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15世紀に武蔵国多摩地域西部を支配していた武州南一揆(ぶしゅうみなみいっき)と呼ばれる武士団構成の中で主力となる小宮氏の本拠地であった戸倉城(東京都あきる野市戸倉)を訪問しました。<br /><br />応永23年(1416)鎌倉公方足利持氏(あしかが・もちうじ、1398~1439)と対立した前関東管領上杉氏憲(うえすぎ・うじのり、?~1417)が反乱(上杉禅秀の乱)を起こす事態となり関東一円の城主たちはその反乱に巻き込まれます。武州南一揆は当初上杉禅秀に与していましたが、後に持氏方となり関東各地に転戦することになります。<br /><br />続いて長享元年(1487)関東管領上杉氏一族内部抗争、つまり北関東を基盤とする山内(やまのうち)上杉氏と南関東を支配とする扇谷(おうぎがやつ)上杉氏との間に覇権争いが起こります。(長享の乱)当地域領主の一つである小宮氏もこの乱に無関係と言うわけにゆかず、当初は扇谷上杉氏方に属して戦いに従事します。<br /><br />武蔵国多摩地域においては山内上杉氏と扇谷上杉氏が領域を分け合っている中で、山内上杉氏の攻勢が強まり扇谷上杉氏方の長井氏居城である椚田(くぬぎだ)城が没落、山内上杉氏に属する大石氏や三田氏に本領を接する小宮氏は状況を考慮して山内上杉氏方に主家を替えざるを得なくなります。<br /><br />天文15年(1546)、川越城夜戦において山内・扇谷上杉氏に大勝した小田原北条氏は武蔵国領域を磐石なものにします。その影響を受け小宮氏も小田原北条氏に従属することになり、天文5年(1536)までに小宮顕宗(こみや・あきむね、生没不詳)・綱明(つなあき、生没不詳)父子の名前が小田原北条氏資料に記載されています。<br /><br />然しながらその後小宮氏は小田原北条氏支配から離れ、それを機に北条氏の攻略を受けて没落、大石氏及び三田氏と同様に多摩地域における覇権は小田原北条氏のものとなり、それまでの戸倉城の役割はなくなり北条氏の支配下にあった桧原(ひのはら)城の支城的な位置付けとなります。<br /><br />尚、余談ながら小田原北条氏より養子を迎え、事実上軍門に下った大石定久は滝山城を譲った後当城に移り隠居したと伝えられています。<br /><br /><br /><br /><br />2023年7月9日追記<br /><br />現地展望所に配置の説明板には下記の通り記載されています。<br /><br />「 戸 倉 城<br /><br />戸倉城は、標高434メートルの城山山頂を中心にして東西の峰に築かれた中世の山城である。東方の峰に城の中心となる曲輪(削平地)を設け、その下に数段の曲輪を構え、虎口(出入口)は枡形風に方向転換してから出入りする防御上効果的な形態がとられている。<br /><br />山頂近くには現在でも水のわき出る水の手(城内の飲料水としての水)が残る。西方の峰を中心として築かれた部分は出丸に相当する。この峰上からは西方に桧原城が眺望できる。出丸のある山腹には堀切や竪堀の遺構が認められる。<br /><br />戸倉城の築城時期は明らかではないが、土着の地侍と考えられる宮本氏や網野氏らが構成員となった南一揆衆の活躍時期に使用されたものと思われる。尚、宮本家には南一揆に関する文書が残っている。」<br />

武蔵五日市 武州南一揆を代表する地域領主なれど従った扇谷上杉氏の没落により八王子城主北条氏照に臣従した小宮氏居城『戸倉城』訪問

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2012/09/16 - 2012/09/16

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滝山氏照

滝山氏照さん

15世紀に武蔵国多摩地域西部を支配していた武州南一揆(ぶしゅうみなみいっき)と呼ばれる武士団構成の中で主力となる小宮氏の本拠地であった戸倉城(東京都あきる野市戸倉)を訪問しました。

応永23年(1416)鎌倉公方足利持氏(あしかが・もちうじ、1398~1439)と対立した前関東管領上杉氏憲(うえすぎ・うじのり、?~1417)が反乱(上杉禅秀の乱)を起こす事態となり関東一円の城主たちはその反乱に巻き込まれます。武州南一揆は当初上杉禅秀に与していましたが、後に持氏方となり関東各地に転戦することになります。

続いて長享元年(1487)関東管領上杉氏一族内部抗争、つまり北関東を基盤とする山内(やまのうち)上杉氏と南関東を支配とする扇谷(おうぎがやつ)上杉氏との間に覇権争いが起こります。(長享の乱)当地域領主の一つである小宮氏もこの乱に無関係と言うわけにゆかず、当初は扇谷上杉氏方に属して戦いに従事します。

武蔵国多摩地域においては山内上杉氏と扇谷上杉氏が領域を分け合っている中で、山内上杉氏の攻勢が強まり扇谷上杉氏方の長井氏居城である椚田(くぬぎだ)城が没落、山内上杉氏に属する大石氏や三田氏に本領を接する小宮氏は状況を考慮して山内上杉氏方に主家を替えざるを得なくなります。

天文15年(1546)、川越城夜戦において山内・扇谷上杉氏に大勝した小田原北条氏は武蔵国領域を磐石なものにします。その影響を受け小宮氏も小田原北条氏に従属することになり、天文5年(1536)までに小宮顕宗(こみや・あきむね、生没不詳)・綱明(つなあき、生没不詳)父子の名前が小田原北条氏資料に記載されています。

然しながらその後小宮氏は小田原北条氏支配から離れ、それを機に北条氏の攻略を受けて没落、大石氏及び三田氏と同様に多摩地域における覇権は小田原北条氏のものとなり、それまでの戸倉城の役割はなくなり北条氏の支配下にあった桧原(ひのはら)城の支城的な位置付けとなります。

尚、余談ながら小田原北条氏より養子を迎え、事実上軍門に下った大石定久は滝山城を譲った後当城に移り隠居したと伝えられています。




2023年7月9日追記

現地展望所に配置の説明板には下記の通り記載されています。

「 戸 倉 城

戸倉城は、標高434メートルの城山山頂を中心にして東西の峰に築かれた中世の山城である。東方の峰に城の中心となる曲輪(削平地)を設け、その下に数段の曲輪を構え、虎口(出入口)は枡形風に方向転換してから出入りする防御上効果的な形態がとられている。

山頂近くには現在でも水のわき出る水の手(城内の飲料水としての水)が残る。西方の峰を中心として築かれた部分は出丸に相当する。この峰上からは西方に桧原城が眺望できる。出丸のある山腹には堀切や竪堀の遺構が認められる。

戸倉城の築城時期は明らかではないが、土着の地侍と考えられる宮本氏や網野氏らが構成員となった南一揆衆の活躍時期に使用されたものと思われる。尚、宮本家には南一揆に関する文書が残っている。」

交通手段
高速・路線バス JRローカル 徒歩
  • 戸倉城跡絵図<br /><br />標高434mの城山山頂を中心に東西の峰に築かれた中世の山城です。

    戸倉城跡絵図

    標高434mの城山山頂を中心に東西の峰に築かれた中世の山城です。

  • 戸倉城跡案内板<br /><br />JR武蔵五日市駅からバスに乗り西戸倉下車、山の方向へ入りますと城山山頂案内板が待ち受けています。

    戸倉城跡案内板

    JR武蔵五日市駅からバスに乗り西戸倉下車、山の方向へ入りますと城山山頂案内板が待ち受けています。

  • 大手道<br /><br />

    大手道

  • 大手道

    大手道

  • 大手道

    大手道

  • 大手道

    大手道

  • 大手道<br /><br />細い道でもあり安全ロープが設置されています。

    大手道

    細い道でもあり安全ロープが設置されています。

  • 市街遠望<br /><br />大手道の途中から振り返ると狭い空間から市街が見えます。

    市街遠望

    大手道の途中から振り返ると狭い空間から市街が見えます。

  • 城山山頂案内板

    城山山頂案内板

  • 山頂付近

    山頂付近

  • 洗面所建物<br /><br />城跡の規模の割には立派な建物です。

    洗面所建物

    城跡の規模の割には立派な建物です。

  • 山頂付近

    山頂付近

  • 山頂付近<br /><br />山頂から下がったところから振返ります。<br /><br />

    山頂付近

    山頂から下がったところから振返ります。

  • 山頂付近<br /><br />頂上から一段下がった所に相当時間経過の石垣が見えます。

    山頂付近

    頂上から一段下がった所に相当時間経過の石垣が見えます。

  • 城山山頂<br /><br />山頂からの展望は素晴らしいです。

    城山山頂

    山頂からの展望は素晴らしいです。

  • 城山山頂標柱

    城山山頂標柱

  • 戸倉城跡地図

    戸倉城跡地図

  • 戸倉城跡説明

    戸倉城跡説明

  • 山頂展望

    山頂展望

  • 山頂展望

    山頂展望

  • 山頂展望

    山頂展望

  • 東方面への小道<br /><br />戸倉小学校に下りる方向の小道と思われます。

    東方面への小道

    戸倉小学校に下りる方向の小道と思われます。

  • 山頂風景

    山頂風景

  • 戸倉城跡周辺地図

    戸倉城跡周辺地図

  • 桧原街道

    桧原街道

  • 出丸(西方)への小道<br /><br />この尾根伝いの道は「出丸」に続きます。

    出丸(西方)への小道

    この尾根伝いの道は「出丸」に続きます。

  • 山口神明社<br /><br />麓に戻りますと神明社が控えていますが特に説明坂などはありません。

    山口神明社

    麓に戻りますと神明社が控えていますが特に説明坂などはありません。

  • 山口神明社<br /><br />拝殿が正面に見られます。<br />

    山口神明社

    拝殿が正面に見られます。

  • 山口神明社<br /><br />小さな本殿が見えます。

    山口神明社

    小さな本殿が見えます。

  • 八雲神社

    八雲神社

  • 八雲神社

    八雲神社

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