2012/12/23 - 2012/12/23
237位(同エリア575件中)
経堂薫さん
現在の日本は47都道府県に分かれてますが、江戸時代までは六十余の州で構成されていました。
各州ごとに筆頭の神社があり、これらは「一之宮」と呼ばれています。
その「諸国一之宮」を公共交通機関(鉄道/バス/船舶)と自分の足だけで巡礼する旅。
12カ所目は伊勢国(三重県)の椿大神社を訪ねました。
【椿大神社(つばきおおかみやしろ)】
[御祭神]猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)
[鎮座地]三重県鈴鹿市山本町
[創建]垂仁天皇27(紀元前3)年
〈追記〉
「諸国一之宮“公共交通”巡礼記[伊勢國]椿大神社」を全面改稿し、ブログ「RAMBLE JAPAN」にて「一巡せしもの〜伊勢國一之宮[椿大神社]」のタイトルで連載しております。
是非ご高覧下さい。
ブログ「RAMBLE JAPAN」
http://ramblejapan.blog.jp/
http://ramblejapan.seesaa.net/
(上記のURLの内容は、どちらも同じです)
- 交通手段
- 高速・路線バス 私鉄 徒歩
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近鉄名古屋駅から鈴鹿市へ。
ナガシマスパーランドでイルミネーション・イベントが開催されるらしく、車内は老若男女のカップルで一杯。
伊勢若松駅で近鉄鈴鹿線に乗り換え、終着駅の平田町へ。
鈴鹿市の中央駅は市役所に近い伊勢鉄道鈴鹿駅か近鉄鈴鹿市駅が相当するのだが、両駅の近辺にはこれといった商業施設がなく、実質的には平田町駅か近鉄名古屋線白子駅がその役割を果たしている。 -
平田町駅から歩いて10分ほどのところにあるホンダ鈴鹿工場まで散歩。
工場から南へ行った先に鈴鹿サーキットがある。
ホンダの企業城下町である鈴鹿市は完全な自動車社会であり、市の中心部がどこにあろうと鉄道が果たす役割はそれほど大きくない。
斜向かいには旭化成のサランラップ工場もあり、ここ平田町が実質的な中心部だと他所者の目には映った。 -
ホンダ鈴鹿工場の隣にあるイオンモール鈴鹿のフードコートで夕食。
ここで東海道民のソウルフード「スガキヤ」を発見!
東海道筋では至るところで見かけるスガキヤだが、関東地方には一軒もない。
なので今やニューヨーク近代美術館にも収蔵されているという、あの独特なフォルムでおなじみのラーメンフォークも今まで一度も使ったことがない。
おかげで、ようやく生まれて初めてラーメンフォークでラーメンを食べることが実現。
麺とスープが一緒に口の中へ入り、両者を同時に味わう食感は確かに他にはない。
これが1本あれば、今後は家でラーメンを食べる際に箸は不要だろう。 -
ホテルへ戻る途中で立ち寄ったサークルKで、なんとキンミヤ焼酎のワンカップを発見!
キンミヤは東京下町の非チェーン店系大衆居酒屋で絶大な人気と圧倒的なシェアを誇るブランド焼酎。
酎ハイやホッピーなどの“ナカ(割られる焼酎のこと)”には、まずキンミヤが使われている。
醸造元は四日市市の宮崎本店。
キンミヤは謂わば伊勢の“地焼酎”なのだ。
ウィルキンソンのソーダと共に購い、伊勢の地で東京下町風の酎ハイを堪能する。
ちなみに下町酎ハイは氷を入れないのが特徴。
それにしても、なぜ三重の地焼酎が東京下町の居酒屋を席巻したのか?
その理由は以前どこかで見聞したことがあったが、忘れてしまった。 -
翌朝、平田町駅へ。
だが、乗るのは近鉄電車ではない。 -
目指すはC-BUSの停留所。
C-BUSとは鈴鹿市コミュニティバスのこと。
鈴鹿市が三重交通に運行を委託している。 -
椿大神社へ向かう「椿・平田線」は1時間に1本で、毎時19分発。
途中、JR関西本線加佐登駅を経由する。
運賃は平田町駅から加佐登駅まで100円、それを超えると200円の2段階制。
香取神宮や小國神社へ徒歩での参拝を強いられた身にとっては、たとえ運賃を徴収されても椿大神社までバスで行けるのはこの上なく有り難い話だ。 -
C-BUSは途中、東海道五十三次45番目の宿場町、庄野宿を経由する。
歌川広重の浮世絵集「東海道五十三次」の中でも最高傑作と謳われる「庄野の白雨」でも有名な宿場。
バスの車窓からも古い街並みがチラチラ垣間見える。
一之宮巡礼の旅は古い宿場町とクロスオーヴァーする旅でもあるようだ。 -
平田町駅から1時間弱で伊勢國一之宮椿大神社に到着。
ここまで200円とは本当に安い。
安過ぎて申し訳ないほど。
それぐらい椿大神社は遠い遠い山の中にあるのだ。 -
椿大神社の祭神は猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)。
天孫「瓊々杵尊(ににぎのみこと)」降臨の際、天の八衢(やちまた)で「道別(ちわき)の神」として一行を出迎え、日向の高千穂まで先導した国つ神である。
社号の由来は花の名ではなく「道別(ちわき)」が転じたものだろう。
仁徳天皇の霊夢により「椿」の字が当てられ、現在の社号になった。 -
椿大神社は全国に2000社ほどある猿田彦系神社の総本社。
社号標には「伊勢國一之宮 椿大神社地祇猿田彦大本宮」とある。
地祇とは国つ神のこと。
椿大神社が地祇(国つ神)の大本宮なのは、天つ神の大本宮である皇大神宮(伊勢神宮内宮)と対になっているからだ。 -
境内には猿田彦命にまつわる史跡が目白押し。
もともと猿田彦命の墳墓が先にあり、その近くに垂仁天皇の皇女倭姫命の御神託により社殿を造営したのが起源。
その墳墓「土公神陵」は前方後円墳で参道の中程にある。
宮司の山本家は御陵を神代から守り続けているそうだ。 -
一の鳥居を通り抜けて境内へ。
参道の両側には樹齢数百年という檜や杉の古木が整然と立ち並んでいる。 -
一の鳥居を潜ってすぐ左側にある「御船磐座(みふねいわくら)」。
降臨された天孫瓊々杵尊一行の御船は、まずここに繋がれたという。
猿田彦命はこの地から高千穂へ御先導されたと伝わっている。 -
この二の鳥居を潜った左手先方に「土公神陵」がある。
土公神とは陰陽道で土を掌る神のこと。
天孫を高千穂へ案内した猿田彦命は「お導きの祖神(おやかみ)」。
道案内の神様が転じて、地祭り(地鎮祭)に霊験あらたかとされた。
ここから「土公神」の御名が奉られたと思われる。 -
木製の三の鳥居を潜ると、そこは社殿。
拝殿は外拝殿と内拝殿があり、その奥に総檜造りで神明造りの本殿が鎮座している。 -
天平11(739)年に聖武天皇が親拝された折、獅子頭の木彫りを一頭奉納された。
爾来1300年間、獅子頭による祈祷神事が継承され続けている。
これが今も全国各地で行われている獅子舞のルーツなのだそうだ。 -
椿大神社は光孝天皇仁和年間(885〜889)に「伊勢国一之宮」に指定。
醍醐天皇延長5(927)年には延喜式内社となり、隆盛を極めた。
ところが、好事魔多し。
天正11(1583)年、織田信長勢の兵火ここに及び、御神体はもとより社殿古文書ことごとく灰燼に帰すという悲劇に見舞われる。 -
ようやく社殿が再建されたのは天正14(1586)年3月のこと。
それでも原状回復には程遠く、まだまだ苦難の日々が続く。
転機が訪れたのは、それから四半世紀後の慶長6(1601)年。
“徳川四天王”本多平八郎忠勝の伊勢国桑名藩主への転封だった。
崇敬篤い忠勝は社頭諸施設を軒並み寄進。
お陰で失われていた古儀式も次第に回復。
椿大神社は往時の姿を取り戻したという。 -
三の鳥居を出ると左手先方に大きなお宮がある。
椿岸神社(つばきぎしじんじゃ)。
椿大神社の別宮ながら、全国に散在する鈿女(うずめ)系神社の本宮でもある。 -
祭神は猿田彦命の妻神、天之鈿女命(あめのうずめのみこと)。
一般には猿田彦命の妻神としてより、天岩戸の前でストリップを舞い天照大神を穴蔵から引っ張り出すことに貢献した女神の名声のほうが高いかも知れない。
この踊りのお陰で天之鈿女命は芸道の祖神として篤く信仰されている。
境内には芸能人やタレント、芸能プロダクション、古典芸能演者らが奉納した玉垣がズラリと並び、見ていて飽きることがない。 -
猿田彦命と天之鈿女命が出会ったのは天の八衢。
瓊々杵尊が降臨した際、天の八衢で迎えた猿田彦命の容貌が余りに魁偉だったため、天之鈿女命に身元を確認させに行かせた。
この時なぜか天之鈿女命は衣服をはだけ、半裸の状態で猿田彦命に接したという。
猿田彦命と天之鈿女命が夫婦になったという伝承は、この神話が基になったかと思える。
よく「腹を割って話す」と言うが「半裸になって話す」は天之鈿女命にのみ許されたものか。
それにしても天岩戸伝説といい、天之鈿女命はよほど「腹の据わった」女神かと思える。 -
無事に葦原中国へ到着した瓊々杵尊は天之鈿女命に、役目を終えた猿田彦命を故郷の伊勢国五十鈴川上流まで送り届けるよう命じる。
彼の地で天之鈿女命は猿田彦命の名を負い、後に朝廷の神事に携わる猿女君(さるめのきみ)一族の祖神になったという。
一方の猿田彦命は以前の地上生活に復帰。
伊勢国阿邪訶(あざか=旧阿坂村/現松阪市)の海で漁の最中、比良夫貝(ひらふがい)に手を挟まれた挙句に溺死という非業な最後を遂げる。
いくら作り話とはいえ、もっとマシな今際の際を考えてあげられなかったのだろうか?
これでは「用が済んだらポイ捨て」同然ではないか!
国つ神の猿田彦命が天つ神から邪険に扱われていた証のように思えてならない。 -
椿岸神社を出、参道と反対側に伸びる道を往く。
その先に「行満堂神霊殿」という御堂が建っている。
平安期の別当寺や神宮寺など六ヵ寺ゆかりの六神が祀られた「神仏混淆」の色彩が濃い施設だ。
名称の由来になったのは猿田彦命の神裔である行満大明神。
本殿内に前座として祀られている。
行満大明神は修験道の開祖で、役行者を導かれた事蹟もある「行の神」。
このため中世に椿大神社は修験神道の一大中心地となったそうだ。
なお、宮司の山本家は行満大明神の末裔とのことである。 -
参拝を終え、C-BUSで再び平田町駅へ戻る。
それにしても猿田彦命は謎だらけの神様だ。
頂いた由緒略記は猿田彦命の異名を「椿大明神」「道別大明神」「興玉の神」「道祖の神」「土公神」「衢の神」「大行事権現」「佐田彦大神」「千勝大神」「精大明神」「塞神」「岐神」「大地主神」「白髭大明神」「供進の神」「山の神」「庚神様」と、これだけ挙げている。
ここまで来ると神様というより、日本人の日常生活に密着した土着的な精霊のようにも思える。 -
平田町駅から近鉄線に乗車し、椿大神社に別れを告げる。
それにしてもC-BUSには助けられた。
さすが猿田彦命。
道の神、旅の神、そして交通の神だけある。
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