2013/05/25 - 2013/05/25
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キヌちちさん
春日大社です。
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春日大社に来ました。
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ここにも鹿がいっぱいいました。
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春日大社境内図です。
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石碑です。
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案内看板。
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境内です。
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祈祷所
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祈祷所前に重ねられていた絵馬
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春日大社
奈良市春日野町に鎮座。
第一殿に武甕槌命(たけみかづちのみこと)、第二殿に経津主命(ふつぬしのみこと)、第三殿に天児屋根命(あめのこやねのみこと)、第四殿に比売神(ひめかみ)の4柱を祀っている。
鎮座地は御蓋山(みかさやま)の麓で、ナギ、アシビ、サカキなどの深い樹叢に囲まれた浄域となっている。
当大社は、710年(和銅3年)都が奈良に移されると、藤原不比等が、神代に功績のあった、また同氏が氏神として崇める常陸(茨城県)鹿島神宮の武甕槌命を、都の東方、春日御蓋山の頂上浮雲峰に祀り、国土安穏、国民繁栄を祈ったのが、その始まりといわれている。
765年(天平神護1年)には鹿島神宮の封戸(ふこ)の一部を春日神に寄進し、祭祀にあてている。
この方式は、関東に多い鹿島御子神社の草創期当初と同様である。
称徳天皇の768年(神護景雲2年)11月9日、現在の地に社殿、瑞垣(みずがき)、鳥居を造営し、下総(千葉県)香取神宮の経津主神、河内(大阪府)枚岡(ひらおか)神社の天児屋根命・比売神の3柱の大神をともに祀り、四社明神として崇め奉ったのである。
『三代実録(さんだいじつろく)』の元慶(がんぎょう)8年(884年)の条によると、朝廷より琴の奉献があり、これは、768年に寄進したものが破損したためであると記されている。
創建以来、朝野の厚い崇敬が寄せられ、一条天皇989年(永祚1年)2月22日の行幸をはじめ、行幸・御幸三十余度を数える。
当然のことながら藤原氏一門の崇敬は厚く、また衆庶の参拝も数多く、折々の祈願、慶祝、報賽には、種々の神宝、調度、灯籠の寄進があり、とくに奉納された灯籠の数はおびただしく、春日の万灯籠と称されている。
『延喜式神名帳』には春日祭神4座が名神大社に列し、官幣にあずかっている。
神仏習合思想の発展とともに春日大明神の霊験(れいげん)や縁起(えんぎ)が説かれるようになり、伊勢神宮、石清水八幡宮と並んで三社といわれ、広く信仰されるに至った。
春日信仰は、春日曼荼羅、三社託宣、『春日権現霊験記』などに表現されており、全国至る所に春日社の分社が創祀され、現在その数は1300社を超えるといわれている。
とくに都の近くに分祀した、長岡京の大原野神社、平安京の吉田神社は、いずれも官社に列している。
国史上にも当社に関する記載は数多い。
おもなものとして、官社二十二社の一に列したこと、春日祭を2月と11月上の申(さる)の日と定めたこと、斎女の制をとったこと、神階が正一位となったことなどがあり、とくに興福寺の僧徒と春日社の神人(じにん)が、春日の神木を奉じて強訴したことは歴史的に名高い。
鎌倉時代になると、将軍源頼経は鎌倉に春日社を分祀している。
明治維新の神仏分離令により興福寺の支配を離れ、官幣大社となる。
1946年(昭和21年)春日神社を春日大社と改称した(小学館、日本大百科全書より)。 -
回廊です。
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回廊です。
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檜皮葺きの模型が飾ってありました。
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南門
春日大社正面の楼門です。
表参道を歩いて回廊内に入る時に潜る門で、 高さは12mあり春日大社最大の門です。
春日祭の折に、勅使が 藤原氏以外であれば、この門より入ってお祭りを奉仕します(春日大社HPより)。 -
春日大社では巫女のことを御巫(みかんこ)と称するそうです。
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中門は御本殿の直前にある楼門で約10mの高さがあります。 中門正面の唐破風(からはふう)は明治時代に取り付けられました。
御廊は中門から左右に約13m、鳥が翼を広げたように延びています。 現在御本殿の祭典では、神職の座る場所ですが、昔は興福寺の僧侶が御経をあげる場所でした。 -
林檎の樹
祭典の際、舞楽や神楽が舞われる庭で、庭の東南隅に林檎の木があるため このように呼ばれています。
また、この木はおよそ800年前、高倉天皇の御献木と伝えられており、 記録の上では文永10年(1273年)『中臣祐賢記』に見られます(春日大社HPより)。 -
伊勢神宮遥拝所
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社頭の大杉
目通り周囲8.7m、高さ25m、樹齢約800年〜1000年。
700年昔の『春日権現験記』には幼木の姿で描かれています。
その根元から斜めに延びているのは、槙柏(伊吹ともいう)で、直会殿の屋根に穴をあけてまで木を生かしているのは、 特に樹木を大切にされる春日の神様の託宣(古社記)によるものです(春日大社HPより)。 -
御本殿
●創立:神護景雲2年(768年)11月9日
鎌倉初期に書かれた現存最古の由緒記『古社記』には、四所神殿の創建を奈良時代、 称徳天皇の神護景雲2年(768年)11月9日とされています。
藤原永手が左大臣として 活躍した時代でした。
●ご由緒
春日の神々の御鎮座は奈良朝のはじめ、平城京鎮護のため、まず武甕槌命様を鹿島神宮(茨城県)から 奈良・春日御蓋山頂に奉遷して祭られていましたが、それから数十年後の神護景雲2年に藤原氏の血を引く 女帝、称徳天皇の勅命により、左大臣藤原永手らが現在の場所に初めて南面する神殿を創建して、 さらに香取神宮(千葉県)の経津主命様、枚岡神社(大阪府)に祀る藤原氏の遠祖・天児屋根命様と比売神様の 四柱を併祀したのがその始まりとされています(春日大社HPより)。 -
御神前
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回廊に釣り灯籠が並んでいます。
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直江兼続奉納釣灯籠
武将直江兼続が奉納した釣り灯籠で青銅製、高さ56cm。春日大社を表す「フジ」と「シカ」の模様があしらわれている。春日大社の屋外にある約1000基の釣り灯籠のうち6番目に古いそう。記録や灯籠に書かれた「越後国直江山城守息女敬白」の文字などから、兼続は1588年に主君の上杉景勝らと春日大社を参拝し、1600年に娘の「於松」の名で釣り灯籠を奉納したとみられている。 -
参拝者がいました。
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直会殿入り口
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神の降臨する岩とされてる磐座です。奥は宝庫。
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宝庫
重要文化財。東側を正面として、厚板で組み上げられた朱塗の校倉造の建物です。3月の春日祭の時に、御本殿をお飾りする御神宝(鏡、太刀、鉾、弓矢など)が納められ、普段は封印されています(春日大社HPより)。 -
藤浪之屋(ふじなみのや)
この場所は北廻廊の東角にあたり、かつては神職(禰宜)の詰め所でした。
ご参拝の皆さまに「万燈籠」の雰囲気を体験していただこうと、釣燈籠に灯をともし特別に公開しています。
燈籠がゆらめく空間で、万燈籠の幽玄の世界を是非ご体験ください(春日大社HPより)。 -
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七種寄木(なないろのやどりぎ)
廻廊内北西隅宝庫の東側風宮様の御垣の中にあり、イスノキ、ヤマザクラ、ツバキ、ナンテン、ニワトコ、フジ、カエデの七種が共生する珍しい木。
古来、風神の威徳をもって種子を集められたといわれ、やどり木であることから、子授けの霊木と崇められ、紙捻(こより)に願い事を書いて結びつける進行があります(春日大社HPより)。
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内院末社です。八雷神社、栗栖神社、海本神社、杉本神社、佐軍神社。
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砂ずりの藤。藤の花穂が1m以上垂れ下がり地面の砂を擦るほどに伸びることから命名されたそう。藤の木は樹齢約800年と古く鎌倉時代後期(1309年)に書かれた絵巻「春日権現験記」にもこの場所に藤があったことが書かれているそうです。
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参道
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鹿の形をした手水舎
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二の鳥居
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宝物殿、入場はしませんでした。
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