2012/12/22 - 2012/12/22
128位(同エリア199件中)
経堂薫さん
現在の日本は47都道府県に分かれてますが、江戸時代までは六十余の州に別れてました。
各州ごとに筆頭の神社があり、これらは「一之宮」と呼ばれています。
その「諸国一之宮」を公共交通機関(鉄道/バス/船舶)と自分の足だけで巡礼する旅。
10カ所目は尾張国(愛知県)の真清田神社を訪ねました。
【真清田神社(ますみだじんじゃ)】
[御祭神]天火明命(あめのほあかりのみこと)
[鎮座地]愛知県一宮市真清田
[創建]神武天皇33(紀元前627)年
〈追記〉
「諸国一之宮“公共交通”巡礼記[尾張國]真清田神社」を全面改稿し、ブログ「RAMBLE JAPAN」にて「一巡せしもの〜尾張國一之宮[真清田神社]」のタイトルで連載しております。
是非ご高覧下さい。
ブログ「RAMBLE JAPAN」
http://ramblejapan.blog.jp/
http://ramblejapan.seesaa.net/
(上記のURLの内容は、どちらも同じです)
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
-
豊川稲荷駅から名鉄電車に乗車。
名鉄は豊川稲荷駅と名鉄一宮駅の間に急行列車を運行している。
まさに『三尾一宮エクスプレス』!
…そのような名称、付いてないけど。 -
約1時間半ほどで名鉄一宮駅に到着。
国府駅で接続する豊橋からの特急列車に乗り換えれば、もっと早く到着できたのだが。
しかし特急列車は混んでるし、それに乗り換えるのも面倒だったので急行電車に乗り通した。
後になって考えると、むしろそれが正解だったように思える。
これまで一宮から一宮へ転々とした中でも、最も楽な移動だった。 -
日本に『一宮』を名乗る駅は幾つかあるが、中でもここ尾張一宮駅の巨大さは別格。
隣の三河一宮駅と比べれば、華美な尾州と質素な三州の気質の違いが如実に分かるような気がする。
そもそも地方自治体の名称からして『一宮市』。
日本で一宮を名乗る自治体は、ここと千葉県一宮町の二つしかないのだ。 -
駅東口から伝馬通りを進み本町商店街との交差点へ。
ここから真清田神社までアーケード街が一直線に続いている。 -
表参道そのものが巨大な商店街なのだ。
真清田神社を中心に発展してきた町だけにスケールが違う。
さすが「一宮市」を名乗るだけあると感心。 -
途中で見かけた鰻屋も年季の入った店構え。
店名は「寿司友」なのに、なぜか鰻専門店。
賞味していこうかと思ったが、時間と御足がないのでやめた。 -
一宮市役所の西分庁舎。
この裏手に市役所の本庁舎があるのだが、どちらもクラシカルなデザイン。
無味乾燥なデザインの官庁舎が氾濫する今の世の中で、オーセンティックなデザインを貫く姿勢には好感が持てる。 -
さらに先へ進むと、建物そのものは古いのに店構えは妙にイマ風でシャレオツなカフェを発見!
伝統を温めつつ新しいトレンドを取り入れる…これぞ温故知新。
繊維産業で栄えた工業都市の一面と、宗教都市の一面との融合が、このような形で具現化されたのか。 -
はてさて、一体どんな店なのか興味シンシン。
店頭に置いてあった黒板を見てみると…なんとガールズバー!
温故知新過ぎるだろ!と、思わずツッコミを入れる。
これでは「温故知アヴァンギャルド」。
昼間なので営業していなかったが、もし開いてたら迷わず入店していたところだ。 -
いよいよ本町商店街も終わりが見えてきた。
いやいや、商店街の命脈が尽きるという意味ではなく、アーケード街の出口が近づいてきたということ。
その出口の手前にあった横井百貨店……の亡骸。
かつては一宮市を代表する老舗デパートだったのだろうが、商圏の郊外化という全国共通の宿痾によって命脈を断たれたに違いない。
こうした老舗デパートの亡骸は全国各地に転がっている。
こうして上屋が残っていると、往時には繁盛したであろう姿が忍ばれるだけに切ない。
せめて解体し更地にでもしておいてもらったほうが、まだ切なさを感じずに済むのだが。 -
本町商店街アーケードを出る。
横井百貨店を見るまでもなく、やはり全体的に空き店舗が目立ち、シャッター商店街化が進んでいる。
モータリゼーション絶対主義の現代では、商圏の郊外化と中心部の衰退を覆すことは不可能だろう。
もっと観光資源を掘り起こして、クルマを当てにしない商店街作りをしていかないと、本当の意味で本町商店街に終わりが来てしまうのでは? -
本町商店街に背を向けると、そこは尾張國一之宮、真清田神社。
ちなみに二之宮は犬山市の大縣神社(おおあがたじんじゃ)で、三之宮が名古屋の熱田神宮。
尾張というか日本有数の神社である“熱田様”がなぜ三之宮で、真清田様が一之宮なのか?
その答えは…色んな書物に様々な理由が載っているので、そちらをご参照されたし。
個人的には熱田様も真清田様も同じ神社であり、どちらが一之宮でも三之宮でも関係ないです。 -
社号「真清田」の由来は、この一帯が木曽川の灌漑用水に恵まれ、その清く澄んだ水で水田を形成していたことから名付けらたと云われている。
-
門前には衣料品店が軒を連ねている。
昔から繊維の街として繁栄してきた一宮市ならではの光景。
でも、この日は開けてる店が少なかった。
たぶん人出の多い正月や祭りの時には全開バリバリなのだろう。 -
石造りの神橋。
神様が渡るための橋なので人は渡ってはならぬのだ。
上を歩くと崩落する恐れがあるためでもあるのだが。 -
楼門をはじめ、真清田神社の社殿群は昭和20(1945)年、第二次大戦の空襲で悉く焼失。
なので、すべて戦後に再建されたものだ。 -
楼門に掲げられた扁額。
「真清田大神」とあるが、主祭神は「天火明命」(あめのほあかりのみこと)。
天照大御神の孫神で、本名は「天照国照彦天火明命」(あまてるくにてるひこ〜)という。
天を照らし国を照らす天の火の明かり…つまり太陽エネルギーそのもののような名前だ。
全国各地のソーラー発電所は真清田神社の大麻をお祀りすれば、太陽光に不自由することはないかも? -
楼門を潜って境内へ。
楼門は昭和36(1961)年11月、一宮市民を中心に寄せられた浄財を以って再建された。
焼失した戦前の楼門にも勝る総桧造りで、戦後の木造建築の白眉とされている。 -
手水舎の吐水龍。
尾張藩祖徳川義直公が寛永8(1631)年に社殿を全面的に修造した際、龍神を祈雨祈晴の象徴として奉納。
それから300年以上が過ぎた平成8(1996)年、経年劣化のため初代は引退し、現在の二代目に跡を譲った。
もちろん二代目は初代の忠実なレプリカである。 -
社殿は拝殿・祭文殿・渡殿・本殿が連接した「真清田造り」と呼ばれる配置。
先述の通り社殿は昭和20年の戦災で灰燼に帰した。
諸社殿が再興されたのは終戦から10年余が過ぎた昭和32(1955)年のこと。
さらに平成18(2006)年には本殿と渡殿が国の登録有形文化財に指定されている。 -
祭神の天火明命は、この地に「尾張」と命名した天香山命(あめのかぐやまのみこと)の父神でもある。
当地の豪族だった尾張氏は天香山命の子孫を名乗り、祖神として天火明命を祀ったとされている。 -
拝殿の左手前にある神水舎。
承暦元(1077)年、眼病を患われた白川天皇の夢枕に、八ッ頭八ッ尾の大龍に乗って両手に松と桃の枝を携えた老翁が立たれた。
この夢について白川帝が占わせたところ、その老翁は真清田大神の霊夢であるとの奏申を得た。
さっそく白川帝が真清田神社の井戸水で眼を洗われたところ、たちまち病が癒えたと伝えられている。
その水は今もここ神水舎にコンコンと湧き続けている。 -
本殿の右(東)側に建つ摂社の服織神社(はとりじんじゃ)。
社号の如く機織守護の神で、天火明命の母神である萬幡豊秋津師比賣命(よろずはたとよあきつりひめのみこと)が祭神。
天火明命は農業守護の神であり、母子の両神をセットにすることで衣食の充足の重要性を表していると言える。
繊維産業は古くから三河尾張の重要な産業であり、トヨタ自動車も元をたどれば自動織機の製造会社が原点だった -
境内の東端に位置する神池。
室町時代後期の古絵図にも描かれているというから、かれこれこの地に500年前から存在していることになる。
この「開運橋」は平成10(1998)年、池の中央にある中島に架けられたものだ。 -
中島にある末社の八龍神社。
真清田神社には2つの龍神伝説がある。
ひとつは嵯峨天皇の時代、弘法大師が雨乞で大雨を得た際、祈願した龍神が真清田神社の森に鎮まったという伝承。
もうひとつは御祭神が鎮座される際に八頭八龍の大龍が下り、創建当初から境内に龍神が鎮まるとする伝承だ。
龍神は水を司る神だけに、木曽川の齎す恵みで潤ってきた一帯の信仰とは切っても切り離せない存在であり続けたのだろう。 -
境内西端の出入口に建つ鳥居。
ここから境内の外に出た。 -
外周道路を楼門の方面へグルリと回ってみる。
中央の白い建物は宝物館。
その左隣りに、なぜか星条旗が掲げてある。
尾張国一之宮とアメリカ国旗……一体いかなる関係があるのか?
近づいて見ると何かの食べ物屋の様子。
表に出ていた看板を見ると「お茶漬け」と書いてある。
どうやらお茶漬け屋らしい。
店名は「ニューヨーク」。
入口にはローカル番組のステッカーや、掲載された雑誌の記事が所狭しと貼ってある。
地元では結構な有名店なのだろうか? -
看板には「揚げ明太子」(油に入れたとき粒々が一斉に破裂しないのだろうか?)とか「フォアグラ」とか「フカヒレ」と列記してある。
更には「鯛 吉兆」や「瓢亭の朝粥」までも。
ここで京都屈指の老舗料亭の名物が食べられるのか?
しかし、これは間違いなく「当たりの店」だという予感が働く。
入ってみようと思ったが、残念ながらアイドルタイムで準備中だった。 -
尾張一宮駅へ戻る。
今度は本町商店街ではなく、裏通りをブラブラ散策。
これは途中で見かけた写真屋さん。
他にもこうした昭和の色濃い建物がアチコチにあり、昭和テイスト大好き人間の自分にとっては、まるで「宝の山」だ。 -
再び尾張一宮駅へ。
一宮という街は歩けば歩くほど興味を惹く事物が目に飛び込んで来る。
競輪場や色街の花岡町もあるし、面白そうな飲み屋も数多く見かけた。
まさに「清濁併せ呑む」街。
名古屋から電車で僅か10分程度なのに、このコンパクトにまとまったカオス的な街の有り様は奇跡的とも言える。
今回は真清田神社を訪ねるだけの旅だったが、またいつかこの街を訪れ、タップリ時間をかけてジックリ堪能してみたいと思う。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
30