2013/02/17 - 2013/02/17
271位(同エリア790件中)
ニッキーさん
今年の冬は去年に続いて寒さが厳しいですね。
それでも2月10日を過ぎると、一年で一番寒い時期は乗り越えたとホッとします。今年もロウバイが満開との便りが聞こえ始めました。
寒いうちは家にこもりがちだった私も、花の便りを聞くと出かけたくてうずうずして来ました。
梅が咲くにはまだ早いだろうな。
でも、外へ出てみれば何かしら春の兆しが見つけられるかもしれない。
そこで、風も無くいいお天気の日曜日、佐倉城址公園へ散歩に行って来ました。
立春も過ぎて暦の上では春。梅はまだでしたが、春を待ちわびる公園の景色もなかなかきれいでした。
佐倉城址公園から少し足を伸ばすと、江戸時代、佐倉藩の藩士たちが住んだ地域があります。その辺も歩き回って、復元して公開されている3軒の武家屋敷も見て来ました。
翌日からまた真冬の寒さに逆戻りしてしまったので、暖かい日に行っておいてよかったです。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
-
家から車で20分。
春を探しにやって来たのは佐倉城址公園。
佐倉城の跡地に造られた公園です。
手前の窪地もただのデザインじゃありませんよ。
これは馬出し空濠(うまだしからぼり)の跡なんです。
城門の前に築いて人馬の出入りを敵から悟られないようにしたのです。
向こうに見えるのは、公園の中に建つ国立歴史民俗博物館、略して歴博(れきはく)。
歴博は見どころいっぱい。
じっくり見ると一日がかりになるので、今日はパスです。
現在、第4展示室(民俗がテーマの展示室)は改装のため閉室中。
平成25年3月19日お披露目だそうですよ。
新しくなったらまた見に来てみたいものです。 -
佐倉城は徳川家康の命で当時の佐倉藩主土井利勝が築城。江戸の東を守る要として、老中など幕府の要職についた譜代大名が次々に城主を務めました。
明治時代になって政府が接収。城は取り壊され陸軍歩兵連隊の駐屯地となりました。現在は空堀や土塁の跡は残っているものの、城郭の名残りはほとんど残っていません。
本丸や二の丸跡へは昨年6月に行ったので、今日は城址公園の東にある武家屋敷まで歩いてみたいと思います。
〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜
2012年6月に訪れた時の様子はこちら↓。
『バックパック・デビュー 佐倉城の跡を歩く 【佐倉城址公園】』
http://4travel.jp/traveler/amber637/album/10681890/
この公園はかなり高低差があります。 -
林の中に建つのは茶室、三逕亭(さんけいてい)。
去年6月に来た時とすっかり様子が違います。
去年の様子はこちら↓。
http://4travel.jp/traveler/amber637/pict/25774300/
夏もいいけど、こんな景色もいいものです。
葉を落とした木々の霞んだような枝の重なりが美しくて、私はすっかり心を奪われてしまいました。 -
木々の枝ぶりのおもしろいこと。
木の影が地面にもゆらゆら模様を作っています。
この季節限定の眺め。
夏と冬ではまったく違う景色になりそうです。 -
冬の代表花、サザンカの花。
-
春の兆し、見〜つけた!
サザンカの花びらが散る地面に、緑の草が芽吹き始めています。
春の気配を感じたくて出かけて来たので、こんなの見ると嬉しいです。 -
イチオシ
冬枯れの景色の中にも春の予感が。
-
梅林はまだこんな状態でした。
霞のようにぼうっと浮かび上がる梅の枝の重なり。
ほとんどつぼみですが、うっすらとピンクに色づいてるような気がします。 -
わずかに咲き始めた梅の花。
-
朝日新聞の天声人語に書いてありました(2013年2月18日付)。
さきがけの一輪二輪の梅を風冷たい野山に求めることを「探梅」と言い、俳句では冬の季語となる。それが立春を過ぎると季語は色香を楽しむ「観梅」に変わる。日本人の季節感は本当に細やかだと。
暦の上ではもう春。季語で言うと「観梅」の季節です。でも今年は寒くて、まだまだ「探梅」という言葉の方が当てはまりそう。天声人語にもそのようなことが書いてあって共感しました。 -
こちらは白梅。
去年の梅はひと月遅くて満開が3月中旬にずれ込みました。
今年もまだまだ寒い日が続くとの予報。
梅の開花は遅れそうです。 -
こちらは姥が池(うばがいけ)。
姥が池の悲しい言い伝えについてはこちら。↓
http://4travel.jp/traveler/amber637/pict/25773789/ -
湿地になっている所もあります。
何がって一言では言えないけれど、今日のような日差しの中で見ると、どことなく春めいて見えます。
この時期、公園を訪れる人はそんなに多くありませんでした。
犬の散歩をする人も、散策をする人もみんなのんびり歩いています。 -
杉林を見上げてみました。
-
もう少し奥へ歩いてみます。
落ち葉がカサカサ鳴る気配に誰かいるのかと林の根元に目を凝らすと、音の主はキジバトでした。
シジュウカラの姿も見かけました。
聞こえて来るのはカラスの鳴き声です。
カラスはどこにでもいますね(笑)。 -
いい眺め。
こんな冬枯れ木立ちを見て美しいと思える自分・・・。
なんか新しい発見です。
4トラベルのおかげで私の感受性がアップしたのかも。 -
イチオシ
枯れ木立ちの向こうに見える階段。
夏はこんなには見通しが効きません。 -
枝ぶりがおもしろい。
この木は「エノキ」と書いてあったと思います。 -
私は歴博の方の入口から入ったんですが、公園の東側の入口まで歩いて来ました。
この近くに武家屋敷が公開されています。
過去に2回ほど行ったことがあるんですが、久しぶりに今日はそこまで歩いてみたいと思います。 -
城址公園から東へまっすぐ伸びる道。
左手の並木は全部桜の木ですね。
これは桜の季節が楽しみです。
佐倉城があった頃は左右に武家屋敷が立ち並んでいたそうです。日本百名城佐倉城(佐倉城址公園) 公園・植物園
-
道添いに歴博付属の「くらしの植物苑」がありました。
食物、薬、染色など私たちの生活文化に深く関係して来た植物を見ることができます。入苑料100円。
武家屋敷を目指しているので今回はパスしました。 -
まっすぐ歩いて行くと、右手に千葉県立佐倉東高校、左手に佐倉市立佐倉中学校がありました。
この建物は佐倉中学校。
立派な建物です。
蔵を意識したようなデザイン。
屋根にはソーラーパネルですかー。
日曜なのにチャイムが聞こえて来ました。
懐かし〜。
キンコンカンコーンの音色はやっぱりいいなぁ。 -
中学校の向かいに「大手門跡」の碑を見つけました。
大手門と言うと、城郭に至るお城の正門ですよね。
佐倉城の場合、本丸・二の丸・三の丸とはずいぶん離れた所に大手門があったんですね。
本丸跡から歩いて優に15分はかかるんじゃないでしょうか?
佐倉城では大手門の内側にも武家屋敷がたくさん建っていたらしいです。日本百名城佐倉城(佐倉城址公園) 公園・植物園
-
また少し歩くと佐倉藩の藩校「成徳書院跡」の碑。
佐倉藩の藩士の子弟を教育するための学校がここにあったんですねー。
今は市民体育館の駐車場になっています。 -
さらに歩くと佐倉藩総鎮守・麻賀多神社(まかたじんじゃ)がありました。
ご祈祷希望者が神主さんに呼ばれて奥へ入って行くところでした。
この隣にお蕎麦で有名な房州屋があります。
先日旧堀田邸に来た時に立ち寄って鴨南そばを食べました。
その時の房州屋の写真はこちら↓。
http://4travel.jp/traveler/amber637/pict/27756956/
鴨南そばの写真はこちら↓。
http://4travel.jp/traveler/amber637/pict/27756957/ -
だいたいの見当をつけて竹が生い茂る小道を奥へ入って行くと、突如出現した武家屋敷。
雰囲気あります〜。
私が通って来た道は昔からの古径で、「くらやみ坂」という名前がついていました。 -
江戸時代の武家屋敷は藩が所有し藩士に貸し与えたものが大半で、藩士は身分や俸禄に見合った住宅に住んでいたようです。佐倉藩でも天保4年(1833年)に居住の制が定められ、俸禄によって建坪や門・玄関・畳など、住む屋敷の格式が決められていました。
ここでは禄高300石以上の大屋敷、100石以上の中屋敷、100石未満の小屋敷の3軒が復元されています。
この地図で言うと、右から大屋敷、中屋敷、小屋敷です。
真ん中の中屋敷だけがもともとこの場所に建っていたもの。
両端の大屋敷と小屋敷は別の場所から移築されて来たものだそうです。
もとの敷地は大屋敷759坪、中屋敷340坪、小屋敷290坪もあったとか。 -
まずは見学受付所がある旧河原(かわら)家住宅へ行きます。
210円を払って見学チケットを買えば、3軒の家を見て回ることができます。
旧河原家は室内へは上がれませんが、他の2軒は室内へも上がれます。
旧河原家の門。
家の前に土塁を築き生垣をしつらえています。
これはよその武家屋敷には見られない佐倉の武家屋敷の特徴なんだそうです。 -
300石以上の藩士が住んだ大屋敷と考えられている旧河原家住宅。
萱葺き屋根、L字形の屋敷です。
佐倉市に残る武家屋敷の中で最も古いものと推測され、千葉県指定有形文化財です。
アプローチに梅の木が3本。
ここの梅もまだつぼみでした。旧河原家住宅 名所・史跡
-
室内へは立ち入ることができませんが、障子や襖が開け放たれているので、外から中を見ることができます。
玄関からのぞき込んだら、奥の部屋が10畳のお座敷になっていました。
襖も床の間もまさにシンプル。
行燈や巻紙行燈が置かれ、雰囲気を出しています。 -
旧河原家住宅には当時の家具や調度品が飾られていて、武士の生活を偲ぶことができます。
これは土間から見た茶の間です。
かなり薄暗い。
居間というのが別にあったので、ここでの茶の間の定義がよくわかりませんが、食事の支度をする部屋だったのでしょうか?家族が団らんをするにはあまりにも暗い部屋です。旧河原家住宅 名所・史跡
-
土間のかまどが存在感を放っています。
暗いけど、生活感あふれるスペースです。
土間に面して男部屋(下男の部屋)がありました。畳2畳分もない板の間。脚を伸ばして寝ることもできない狭い部屋でした。映画「たそがれ清兵衛」の中で、お城の門の外で勤めを終えて出て来る主人を待ち、お供して帰宅する下男が出て来ますが、ああいう使用人が使った部屋なのでしょうか?
もっとも、たそがれ清兵衛は50石。下男は通いだった記憶があります。 -
この部屋はタンスや鏡台など昔の家具が置いてあるので、居間かと思ったら納戸ですって。
板の間です。
ここでちょうど十数人のグループがわーっとやって来ました。
「佐倉の歴史を学ぶ会」とか「佐倉を歩こう会」みたいな一行でしょうか?「先生」と呼ばれる人が案内していました。
側にいる私にも解説が自然に耳に入って来るので、ラッキーです。
大屋敷、中屋敷、小屋敷に住む武士の格の違いを社長さん、部長さん、課長さんだったか現代の役職に置き換えて説明していました。 -
武家屋敷は藩が作って貸し与えたものなので、規模も豪華さも必要最低限に作られていたようです。社宅みたいな感覚でしょうか?
敷地は広いけれど、家自体は平屋建て。
この家にいったい何人の家族と使用人が住んだのでしょう?
昔は家族が多く、使用人もいたことを考えるとそれほど広くもありません。
門と玄関とお座敷は立派だけれど、裏の部分は慎ましい。
やっぱり武士の暮らしの基本は質素倹約だったんですね。 -
東側の長い廊下。
縁側と言った方がいいのかな?
この縁側、いいですよね。
日向ぼっこや夕涼みに良さそうです。
グループの方々も「ここ、田舎の家を思い出すわぁ」なんて言ってました。
昔テレビドラマでやっていた「浮浪雲(はぐれぐも)」の渡哲也さん演じる雲(くも)さんと桃井かおりさん演じるかめさんの屋敷を思い出します。
ドラマの中では縁側で囲碁を打ったりしていました。
浮浪雲は「時代考証を無視して作っています」と断わり書きを入れたアニメ原作の痛快ドラマだったので、襖も畳もお庭ももっとずっと豪華にこしらえてありましたけどね。
「浮浪雲」、大好きだったんです。 -
湯殿。
このお風呂はどう見ても家の外からしか入れない造りです。
やっぱり一旦家の外へ出て、ここで着物を脱いでお湯をかけたのかなぁ?
ちょうどここでグループの「先生」と一緒になりました。「先生」に聞いてみたい気もしたけど、参加者でもないのに厚かましいからやめておきました(笑)。聞けば教えてくださりそうな雰囲気だったんですけど。
一行は写真を撮ったりもせず、次の家を見に行ってしまいました。
いったいどういう集まりだったのでしょう? -
2軒目。
中屋敷に当たる旧但馬(たじま)家住宅。
佐倉市指定有形文化財です。 -
この家はT字形をしています。
映画「小川の辺」や「山桜」の撮影がここで行われたそうです。
私、時代劇が特に好きという訳じゃないんですが、藤沢周平原作の映画は好きで、どちらも映画館へ行って見ました。「山桜」では田中麗奈演じる主人公の実家という設定だったそうで、そう言われればお座敷の感じが記憶にあるような。 -
旧但馬家住宅は3軒の中で唯一、元からこの場所に建っていた家なので、植栽なども当時の様子をよく残していると言えます。
生垣の向こうに見えるのは、最後に行く旧武居家住宅です。 -
玄関で靴を脱いで上がりました。
茶の間、板の間と土間はこの家もやはり暗いです。
驚いたのは板の間にキッチンシンクとガスコンロがあったこと。
一番最後に住んでいた住人が取り付けた設備なんでしょうか?
見てはいけない物を見てしまった気分。
見なかったことにしました(笑)。 -
居心地が良さそうなこの部屋は居間です。
床の間を入れて8畳。
中央には炉が切ってあります。
格式はさっき見た旧河原家住宅の方が上のはずですが、こっちの方が武士の家らしい気がするのは私だけ?
奥は板の間の納戸になっています。旧河原家住宅 名所・史跡
-
北側には憧れの曲がり廊下が。
先の部屋は板の間の納戸ですが、離れ座敷感覚で御隠居さんの部屋なんかにどうでしょう?
この家、いいかも〜。 -
上の写真の曲がり廊下の先から振り返ってT字形の脚の部分を見たところ。
このごろ四角い家が多いから、こういうでこぼこのある家は新鮮です。
屋根の下には玉砂利が敷き詰めてあります。
雨どいがないから、屋根を伝った水はそのまま玉砂利の上に落ちるのでしょうね。 -
お座敷へ入ったとたん、ぬっと甲冑が現れたので、本当にたまげました。
本当の武士がいるのかと思いました〜。((+_+))
このお座敷は12畳半に床の間・広縁がついていて立派です。
やっぱりこの家、いいかも。 -
お座敷から屋敷内を見渡すとこんな感じ。
広々しています。 -
座敷から見た庭と門。
あまり作り込んでいないお庭ですが、くつろげます。 -
裏庭には小さな畑があって、「しゅんぎく」「さやえんどう」「つるなしえんどう」と書いたラベルが畑に刺してありました。
一家で食べる野菜を畑で作っていたのですね。
武士のつつましい暮らしぶりが伺えます。
たそがれ清兵衛も庭の畑を耕してましたよね。 -
これは放水銃って書いてあったかな?
茅葺屋根の文化財保護のためには必要ですね。
下の方は竹で覆って隠してありました。 -
3軒目。
旧武居(たけい)家住宅。
100石未満の小屋敷です。
本来は茅葺屋根だったようですが、保守管理上の都合により現在は銅板葺きで復元されています。
ここの門は閉まっているので、見学は旧但馬家の裏庭から入って行きます。 -
この屋敷はとてもコンパクト。
玄関の奥に6畳の座敷があって、武士の写真が飾ってありました。
この家に住んだ人なのか、誰の写真なのかはわかりませんでしたが、さすがは武士、威厳があります。
この家の座敷は畳にへりがありません。
そういう点も家の格を表しているのでしょう。 -
土間から見た家の中。
藩士は身分の変化や藩の転封(配置換え)によって引っ越しが多く、屋敷の住人は度々変わったそうです。
この家に幕末に住んだ田島伝左衛門という武士は禄高90石だったということがわかっています。
たそがれ清兵衛は50石でしたから、清兵衛よりは上ですね。 -
台所。
台所の左横に湯殿もありました。
この家の湯殿は台所から入って行けて合理的です。 -
屋根の外側は銅板葺きになっていましたが、内側は茅葺屋根を復元してありました。
この家の一室の壁に何か現代的な機械がずらりと並んでいました。
何かのコントローラーのようでした。
照明かセキュリティ関係のシステムでしょうか?
ハイテクはこの家に似つかわしくないので、ここでもまた見なかったことにしました(笑)。 -
奥に8畳の間があり、武家屋敷の敷地から出土した陶磁器や資料が展示されています。
この家は座敷(6畳)と居間(8畳)が主な部屋。
廊下や土間スペースがあるとはいえ、広めの2DKみたいな間取りです。
それでも、「住むとしたら私はこの家がいいわぁ」と言ってる人がいました。
私が住むとしたら、中屋敷の旧但馬家がいいけどなぁ。 -
閉め切りになっている旧武居家の門を内側から見たところ。
門の格は前の2軒より下ですが、これで十分。
素朴さがいいですよね。 -
武家屋敷の見学を終え、近くのひよどり坂を下りてみました。
竹林に囲まれた坂道です。
足元に石が並べてあります。
階段と言えるほどのものではないのですが、たったこれだけのことでぐっと歩きやすくなります。 -
見上げると、うわー。
黒い木が不気味〜! -
車を城址公園の駐車場に置いて来ているので、歩いて城址公園まで戻りました。
あー、脚が疲れた〜。
何キロ歩いたか、そんなにたいした距離じゃないと思うけど、ひと休みしたいです。
お腹も空きました。
ホットドッグが食べたい。
でも公園の中で食事ができる所は歴博のレストランしかありません。 -
という訳で、引き寄せられるように歴博へ(笑)。
歴博のレストランとショップは入場券を買わなくても利用することができるのです。
食べたかったホットドッグ。
レストランには「歴博ドッグ」というメニューがありました。
でもどこが歴博ドッグなのか、あまりにも普通のホットドッグ。 -
結局「古代米カレー」というのにしました。
中国皇帝に献上していたという古代米とチキンカレーのコラボです。
ご覧のとおりの色彩で、一瞬マッチするのか?と思ったけれど、古代米自体にはあまり味がないので、まあまあ美味しく食べられました。
付いて来たサラダは普通過ぎ。
もっと工夫が欲しいです。
歴博レストラン
http://www.rekihaku.ac.jp/information/restaurant.html -
帰りにミュージアムショップへ行って、家へのお土産を買いました。
エスカレーターの上からショップを見下ろしたらこの眺め。
窓が額縁のようになって、桜の季節には「額縁桜」というのが見られるそうです。
この日は午後の西日が差してほとんど景色は見えませんでしたが、今度来る時は額縁構図を狙ってみたいです。 -
あまりにお天気がいいので、春を探しにやって来た佐倉城址公園。
春はまだまだでした。梅の花もまだ。
でも、ちょっぴり春の気配も感じられました。
冬枯れの景色にもそれなりの美しさがあるってことに気がついたのは収穫でした。
そして武家屋敷。
武家屋敷とひと口に言っても、身分によって住む家の大きさや様式まできっちり決められていたとは。
武士の屋敷は派手さがなく、意外につつましいものでした。
これから時代劇を見る時は、武士の家にも注目して見たいと思います。
ところで、出かけた翌日からまた真冬の寒さに逆戻りしてしまいました。
この寒さでは今年も梅の開花は遅れるのでしょう。
また時々春を探しに出かけようと思います。日本百名城佐倉城(佐倉城址公園) 公園・植物園
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (5)
-
- るなさん 2013/03/07 17:10:39
- まさしく春♪
- こんにちは、ニッキーさん。お久しぶりです。
今日はホントに春みたいで17℃とか?花粉症にヤられる頃、今日はくしゃみもひどい´д` ;
武家屋敷ってのはまた風情がありますね。日本昔話み出てくるような家屋(笑)
お天気がいいから、そんな古めかしい風景には写っていませんが、遠い昔って感じの世界です。
年末年始を欧州で過ごして洋風建築をどっぷり堪能しましたが、やはりこういう日本家屋も風情があっていいですね。
田舎のない私には、懐かしいって感情はないですが、でも、日本人ならホッとするような空間でしょうね。
梅も見頃を迎えるかな?次は桜…。四季のある日本は素晴らしい風景がたくさんですね。
ニッキーさん、GWは何処へ?
私はチェコ&フランスです。
るな
- ニッキーさん からの返信 2013/03/07 23:12:35
- RE: 私もフランスです。(^_^)v
- るなさん、お久しぶりです。
書き込みありがとうございます。
目が疲れるので、このところ4トラはほどほどにしてました。
強度の近視なもので。
るなさん、花粉症ですか?
この時期大変ですね。
そう言えば今日はマスクをした人が多かったように思います。
佐倉の武家屋敷は茅葺き屋根のせいか、武士の屋敷というより、ちょっと農家みたいな雰囲気があります。
るなさんは東京のお生まれでしたよね。
それはそれでカッコいいけど、じゃ、長い縁側や土間のある家はご存じありませんよね。
私の故郷は京都。祖父がお寺の住職をしていた。
つまりおじいちゃんの家がお寺だったんで、長い廊下、大広間、仏間があって土間もかまどもありました。
武家屋敷を見てどことなく懐かしい気がしましたねぇ。
るなさん、GWはチェコ・フランスですか!
実は私も北フランスを回るツアー参加です。
わー、奇遇ですねぇ。(というほど一致してないか?笑)
私は初めてのフランスなので、楽しみにしています。
パリでフリータイムがあるため、一応地図を見て計画も考えてますよー。
お互いお天気がいいといいですね。
ニッキー
-
- サウスピーチさん 2013/02/23 02:43:32
- みんながやる妄想・・・
- ニッキーさん、こんにちは♪ 佐倉城址公園と武家屋敷にお邪魔しています。
今まで色々な城跡に行っていますが、「馬出し空濠」なんて初めて聞きました。 (私が知らなかっただけ?)
中の様子を敵から悟られないという意味では城壁に似ているのかもしれませんが、お城への入り口って普通
城壁の外ですから、人馬の「出入り」を敵から悟られないようにするにはこれはいい考えですね!
そう、冬の木々の枝の様子、緑の葉がたくさん付いている時も清々しいですけど、葉が落ちてしまって
枝がむき出しになっている様子もなぜかすごく惹かれます。 何となく淋しげで哀愁が漂う・・・というか、
その形によって色々な想像を掻き立てられるんですよね。
姥が池のリンクをクリックすると、以前行かれた時の緑いっぱいの季節とのコントラストがよくわかります。
長い廊下(縁側?)の柱や床の木の模様(年輪)がいいですね〜。 襖の下の木の板にもちょっと出てるかな?
木の年輪模様って好きで、日本のある神社でご神木から作ったというブレスレットを買ってきたのですが、
できるだけ年輪が浮き出たものを選びました。(^^;
木の廊下から外側へは、コンクリート+石で斜めで下りやすくなっているようですが、これ、オリジナルですかね?
外に出やすい優しい構造ですが、こんなの初めて見ました。
こういう家を見学しながら「私が住むなら・・・」という妄想。 誰もがするんですね。(笑)
私もフランスでお城を見ながら妄想しましたよ。^^ ベルサイユ宮殿は素敵だけど、大き過ぎ。
私はこの宮殿のモデルとなったヴォー・ル・ヴィコント城くらいが丁度いい♪って。 (いや、丁度いいも何も、
このお城もデカいんですけどね。^^; どの分際で言ってるんだ!って話です。笑)
いくつかの渡り廊下の写真を見ていたら、久しぶりに祖父の家(もうないんですけど)を思い出しました。
それでは、また!
サウスピーチ :)
- ニッキーさん からの返信 2013/02/23 18:11:40
- RE:私もヴォー・ル・ヴィコント城ぐらいがいいです!(^_^)v
- 佐倉城は石垣の無いお城だったんですって。土塁と空濠と水濠だけ。
で、この「馬出し空濠」は発掘調査で発見されて復元されたものなんですけど、もとはもっと深かったのだそうです。
石垣が無いから守備上空濠が必要だったのでしょうね。
> 木の廊下から外側へは、コンクリート+石で斜めで下りやすくなっているようですが、これ、オリジナルですかね?
なるほど〜。
私が真上から写真を撮ったからわかりにくいのですが、それは目の錯覚です。
コンクリ―トみたいな部分は平らです。
普通に木の脚があってその上に縁側が乗ってるんですよ。
でも言われてみたら、この写真だと確かにそう見えますね。
バリアフリー?
縁側の外床が斜面だったら、縁側で線香花火もやりにくかろう、スイカ食べる時も脚は斜面に投げ出して、種は遠くへ飛ばせって。履物は、履くときゃいいけど脱ぐときゃ後ろへおっとっと。
わっはっは。想像するだけで笑えます〜。(^○^)
また「何枚目の写真」とか言うとサウスピーチさんに面倒かけちゃうから言いませんが、別の写真を見ればわかりますよ。
あ、見なくてもいいですよ(笑)。
>ベルサイユ宮殿は素敵だけど、大き過ぎ。 私はこの宮殿のモデルとなったヴォー・ル・ヴィコント城くらいが丁度いい♪って。(いや、丁度いいも何も、 このお城もデカいんですけどね。^^; どの分際で言ってるんだ!って話です。笑)
同感!サウスピーチさんの旅行記を見ると、ベルサイユ宮殿は広過ぎ。
私もヴォー・ル・ヴィコント城ぐらいがいいなぁ!
何百坪の世界じゃなくってヘクタールの世界ですけどねー(笑)。
ニッキー
- サウスピーチさん からの返信 2013/02/24 05:12:58
- やっと分かりました!
- > 私が真上から写真を撮ったからわかりにくいのですが、それは目の錯覚です。
えっ!? うそ〜?
> また「何枚目の写真」とか言うとサウスピーチさんに面倒かけちゃうから言いませんが、
> 別の写真を見ればわかりますよ。 あ、見なくてもいいですよ(笑)。
ニッキーさん、巧いなぁ〜。 「見なくてもいいですよ。」って言われて、「はい、そうですか。」なんて言うわけないこと、
ちゃんと読んでましたね?(笑) でも、めっちゃ探しましたよ〜。 しかも、最初「目の錯覚」と言われても
なかなか本当の姿が目に見えなくて・・・。 でも! ちゃんと分かりましたよ。 スッキリしました♪
・・・それにしても、この「目の錯覚」写真、写した角度が絶妙なんだよなぁ〜。(←単なる自分の思い込みを棚に上げる^^;)
バリアフリー?の話には私も笑いましたが(ニッキーさん、想像力豊かだなぁ〜♪)、実はこれ、
自分の実家のことがすぐに頭に浮かんできたので、安直な思い込みをしてしまったんです。
実家のリビングから庭に出るところの段差がすごく高いので、以前帰国した時、両親が頻繁に出入りしているのを見て、
これは危ないなぁ〜とすごく気になっていました。 で、前々回帰国した時に、ホームセンターで
コンクリートのブロックをいくつか買って、階段を作ったんですよ。 だから、この写真を見た瞬間に、
「あ、これは足腰弱い人にも優しい設計なんだなー。」と勘違いしてしまいました。 まあ、よくよく考えれば、
こんなところに斜めの斜面なんて、機能的には悪いことくらいすぐ分かりそうなのにねぇ・・・(苦笑)。
ベルサイユ宮殿はめっちゃ広いですけど、そのスケールの大きさ、ニッキーさんも体感してきて下さいね!
サウスピーチ :)
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
5
62