2012/12/22 - 2013/01/22
226位(同エリア320件中)
経堂薫さん
現在の日本は47都道府県に分かれてますが、江戸時代までは六十余の州に別れてました。
各州ごとに筆頭の神社があり、これらは「一之宮」と呼ばれています。
その「諸国一之宮」を公共交通機関(鉄道/バス/船舶)と自分の足だけで巡礼する旅。
9カ所目は三河国(愛知県)の砥鹿神社を訪ねました。
【砥鹿神社(とがじんじゃ)】
[御祭神]大己貴命(おおなむちのみこと)
[鎮座地]愛知県豊川市一宮町西垣内
[創建]大宝年間(701−704年)
〈追記〉
「諸国一之宮“公共交通”巡礼記[三河國]砥鹿神社」を全面改稿し、ブログ「RAMBLE JAPAN」にて「一巡せしもの〜三河國一之宮[砥鹿神社]」のタイトルで連載しております。
是非ご高覧下さい。
ブログ「RAMBLE JAPAN」
http://ramblejapan.blog.jp/
http://ramblejapan.seesaa.net/
(上記のURLの内容は、どちらも同じです)
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
-
土曜の朝、東名高速豊川インター近辺から住宅街を抜けて北へ向かう。
小糠雨に包まれた住宅街は物静かで、近くを通る伊奈街道(国道151号線)を走る車の音が時折聞こえてくるぐらい。
やがて家並みが途切れ、木々の緑が増えてきた頃、前方に鳥居が見えてきた。 -
三河國一之宮、砥鹿神社の鳥居である。
-
ただ、鳥居も神門も思っていたほど大きくはない。
しかも神門を潜ると即境内で参道がなく、拝殿までの距離がすごぶる短い。
この入口は事任八幡宮の南門のように、自動車での参拝者のため新たに設けられたのかと訝ったほどだ。 -
境内案内図には「表神門」とある。
“表”と称するからには、やはりこちらの入口が正面に違いない。
それに新たに設けたにしては、確かに風格があり過ぎる。 -
表神門を潜ってすぐ右手に位置する太鼓楼。
いくつか一之宮を巡ってきたが、独立した太鼓楼を見たのは砥鹿神社が初めて。 -
右手に太鼓楼と手水舎、左手に社務所。
そして正面に拝殿。
表神門から目と鼻の先にあり、何か物足りない。
長い参道を歩いた後にたどり着かないと、満足できない体質にでもなったのだろうか? -
拝殿に掲げられた扁額。
主祭神は小國神社と同じ大己貴命。
「但馬続風土記」によると、国土開拓のため諸国巡幸の途にあった大己貴命は 但馬国赤淵宮へお移りになった後、東方三河国に向かわれた。
「砥鹿神社社伝」によると、三河国で命は「本茂山(ほのしげやま)」(本宮山)に留まり、この山を永く神霊を止め置く所「止所(とが)の地」とされた。
それが社名「砥鹿」の由来かと思われる。 -
祓所。
このほか境内には先述の太鼓楼や大欅御神木、さざれ石などがある。
ただ、境内に徳川家と縁のある品がひとつもない。
三河は徳川家発祥の地であり、家康も慶長7(1602)年に朱印地100石を寄進している。
もっと何かあってもいいように思えるが、砥鹿神社の徳川家に向き合う姿勢はニベもない。
公式ウェブサイトにも頂戴したレリーフの中にも、徳川のトの字すら出てこない。
過去に砥鹿神社と徳川家の間に、何か諍いでもあったのだろうか?
なかなか興味深い事象である。 -
社殿の左(西)に建つ二宮、三河えびす社。
無論、祭神はえびす様こと事代主命(ことしろぬしのみこと)。
一宮が大黒様で、二宮が恵比寿様。 -
えびす社から左(西)側を見ると、参道が遙か先まで続き、社域が果てしなく広がっている。
実は、こちら側が正門だったのか…と勘違いしそうなほど。
その参道への入口に当たる西神門をくぐり、その先へ。 -
西神門を出ると右側には弓道場。
その先には鳥居と石灯籠。
先の境内案内図によると、やはり最初に入った門が正門で、こちらは側門のようだ。 -
社号標。
何時の時代に建てられたものかは分からないが、いかにも古そう。 -
ここは砥鹿神社の里宮であり、大己貴命宣うところの「本茂山」の「止所の地」に本宮が鎮座している。
それは遥か彼方、海抜789メートルの本宮山頂上。
「三河国一宮砥鹿大菩薩御縁起」によると、大宝年間(701〜704年)に文武天皇が病気平癒祈願のため勅使の草鹿砥公宣卿を煙巌山鳳来寺に使わされた。
ところが卿は三河の山中で道に迷ってしまった。
この時、一人の老翁が現れ、彼に導かれた卿は祈願を果たし、天皇の病も平癒された。
天皇は老翁に礼を尽くすべく公宣卿を再度この地に使わし、本茂山で面会。
老翁の望みにより宮居を山麓に定めることとなった…というのが里宮のご由緒である。 -
参道の北側は広大な駐車場。
その奥には護国神社が見える。
参道を抜けると伊奈街道に行き当たる。 -
こちら側の入口のほうが鳥居も大きく、社号票も立派。
どう見ても、こちらのほうが正門に見えるのだが。
神社にはそれぞれ個性があり、他がそうだからここもそうだと思い込む“標準化”的思考は、あまり意味がない。
それを砥鹿の神様に教えてもらったようなものだ。 -
伊那街道を渡り、こじんまりとした道を歩くこと10分弱。
JR飯田線三河一宮駅に到着した。 -
駅舎の規模としては天浜線遠州一宮駅と、さほど変わらない。
無人駅である点も同じ。
が、遠州は駅務室を蕎麦屋にしていたのに対し、三河は無人のままだ。 -
そもそも砥鹿神社の周りには茶店や土産物屋など一軒もなかった。
神聖なる神を糧に商売などやらないという、頑固で実直な三河人気質の現れなのだろうか? -
三河一宮駅の次、豊川駅で下車。
ここで名鉄線に乗り換える。
その前に、せっかく豊川まで来たのだから、やはり豊川稲荷を参拝したい。 -
豊川稲荷は伏見稲荷、祐徳稲荷と並ぶ日本三大稲荷のひとつ。
だが、実は神社ではなく妙厳寺という仏閣。
正確には「円福山 豊川閣 妙厳寺」という。 -
にもかかわらず境内には鳥居が聳立しており、神仏混淆時代の空気が今なお濃密に漂っている。
名刹だけに境内には数多くの御堂が林立している。
だが、時間がないため見学は割愛。
ついでの参拝だったのに、いたく勿体無い気になる。 -
鳥居をくぐった先の正面に本殿がある。
もちろん狛犬ならぬ狛狐が睨みを利かせている。
お稲荷さんでありながら神社ではない、その違和感が興味深い。 -
豊川稲荷の総門から名鉄豊川稲荷駅までの沿道には様々な出店が立ち並ぶ。
砥鹿神社とは対象的だ。 -
門前町の街角で見かけた建物。
バーだろうか、ブラックニッカの看板がシブい。
水原弘の顔も厳しいハイアースの看板とのコンビネーションが強烈な“昭和”を感じさせる。 -
「食堂河精」は残念ながら本日休業。
そもそも店自体、営業しているのか?
でも、中の蛍光灯が点いてるから健在なのだろうけど。
店表に貼り出してある品書きの「関東煮」を実食してみたかった。 -
豊川稲荷…神社だけを純粋に巡る此旅の途上では邪道な一幕ではあったが。
しかし、路上観察学的な旅の途上であれば、これほど興味深い町はない。
またいつか必ず来よう…そう心に決めて、名鉄線に乗り込んだのでした。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
経堂薫さんの関連旅行記
この旅行で行ったホテル
-
チサンイン豊川インター
3.3
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
26