2012/12/23 - 2012/12/23
304位(同エリア598件中)
経堂薫さん
現在の日本は47都道府県に分かれてますが、江戸時代までは六十余の州で構成されていました。
各州ごとに筆頭の神社があり、これらは「一之宮」と呼ばれています。
その「諸国一之宮」を公共交通機関(鉄道/バス/船舶)と自分の足だけで巡礼する旅。
13カ所目は伊勢国(三重県)の都波岐奈加等神社を訪ねました。
【都波岐奈加等神社(つばきなかとじんじゃ)】
[御祭神]
〔都波岐神社〕猿田彦大神
〔奈加等神社〕天椹野命/中筒之男命
[鎮座地]三重県鈴鹿市一ノ宮町
[創建]雄略天皇23(479)年
〈追記〉
「諸国一之宮“公共交通”巡礼記[伊勢國]都波岐奈加等神社」を全面改稿し、ブログ「RAMBLE JAPAN」にて「一巡せしもの〜伊勢國一之宮[都波岐奈加等神社]」のタイトルで連載しております。
是非ご高覧下さい。
ブログ「RAMBLE JAPAN」
http://ramblejapan.blog.jp/
http://ramblejapan.seesaa.net/
(上記のURLの内容は、どちらも同じです)
-
近鉄鈴鹿線鈴鹿市駅で下車。
都波岐奈加等神社へは路線バスを使うと便利だ。
椿大神社を参拝するのに利用したC-BUSではなく、三重交通の路線バス四日市鈴鹿線。
鈴鹿市駅から乗車し、高岡というバス停で下車。
そこから10分ほど歩くと到着する。 -
だが、この日は祝日で生憎と都合の良いバスの便がない。
そこで天気もいいことだし、都波岐奈加等神社まで歩いてみることにした。
駅を出て鈴鹿線の線路を渡り、一本道を北へ向かう。
沿道には民家や商店、マンションなどが立ち並ぶ、ごく普通の市街地。
やがて県道635号線と合流し、さらに先へ進むと伊勢鉄道の線路に行き当たる。 -
ガードを潜って線路の東側に出ると、そこはまるで別世界。
収穫を終えた田園が一面に広がり、遥か先には四日市のコンビナートだろうか、立ち並ぶ煙突が白煙を盛んに吐き出している。 -
伊勢鉄道の線路に沿って歩いていると、横を電車が通過して行った。
行き先に「名古屋」とあったから、鳥羽から来た快速「みえ」だろう。
広大な田園地帯という「第一次産業」。
巨大コンビナートという「第二次産業」。
そして伊勢鉄道という「第三次産業」。
ひとつのフレームの中に3次元の産業がバランスよく収まっている。
こんな風景、なかなか出会うことはない。 -
30分ほど歩いたろうか、次第に人家が増えてきた。
すると、立派な木造の建物が目に飛び込んできた。
家屋ではなく農作物の倉庫として使われているようだ。
壁に一枚の看板が張り付けられている。
「終わりの日に人は神の前に立つ 聖書」
日本中あちこちで見かけるキリスト教の布教ボード。
この辺り一帯の地名は「鈴鹿市一ノ宮」という、伊勢國一之宮ありきの土地。
そこにキリスト教の看板があっても何ら違和感を覚えないのが逆に不思議。
尾張國一之宮大神神社のところでも書いたが、日本の神様は本当に寛大だ。
それにしてもキリスト教では終わりの日にしか神の前に立てないのだろうか?
日本なら神社に行けば毎日でも神の前に立つことができるのに。 -
木造倉庫の横を通り過ぎると、目の前に小学校が現れた。
祝日にもかかわらず大勢の子供や父兄で賑わっている。
何かスポーツ関係のイベントが行われているらしい。
賑わいを眺めながら先へ向かうと県道506号線に行き当たり、そこに巨大な案内板を発見した。 -
看板の矢印が示す方向を見ると、そこには立派な石灯籠が一対。
双方の間に伸びる細い道が表参道なのだろう。
県道を渡り、さっそく細道の奥へ歩を進める。 -
参道は古い木造建築物と最近の住宅が混在する、ごく普通の住宅街。
ただ、結構な数にのぼる木造建築物のおかげで、どこか懐かしい匂いがする。
そのうち、細道の突き当りに鳥居が姿を現した。 -
ようやく都波岐奈加等神社に到着。
鈴鹿市駅から2時間近くかかったろうか。
境内はこじんまりとしていて、どこか尾張大神神社と雰囲気が似ている。 -
社号標はちゃんと2つあるのに、鳥居の扁額には「都波岐大明神」だけとしか記されていない。
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社号標は右が「都波岐神社」、左が「奈加等神社」。
ここは一つの社殿の中に二社の祭神が相殿で鎮座する神社である。
猿田彦大神八世の孫、伊勢国造高雄束命(たかおわけのみこと)が雄略天皇の勅を奉じて二社を造営。
それぞれ「都波岐神社」「奈加等神社」と称したのが始まりなのだそうだ。
本来なら両社と分けて表記すべきだろうが、頂戴した参拝者の栞も「都波岐奈加等神社」と記載しているので、これに従うことにした。 -
鳥居の左後ろには「歓迎 全国一之宮めぐり」の看板と掲示物。
「伊勢國一之宮」を前面に押し出して存在感をアピールしているようだ。
こちらで頒布しているのは御朱印帳とガイドブック、それに掛け軸。
ガイドブックは全国一の宮会が編纂した「全国一の宮めぐり」「旅する一の宮」と、たちばな出版の「全国の開運神社案内」の3種類。
「全国の〜」は一般書籍なので書店で入手できるのだが、一の宮会の両ガイドブックは書店で流通しておらず、諸国一之宮の社頭でしか入手できない。
しかも必ずしも全ての一之宮で頒布しているわけでもなく、特に後者の「旅する一の宮」は、ある意味「稀覯本」。
ここで買っておけばよかった…と現在いたく後悔している。 -
一の鳥居を潜って参道を先に進む。
石灯籠、二の鳥居、そして奥にコンクリート製の拝殿。
明治9(1876)年に建立された木造瓦葺きの拝殿・祝詞殿が平成9(1997)年3月24日早暁、不審火によって焼失した。
翌10(1998)年10月10日、氏子の尽力で再建された。 -
「都波岐神社」の祭神は椿大神社と同じ猿田彦大神。
天長年間(824〜834)淳和天皇の御代に、弘法大師が参篭して獅子頭二口を奉納。
また、白河天皇は承暦3(1079)年に宸筆(直筆)の勅額(扁額)を賜られたそうだ。
永禄年間(1558〜1570)には織田信長勢の戦火に巻き込まれて社殿や旧記を焼失。
寛永年間(1624〜1645)に伊勢神戸城主一柳監物の寄進により再建を果たす。
と、その歴史は登場人物こそ異なれども椿大神社と概ね似通っている。 -
椿大神社は全国約二千社にも及ぶ猿田彦系神社の総本社なので、猿田彦大神を祀る都波岐奈加等神社は椿大神社の末社に相当する。
これでは同じ伊勢國一之宮でありながら一方が本宮、もう一方が末社と整合性を欠くことになる。
椿大神社が内務省神社局の調査で「地祗猿田彦大本宮」にされたのは昭和10(1935)年のこと。
もともと椿大神社は行満上人を奉る修験道の中心地であり、地祇「猿田彦大本宮」は後から付け加えられたように思える。
中世、猿田彦大神を奉る一派は隆盛を極める修験道に飲み込まれるのを恐れ、こちらの都波岐神社へ祭神を一時的に“避難”させたのではないか?
江戸時代に入り、本居宣長門下の国学者である伴信友が「小社なれども一の宮なり」と考証し、そのまま伊勢國一之宮になった。
とまあ、こじんまりとした社殿を眺めながら椿大神社との彼我の差を思いつつ、何の根拠もないまま判官贔屓気味に想像してみたのだった。 -
一方「奈加等神社」の祭神は天椹野命(あまのくののみこと)と中筒之男命(なかつつおのみこと)の二神。
天椹野命は饒速日命(にぎはやひのみこと)が天降った際に随伴した三十二神の一柱とのこと…良く分からない。
一方の中筒之男命は良く分かる。
攝津國一之宮住吉大社の祭神「住吉三神」の一柱だ。
ここ都波岐奈加等神社は小さな神社ながら宮司さんがいらっしゃる。
創立の際に宣旨を受けて初代祭主を務めた天椹野命十五世の孫、中跡直(なかとのあたい)山部広幡の子孫が代々神主を継承している。
それで社号が「なかと」神社なのか。
ちなみに当代の宮司は第五十八代に当たるそうだ。 -
境内では老人が一人、新年を迎えるための準備を黙々と続けている。
言うまでもなく五十八代目の宮司さんである。
しかし神職の装束ではなく普通のセーター姿なので、一見ボランティアかと見紛いそう。
その姿から、宮崎駿の映画「天空の城ラピュタ」で、代々ラピュタを守り続ける孤独なロボット兵を連想する。
それはさておき、最初は中跡直が祖先の天椹野命を祀った「なかと神社」があり、海に近いことから住吉の神様が合祀された。
そこへ修験道の拠点「行満大明神」から逃れて来た猿田彦大神が「つばき大明神」として鎮座。
こうした過程を経て今の「つばき」「なかと」神社に至ったのではなかろうか?
鳥居も拝殿も扁額は「都波岐大明神」のみながら、宮司さんは代々「奈加等神社」の直系が務めることで、両社のバランスを保っている。
これらは何の根拠もない単なる妄想に過ぎないが、こうした事柄を考えているだけで楽しい。 -
宮司さんから社務所で御朱印を賜る
ちなみに都波岐奈加等神社の御朱印の初穂料は500円。
一般には300円が相場なので少々割高だ。
しかし都波岐と奈加等の二社分だと思えば100円ディスカウントされていることになり、逆にオトクではないか?
そう思い確認すると、二社分だとやはり初穂料も1000円になるそうだ。
「お茶と蜜柑どうぞ」
宮司さんが勧めてくれた。
神様を前にカネの話など無粋かと思うが、これも境内に横溢するインティメイトな雰囲気に包まれ、気が置けなくなったせいかも知れない。 -
境内のベンチに腰掛け、蜜柑を剥きつつお茶を啜り、青空を背景に映える白い社殿を眺める。
椿大神社にも「鈴松庵」という茶室があり、お茶と和菓子が800円で一服できる。
「鈴松庵」は松下幸之助が寄進したもので、鈴鹿の“鈴”と松下の“松”を以って命名された。
とはいえ、猿田彦大神と経営の神様による“W神”茶も、ここでの紙コップのお茶も、尊さに変わりはない。 -
鳥居を出、高岡バス亭に向かう。
そこからバスでJR河原田駅へ行くつもりだ。
途中、神宮寺に出くわした。
こじんまりとした境内は手前半分が小さな運動場、奥の半分が伽藍(?)。
中央に本堂があり、手前に仏像とお稲荷さんが併存している珍しい風景。
このあたりも「神宮寺」ならではと言えるのかも知れない。 -
神宮寺とは江戸時代以前の神仏混淆時代、神社の業務を遂行するために付随していた寺で、全国各地に存在した。
しかし明治政府の神仏分離令により社寺は切り離され、特定の檀家を持たなかった神宮寺の多くは消滅した。
ここで神宮寺と出会えたのは、ある意味で運が良かったのかも知れない。
ただ、この神宮寺が都波岐奈加等神社のものかどうかは明らかではない。
誰かに話を聞こうにも住職はおろか通行人すらいない。
本堂に手を合わせ、静かに境内を後にした。 -
一ノ宮地区から高岡のバス停へ歩く。
神社の周囲には歴史を感じさせる重厚な作りの民家が立ち並び、ここが一之宮鎮座の土地であることを認識させられる
特に瓦を重ねて漆喰で固めた塀が目に付く。
あまり他で見かけない、珍しい様式だ。 -
バス亭に着いてみると生憎と数分前に出たばかり。
神宮寺に寄らなければ間に合っていたかも知れない。
だが、後の祭り。
やむなく河原田駅まで歩くことにする。
伊勢街道(県道103号線)を北へ向かうと、鈴鹿川にかかる橋が工事中で仮橋が掛かっている。 -
工事中の鈴鹿橋の上から鈴鹿川を見渡す。
鈴鹿川は東海道の難所である鈴鹿峠に近い高畑山を源流に、伊勢湾へと注ぐ長さ38kmの河川。
鈴は神世と人世の“結節点”、鹿は神の使い。
この川を遡っていくと“神世”にたどりつけるかも知れない。 -
鈴鹿の仮橋を渡ると、その袂を旧伊勢街道が通っている。
旧伊勢街道は東海道から四日市の日永追分で分かれ、伊勢神宮まで続く十八里(約70km)の古街道。
「お伊勢参り」が隆盛を極めた江戸時代には、多くの参拝者で大層賑わったことと思われる。
今となっては往時を偲ぶ縁(よすが)もなく、もの寂(さび)た小径が続く。
しかしそれが江戸時代の賑わいぶりを想像できて、逆に楽しかったりする。 -
JR関西本線と並走していた旧伊勢街道に右側から伊勢鉄道が合流。
間もなく河原田駅へ到着した。 -
河原田駅はJR関西本線と伊勢鉄道の分岐駅。
もっと大きな駅舎を想像していたが、予想に反して小ぶり。
そのくせ駅構内の構造が極めて分かりにくい。
関西本線は地上のホーム、伊勢鉄道は遠く離れた高架上のホームを使用する。
しかし地上のホームで待っていたJRの四日市駅行電車が、なぜか伊勢鉄道の高架上ホームに到着。
危うく乗り遅れそうになり、跨線橋でダッシュを強いられ大慌て。
これには地元の高校生たちもアタフタしていたから、他所者が右往左往するのは当然か。 -
幸い電車に乗り遅れることもなく、無事JR四日市駅に到着。
ここから近鉄四日市駅まで歩く。
JRの駅は市の中心部からかなり離れた海側にある。
もともとコンビナートの貨物輸送をメインに想定して作られただけに、止むを得ないところ。
巨大な駅舎は人影もなく、その巨体を持て余している。
貨物輸送がトラック全盛の今となっては、まさに絵に描いたような“無用の長物”と化してしまった。 -
JR四日市駅から中央通りを近鉄四日市駅へ向かう。
ガランとしてたJR駅前から次第に人影が増えていき、四日市市役所を過ぎた辺りから街は賑わいを見せ始める。
東海道(国道1号線)を過ぎて近鉄駅に近づくにつれ、一帯は歳末の買い物客でごった返していた。
駅ビル内の近鉄百貨店では市内の女子高生たちによるクリスマスコンサートが開催されている。
その清らかな歌声に一瞬、日本の神社巡りの途上であることを忘れてしまった。 -
古老の宮司が一人黙々と迎春の準備をしていた都波岐奈加等神社から、女子高生たちの奏でるクリスマス・ソングが鳴り響く近鉄四日市駅へ至る道程。
この余りに対照的なコントラストを噛み締めながら、四日市を後にした。
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この旅行記へのコメント (2)
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- 横浜臨海公園さん 2013/07/26 10:33:59
- 伊勢國一之宮
- 経堂薫さま、こんにちは。
都波岐奈加神社の旅行記を拝見させて頂きました。
伊勢國一之宮に就いては2社存在するものの、遠江國では、小國神社が一之宮認定をされているのに対し、事任八幡宮に対しては、神道学会初め、神社本庁、國學院大學日本文化研究室、皇學館大学、何れも手厳しく、一之宮否定見解であるのに対し、伊勢國では、椿神社共々一之宮認定されている点で、確定に至っていない事情も加味し、恵まれた状況に有ると思います。
横浜臨海公園
- 経堂薫さん からの返信 2013/07/27 14:40:17
- 横浜臨海公園様
- いつもコメントありがとうございます。
小國神社も椿大神社も、どちらも神域は壮大で社殿は荘厳、まさに一之宮としての風格に満ち溢れた格式高い神社です。
一方の事任八幡宮は祭神も変遷も過去いろいろ変わったりして、そうした一之宮としての“風格”は残念ながら感じられません。
しかし、本宮遥拝所やことどいの里、奥社など境内の細部に宿る神々と非常に間近で接することができる点は、小國神社のような大社とはまた違った有り難みがあります。
都波岐奈加等神社でも、古社を一人で黙々と守り続けている老翁(実は五十八代目の宮司さん)から頂戴した一個の蜜柑が、椿大神社に居並ぶ美人の巫女さんよりも魅力的だったりします。
該社が一之宮か否かという歴史的議論は神学者の皆様にお任せして、自分は目の前に鎮座する神々との「心意的融合」が図れたら、それでいいと思っています。
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