2013/02/16 - 2013/02/16
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tsunetaさん
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2月16日、午後1時過ぎに功山寺より歩いて15分の所にある長府毛利邸へ行った。
その途中の道路わきにある土塀はタイムスリップしたように江戸時代末期の頃を感じさせる。 なかなか趣があって良かった。
○長府毛利邸について・・説明文による
◎武家屋敷造りの重厚な母屋と白壁に囲まれた日本庭園
戦国武将・毛利元就から数え14代目にあたる元敏が、東京から毛利家の故郷に帰住するとき、長府の惣社町に邸宅を構えることとしました。
その時の邸宅が、今の「長府毛利邸」です。明治31年(1898)に竣工し、明治36年(1903)に完成。その後、大正8年(1919)までの16年間、長府毛利家の本邸として使用されました。
◎明治天皇の行在所としても使用
完成間近の明治35年(1902)には、明治天皇が、熊本で行われた陸軍大演習をご視察の際、当邸を行在所(あんざいしょ)として使用され、一部の部屋は当時のまま残されていて、往時を偲ばせてくれます。
また、津軽家に嫁がれ、常陸宮華子妃殿下の御生母となられた久子様(元敏公のお孫さんにあたる)も、この御屋敷で幼少時代を過ごされています。
*写真は長府毛利邸の池泉回遊式庭園
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城下町長府の観光案内図
これを頼りに長府毛利邸へ向かう -
途中の土塀は江戸末期時代の風情がある。
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総社跡の説明
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長府毛利邸の説明
1903年(明治36)に長府毛利家14代元敏[もととし]が建て、明治天皇の宿泊所としても使われた屋敷。白壁に囲まれた敷地は約1万平方mと広く、池泉回遊式庭園、書院庭園、枯山水庭園の3つの庭園がある。 -
長府毛利邸の正門
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邸内案内図
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長府毛利邸の玄関
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白い鷹と松図
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丹頂鶴と青竹図
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上の二つの作者は川端玉章・・狩野芳崖、橋本雅邦と並ぶ明治画檀の大御所
日本画家。京都の蒔絵師(まきえし)の家に生まれる。本名滝之助。11歳で円山派の中島来章(らいしょう)に師事。また画論を小田海僊(かいせん)に学んだ。1866年(慶応2)江戸に出、一時高橋由一(ゆいち)について洋画も学んでいる。82年(明治15)と84年の内国絵画共進会で銅賞を受けて名があがり、89年に開校早々の東京美術学校教授となって円山派を教えた。 -
明治天皇が宿泊された
完成直前の明治35年(1902年)に、熊本で行われる陸軍演習を視察する明治天皇の行在所(仮の御所)となり、往路の11月9日と、復路の11月15日に宿泊。 -
明治天皇ご宿泊の間
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書院庭園
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池泉回遊式庭園
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長府毛利邸には三つの庭園がある
池泉回遊式庭園、枯山水庭園、書院庭園 -
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書院庭園
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池泉回遊式庭園
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書院庭園
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長府毛利邸の枯山水庭園
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欄間の梅
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欄間の松
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欄間の竹
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欄間の竹
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中庭
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長府毛利邸の二階のギャラリーに四季折々の風景が飾ってあった
秋の風景 -
春
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夏
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冬
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<柳川伝承まり・さげもんと創作和紙折紙>作品展
及び長府おさげもの・ひな祭りの準備作業中であった -
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梅園
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梅園
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梅園
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紅梅
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紅梅
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梅園
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白梅
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白梅
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