2013/03/19 - 2013/03/19
146位(同エリア474件中)
クッキーさん
神楽坂
≪NPO法人粋なまちづくり倶楽部のパンフレットより≫
江戸時代、大老酒井忠勝が坂上の矢来町に屋敷を拝領した1628年頃、坂下には江戸城の外濠、牛込見附が完成し、両者をつなぐ約1kmの大老登城道が造られ、沿道は武家屋敷として地割りされました。これがほぼ現在の「神楽坂通り」です。
また、矢来町の先、現在の神楽坂6丁目付近には多くの寺院が移転され、10軒もの寺が並ぶ通寺町、横寺町が形成されました。
明治期になると武家屋敷が撤去されて神楽坂は町人のまちとなり、今より急峻で階段もあった神楽坂通りは明治10年代に緩やかな坂道に変わりましたが、路地などの街割りは現在に至るまでほぼそのまま残されています。
行元寺境内から発足した花柳界など、神楽坂の文化はこの江戸時代からの街割りの上で育っていったのです。
その後商店街や住宅地として急速に発展した神楽坂は、大正から昭和初期にかけては東京屈指の繁華街となります。
また、この頃の神楽坂は、横寺町に居を構えていた尾崎紅葉の起こした硯友社や、坪内逍遥ら早稲田派文人の活動の舞台ともなり、まさに商業と文化の繁栄するまちとなっていきました。
しかし昭和20年の空襲で、神楽坂のまちは焼け野原となったのでした。
戦後の復興は容易ではなかったものの、昭和30年代後半には花柳界はほぼ戦前の最盛期に匹敵するほどに復興し、第二の隆盛期を迎えました。
高度成長期、鉄鋼関係など社用族や多くの政治家が料亭を利用し、花柳界を舞台に活発な活動をした時代でした。
そして平成のいま、脈々と受け継がれる古典芸能や花柳界の文化、老舗の伝統に江戸のまちの面影、さらに新たな現代的魅力を加えつつ……「粋なお江戸の坂の町・神楽坂」は今も健在です。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
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神楽坂下から神楽坂へ。
神楽坂って、坂の街だったんですね。この目で見て納得。
200年前には、この坂を大名が江戸城に向かって登城していたんですよ。 -
新宿区?発行の神楽坂散策マップを片手に、左折。
路地の脇には・・・ -
少し進むと見番横丁の表示。
どんな路地が待っているのかな。 -
素敵な石畳の路地です。
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晴れているのはうれしいけれど、ここ神楽坂の路地に関してはしっとりとした小雨が似合うような気がする。
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どこかのお宅に入って行く路地。
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素敵な店構え。
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昼時とあって、何人もの人が店内に吸い込まれて行きます。
迷うことなく店内へ、ということはこの店、と決めて目指しているんでしょうね。 -
階段脇の植栽も手入れがされており、風情があります。
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階段を下りきると。
個人のお宅へのアプローチが素敵です。
竹の生垣って手入れが大変です。 -
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どこかの坂道を上がってみるとこんな陶芸教室が。
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陶芸のお店もしているのかな。
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迷いそうだったのですが、今日は気ままに迷っている余裕はなく、なんとか予定のコースに戻ります。
新宿まち歩きモデルコースのうち、おすすめコースが今日の指南役です。コース案内だけでなく距離や所要時間も記されているので安心。
毘沙門天(善国寺)。
江戸中期の寛政4(1972)年に移転してきた日蓮宗池上本門寺の末寺で、神楽坂の中心として親しまれ続けているそうです。
門の前を通りかかった地元の人らしき人が、軽く会釈していたのが印象的。
信仰が生活に根差しているのでしょうね。 -
狛犬ではなく虎。毘沙門天は寅の年、寅の月、寅の日、寅の刻にこの世にお出ましになったことから、寅毘沙と呼ばれているそうです。
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どこの路地だったかな。
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神楽坂通りから本多通りへ。
ここにも表示があるので間違えようがありません。 -
神楽坂商店街の方達の努力。
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左に見えた路地裏のお店。
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本多横丁の一角を右折すると芸者新道。
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マンションも立派。
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お食事処。
情緒あふれる店構え。 -
店構えも立派。
ゆっくり食事をする時間はとれないし、一人では入りづらいかも。 -
ちょっと覗いてみました。
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ここもきっとお食事処。
散策に適したウォーキングシューズといういで立ちでは、入れなさそう。 -
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昼間なのに、こんな明かりが置かれて、雰囲気たっぷりです。夜にもまた訪れたいと思わせる通りです。
左はマンションかな。 -
一人旅らしき女性がメニューを見ていました。
一人では入りづらいかも。 -
この階段を下ると、
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仲通りです。
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仲通りを少し進んで左折したところからかくれんぼ横丁が始まります。
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どこも素敵なお店ばかり。
若いお嬢さんたちがたくさん散策中です。
この街はそういう人達が似つかわしい。
大昔、ノンノを片手に金沢の香林坊あたりを彷徨った頃のことをふと思い出しました。(これがわかる人はかなりの年配のはず) -
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こんなお店に入って行くには、それなりのおしゃれをしていかなくては気後れしそうです。
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かくれんぼ横丁を北に進み、石畳に黒塀が映える通りを彷徨います。
黒塀が素敵。
でも一般庶民には敷居が高そうな門構えです。 -
政治家が密談を・・・なんて雰囲気。
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ここも敷居が高そうな料亭風です。
入る予定はないものの、一人で気軽に、とは思えない感じ。 -
ここは「かみくら」の自宅かな?
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内装も素敵なんでしょうが、私はここからの風情だけで十分満足。
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颯爽と歩くお姉さん。
もう少し楚々と歩いていてほしかったな。 -
これはたぶん個人宅への入り口。
一軒ずつならこんな雰囲気のお宅は他の土地にもたくさんあるんでしょうが(ここ日本でなら)、街としてのまとまりが本当に素敵です。 -
それにしても日射しが強すぎます。
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マンションの入り口も、周囲の雰囲気に合わせた植栽。
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黒塀には雨、というのは思いこみが強すぎるかな。
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兵庫横丁。
これも神楽坂の代表的な石畳の路地で、元は3尺程度の幅であったそうです。
料亭のほか、著名作家が逗留して執筆活動を行うことから、「本書き旅館」として知られる「和可菜」。 -
路地の先には階段。
料亭へビールを運びこむ人がいましたが、とても大変そうでした。 -
格子戸の隙間から。
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この景観を保つには手抜きができない。
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今日の最後の路地歩きをこの階段でお別れ。
まだまだ素敵な路地が待っていそうですが・・・ -
神楽坂はその名の通りの坂の街。
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1時間余りでしたが神楽坂の路地を満喫。
美しさ、整備のされ具合は優れているし、被写体として申し分ないんだけど、こうして写真を整理して見ると、女性誌でよく見る素敵なお店の集合写真、という感が否めません。
先程歩いた四谷荒木町で垣間見えた生活感というものが感じられなかったのがちょっと残念。
神楽坂商店街の皆さん、粋なお江戸の坂の街の保存に努めていらっしゃるのに、ごめんなさい。
ここ神楽坂は商業地区なのですね。
ここまで整備するには、個人の住宅では難しいのかも。
それとも個人のお宅はないのかな?
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