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平城宮は平城京のごく一部分ですが、広大な面積です。その敷地に立って、ここがかつて教科書で習ったあの平城京かと思うと感銘深いものがありました。

平城宮跡2

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2013/05/25 - 2013/05/25

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キヌちち

キヌちちさん

平城宮は平城京のごく一部分ですが、広大な面積です。その敷地に立って、ここがかつて教科書で習ったあの平城京かと思うと感銘深いものがありました。

  • 推定宮内省の復元建物です。

    推定宮内省の復元建物です。

  • 平城宮<br />710年(和銅3年)から784年(延暦3年)の首都平城京の中枢部分をいう。<br />元明〜桓武天皇の7代にわたる宮である。<br />平城京の北端に位置し、一辺1キロメートルの正方形の東に張り出し部分があり、面積は合計124ヘクタールを占める。<br />大正年間より遺跡保存がはかられ、現在国の特別史跡として、遺跡の調査と整備が続けられている。<br />1998年(平成10年)にはユネスコの世界文化遺産に登録された。<br />宮の四周には高さ5メートルと推定される築地(ついじ)大垣がめぐり、大路に面して12の門が開く。<br />正門にあたる朱雀門は25メートル×10メートルの規模をもち、重層の門として現地に復原されている。<br />天皇の住まいである内裏は、宮の東北部に位置し、約180メートル四方の内郭に掘立柱、桧皮葺(ひわだぶき)という伝統様式の建物が建ち並んでいた。<br />内郭の南半にある正殿(後の紫宸殿は桁行9間(27メートル)梁間5間(15メートル)の規模である。<br />政務や儀式を行う朝堂院(ちょうどういん)は、最も重要な施設で、天皇が着座する大極殿(だいごくでん)と役人が着座する朝堂からなる。<br />その遺跡は、朱雀門の北で宮の中央と、その東隣で内裏の南の2か所にある。<br />大極殿は、天皇を象徴する大規模な建物で、奈良時代前期には中央に、後期には東に遷して建てられたと考えられる。<br />その前期の大極殿が復原された。瓦葺の礎石建物で、桁行9間(45メートル)梁間5間(15メートル)の規模である。<br />内裏と朝堂院の周辺には、二官八省以下の官衙(かんが)(役所)が配置された。これまでの調査で、太政官、宮内省、式部省、兵部省、大膳職(だいぜんしき)、造酒司(ぞうしゅし)、馬寮(めりょう)などの各官衙が判明した。<br />その位置関係をみると、平安宮のそれと類似し、何らかの原則があったことを窺わせる。<br />他の宮にない東の張り出し部分は、東院(とういん)と称されるが、その南半は、天皇が出御して儀式や宴を行った場所と考えられる。<br />東南隅には旧地形を生かした園池が発掘され、当時の庭園遺構として貴重である(小学館、日本大百科全書より) 。

    平城宮
    710年(和銅3年)から784年(延暦3年)の首都平城京の中枢部分をいう。
    元明〜桓武天皇の7代にわたる宮である。
    平城京の北端に位置し、一辺1キロメートルの正方形の東に張り出し部分があり、面積は合計124ヘクタールを占める。
    大正年間より遺跡保存がはかられ、現在国の特別史跡として、遺跡の調査と整備が続けられている。
    1998年(平成10年)にはユネスコの世界文化遺産に登録された。
    宮の四周には高さ5メートルと推定される築地(ついじ)大垣がめぐり、大路に面して12の門が開く。
    正門にあたる朱雀門は25メートル×10メートルの規模をもち、重層の門として現地に復原されている。
    天皇の住まいである内裏は、宮の東北部に位置し、約180メートル四方の内郭に掘立柱、桧皮葺(ひわだぶき)という伝統様式の建物が建ち並んでいた。
    内郭の南半にある正殿(後の紫宸殿は桁行9間(27メートル)梁間5間(15メートル)の規模である。
    政務や儀式を行う朝堂院(ちょうどういん)は、最も重要な施設で、天皇が着座する大極殿(だいごくでん)と役人が着座する朝堂からなる。
    その遺跡は、朱雀門の北で宮の中央と、その東隣で内裏の南の2か所にある。
    大極殿は、天皇を象徴する大規模な建物で、奈良時代前期には中央に、後期には東に遷して建てられたと考えられる。
    その前期の大極殿が復原された。瓦葺の礎石建物で、桁行9間(45メートル)梁間5間(15メートル)の規模である。
    内裏と朝堂院の周辺には、二官八省以下の官衙(かんが)(役所)が配置された。これまでの調査で、太政官、宮内省、式部省、兵部省、大膳職(だいぜんしき)、造酒司(ぞうしゅし)、馬寮(めりょう)などの各官衙が判明した。
    その位置関係をみると、平安宮のそれと類似し、何らかの原則があったことを窺わせる。
    他の宮にない東の張り出し部分は、東院(とういん)と称されるが、その南半は、天皇が出御して儀式や宴を行った場所と考えられる。
    東南隅には旧地形を生かした園池が発掘され、当時の庭園遺構として貴重である(小学館、日本大百科全書より) 。

  • 宮内省の復元建物の図と説明文です。

    宮内省の復元建物の図と説明文です。

  • 役所での仕事の図と説明文

    役所での仕事の図と説明文

  • 役人の道具の図と説明文

    役人の道具の図と説明文

  • 平城宮跡は広大

    平城宮跡は広大

  • 緑の円柱はかつて遺構で柱の穴があった場所だそうです。

    緑の円柱はかつて遺構で柱の穴があった場所だそうです。

  • 地面に置かれた平城宮の地図です。

    地面に置かれた平城宮の地図です。

  • 内裏と井戸の図と説明文です。

    内裏と井戸の図と説明文です。

  • 4周が築地大垣で囲まれていた平城宮。

    4周が築地大垣で囲まれていた平城宮。

  • 中央は復元された第一次大極殿です。

    中央は復元された第一次大極殿です。

  • 第一次大極殿

    第一次大極殿

  • 復元された朱雀門です。

    復元された朱雀門です。

  • 大極殿の概要の図と説明文です。

    大極殿の概要の図と説明文です。

  • 大極殿での営みの図と説明文です。

    大極殿での営みの図と説明文です。

  • 発掘調査の図と説明文です。

    発掘調査の図と説明文です。

  • 屋根の一番上の両端に付ける鴟尾です。まだ出土はしていないそうです。

    屋根の一番上の両端に付ける鴟尾です。まだ出土はしていないそうです。

  • 復元の図と説明文です。

    復元の図と説明文です。

  • 高御座外観模型です。

    高御座外観模型です。

  • 高御座外観模型の説明文です。

    高御座外観模型の説明文です。

  • 若草山を眺望

    若草山を眺望

  • 内定解説の図と説明文です。

    内定解説の図と説明文です。

  • 2010年10月、平城遷都1300年記念祝典に訪問した天皇陛下が詠んだ歌です。

    2010年10月、平城遷都1300年記念祝典に訪問した天皇陛下が詠んだ歌です。

  • 屋根の一番上の中央に付ける大棟中央飾り。

    屋根の一番上の中央に付ける大棟中央飾り。

  • 大極殿に用いられた古代技術の説明文です。

    大極殿に用いられた古代技術の説明文です。

  • 金属工事で使われた金具類。

    金属工事で使われた金具類。

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