2013/02/16 - 2013/02/16
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tsunetaさん
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2月16日、午後2時過ぎに長府毛利邸から土塀のある通りを進んで覚苑寺にやってきた。 覚苑寺は長府毛利藩三代目藩主綱元が建てたお寺で毛利家の菩提寺の一つである。
又付近一帯は和銅開珎の鋳銭所のあとで、出土品は長府博物館に展示されている。 境内には狩野芳崖や乃木希典の銅像がある。
*写真は覚苑寺
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長府毛利邸から先には両脇に土塀があり風情がある通りになる。
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古江小路
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古江小路
この通りには菅家長屋門がある。 -
陶芸藍窯の門の所に愛らしいお雛様が飾られていた。
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下関市立長府中学校前にやってきた。
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その近くに三吉慎蔵の生家があった。
三吉慎蔵は坂本龍馬の盟友であった。 -
横枕小路
この通りには乃木神社がある。 -
横枕小路
乃木家もこの地にあった。 -
横枕小路
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国分寺跡の説明
ここから約150m奥まった所に覚苑寺があった。 -
覚苑寺の説明
黄檗宗 元禄十一年(一六九八)長府藩主毛利綱元が 宇治黄檗山万福寺七世・悦山道宗禅師(中国福建省の人)を招き創建 功山寺・笑山寺とともに長府藩の菩提寺となる 悦山以来学僧相次ぎ 藩士の中から従学する者多く 長府藩文教興隆の拠点となった 堂宇は明の黄檗流の様式を備え庫裏は明治六年に勝山御殿の一部を移したもの 境内地は わが国最初の金属貨幣「和同開珎」を鋳造した長門国鋳銭所の跡地で 国の史蹟指定を受け鋳銭遺物は重要文化財として現在長府博物館に寄託展示されている 春の梅 桜 秋の紅葉の名所として知られる -
功山寺・笑山寺とともに長府毛利家の菩提寺として知られています。
文久3年(1863)、下関海峡の攘夷戦争の頃、藩主の本陣がここに移されたこともあります。 -
和銅開珎の鋳銭所の碑
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狩野芳崖の銅像があった
狩野芳崖は日本画の近代化を開いた。下関市が生んだ偉大なる画匠である。
覚苑寺が狩野家の菩提寺という縁で
ここに建てられたものです。 -
史蹟長門鋳銭所址
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国指定史跡
長門鋳銭所址
鋳銭所とは、奈良・平安時代に銭貨の鋳造をおこなった工房のことです。
長門鋳銭所跡は、覚苑寺境内を中心に約一万四千平方メートルの範囲に及んでいます。日本最古の金属貨幣である和同開珎の鋳范(貨幣の鋳型)が寛永年間(一六二四〜四四)に発見されていることから、当地周辺が鋳銭所跡と見られています。
和同開珎の鋳銭は、和銅元年(七〇八)の頃から長門国のほか、武蔵(埼玉県)・近江(滋賀県)・河内(大阪府)・播磨(兵庫県)・太宰府(福岡県)の六カ所で造られたと記されていますが、関係遺構が確認されているのは長門国のみです。
長門鋳銭所は、天長二年(八二五)に廃止され、鋳銭所は周防国(山口市鋳銭司)に移されました。
これまでに史跡指定地内から出土した鋳范の破片(十二個)・鞴口の破片(四個)・坩堝の破片(三個)・和同開珎(一枚)が、昭和三十九年に国の重要文化財に指定され、下関市立長府博物館に寄託・展示されています。 -
覚苑寺
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覚苑寺
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覚苑寺本堂
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乃木希典の銅像
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覚苑寺
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覚苑寺
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狩野芳崖と庭園
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この横に梅林があった。
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