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八王子市を流れる多摩川支流である浅川北岸の河岸段丘に位置する大泉寺(だいせんじ、東京都八王子市大和田町)はもともとは第3代将軍家光の頃、現在の港区六本木にあり、豊後岡藩主中川久盛(なかがわ・ひさもり、1594~1653)により在甲府市大泉寺九世陽山宗廣大和尚を勧請して創設されています。<br /><br />然しながら昭和20年の東京大空襲にて罹災し、その後昭和53年当地に移転し現在に至っています。<br /><br />境内から市街を望む景色は雄大で、浅川の向こうの市街地、そして更に遠望には富士山をも捉える程の素晴らしい展望となっておりいつまでも留まっている気持ちになります。<br /><br /><br />2022年8月2日追記<br /><br />当該寺院ホームページには下記の通り紹介されています。<br /><br />『 大泉寺 歴史<br /><br />寛永3年(1626)徳川三代将軍家光公治世の慶長年間に、甲府市・大泉寺の草庵として港区麻布今井町(現六本木3丁目)に建立された。<br /><br />その後、豊後岡藩城主・中川内膳正久盛公が修理大夫秀成(中川秀成、久盛公の父)菩提供養のためにお取り立てになり、併せて本寺九世陽山宗広大和和尚を拝請し開山とした。久盛公は承応2年に59歳で亡くなられ、その戒名(法名)より山号を「法台山」というようになった。<br /><br />創建以来、大変栄えたと伝えられるが、元禄8年、延享3年、天明4年の3回にわたり類焼にあったため、文政8年(1825)に16世・担然祖俊大和尚が再建を発意し、天保11年に本堂新築および庫裏の大修復がなった。<br /><br />しかし、大正12年には関東大震災により本堂・庫裏が半壊。当山22世・悟峰賢宗大和尚が修復を行ったが、震災後の古材を使用せざるを得ず、再び半ば倒壊してしまった。その苦難を乗り越えて、昭和9年には庫裏の新築はしたものの、昭和20年5月25日、第2次世界大戦の東京大空襲で罹災し、本堂・庫裏、本尊仏、仏具一切を全焼してしまう。これにより古記録類も伽藍炎上の余熱で灰隣現存していない。<br /><br />終戦後、全檀信徒の喜捨(布施)により仮本堂および庫裏が建てられたが、おりからの高度成長による周囲の都市化により再建の目処が立たなかった。昭和47(1972)年に当山23世徳豊恭彦大和尚が移転再建を発意し、大泉寺再建建設委員会(委員長・市瀬泰雄氏)を組織し、昭和53年に至って八王子・大善寺(浄土宗)の跡地を譲り受け、現在地(大和田町7丁目)に墓地とともに移転された。<br />移転当初は旧大善寺本堂(呑龍堂)及び庫裏を修復して使用していたが、老朽化が激しかったために昭和58年に大改築が行われた。<br /><br />その後、かねてより檀信徒からの要望が多かった客殿の建築にも着手し、再度、大泉寺再建建設委員会(委員長・小林邦子氏)を組織して、全檀信徒の協力のもと平成10(1998)年、客殿と庫裏を新築、併せて本堂の補修(注・一部、旧大善寺の江戸期の建築資材も残している)を行い、現在に至っている。』

武蔵八王子 豊後岡藩主中川久盛が父中川秀成供養のため江戸麻布に創建、以降幾多の罹災を克服して再建を果たした『大泉寺』散歩

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2012/09/13 - 2012/09/13

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滝山氏照

滝山氏照さん

八王子市を流れる多摩川支流である浅川北岸の河岸段丘に位置する大泉寺(だいせんじ、東京都八王子市大和田町)はもともとは第3代将軍家光の頃、現在の港区六本木にあり、豊後岡藩主中川久盛(なかがわ・ひさもり、1594~1653)により在甲府市大泉寺九世陽山宗廣大和尚を勧請して創設されています。

然しながら昭和20年の東京大空襲にて罹災し、その後昭和53年当地に移転し現在に至っています。

境内から市街を望む景色は雄大で、浅川の向こうの市街地、そして更に遠望には富士山をも捉える程の素晴らしい展望となっておりいつまでも留まっている気持ちになります。


2022年8月2日追記

当該寺院ホームページには下記の通り紹介されています。

『 大泉寺 歴史

寛永3年(1626)徳川三代将軍家光公治世の慶長年間に、甲府市・大泉寺の草庵として港区麻布今井町(現六本木3丁目)に建立された。

その後、豊後岡藩城主・中川内膳正久盛公が修理大夫秀成(中川秀成、久盛公の父)菩提供養のためにお取り立てになり、併せて本寺九世陽山宗広大和和尚を拝請し開山とした。久盛公は承応2年に59歳で亡くなられ、その戒名(法名)より山号を「法台山」というようになった。

創建以来、大変栄えたと伝えられるが、元禄8年、延享3年、天明4年の3回にわたり類焼にあったため、文政8年(1825)に16世・担然祖俊大和尚が再建を発意し、天保11年に本堂新築および庫裏の大修復がなった。

しかし、大正12年には関東大震災により本堂・庫裏が半壊。当山22世・悟峰賢宗大和尚が修復を行ったが、震災後の古材を使用せざるを得ず、再び半ば倒壊してしまった。その苦難を乗り越えて、昭和9年には庫裏の新築はしたものの、昭和20年5月25日、第2次世界大戦の東京大空襲で罹災し、本堂・庫裏、本尊仏、仏具一切を全焼してしまう。これにより古記録類も伽藍炎上の余熱で灰隣現存していない。

終戦後、全檀信徒の喜捨(布施)により仮本堂および庫裏が建てられたが、おりからの高度成長による周囲の都市化により再建の目処が立たなかった。昭和47(1972)年に当山23世徳豊恭彦大和尚が移転再建を発意し、大泉寺再建建設委員会(委員長・市瀬泰雄氏)を組織し、昭和53年に至って八王子・大善寺(浄土宗)の跡地を譲り受け、現在地(大和田町7丁目)に墓地とともに移転された。
移転当初は旧大善寺本堂(呑龍堂)及び庫裏を修復して使用していたが、老朽化が激しかったために昭和58年に大改築が行われた。

その後、かねてより檀信徒からの要望が多かった客殿の建築にも着手し、再度、大泉寺再建建設委員会(委員長・小林邦子氏)を組織して、全檀信徒の協力のもと平成10(1998)年、客殿と庫裏を新築、併せて本堂の補修(注・一部、旧大善寺の江戸期の建築資材も残している)を行い、現在に至っている。』

交通手段
高速・路線バス 徒歩
  • 法台山大泉寺

    法台山大泉寺

  • 大泉寺・寺標<br /><br />

    大泉寺・寺標

  • 大泉寺・本堂

    大泉寺・本堂

  • 扁額<br /><br />寺号となる「法台山」が掲載されています。

    扁額

    寺号となる「法台山」が掲載されています。

  • 八王子市街展望

    八王子市街展望

  • 八王子市街

    八王子市街

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