2013/02/16 - 2013/02/16
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tsunetaさん
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2月16日、午後2時10分頃に横枕小路を伝って乃木神社に来ることができた。 長府城下町散策でどうしても訪ねたかったのは高杉晋作の功山寺と乃木希典の乃木神社であった。 というのは高杉晋作は坂本龍馬らと一緒になって新しい日本を作る先駆けとして活躍したこと、乃木希典は新しい日本を創り育てていくためには祖国愛と忠考の道義が必要と徹せられたこと等のためである。
約30分くらいかけて乃木希典の人となり、日露戦争での戦いぶりを知ると同時に一家をあげて世のため人のために一生を尽くされたことがわかった。
*写真は乃木大将ご夫妻の像
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午後2時10分に乃木神社に到着
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乃木希典についての歴史や業績についての説明
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乃木神社の本殿が見える・・・説明文による
大正3年(1914年)、乃木の郷里の長府に乃木記念会が結成され、乃木希典が幼少 時代を過ごした旧家を復元し、乃木の幼少期の像や遺品などを展示する乃木記念館と した。大正8年(1920年)、乃木記念館に隣設して乃木希典を祀る乃木神社が造営された。 -
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乃木さんのお言葉と乃木家の家訓
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乃木神社の拝殿
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乃木神社の拝殿
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乃木の名水由来
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乃木大将ご夫妻
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名馬 壽号・・・説明文による
明治38年、日露戦争・旅順開城の際、ロシア要塞司令官ステッセル将軍から、乃木大将にアラビア産の良馬が贈られました。乃木大将はステッセル将軍の頭文字をとり寿(ス)号と名付け愛養、日本国の馬匹改良に大きな貢献をしました。 -
203高地の松
戦前旅順より乃木将軍ゆかりの地より記念 として持ち帰ったもの。 -
「水師営の会見」. 佐々木信綱作詞・岡野貞一作曲/文部省唱歌
旅順水師営のある農家[2]で 、日露戦争中の1905年1月15日に、旅順軍港攻防戦の停戦条約が締結された。日本代表は第三軍司令官・乃木希典大将、ロシア代表は旅順要塞司令官・アナトーリイ・ステッセリ中将であった。 -
乃木旧宅
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乃木旧宅の説明
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乃木神社の宝物館に入る
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乃木希典と東郷平八郎
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乃木大将御愛用の軍扇
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将軍ご夫妻肖像画
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さざれ石
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さざれ石の説明
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