2013/06/01 - 2013/06/01
1230位(同エリア2134件中)
京妓さん
後鳥羽院・順徳院の御陵を参拝するために大原へ。
大原には、
後鳥羽院の先代である安徳天皇の国母、
建礼門院徳子 (平清盛の娘) の御陵もありました。
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
-
【寂光院】
寂光院は天台宗の尼寺。
推古2年(594)、あの聖徳太子が
父・用明天皇の菩提を弔うために創建。寂光院 寺・神社・教会
-
【寂光院】
初代は、
聖徳太子の御乳人であった玉照姫。
以来、代々高貴な家門の姫君らが
法灯を守り続けてきました。 -
【寂光院】
二代目は、阿波内侍(あわのないし)。
崇徳天皇の寵愛を受けた女官。
建礼門院に仕えた後、出家し入寺。
かるた取りには、馴染みの崇徳天皇。
〔第77首/崇徳天皇〕
瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の
われても末に 逢はむとぞ思ふ -
【寂光院】
そして、三代目が建礼門徳子。
平清盛の娘。
高倉天皇の中宮であり、
安徳天皇の国母。 -
【寂光院】
安徳天皇は、後鳥羽天皇の異母兄。
後鳥羽天皇の先代 (第81代) 天皇でしたが、
壇の浦の戦いで
母徳子、祖母時子らと共に入水。 -
【寂光院】
幼くして亡くなった
安徳天皇を祀った赤間神宮はコチラ↓
【関門海峡1】城下町長府 〜赤間神宮・亀山八幡宮〜
http://4travel.jp/traveler/korinori/album/10446194/ -
【寂光院】
幼い安徳天皇は亡くなりましたが、
母徳子は生き残ってしまうんですね…。
のちに出家して建礼門院となり、
ここ寂光院にて
安徳天皇と平家一門の菩提を弔いながら隠棲。寂光院 寺・神社・教会
-
【寂光院】
その建礼門院を訪ねてきた
後白河法皇と対面したのが、
←汀 (みぎわ) の池。
平家物語の当時のままといわれる庭園ですが、 -
【寂光院】
近年、とても残念なことが!
平家物語の大原御幸に出てくる
←千年の姫小松。
平成12年の本堂放火によって傷み、
平成16年に枯死してしまったそうです。
15メートルもあった樹齢千年の名木でしたが、
倒木処置のため、上部を伐採。 -
【寂光院】
ひめ小松 一千年の おん姿
歴史の重さ 今に残さん -
【寂光院】
火災で本堂が焼失。
現在のお堂は、再建されたもの。
放火犯は
未だに捕まっていないのだそうです…(>_<) -
【寂光院】
聖徳太子作と伝えられる
本尊 「六万体地蔵尊」 も焼失。
←こちらも、あらたに復元。
袖のヒラヒラは、
木製と思えぬほど繊細な造りです。
現代ではあまり見ない色調ですが、
無傷で焼け残った胎内仏が
まさにこれのミニチュア版。
建立当時の色が見事に再現されています。
胎内仏は、宝物殿で見ることができます。 -
【寂光院】
←諸行無常の鐘。
平家物語といえば…
祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色
盛者必衰の理を顕す
学生時代に一生懸命暗記したものって
大人になってもスラスラ出てくるもんですね。 -
【寂光院】
寂光院の向かって右手側には、寂光院 寺・神社・教会
-
【建礼門院徳子 大原西陵】
建礼門院徳子の御陵があります。 -
【建礼門院徳子 大原西陵】
かなりの段数です。
興味関心のある方は
足腰が丈夫なうちに訪れましょう。 -
【建礼門院徳子 大原西陵】
時の実力者の娘に生まれてきて
少なからず恩恵もあっただろうけれど、
世を動かす男たちの事情に
随分と翻弄された人生だったのでしょうね。 -
【建礼門院徳子 大原西陵】
一方、後鳥羽天皇の視点で考えると…
安徳天皇とその取り巻きたちが
三種の神器を持って都落ちしたことで、
後鳥羽天皇は、
「三種の神器が揃わない状態での即位」
となってしまったわけで。
後鳥羽天皇にしてみたら、
このことは
「大いなるコンプレックス」 ですよね… (@_@;)
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