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東日本大震災で最も被害の大きかった宮城県沿岸の地域へ行くことにしました。<br /><br />平成23年3月11日、日本列島を揺るがした巨大地震にともなう大津波は、東北地方の太平洋沿岸の集落を呑みこみ、それまで長年にわたって人々が築き上げて来た繁栄を一瞬でがれきの山に変えてしまったのでした。<br /><br />大災害の現場に被災から1年ほどで足を向けようなどというのは、復旧のために日夜汗を流している地元の方から見れば迷惑なことかも知れません。<br /><br />特に自分のように体力に自信がなくボランティアへ積極的に参加出来ないような人間が被災地を訪れることに対しては、まるで物見遊山のような感覚でもあるのだろうと嫌悪感を持たれても仕方がないと思います。<br /><br />ただ、それでも被災地に行こうと決めたのは、地球の大自然が人間の勝手な振舞いに対して行った警告を一身に引き受けた被災地に、特にその土地を昔から守って来た神様に、感謝とお詫びの気持ちを伝えたかったからです。

石巻散歩

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2012/07/29 - 2012/07/29

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倫清堂

倫清堂さん

東日本大震災で最も被害の大きかった宮城県沿岸の地域へ行くことにしました。

平成23年3月11日、日本列島を揺るがした巨大地震にともなう大津波は、東北地方の太平洋沿岸の集落を呑みこみ、それまで長年にわたって人々が築き上げて来た繁栄を一瞬でがれきの山に変えてしまったのでした。

大災害の現場に被災から1年ほどで足を向けようなどというのは、復旧のために日夜汗を流している地元の方から見れば迷惑なことかも知れません。

特に自分のように体力に自信がなくボランティアへ積極的に参加出来ないような人間が被災地を訪れることに対しては、まるで物見遊山のような感覚でもあるのだろうと嫌悪感を持たれても仕方がないと思います。

ただ、それでも被災地に行こうと決めたのは、地球の大自然が人間の勝手な振舞いに対して行った警告を一身に引き受けた被災地に、特にその土地を昔から守って来た神様に、感謝とお詫びの気持ちを伝えたかったからです。

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  • 石巻市に鎮座する大島神社は、式内社大嶋神社に比定される古社。<br /><br />御祭神は住吉三神で、旧北上川の河口から2キロほど上流に鎮座。<br /><br />狛犬の損傷が、地震と津波の凄まじさを無言で語っているようでした。<br /><br />社殿の背には形の良い丘があり、かつては神体山として信仰されていた雰囲気があります。

    石巻市に鎮座する大島神社は、式内社大嶋神社に比定される古社。

    御祭神は住吉三神で、旧北上川の河口から2キロほど上流に鎮座。

    狛犬の損傷が、地震と津波の凄まじさを無言で語っているようでした。

    社殿の背には形の良い丘があり、かつては神体山として信仰されていた雰囲気があります。

  • すぐそばの旧北上川の浮島は「袖の渡り」と呼ばれる渡し場で、多数の和歌にも詠まれ、松尾芭蕉も訪れています。<br /><br />伝説によると、奥州への逃避行をとる源義経公が旧北上川を渡る際、自らの袖を切り取って船頭へ与えたことから、この名がつけられたとか。<br /><br />ただ義経公よりもずっと前の時代から歌枕として用いられているので、実際は後から作られた逸話と考えた方が正しいようです。<br /><br />どちらにしろ古くから石巻を訪れる人たちに愛されて来た「袖の渡り」ですが、朱塗りの唐橋は崩壊してしまい、植えられていた松は枯れ、ただの荒れ地となってしまいました。<br /><br />風流な姿を取り戻すには、まだ少々時間がかかりそうです。

    すぐそばの旧北上川の浮島は「袖の渡り」と呼ばれる渡し場で、多数の和歌にも詠まれ、松尾芭蕉も訪れています。

    伝説によると、奥州への逃避行をとる源義経公が旧北上川を渡る際、自らの袖を切り取って船頭へ与えたことから、この名がつけられたとか。

    ただ義経公よりもずっと前の時代から歌枕として用いられているので、実際は後から作られた逸話と考えた方が正しいようです。

    どちらにしろ古くから石巻を訪れる人たちに愛されて来た「袖の渡り」ですが、朱塗りの唐橋は崩壊してしまい、植えられていた松は枯れ、ただの荒れ地となってしまいました。

    風流な姿を取り戻すには、まだ少々時間がかかりそうです。

    袖の渡り 名所・史跡

  • 次に北上川沿いに河口方面へと進み、釣石神社へと向かいます。<br /><br />自動案内が渡るように指示する橋が、そこに存在していないという現実。<br /><br />初めて訪れた者には、そこに暮らしていた人々の暮らしどころか、集落があったことすら見落としてしまいそうでした。<br /><br />かなり遠回りとなってしまいましたが、やっとのことで到着した釣石神社も、ふもとにあった社務所は流出してしまったらしく、コンテナを代用した仮社務所に神職の方が詰めていました。<br /><br />しかし、あれほどの強烈な揺れに襲われたにもかかわらず、釣石神社のシンボルである「釣石」は落ちませんでした。<br /><br />震災前の姿は知りませんが、恐らくほとんど形を変えることなく以前の姿を今も留めているのでしょう。<br /><br />この神が宿る磐座に対する今の日本人の気持ちは、恐らくこれを初めて発見した古代の日本人が感じたものとそう遠くはないのだと思います。

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    次に北上川沿いに河口方面へと進み、釣石神社へと向かいます。

    自動案内が渡るように指示する橋が、そこに存在していないという現実。

    初めて訪れた者には、そこに暮らしていた人々の暮らしどころか、集落があったことすら見落としてしまいそうでした。

    かなり遠回りとなってしまいましたが、やっとのことで到着した釣石神社も、ふもとにあった社務所は流出してしまったらしく、コンテナを代用した仮社務所に神職の方が詰めていました。

    しかし、あれほどの強烈な揺れに襲われたにもかかわらず、釣石神社のシンボルである「釣石」は落ちませんでした。

    震災前の姿は知りませんが、恐らくほとんど形を変えることなく以前の姿を今も留めているのでしょう。

    この神が宿る磐座に対する今の日本人の気持ちは、恐らくこれを初めて発見した古代の日本人が感じたものとそう遠くはないのだと思います。

    釣石神社 寺・神社・教会

  • 釣石神社の社殿はかなり長い石段を登った上にあります。<br /><br />家屋をも押し流してしまった大津波も、この石段を登って神様に助けを求めた人々までは呑みこむことが出来ませんでした。<br /><br />日本人がいる限り神を敬い祀り、神がいるかぎり日本人は守られ栄え続けます。<br /><br />パワースポットブームか何か知りませんが、与えられる一方の関係というものは長続きしないものだと気付く賢明な人が増えることを願うばかりです。

    釣石神社の社殿はかなり長い石段を登った上にあります。

    家屋をも押し流してしまった大津波も、この石段を登って神様に助けを求めた人々までは呑みこむことが出来ませんでした。

    日本人がいる限り神を敬い祀り、神がいるかぎり日本人は守られ栄え続けます。

    パワースポットブームか何か知りませんが、与えられる一方の関係というものは長続きしないものだと気付く賢明な人が増えることを願うばかりです。

  • そのまま南三陸町を目指します。<br /><br />私のような古い宮城県民にとっては、志津川と言った方がなじみやすく思われます。<br /><br />平野部に残っているのは、ごく少数の鉄筋構造の建物のみ。<br /><br />復旧が進み瓦礫のほとんどが撤去されると、そこに現れたのは文明から取り残されたかのような荒涼とした地面だけでした。<br /><br />むき出しの鉄筋だけが残った防災庁舎では、大津波が押し寄せる瞬間まで住民に避難を呼びかけた女性職員が、その尊い命を失っています。<br /><br />志津川の町内はまだ道路を自由に行き来することが出来ませんが、商店主の方たちが「南三陸さんさん商店街」で、仮設店舗による営業を再開し、多くの人でにぎわっていました。<br /><br />たまたま入ったそば屋「京極」の味がとても気に入り、商店街では復興を願った地酒や南三陸の新キャラクター「オクトパス君」の小物なども購入。<br /><br />再び立ち上がることを決意した人々の希望の灯が細ることのないよう、全国の国民が応援してくれることを祈っています。

    そのまま南三陸町を目指します。

    私のような古い宮城県民にとっては、志津川と言った方がなじみやすく思われます。

    平野部に残っているのは、ごく少数の鉄筋構造の建物のみ。

    復旧が進み瓦礫のほとんどが撤去されると、そこに現れたのは文明から取り残されたかのような荒涼とした地面だけでした。

    むき出しの鉄筋だけが残った防災庁舎では、大津波が押し寄せる瞬間まで住民に避難を呼びかけた女性職員が、その尊い命を失っています。

    志津川の町内はまだ道路を自由に行き来することが出来ませんが、商店主の方たちが「南三陸さんさん商店街」で、仮設店舗による営業を再開し、多くの人でにぎわっていました。

    たまたま入ったそば屋「京極」の味がとても気に入り、商店街では復興を願った地酒や南三陸の新キャラクター「オクトパス君」の小物なども購入。

    再び立ち上がることを決意した人々の希望の灯が細ることのないよう、全国の国民が応援してくれることを祈っています。

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