2012/12/22 - 2012/12/22
118位(同エリア207件中)
経堂薫さん
現在の日本は47都道府県に分かれてますが、江戸時代までは六十余の州で構成されていました。
各州ごとに筆頭の神社があり、これらは「一之宮」と呼ばれています。
その「諸国一之宮」を公共交通機関(鉄道/バス/船舶)と自分の足だけで巡礼する旅。
11カ所目は尾張国(愛知県)の大神神社を訪ねました。
【大神神社(おおみわじんじゃ)】
[御祭神]大物主神(おおものぬしのかみ)
[鎮座地]愛知県一宮市花池
[創建]崇神天皇御代(紀元前97-30年)
〈追記〉
「諸国一之宮“公共交通”巡礼記[尾張國]大神神社」を全面改稿し、ブログ「RAMBLE JAPAN」にて「一巡せしもの〜尾張國一之宮[大神神社]」のタイトルで連載しております。
是非ご高覧下さい。
ブログ「RAMBLE JAPAN」
http://ramblejapan.blog.jp/
http://ramblejapan.seesaa.net/
(上記のURLの内容は、どちらも同じです)
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
-
東口から駅ビルの構内を通り抜け西口へ。
こちら側は東口と比べて地味というか、ごく普通の地方都市の表情。
駅前には雑居ビルが並び、その奥は住宅地が広がっている。 -
駅から南に向かって住宅地の中を歩く。
マンションやアパート、一軒家や個人商店が居並ぶ往来の姿は、特に一宮市らしいというわけでもなく、大都市圏の郊外ならどこでも見かける光景。
5分ほど歩くと名鉄尾西線の高架橋にぶつかった。 -
高架橋を潜って、さらに南へ。
一直線に伸びる線路。
都市計画によって街区が再編されたのだろうか、町並みが整然としている。 -
行けども行けども、ごく普通の住宅街が延々と続く。
こんな所にホントに尾張國一之宮があるのだろうか?
歩を進めるに従って、次第に不安感が増していく。 -
ひょいと前方を見ると、森の中に神社の社殿らしき建物の姿が。
-
その先の右側に小奇麗な公園が広がっている。
住宅街の中によくあるタイプの、何の変哲もない公園。
名を「ふるみやこうえん」という。
「ふるみや」とは古宮のことか?
大神神社と何らかの関わりがあるのだろうか? -
公園の入口に背を向けると、神社の境内らしき一角が目に入った。
先ほど見た、森の中の神社に違いない。
ところが入口かと思った柱には注連縄が張られており、ここが正門ではないことを示している。
物理的に入ろうと思えば入れないこともないが、注連縄の存在は“御神意”であり背いてはならない。
入ったからといって何か天罰が下るわけではないが、無理に入ったところで何かいいことが起きるわけでもない。
なら、入らないほうがいい。 -
柵の内側に石灯籠が立ち並ぶ道に沿って先へ進むと三叉路になっており、その左側の道の先に鳥居が見える。
鳥居の前まで足を運んでみると、そこが尾張國一之宮、大神神社だった。
周囲は完全な住宅街であり、境内の外側には参道すらない。
よく神社で見かける茶店も土産物屋もなく、それどころか道を挟んだ向かい側にあるのは農家のビニールハウスだ。 -
社号の大神神社は大和國一之宮と同じ。
祭神の大物主神も、また同じ。
昔の呼称「三輪明神」もまた、大和國一之宮の別称と同じ。
ここも大和國一之宮と同様、大和系の人々が三輪の神を祀ったことが起源だという。 -
鳥居を潜って左側に位置する御神木の楠。
根を護る木の柵、幹に巻かれた注連縄、そして横長の石灯籠。
古社ならではの素朴な雰囲気を醸し出している。 -
参道を進むと正面に拝殿。
こじんまりとしたコンクリート製の建物。
なぜか外壁はピンク色に塗装してある。
ピンク色に何か特別な理由でもあるのだろうか?
もしあれば、知りたいところだ。 -
拝殿正面の右側に掲げられていた由来書。
それによると奈良時代に赴任してきた大和朝廷の国司が、まず尾張の総社に尾張大國霊神社を指定。
総社というのは尾張国内の神社の祭神を集めて祀った神社のこと。
こうすることで国司は各地の神社に赴く必要がなくなり、しかも国府の近くで一度にまとめて参拝することができるという(ある意味ズボラな)制度である。
現在の尾張総社は国府宮で、名鉄一宮駅から名古屋方面に向かって3駅目の国府宮駅から歩いて5分程度のところにある。 -
次に、国司が最初に参詣する「一之宮」に大神神社と真清田神社をまとめて指定した。
ただし両社は「相殿」で「対の宮」、つまり二社で一つの「一之宮」である。
このため尾張には一之宮が二社存在することとなった。
大神神社は国つ神の大物主神、真清田神社は天つ神の天火明命。
国司は各祭神のバランスをはかるため、両社まとめて一之宮にしたのだろうか? -
来社の際に通りかかった、柵の内側に一直線に並ぶ石灯籠の列。
真清田神社との「対の宮」にしては境内は狭く、社殿も小さい。
だが、夕日を浴びて佇む石灯籠の列を眺めていると、大神神社の「一之宮」としての格が納得できる気がする。 -
参道の右側に祓所。
その向こう側にあるのは神宮寺である薬師寺。
大神神社の社殿は戦国時代に焼け落ち、祭神はその後ずっと薬師寺の境内に鎮座していた。
薬師寺に隣接する現在の土地に遷座したのは明治3(1870)年のこと。
たぶん神仏分離令の影響によるものだろう。 -
拝殿から裏手に回り本殿へ。
コンクリート製で味気ない拝殿に比べて、本殿は小さいながらも一之宮としての風格を感じさせる。 -
本殿の裏手に広がる広場。
神社一般の例を引けば本殿の裏手は神域。
それを当てはめれば、ここは大神神社の神域ということになる。
特に何も表示されていないが、多分そうなのだろう。 -
神域の片隅に土を盛り上げた“小山”があった。
しかも周囲が青草で“隈取り”されている。
どことなく、曰く有りげな風景。
誰かの古墳なのだろうか?
それとも単なる盛土なのだろうか?
妙な想像を掻き立てられる。 -
再び拝殿のところへ戻る。
その隣にある社務所。
だが、中に人はいない。
ここは神職不在の神社なのだ。 -
神職は一宮市内にある「大神社(おおじんじゃ)」の宮司さんが兼務している。
大神社は名鉄一宮駅から名古屋本線で名古屋方面へ2つ目の島氏永駅から歩いて5分ぐらいのところにある。
なので大神神社の御朱印を賜るためには大神社の宮司さんに連絡を取り、約束した時間に大神社を訪ねる必要がある。
宮司さんが不在の場合は御朱印帳を預け、後で自宅へ返送してもらうこともできるそうだ。 -
御朱印に関するルールが拝殿に貼り出してある。
このルールに従わない場合は御朱印を拒否することもあるそうだ。
一見「なんと高圧的な!」とも思えるが、中にはルールに従うことなく参拝そっちのけで御朱印集めにのみ奔走する者も多いのだろう。
時間を約束することもなく突然訪ね、自分の都合ばかりを宮司さんに押し付け、強引に御朱印を押してもらおうとする輩が。
だとしたら、こうした文面になるのも頷ける話。
写真だとボヤけて読めないが、実際の文面からは宮司さんのフツフツとした怒りが伝わってくるようだ。 -
スタンプラリーじゃあるまいし、御朱印ばかり必死に集めたところで何の意味があるのか?
ドラゴンボールじゃあるまいし、全部集めたところで何でも願い事が叶うとでもいうのか?
むしろ宮司さんを怒らせてまで御朱印集めに奔走するとは、信仰心とは全く無縁の単なる我欲の露顕でしかない。
砥鹿神社の旅行記にも書いたが、神社にはそれぞれ個性があり、他がそうだからここもそうだと思い込む“標準化”的思考は全く意味がない。
マクドナルドじゃあるまいし、神社は全国どこでも画一的なサービスを提供しているわけではない。
だからこそ諸国一之宮巡礼の旅は面白いのだ。 -
大神神社を後にし、先ほど訪れた古宮公園に行く。
大神神社は元来、この公園の場所に鎮座していたという。
それが戦乱で焼け落ち、薬師寺の境内に“避難”したわけだ。 -
名鉄一宮駅へ引き返す途中で見かけた教会。
「末日聖徒イエス・キリスト教会一宮ワード」というモルモン教の教会。
大物主神とイエス・キリストが直線距離で200メートルも離れていない場所で共存している。
アメリカの大きな教会の近くに日本の神社が建立されたら、神社は果たして無事で済むだろうか?
キリスト教徒は「イエス様は寛大です」と主張するが、日本の神様のほうがよほど寛大なように思える。 -
再び名鉄一宮駅へ舞い戻ってきた。
今回は宮司さんに会えなかったので御朱印を賜ることができなかった。
またいつか一宮市を訪れた折には、電話でアポイントを取って大神社へ行ってみることにしよう。
これでまた一宮市に来る口実が出来たというものだ。
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