2013/03/21 - 2013/03/21
1040位(同エリア4530件中)
クッキーさん
上野公園で桜を堪能した後、旧岩崎邸を見学。
無縁坂を歩いて、若干気後れしつつも東大構内へ。
かつてニュースでよく聞いた安田講堂を是非見てみたいという思い。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
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不忍池西の交差点を渡り、無縁坂を横目で見ながらやってきたのは旧岩崎邸庭園。
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坂道を上って、
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左に見えてきた山小屋風の建物。
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正面にドーンと西洋風の建物。旧岩崎邸は1896年(明治29年)に三菱創設者・岩崎家本邸として建てられました。
ジャコビアン様式の豪奢な建築と日本式の建築が折衷しているもの。
設計はジョサイア・コンドル氏。
木造2階建・地下室付きの洋館は、本格的なヨーロッパ式邸宅で近代日本住宅を代表する西洋木造建築。
館内の随所に見事なジャコビアン様式の装飾が施されていて、同時期に多く建てられた西洋建築にはない繊細なデザインが、当時のままの雰囲気を漂わせています。
手前にある受付で入場料400円を払います。
観光客は誰もおらず、一番乗りだったかも。 -
中は撮影禁止ということなので、入り口だけを。
入り口はここですが、出るのは別の場所から、ということで靴は各自ビニール袋に入れて持って歩きます。 -
入り口の天井。
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庭に面したテラス。
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テラスの端から建物の二階部分を見上げて。
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風格がある列柱。
ふと気が付くと、テラスにも撮影禁止のマークがありました。
失礼しました。 -
暇そうにしていた係のおじさんの一人が、内装や見どころについて、詳しく説明してくれました。
こんなに素敵なのに撮影不可なんて残念ですね、というと、かつては撮影可だったのだけど、撮影のために立ち止り、見学の邪魔になる人が続出し、クレームが出たので、撮影禁止になったのだとか。
建物内部の保護のためというならしょうがないと思うけれど、そんなことのためだなんて残念至極です。 -
で、これらの写真は何なんだ、というと花で飾られたサンルームの隅に、邸の写真集が置いてあったのです。係のおじさんに教えられました。
その写真集を撮影。
居住区の和室から。 -
リビングの天井。
建設当時は多くの部屋や廊下の壁面に金唐革紙が貼られていたが、当時の壁紙は失われている。平成の修復に際して、2階の2部屋だけ金唐革紙が復元されている
金唐革紙とは・・
欧米の皮革工芸品を「金唐革(きんからかわ)」といい、宮殿や市庁舎などの室内を飾る高級壁装材であった。江戸時代前期の17世紀半ばに、オランダ経由でスペイン製の「金唐革」が輸入されて人気を博したが、鎖国を行っていたためにこれは極めて貴重かつ入手困難な品物であった。そこで、和紙を素材とした代用品の製作が日本で行われた結果、1684年に伊勢で完成した製品が「金唐革紙」(「擬革紙(ぎかくし)」ともいう。)
日本人の手仕事ってすごいなあ。
復元された実物はとても見事で、一部触ってもよい展示もありました。
写真に収められないのが残念です。 -
階段の手すりや床は当時のままだそうです。
床は黒光りしていて、重厚さを感じさせます。
手すりの彫りも素敵です。 -
これは一階テラスの床。
タイル張りかな。 -
邸の正面。
ここは撮影可なんですけどね。 -
夜の邸。
ちょっと不気味な照明です。 -
洋館と撞球室をつなぐ地下通路。
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洋館と結合された和館は書院造りが基調。
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庭園から見る邸。
洋館1階婦人客室の天井はシルクのペルシャ刺繍、コーナーにはイスラム風のアーチが。 -
正面から。
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居住区の畳廊下。
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日本家屋を見学し終えた後は、この建物の左端から退出。
この順路だから履物を持って歩くんですね。 -
庭園の中は自由に散策できます。
でも旧岩崎邸庭園と銘打っている割には、庭園としての見どころはないようです。 -
明治の香りを漂わせる建築物を味わうのがいいみたい。
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木立の向こうには日本家屋。
こちらは住むためのもの、西洋建築物はおもてなしのためのもの。 -
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右に見えるのはサンルーム。
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高さの関係上、テラスの床の模様ははっきりとは見えません。
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サンルームの正面。
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庭から見える現代のビル群。
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別棟として建つコンドル設計の撞球室(ビリヤード場)は当時の日本では非常に珍しいスイスの山小屋風の造りの木造建築。
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内部は見られませんでした。
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庭をウロウロしているとツアーで訪れたと思われる観光客多数。
正面に戻ってみると、受付にも多くの人がいました。
早くに訪れて正解でした。 -
アップで。
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無縁坂。
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ここまで急ではなかったような気もしますが。
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この坂を上がっていくと、東大の構内に入れるはず。
グーグルマップによれば。 -
恐る恐る構内に足を踏み入れ、
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安田講堂だ!!
安保闘争の少しだけ後の世代ですが、安田講堂は安保の象徴みたいなキーワード。
大学時代に読んだ「赤ずきんちゃん、気をつけて」「されど、我らが日々」「二十歳の原点」などの本をつい思い出します。
私のマイナー志向はこの頃からのものかも。 -
構内の中でも少しだけ高い所にありました。
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正面だけが当時のままなのかな。
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今年の新入生らしき一団を見かけました。
がんばってね。 -
講堂前の広場に聳え立つ巨大な楠。
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安田講堂の前でしばし物想いにふけった後、下りてきたのは三四郎池。
もと加賀藩前田家の上屋敷に建造された育徳園の園池で、この頃は、心字池といわれていたそうです。
夏目漱石の名作「三四郎」で、主人公がよくここを散策したので三四郎池と名付けられるようになったのだとか。
同じ構内の中でこんなにも高低差があるなんて思いもしませんでしたよ。
この池に、近所の母子が遊びに来ていました。大学構内に入るのにおっかなびっくりだった自分がおかしい。 -
上野の山、不忍池、無縁坂、三四郎池と上がって下がって、また上がって下がって・・・
ちょっとした凸凹だけど、単なる平地をイメージしていただけに、想定外です。
東京って、水の都というより、どこもかしこも坂だらけなんだ。 -
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歴史を感じさせる建物が多くて感動ものです。
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いいなあ、この雰囲気。
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この建物も素敵です。
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東京大学ができたのは1877年で、赤門が作られたのは1827年。
現在の本郷キャンパスの敷地はかつて加賀藩前田家などの上屋敷(大名屋敷)でした。1827年、前田斉泰は徳川家11代将軍家斉の第21女、溶姫を迎える際に造られました。門を朱色に塗るのは将軍家から夫人を迎える場合の慣習とされていましたが、現存するものはこの赤門のみ。
構内にはバスも乗り入れていて、大学構内の広さ、というより加賀藩の上屋敷の広さに驚きます。 -
上野での彰義隊との戦いでは、新政府軍は、ここ東京大学構内、加賀藩上屋敷から不忍池を越えて砲撃を行ったそうです。
加賀藩は外様大名でしたね。
現実の地理を目の前にすると、かつて学校で学んだ歴史が生き生きとしてくるのが面白い。 -
正式名称は「旧加賀藩屋敷御守殿門」
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赤門は、火災などで焼失してしまったら再建してはいけない慣習があり、この赤門は災害などを免れて現存している貴重なものであり、国の重要文化財に指定されているそうです。
前田家は、この赤門を消防隊「加賀鳶」を置いて守ったといいます。 -
関東大震災や戦火をくぐりぬけ、倒れもせず、焼かれずに残っていたのは凄いですね。
赤門と安田講堂。
この目で確かめてきました。
知識としての歴史が、身近なものになった気分。 -
東京は、江戸時代からの歴史が主だけど、調べていくと興味深い所がてんこ盛り。
今までは、若者向けの情報、ファッションの中心地、という認識しかなかったのですが、歴史散策に坂道散策、庭園巡りなど面白い所ばかり。
住んでいる人達が羨ましい限りです。
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この旅行記へのコメント (1)
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- わんぱく大将さん 2013/05/19 00:32:57
- 懐かしい本のタイトル
- クッキーさん
旧岩崎邸の天井、実際のお写真ではないけど、楽しませていただきました。
一部の人の身勝手さで、そういうことが禁止になるのは残念ですが、ほんと日本て、一人ならやらないのに、ブームにのったら、集団になったら、常識あるのか、ないのかわからなくなってしまいます。
”されど我らが日々””二十歳の原点” 私も読みましたね。まだ19か、20の時位だったか。 懐かしいです。
大将
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