島市エコセンターとして地域の青少年の教育活動施設として一般公開されています。 -
測候所は鉄筋コンクリート造りで、正面中央部が2階建て、左右が1階建ての左右対称の外観を持ち、モダニズムの造りを基調としていてる。
-
-
-
玄関扉上にあるステンドグラスが目を引きます。
-
半円状に張り出した玄関の櫛形欄間にグリル(鉄格子)とステンドグラスをはめ込んであります。
-
2階への階段です。
-
-
展示室には昔使われていた観測機器が展示されています。
-
「旧三島観測所」(現・三島市エコセンター)
三島市東本町2-5-24 (TEL. 055-928-6905)
* 伊豆箱根鉄道「三島二日町駅」下車徒歩5分
■ 前編も併せてご覧ください。
「春の三島・沼津を歩く ー「 旧三輪善兵衛邸」と「旧沼津御用邸」訪 問(前編)
http://4travel.jp/traveler/srilanka/album/10784987/
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
沼津(静岡) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 春の三島・沼津を歩く
0
50