2013/03/20 - 2013/03/21
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Mill Reefさん
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ここ1か月、職場への業務監査への対応で大変忙しく長らく放置してしまいました。病気にでもなったのかとご心配下さった方々がおられたかどうかは分かりませんが(^^;、旅行記の更新が出来なかっただけで私も家族も皆元気に生活しております。ボチボチ復帰してまいりますのでどうぞこれからもよろしくお願い申し上げます。
さてその私は3月20日から1泊2日で上司・同僚らと鹿児島出張に行ってきました。会合は21日からだったのですが、20日が祝日だったので、上司の提案で20日に出発して指宿温泉で前泊して、21日午後からの会合に出席することにしました。
鹿児島は父の出身地であり、母方の祖父の出身地でもあります。子どもの頃は毎年夏休みの殆どを鹿児島の祖母のもとで過ごしていた第二の故郷とも言える地。
その鹿児島ですが、私が鹿児島に行ったときによく行くお気に入りの薩摩半島周遊コースがあります。
☆鹿児島空港または鹿児島市内を出発→知覧(武家屋敷・特攻平和会館)→枕崎・お魚センター(かつおのびんた焼きで昼食)→長崎鼻・開聞岳→指宿温泉
へと至るコースなのですが、今回は時間的な制約もあってこの全てをまわることは無理だったので、枕崎を除いたコースで周遊してきました。
また私が南さつま方面へ行ったときは必ず訪れる場所があります。子どもの頃に父に連れられてやってきた知覧町。未来ある若干二十歳前後の若者達が、家族を守るため、日本を守るためという大志を抱いて自ら進んで国家国民の盾となって散って行った陸軍特別攻撃隊の基地があった所です。
当時この地で旅館業を営み、母親がわりとなって特攻隊員のお世話をした特攻の母こと鳥浜トメさんの物語や、宮川三郎少尉のエピソードを綴った「ホタルになった特攻隊兵(宮川三郎物語)」など、数々の書籍や映画で有名になりましたが、特攻隊員達の遺書や遺品、隊員のエピソードや出撃前に子犬と戯れる隊員の写真など、彼らの純粋で心優しくまた人間らしい姿を見て大変な衝撃を受けました。
どの遺書も皆達筆で知世にあふれ、文章も非常にハイレベルなもの。その内容は両親や兄弟、わが子、恋人などへあてたものが多く、どれも素直な感謝の気持ちと、思いやりや愛情に満ちあふれていました。
なかでも衝撃を受けたのは、遺書にはっきりと
「近い将来日本は負けるでしょう。しかし自分たちが命をかけて最大限の抵抗を示すことで、少しでもよい条件を引き出せるかもしれない。そのためなら自ら喜んで出撃します」とか、
父から幼い子へあてた遺書で「お父さんは姿形こそなけれどお前たちを見守っている。お父さんはお国の盾となります。戦争が終わったらお前たちが一生懸命頑お勉強をして、頑張って日本を復興させるのです。それがお父さんの願いです」などと書かれていたこと。
自らがこの世を去った後の日本のことまで心配し、復興を願っているなんて。。。その滅私の精神に驚嘆するとともに、当時の若者がなんと立派な志を持っていたのかと驚嘆しました。なぜこのような立派な志を持った若者達が自ら命を捧げなければならなかったのか、理不尽な思いにかられて仕方ありませんでした。
その後日本は平和国家として戦争のない平和な生活を享受していますが、かつて未来ある多くの若者達が日本の盾となって自ら進んで散って行った悲しい現実があったことを決して忘れてはならないと思い、南さつま方面に出かけた時は必ず訪れてお参りするようにしています。
ここは多くの人たちに是非訪れて欲しいところです。今回この旅行記をまとめるにあたって平和会館のことを中途半端に扱いたくなかったため、どうまとめようかいろいろ考えたのですが、すぐには答えがでそうになかったので、今回はご紹介程度にとどめ、いつかここだけの旅行記としてまとめたいと思っています。
それでは鹿児島への出張旅の始まりです。
知覧の特攻平和会館公式サイト:http://www.chiran-tokkou.jp/
- 交通手段
- レンタカー ANAグループ Peach
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
私の第二のふるさととも言うべき地、鹿児島への出張旅。
仕事の会合は翌日でしたが、
その前日は祝日だったので前日から鹿児島入りして
薩摩半島周遊旅に出かけることにしました。
今回の往路はANA543便。
大阪空港(伊丹)午前10時30分発の鹿児島行き。
低気圧によるあいにくのお天気で時折激しい揺れに見舞われながら
無事に鹿児島空港に到着しました。
鹿児島と言えばやっぱり西郷さん。 -
空港の中には足湯がありました。
天然かけ流しだそうです。
大阪も曇っていましたが
鹿児島は小雨がぱらつくあいにくのお天気。 -
今回の出張旅の相棒。
空港近くのトヨタレンタカーで借りたラクティス。
これに乗って早速出発しました。
今回一緒の上司・同僚らは午後出発の飛行機で来るとのことで、
私一人で行き慣れたコースを巡ることにします。 -
生まれも育ちも大阪の私ですが、
鹿児島は父の出身地であり母方の祖父の出身地でもあります。
子どもの頃、毎年夏休みは宿題持参で
祖母が住む鹿児島にやって来て2〜3週間ほど過ごしていました。
海で泳いだり、山に虫取りに行ったり、
温泉や素麺流しに連れて行ってもらったり毎日楽しかったなぁ。
その祖母も2年前に99歳で亡くなりました。
その祖母が私が子どものころによく食べさせてくれた両棒(ヂャンボ)餅。
これが大好きでした。 -
楕円形の餅に2本の串をさし、
とろみのある甘い砂糖醤油のたれがついています。
みたらし団子に近い食感です。
鹿児島の有名な観光スポットである磯庭園近くの海水浴場には
ヂャンボ餅を売るお店が沢山あって、
海で泳いだ後は必ずこのヂャンボ餅を食べていました。
黒豚、さつま揚げ、桜島大根、かるかんetc...
鹿児島名物はいろいろあれど、
決して全国的に有名ではないですが、
私のおすすめはこのヂャンボ餅です。 -
鹿児島空港から九州自動車道、
スカイラインを乗り継いで1時間半ほどで
武家屋敷と知覧(ちらん)茶で有名な知覧町にやってきました。
ここはかつて大戦中に陸軍の特攻基地があった所です。 -
幹線道路を左に折れると特攻平和会館へ至る道です。
道の両脇には満開の桜。
知覧の特攻隊をテーマにした石原慎太郎議員が制作を担当した映画
「俺は君のためにこそ死にに行く」のラストシーンで
ここの満開の桜が出てきました。 -
この道の両脇にも灯篭が続きます。
そのあまりの潔さが桜の散る姿を彷彿とさせることから
よく若桜と称せられる特攻隊ですが、
一度ここ知覧の満開の桜を見てみたいと思っておりました。
桜の時期にはまだ早いかなと思っていたのですが、
例年以上に早かった今年の桜前線の到来のおかげで、
運よく念願かなって知覧の満開の桜を見ることが出来、感無量でした。 -
駐車場に車をとめて平和会館に向かいました。
駐車場のすぐ隣にある広場。
中央に特攻隊員の銅像。
この右手に、 -
大戦中陸軍の主力戦闘機として活躍した
一式戦闘機「隼」が展示されています。
ただしこれは本物ではありません。 -
石原慎太郎前東京都知事(現衆議院議員)が、
制作総指揮を取った特攻隊をテーマに制作された映画
「俺は君のためにこそ死にに行く」で使われた精巧な複製品です。 -
広場の中央に建てられた特攻隊員の銅像。
-
多くの若者が家族や大切な人、
そして祖国を守るためにここ知覧から出撃していきました。 -
隊員を遠くから見つめる女性の銅像。
若い隊員を見守る母親の像だそうです。 -
国民の多くが今よりも貧しくて社会環境も充実していない中で
苦労して一生懸命育ててきたであろうわが子を、
わずか二十歳そこそこの年齢で失う悲しさ。
いかばかりのものであったことでしょう。
家族を守るため、国民を守るため、と言って
すすんで自らを犠牲にした特攻隊員。 -
国家の大役を果たさんとばかりに勇んで飛び立とうとする未来ある若者、
その崇高な理念を貫こうとする息子の姿は、
当時の風潮としては一世一代の晴れ姿であったことでしょう。
これが命をかけた戦いでなければ
その大役を果たそうとするわが子の姿は親としては誇り高く
きっと喜ばしい姿だったに違いありません。
しかし特攻隊の場合
その先にあるのが確実なわが子の「死」だなんてあまりに悲しすぎる。
なんという不条理。 -
こちらは松林の中に復元された三角兵舎。
出撃命令が出るまでの数日間を隊員たちが過ごした最後の宿舎でした。 -
建物が半分地中に沈んだような構造になっているのは
敵機から見えにくくするためだそうで、
周囲の松林は目隠しの役目を果たしました。 -
-
中はこんな感じです。
出撃前夜はこの三角兵舎や、
近くの旅館などで壮行会が催され、
それが終わるとここで家族あての遺書を書いてから就寝したそうです。 -
中には自らの運命を受け入れることが出来ず、
布団の中ですすり泣く隊員もいたそうです。
無理もありません。
しかしそれでも翌朝には気持ちの整理をつけて、
家族を守るため、愛する人のため、お国のためにと決意して、
飛び立って行ったと言いますから、
その自己犠牲の精神と潔さに感服いたします。 -
そしてこちらが隊員たちの直筆の遺書や遺品が
多数展示されている特攻平和会館。
入館料大人1人500円。 -
定時になると語り部による講和を聞くことができます。
当時の隊員たちの人間らしい姿やエピソードを
より臨場感を持って知ることができるので、
ここに来られる方は是非語り部による講和をお聞きになることをおすすめします。 -
平和会館の中は撮影が禁止されているので
中を紹介することは出来ませんが、
隊員達が両親や兄弟、恋人などにあてた愛情と思いやりあふれた遺書は
涙無くして読むことは出来ません。 -
今回この鹿児島旅行記をまとめるにあたって、
この知覧の特攻平和会館をどうまとめようか
散々思案した挙句に結局答えを出せず、
かといって中途半端なものにだけはしたくなかったため、
ここはいつか別の機会に特攻平和会館だけをテーマにした
旅行記にしてまとめたいと思います。 -
久しぶりの平和会館訪問(5年ぶりくらいか)でしたが、
ただ単に切ない、悲しいなどというセンチな気持ちだけではなく、
心の奥底で何かが燃えたぎるような不思議な衝動に駆られます。
それは自分と同じ日本人の先人達には、
これほどまでに高貴で崇高なまでの滅私の精神を貫き、
自らの命を捧げてまで勇敢に祖国を守り抜こうとした
立派な若者たちがたくさんいたという事実を垣間見て、
それを誇りに思う気持ちが
心の奥底からふつふつと湧き立って来るからではないかと思います。
後世に生きる平和な生活を享受している私達日本人は、
決して彼らのことを忘れてはならないと思います。 -
平和会館を見て回り、
お参りをすませた時にはすでに3時間ほどもたっていました。
知覧町の茶畑の中を車を走らせました。 -
道の両側に広がる美しい茶畑。
県道27号線を南下して、 -
頴娃(えい)町に入りました。
ここは母方の祖父の出身地であります。
小さい頃は海や山でたくさん遊びました。
時間があればここから西に向かって枕崎まで足を伸ばし、
かつおの頭を丸ごと煮たびんた焼きを食べに行くのですが、
時間がないので指宿を目指すことにします。 -
県道27号線から国道226号線に入り、
薩摩半島最南端の海沿いを枕崎方面とは逆に東に向かって走りました。
途中、瀬平自然公園の駐車場で休憩を取りました。
ここは晴れていれば大変綺麗な開聞岳(かいもんだけ)を見ることが出来る
大変風光明媚なスポットです。 -
しかし残念ながらこの日はあいにくの曇り空。
美しい黒砂の海岸線は見れましたが、 -
開聞岳は山頂部が雲に隠れて見えず。
5月のGWに、今度は家族連れで鹿児島に来ることになったので、
その時に期待したいと思います。 -
さて指宿に到着しました。
今回宿泊するのは指宿いわさきホテル。
鹿児島では有名な岩崎グループが運営するホテルです。 -
フロントでチェックイン。
-
大変広大な敷地に充実のアクテビティー。
-
7階のツインルームにシングルユースで泊まることが出来ました。
-
こちらはトイレとバスルーム。
-
持ち込みスペースのない冷蔵庫(いけてない)。
しかもアイスベンダーは各フロアーになく、
氷を取りに行くにも地下1階までおりないといけません。
これは大変不便でした。 -
バルコニーからの景色。
左側(東側)の景色。
錦江湾を臨めます。 -
正面(南側)
広大な敷地です。 -
右側(西側)
-
すでに上司・同僚は到着した様子で温泉に行っているとのことで、
私も温泉大浴場に向かいました。
鹿児島の温泉にあるホテルの大浴場は、
度肝を抜かれるほど巨大な大浴場を兼ね備えた所が多いのですが、
ここは九州有数の温泉地の大規模なホテルでありながら、
内湯が一つと海を見渡す小さな露天風呂が一つあるだけで、
鹿児島にしてはちょっと貧弱。 -
そして指宿と言えば有名なのが「砂蒸し風呂」ですが、
夕食の時間に間に合いそうにないので、
こちらは夕食後か翌朝に行くことにしました。 -
温泉を満喫した後は夕食の時間。
巨大ホテルゆえどこに行くにも結構時間がかかります。 -
通路は様々なイルミネーションで彩られ、
なかなかよい雰囲気。 -
夕食会場の「與庵(よあん)」に到着。
-
ビールで乾杯!
この後はもちろん薩摩焼酎をいただきました。 -
食事の方ですがまずは本膳。
前菜、替り小鉢2種という内容。 -
さつま揚げ、
-
もずく山芋落し
-
きびなご辛子酢味噌
-
車海老の鬼殻焼
-
お造り
イカ、タイ、カツオだったと思います。 -
鹿児島黒豚のしゃぶしゃぶ。
豚骨としゃぶしゃぶからチョイス可能。 -
しゃぶしゃぶ用のお鍋が用意されました。
-
黒豚しゃぶしゃぶか豚骨とのチョイスでしたが、
鹿児島と言えばやはり黒豚でしょう。
とてもジューシーなお味で美味しかったです。 -
瀬魚の煮おろしかけ
-
最後の飯物と吸い物と香物。
今回のプラン、
1泊2食付きの夕食が会席コースで一人1万5千円でしたが、
このホテルでこの内容であればとてもリーゾナブルに感じられました。 -
夕食後、上司や同僚らと錦江湾を見渡せる
スカイラウンジに飲みに行きました。 -
いつもはたわいもない話しで盛り上がるこのメンバーですが、
昼間に訪れた特攻平和会館で見たこと聞いたことを話すと、
もともと武士道やら哲学的死生観やらの話題が大好きな上司。
その心に大量の油を注いでしまったみたいで、
そこからは延々と熱く語り始め、
さらには同僚の心にも飛び火してしまって
「究極の人間愛とは」から始まって「明治維新」や「日本人とは…」、
果ては「これからの日本のあるべき姿」に至るまで、
朝生のようなお堅いテーマで盛り上がったのでありました。 -
それにしても皆意外とよく知っているなぁと感心。
なかなか面白い話しを聞けてとても有意義な薩摩の夜となりました。
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この旅行記へのコメント (6)
-
- norisaさん 2013/04/21 15:36:41
- おっしゃるとおりーー
- Mill Reefさん
とても参考になる旅行記でした!
特に
「近い将来日本は負けるでしょう。しかし自分たちが命をかけて最大限の抵抗を示すことで、少しでもよい条件を引き出せるかもしれない。そのためなら自ら喜んで出撃します」
というくだりは衝撃を受けました。
おっしゃるとおり彼らの心境や苦しみは決して忘れてはいけませんね。
やはり戦争は絶対に避けたいものですね。
norisa
- Mill Reefさん からの返信 2013/04/21 22:57:27
- RE: おっしゃるとおりーー
- norisaさん、こんばんは。
特攻隊となって散華された当時の若者達の志の高さには
ただただ驚くと同時に大変感銘を受けました。
負けた後の講和会議で少しでもよい条件を引き出せるなら
自ら祖国の盾になるなんて出来ることではありませんよね。
You tubeなどで検索すればたくさんヒットします。
私はここに来ると悲しみというよりも
むしろ不思議と安ど感といいますか、
安らぎと言うかいろいろ入りまじった不思議な気持ちを感じるんです。
日本にはこんなに勇敢で心優しく
立派な志を持った人たちがたくさんいた
というまぎれもない事実に、
誇りを感じるからだと思います。
それも遠い昔ではなく私たちのおじいちゃんの世代ですよね。
先の震災でも東北の人たちが見せた助け合いの精神、
混乱の中でも冷静に対処し
決してどさくさまぎれの略奪や暴動が起こらない
日本の社会に世界が驚いたと言います。
原発に突入して決死の放水活動をした消防や警察、自衛隊、
迫りくる津波の中、最後まで市民を誘導して殉死された
警察官や一般市民など、
外国で比較的最近あった大型客船が座礁して
真っ先に逃げだした船長や船員たちとは全く違いますね。
状況こそ違えど今もその精神は
多くの人々の心の中に脈々と受け継がれているような気がします。
戦争のない平和で誰もが幸せを感じられるような社会を築かないとけませんね。
つくづくそう思いました。
-
- たらよろさん 2013/04/20 16:10:50
- 知覧にて
- こんにちは、MillReefさま。
お元気でしたか。。お忙しい中、出張にもお出かけされお疲れ様です。
ボチボチと4トラにも出没してくださいね(笑)
ところで、以前鹿児島に行った時に時間が無くて知覧に行けなかったんですが、
未だにすごい心残りなんです。
涙なくして読めない手紙、、、
その諦めとも潔さとも複雑な心境をぜひ今度は見たいと思います。
やっぱり、戦争の犠牲になられた方の記念館は
今の子供達にも絶対に見て欲しいですね。
広島や長崎の記念館も然り、知覧も然り。。。
鹿児島にPeachでお安く飛べるようになったし、計画しようかなー
たらよろ
- Mill Reefさん からの返信 2013/04/21 01:51:52
- RE: 知覧にて
- たらよろさん、こんばんは。
ご無沙汰しておりました。
早々のご訪問ありがとうございます。
私も今回は時間の関係で往路はANAでしたが、
復路ははじめてPeachに乗って帰ってきました。
座席が狭いのが難点でしたが
1〜2時間くらいなら十分耐えられそうなので、
どんどん利用しようと思っています。
というわけで、
早速5月のGWはPeachに乗って、
今度は家族で宮崎・鹿児島めぐりをする予定です。
ところでその知覧の特攻平和会館ですが、
たくさんの人に是非訪れて欲しいです。
特にたらよろさんのような影響力のある方には是非(^^)!
彼らが命を懸けて守ろうとしたものは何だったのか。
家族や恋人など身近な人たちを守るという気持ちだけではなく、
多くの遺書に書かれていた
残された人々に戦後の日本の復興と発展を託す文言、
それと平和な社会を実現して欲しいという文言。
自らがこの世を去ったあとの祖国の未来までをも
案じてくれているだなんてと
とても強く印象に残っています。
今の日本は、彼らから見てどううつるのでしょうか?
命を捧げてまで守る価値があったと
思ってもらえる日本になっているのでしょうか。
戦争を生き残った人たちは戦後一生懸命頑張って
日本を復興させてくれましたが、
後世に生きる私たちも、
彼らに納得してもらえるような
よりよき社会を造っていかないといけませんよね。
いろいろ考えさせられた特攻平和会館でした。
ではまたぼちぼち復帰して参りますので
どうか今後ともよろしくお願いしますね♪
-
- みっちゃんさん 2013/04/20 07:39:37
- おはようございます!Mill Reefさん
- Mill Reefさんは、鹿児島とは深い繋がりがお有りなんですね・・。
1年半ほど前に自分も鹿児島・城山公園・仙厳園・長崎鼻・知覧へと
行って参りました。
知覧特攻平和会館にも行きました・・。
自分の下手な説明では、到底伝えきれませんが、【今の日本の繁栄は
あの若者達の礎の上にある】と思います。
あの三角兵舎を見て、また家族に宛てた遺書を読みながら、涙したことを
憶えてます・・。
平和な日本・世界で有り続ける事を願って止みません・・。
後半旅行記も楽しみにしています・・。m(vv)m
みっちゃんm^^m
- Mill Reefさん からの返信 2013/04/21 01:02:14
- RE: おはようございます!Mill Reefさん
- みっちゃんさん、こんばんは。
みっちゃんさんも知覧に行かれたことがあったのですね。
>【今の日本の繁栄はあの若者達の礎の上にある】と思います。
私も全く同感です。
平和会館で聞いた講和で語り部さんが、
「戦後生き残って社会復帰された方々が、
『生き残った自分たちが
彼らの分まで頑張って日本を復興させなければ』
と言う強い意志があったからこそ、
皆一生懸命働いて経済復興を遂げ、
また平和国家として歩んで来れたのですよ」
とお話しされていました。
どの遺書も残された人たちに対する
愛情や思いやりあふれる内容で、
それでいてとても強くて勇敢でどこまでも潔い。
またその卓越した文章からは、
どの隊員も皆相当優秀な方々だったことが容易に読み取れます。
あなたたちは一体どこまで立派な人達だったんだと
素直に感服いたしました。
まだまだ紹介したいことや
書きたいことがたくさんあったのですが、
自分の中で整理しきれなかったので、
いつかきっと特攻平和会館だけの
旅行記を立ち上げたいと思っています。
ではまたよろしくお願いしますね!
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