2013/03/17 - 2013/03/17
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naoさん
この日は、奈良県立美術館で催されている、『田中一光デザインの世界 ―創意の軌跡―』を見たあと、かつての平城京の中心部にあたる「ならまち」の町並みを散策しました。
田中一光さんは、1930年に奈良市で生まれた世界的グラフィックデザイナーで、40年にわたり日本のデザイン界の第一線を歩いてこられました。
彼が携わった分野は多方面にわたっていて、店舗デザインやグラフィックデザインなどを通して、企業のイメージ戦略を支える一方、日本万国博覧会や札幌冬季オリンピックといった、国際的なイベントのアートプロデューサーやディレクターを務めるなど、世界レベルで活躍されています。
2000年の文化功労者表彰をはじめとして、多くの受章歴を誇るとともに、その作品はニューヨーク近代美術館など、内外の美術館に収蔵されています。
今回は、田中一光さんの没後10周年の回雇展として開催されたもので、版画やグラフィックアートなど、ライフワークとして制作された作品を中心に、350点が展示されています。
「ならまち」は、710年に飛鳥から平城京へ都が遷されたのに伴い建立された、元興寺の旧境内を中心とした地域を指し、平城京遷都とともに、当時の街道筋を中心にまちづくりが始まり、様々な時代の変遷とともに発展してきた、長い歴史を持つ町です。
江戸時代末期から明治時代にかけての町家の面影が残る古い町並みは、訪れる人々をいにしえの世界へ誘います。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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奈良県立美術館で催されている『田中一光デザインの世界 ―創意の軌跡―』を見に来ました。
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『田中一光デザインの世界 ―創意の軌跡―』の入場券。
展覧会の後は、「ならまち」散策です。
近鉄奈良駅にある観光案内所で地図をもらって、小西さくら通りから三条通りへ抜け、「ならまち」の南端まで歩きます。 -
三条通り沿いに「奈良縣里程元標」や「橋本町御高札場」なるものがありました。
「里程元標」は、明治政府が全国の道路状況を把握するため、各都道府県の本庁所在地の交通の要地に、道路の起点や終点を示すために設置された木柱のことで、奈良県では、明治21年に橋本町に設置されました。
最近まで石の台座のみを残すだけになっていたものを、2010年、地元自治会などの尽力により、高さ3mの「奈良縣里程元標」が復元されています。
「高札場」は、幕府や領主が定めた規則や領民への注意事項などを木の札に書き、人目に付きやすいように高く掲げておく場所のことです。
「橋本町御高札場」は、1984年、地元自治会などが当時の図面を元に復元したもので、昔のままの高札に加え、鹿に対する注意書きや市内各地への距離(歩数)などがユーモラスに書かれています。 -
三条通りを東の方へ行くと・・・
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猿沢池があります。
興福寺の五重塔が水面に姿を写す素晴らしい景観から、奈良八景のひとつに選ばれています。 -
猿沢池には、日本の淡水ガメの殆どの種類が生息しているそうです。
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興福寺の五重塔です。
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元林院町には、古い風情が残る町並みが続いています。
この辺りはかつて花街だったそうで、今でも舞妓さんの歩く姿を見ることができるそうです。 -
この水栓、どこにあると思います。
それは無いだろうと思うんですが、何と家の前の溝の中にあるんです。
この町は、こういうことができる面白い町のようです。 -
ひとつひとつの格子が、それぞれ違った表情を見せています。
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その格子の一本一本に刻まれた腐食の跡が、風雨に耐えてきた永い歴史を物語っています。
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この町並みを歩いていると、すっと戸を開けて、今にも舞妓さんが出てきそうな雰囲気があります。
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これは魔除けなんでしょうか、町屋の塀の上から獅子が睨みつけています。
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このお宅の軒先には松ぼっくりが吊るされています。
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よく見ると、注意と書かれた板切れと一緒に吊るされているので、トラックドライバーへの注意喚起のようです。
時々交通事故が起こるんでしょうね。 -
猿沢池のすぐ南を流れる率川(いさかわ)の中に、船形の陸地に石仏が祀られています。
「率川の船地蔵」と言うそうで、河川改修の際に移動する石仏や流れ着いた石仏をまとめて祀られているとのことです。 -
かわいいお地蔵さんたちです。
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今御門町で見かけた身代わり猿。
身代わり猿を吊るのは、『猿が毛繕いをしている姿が、悪病や災難を連れてくると言われる「三尸(さんし)の虫」を取って食べているように見えたので、「三尸の虫」は恐れをなして逃げてしまった』という言い伝えから、悪病や災難を封じるおまじないとして吊っているそうです。 -
地元では、賭けごとの神さんとして知られている猿田彦神社。
境内にある大きな石が賭けごとの守護神として崇められているそうです。 -
鶴福院町の辺りで振り返ると、町並みの向こうに興福寺の五重の塔が見えています。
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鶴福院町を南に下がると「ならまち」大通りに突きあたりますが、そこに道標が立っていて、「左 大ぶつ」と書いてあります。
確かに東大寺は左手前の方にあります。 -
道標を過ぎて南へ歩くと、元興寺があります。
「ならまち」は、元興寺の旧境内を中心に発展した町です。
この極楽坊本堂の屋根瓦には、飛鳥時代の瓦が今も使われているそうです。
真ん中あたりの、少し茶色くなった瓦がそうなんでしょうか・・・。 -
境内には、椿がきれいに咲いています。
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元興寺の塀はそんなに高くないので、ちょっと覗くと東門と極楽坊本堂が見えます。
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「ならまち」の真ん中を南北に貫いている上街道の方へ向かいます。
通り沿いには、古い町屋を活用したお土産屋さんが店開きしています。 -
上街道の一角にやって来ました。
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漢方薬の老舗。
右端の軒下に青い提灯が見えると思いますが、ここは「おたずね処」と称する、「ならまち」の案内所のようなところで、道に迷ったり、わからないことがあればいろいろ教えてくれます。
ちなみに、「ならまち」全体で20数か所あるそうです。 -
このお店の屋根には、魔除けの鍾馗様が載っています。
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漢方薬の老舗から少し歩くと、奈良町資料館があります。
ここの屋根には、陶器の「見ざる・言わざる・聞かざる」の像が並んでいます。 -
奈良町資料館の向かいにある、茶壷を模したお茶屋さんの看板。
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奈良町資料館のショウウィンドウは、身代わり猿のオンパレードです。
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奈良町資料館の南には庚申堂があります。
「庚申信仰」は、奈良時代末期に日本に伝来した中国の道教の「守庚申」が、日本固有の信仰と交りあって発展したのではないかと考えられていて、その信仰の中から、三尸を押さえる神として青面金剛(しょうめんこんごう)が発展したと言われています。
「守庚申」とは、人の体内には「三尸(さんし)の虫」という虫がいて、庚申の日の夜、人々が寝静まると体から抜けだし、その人がしてきた悪行を天帝(宇宙をつかさどる神)に告げに行き、これを受けた天帝が、天の邪鬼(たたりを起こす神)に命じてその人に罰を与えるため、人々は三尸の虫が抜け出さないよう青面金剛(しょうめんこんごう)を祀り、寝ずに過ごしたという習わしのことです。 -
庚申さんと呼ばれて親しまれているこの庚申堂は、青面金剛を祀る祠です。
なお、悪病や災難を封じるおまじないとして、家々の軒先に吊るされている身代わり猿は、青面金剛の使いである猿をかたどったものだそうです。 -
こんな所にも「言わざる」が居ます。
庚申さんが、こんなに猿と縁があったとは知りませんでした。 -
路地の入口にも身代わり猿が吊られています。
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豆腐料理のお店。
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町並みで見かけたシデコブシの花。
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元興寺小塔院跡。
ここは、元興寺の極楽坊宝物館に納められている五重小塔が建っていた所だそうです。 -
元興寺小塔院跡の手水鉢に活けられた椿一輪。
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ちょっと荒れた町屋にも春が訪れているようで・・・
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お庭には白い椿が咲いています。
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上街道沿いにある赤膚焼の工房。
精緻な透かし彫りの作品を得意とされているようです。 -
同じく上街道沿いにある大きな商家。
訪れたお客さんを見送って、格子の大戸を開けて出てこられたこの家の御主人です。
格子の大戸が開いているところが珍しかったので、ご主人にお願いして写真を撮らせていただきました。
通常は潜り戸を使っておられるんでしょうね。 -
「ならまち格子の家」まで来ました。
ここは、ならまちの伝統的な町屋を再現したそうで、「おたずね処」にもなっています。 -
格子の間から室内の様子がうかがえます。
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2層吹き抜けの土間の上には、むき出しの太い梁が架かっています。
土間は、カマドのある台所になっているので、吹き抜けの上部には、採光と通風のための窓が設けられています。 -
2階の居室から土間を見下ろす窓。
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「中の間」にある箱階段。
階段下のデッドスペースを効率的な収納にしてしまうなんて、昔の人の知恵と工夫の結晶です。 -
2階の居間の天井にも太い梁がむき出しになっています。
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先ほどの土間を見下ろす窓。
2階に居る子供たちが、台所で働くお母さんと、この窓越しにおしゃべりする姿が目に浮かびますね。
言うならば、対面キッチンのはしりです。
正面の小扉は、屋根裏を利用した収納の出入口です。 -
そのカマドです。
昔の町屋は、カマドで火を焚く関係から、火の用心のため土間に台所が設けてあったんですね。
なお、私の生まれ育った大阪では、カマドのことを「へっついさん」と呼びます。 -
箱階段も、2階から見ると普通の階段にしか見えませんね。
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「みせの間」の格子を透かして見る上街道。
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主屋の「奥の間」から、坪庭越しに「離れ」を臨みます。
片側には渡り廊下が設けられ、「離れ」の奥には蔵があります。
狭いながらも、趣のある坪庭です。 -
芽吹き始めたもみじが春の訪れを告げています。
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離れから見た坪庭の様子。
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渡り廊下に面して便所が配置されているので、手洗いのための手水鉢が据えられています。
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割石を小端立てに敷き詰めた「伝い」。
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カマドの横に置かれた銅製の炭壺。
これは、カマドから出た残り火を入れておく道具で、中の酸素がなくなると消し炭になります。
炭壺の使い方を説明できる私は、はたして何歳でしょうか? -
「ならまち格子の家」の向かいにある藤岡家住宅。
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藤岡家住宅は、約300年前の建物と推定され、「ならまち」の古い商家の典型と言われています。
1988年に解体修理が行われ、現在、国の重要文化財に指定されています。 -
「ならまち」のほぼ南端にある高林寺。
屋根の上で鯱鉾がはねています。 -
さらに、獅子までも・・・。
では、「ならまち」のほぼ南端まで来たので、引き返すことにします。 -
薬師堂町の角にある御霊神社。
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上街道で見かけた蚊帳(カヤ)屋さんの看板。
まだ、蚊帳を使っている家があるようです。 -
同じく、お薬屋さん。
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公納堂町にあるお店では、通路の露地行燈がお客さんを導きます。
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公納堂町にある人気の町屋カフェです。
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「ならまち」にも銭湯がありました。
最近の銭湯は駐車場完備でないとダメのようです。 -
間口半間(半間=90cm)の門構えの町家。
その昔、敷地の間口に応じて税金が決められたので、「ウナギの寝床」と呼ばれるように、幅の狭い家が建てられたと言われますが、この家の場合は、さしずめ「メダカの寝床」といったところでしょうか。 -
1884年創業の造り酒屋、今西清兵衛商店さん。
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隣には、重要文化財の今西家書院があります。
この書院は、室町中期の書院造りの遺構を残しているといわれています。 -
組数制限がありますが、食事や喫茶ができるそうです。
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公納堂町と十輪院町をつなぐ細い路地の奥に・・・
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隠れ家のような蕎麦屋「玄」があります。
この時間帯は営業されていないので暖簾はしまわれています。
ここは、知る人ぞ知る蕎麦屋さんで、ご主人こだわりのお蕎麦は絶品です。
ちょっと判りにくい所にありますが、蕎麦好きには絶対お勧めのお店です。 -
先ほどの路地を十輪院町に抜けてきました。
この先にもう一軒お勧めの町屋カフェがあるのでご紹介します。 -
「よつばカフェ」です。
お店の営業案内は「時刻表」に書いてありますので参考になさってください。 -
公納堂町のお土産屋さんで見つけた握り仏。
なかなか愛嬌のある顔をしています。 -
日本有数のクラシックホテルのひとつ奈良ホテルです。
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築100年を超える木造の本館の中でも、赤絨毯敷きの大階段は極め付けです。
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奈良公園でお馴染みの鹿たちですが、まだ角が伸びていませんね。
雄鹿の角で観光客を傷つけないよう、毎年10月に奈良公園の角きり場で、秋の伝統行事「鹿の角きり」が行われます。
この行事は、勢子といわれる人たちが角きり場に追い込まれたシカを捕まえ、神官が角を切るという、古都の秋を彩る勇壮な行事です。 -
猿沢池に姿を映す興福寺南円堂。
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采女が衣を柳の木に掛けて猿沢池に入水してしまうという、悲しい伝説を伝える「衣掛柳の碑」の横に立っている石塔。
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「衣掛柳の碑」の横には、この伝説にちなんだ衣掛茶屋があります。
軒先に吊られた灯籠も、なんとなく悲しげに見えます。 -
では、「五十二段」と名付けられた石段を上って興福寺へ向かいます。
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五重の塔。
当初の塔は730年建立ですが、その後、数度にわたる火災に遭い、現在の塔は1426年に建てられています。 -
五重の塔の相輪。
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五重の塔の鬼瓦と灯籠。
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猿沢池に姿を映していた南円堂。
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東金堂。
左手には、「国宝 阿修羅像」などが収められている国宝館があります。 -
東金堂の鬼瓦。
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東金堂の鰐口。
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東金堂の灯籠。
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五重の塔と東金堂。
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この石畳の左手には、北円堂があります。
興福寺を出ると駐車場なので、そろそろ帰ります。
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