2013/01/07 - 2013/01/11
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onlyさん
2013/01/09
ウォーキング ベルリンの壁ウォーキングツアーに参加です。
公共機関を乗り回す術を獲得し、ベルリンを満喫する事ができた日です。
なので、写真多めになってしまいました。
そして、この日も雨。
詳細は「ドイツの歴史を学ぶ ベルリン4泊6日間 1日目」をご覧ください。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- ショッピング
- 3.5
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
- 利用旅行会社
- びゅうトラベルサービス
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-
本日はアンハルター バーンホフ駅からスタート!
この日も雨。しかも前日よりも強めです。
今日のツアーの集合場所は壁博物館というド定番のスポット。
最寄りはU6(地下鉄)コッホシュトラーセが最寄り。
ですが、イタリアでの地下鉄への不信感もあり徒歩で向かいます。 -
有名なチェック・ポイント・チャーリー。
事前にgoogle mapでルートを下調べの御陰で迷わず到着。
この写真では西側から東側へ向いて写真を取っています。
看板の言葉はドイツ語と英語で「ここから先は東ドイツ」だと注意しています。
顔写真は東ドイツの軍人さん。 -
こちらはポツダム広場側(東ドイツ側)から写真を取ったもの。
看板にはロシア語が含まれ同じ内容。
軍人さんは西ドイツ人ですね。
さて多くの悲劇が生まれたベルリンの壁なのですが
この様なチェックポイントが各地に散らばっていました。
そして、ここは観光客を乗せたバスや政府要人などが通っていました。
要は一般人はここを通る事はあまりなかったようです。 -
駐在所。
凄く浮いています。
上の写真を見て分かっていただけるかわかりませんが・・
2枚目に写る西側はドイツらしい昔の風景が残り
1枚目に写る東側は新しい建物や建造中の物が目立ちます。 -
東側に向けて歩いていると工事現場がありました。
その壁際にはこのように年表式に昔のベルリンの写真が貼られていました。
ガイドさん曰く、昔のチャーリーポイントを取ったものらしい。 -
街のそこらにはこのようにベルリンの壁の後がレリーフとレンガで示されていました。
壁は最初から存在していたわけではなく、東→西ドイツへの人的流出を避ける為に1961年に壁が徐々にできたそうです。
もちろん、事前の連絡は全くなく。
仕事に出たっきり家族と離れ離れに・・という事もあったそうです。 -
東西を分断した忌まわしい壁も素敵なアートに変身!
観光客が絶えず、足を止めていました。
このような明るいテイストで歴史を認識するのはどうなんだろう・・ -
1日目に見ることができなかったトラバント!!
この車はモデルチェンジを一切せずに東ドイツ建国以来製造され続けた車です。
しかし、製造されるものはほとんどが輸出品に割り当てられ
新婚夫婦が注文してからゆっくりお金を貯め、子供が独り立ちする頃に手に入る車という代物です。
普通はローンを組んで車を買うので、そういう意味ではしっかりと準備ができるトラバントに東ドイツの国民は不満を持っていなかったそうです。 -
東側は物資に乏しかったために材料に紙や木を使った車と言われますが、多くは強化プラスチックと鉄を使用していたので、普通の車の基準はしっかりクリアーしています。
ライトの下にある黒いスイッチを右左に動かす事でハイビームの切り替えを行なっていたそうです。さすがに凄くローテクすぎる。
今では味がある車という認識ですが・・・
1989年の壁崩壊後に流入してくる西側の車とこのトラバントは格差の差をありありと示す象徴となっています。 -
テロのトポグラフィー
ヒトラー統治時代にゲシュタポと親衛隊(SS)の本部があった場所にある博物館です。入館料は無料。是非行ってみてください。
この日は時間が無かったので三日目に訪問することにします。 -
この様にベルリンの街には当時の風景を見ることができるモニュメントがあります。
-
壁と監視棟があり、爆撃の影響を受けたままだった建物。
それが今は全てこの写真の様になっています。
意図的に形跡を残さない限り、何も残りません。 -
ポツダム広場へ到着です。
壁ができるまではベルリンで一番往来が激しかった交差点も分断によって
人の往来ができなくなりました。
さてここで問題!!
この写真に写っている一箇所が普通ではない風景です。
何がおかしいでしょうか? -
ポツダム広場にもこの様にモニュメントが置かれていました。
壁には大量のガムのゴミが付いています。
これもアートなのでしょうか? -
ポツダム広場からブランデンブルグ門へ移動中にあるモニュメントです。
ベルリンの壁は二枚の壁で構成され、その間には装甲車が往来できる位のスペースとライトや監視棟がありました。
ここを超えるという事がどれだけ決死の覚悟だったかがわかる写真です。 -
上の写真で見える森が前方に見えるティーアガルテン。
国王が狩猟を楽しんだ森だそうです。
目の前を当たり前に歩く人や車も20年前には行き来できなかったんですね。 -
ブランデンブルグ門からUバンでベルリン中央駅へ
往来が多いため、写真は車内からチラッと。 -
U2に乗り換えベルナウアー駅へ。
ここは東西分断の時に地下鉄の駅ごと封鎖された歴史を持ちます。 -
このようなレンガの壁が二枚入口に施されていたそうです。
-
現代では写真の様に何もありません。
-
ここにも壁のモニュメントが残っています。
-
ベルリンの象徴であるブランデンブルグ門前の地下鉄の駅も封鎖から数十年使用されなかったそうです。
この日、分断後に新しく開通したブランデンブルグ門前から地下鉄に乗ることになります。 -
この写真は封鎖された地下鉄の駅を通過する車両を監視する兵隊さん。
地下鉄には東と西を往来しているものがあり、西側から東側の駅を通過する車両は停車をすることが許されませんでした。 -
ベルナウアー駅から程近いベルリンの壁記念センター
この周辺は壁と建物の距離が他の地域よりも近かったため、逃亡する人が非常に多かったスポットだそうです。
その分、成功や失敗もあり多くの事例がモニュメントになって残っています。 -
壁の周辺を監視する電灯を照らす配線が残っています。
-
これだけの数の人が逃亡に失敗し、亡くなったそうです。
壁が崩壊してからの算出なので、本当はどれほどかわかっていません。 -
このように落書きも無く、昔のまま綺麗に壁は保存されています。
地域はA・B・C・Dと分かれており、その区割りに従って説明文や写真が載ったガイドブックは無料でもらうことができます。
ドイツ語と英語(イギリス英語)しか無いのが残念な所・・・ -
本当に壁が出来始めたときはこのようにレンガで積まれていたそうです。
東側の軍人さんが作業員が逃亡しないか監視しています。 -
監視棟もしっかり残っています。
-
イチオシ
U2でハッケシャー駅前にあるCURRY 61へ。
フランクなおじさんが手早くウインナーを切り分けてくれました。
私が「おいしい」と連呼したら、モノマネの様に一緒に「オイシイ」と言っていました。 -
正直な感想は塩辛い。
大阪のソース文化の様な印象を受ける味でした。
マヨネーズやポテトなどを付け加えて食べることがあるそうです。 -
さて、ここからは単独行動です。
ハッケシャー駅からU2に乗り、テオドール・ホイス・プラッツ駅へ。
凄く広い通りに面した田舎街で、謎の聖火のモニュメントがありました。
ここにはザントマン人形を購入するため、rbbショップ(ベルリン・ブランデンブルク放送)へ来ました。
この日は本当にU2に乗り続ける日です。 -
イチオシ
先程のトラバント屋の女性店員に「ザントマン人形売ってませんか?」と聞くと
自分の従姉妹に持っている娘がいたからと、調べてくれました。
可愛いでしょ!
正式にはザントメンヒェン(Sandmännchen)
夜ふかしする子を寝かせる為に話された伝承に出てくる妖精です。
東側の教育番組であったザントマンは現在もrbbが版権を持ち、地道に放送を続けているそうです。 -
U2駅構内にはこんな看板が!!
正直、わかりにくい所にあったので、行かれる方は現地の方に聞いてみてください。
グッバイレーニンでは宇宙へ行ったザントマン
今も子供の教育番組としてベルリンの街に息づいているというのが、何か嬉しかったですね。 -
テオドール・ホイス・プラッツ駅からまたU2でグライスドライエック駅へ
正直あまり治安が良さそうに見えない街でしたが
博物館への看板がすぐに見つかりそそくさと移動しました。
最後の目玉、ドイツ技術博物館へ。
「ベルリン大空輸」の主役が博物館の上を飾っています。
展示は船、列車、飛行機、潜水艦、医療、農薬、映像、カメラ、金物鋳造
などがありました。 -
たぶん、ナチのお偉いさんが使ったであろう特別列車です。
なんか凄い違和感・・・ -
ホロコーストの運搬役もここに鎮座していました。
-
時間の経過も影響しているのでしょうが、こんな陳腐な車両に何時間も乗せられて収容所へ運ばれていたのだと考えると居た堪れないですね。
-
歴代の特急電車。
ヨーロッパといえは高速鉄道ですよね。
新幹線や他の国との高速競争を題材にした展示もありました。 -
私がここに来た本題登場!!
航空機コーナーです。
これは第一次世界大戦中に使用された飛行機。 -
この様にして談笑していたのでしょうか?
この様な軍人さんの武功を称えるコーナーはWW?コーナーが一番大きかったです。 -
そして、第二次世界対戦の名機達のコーナーへ
この写真はAr 96です。
これは第二次世界大戦時のドイツの高等練習機だそうです。
これ以降に出てくる戦闘機のほとんどは他国で保管されていたり、廃棄されていたモノを修復して飾っている様です。
最初メッサーシュミット Bf109だと思ってました。。。
ご指摘頂き、写真を確認した結果発覚しました
しょうちゃんさんありがとうございます。 -
載せきれないので、ここには名前だけ列挙します。
・メッサーシュミット Me163のエンジン HWK 109-509
・Hs 117ミサイル
・V1飛行爆弾
・Rhein tochter R1
・ハインケルHe162
・Bü 181練習機
・8.8 cm砲
・Ju 88(夜間偵察機)
・アブロ ランカスター(イギリス空軍)
・MiG15
・F86
この他に民間航空機もたくさんありました。
何時間居ても飽きない自信がありますww -
これはメッサーシュミット Bf 110F
WW?を代表する戦闘爆撃機ですね。
ナチスドイツ空軍の中で高火力と航行距離を備えた機体です。
赤いダックスフントが赤の飛行機を噛んでいるのが皮肉です。 -
これはユンカース Ju 87
ドイツ空軍が大好きな急降下爆撃機です。
劣化が激しいものの、無骨な装甲と逆ガル主翼がはっきりとわかります。
そして、あの戦車撃破王ハンス・ウルリッヒ・ルーデル様の愛機です。
いつか完璧な状態のJu 87を拝みたいなぁ -
メッサーシュミット Bf 109-standard(掲示より転記)
http://plane-crazy.purplecloud.net/Aircraft/WW2-Planes/Me109/messerschmitt_bf_109.htm
ナチスドイツ空軍の主力戦闘機。
一撃離脱の戦法に特化して開発され、生産数は戦闘機史上最多です。
ハーケンクロイツ(鉤十字)がしっかりとマスキングされており、妙にリアルでしょ? -
メジャーなメッサーシュミット Bf 109EとBf 110Fの展示にはこのような電子パネルがあり、当時パイロットをやっていた人のお話や機体の特徴が見れます。
表記はもちろん英語とドイツ語・・・なんとなくは内容わかったけど
帰ってからwiki見たほうが早い気がする。 -
満足して帰ろうとした所・・・
説明書にV2の字を見つけたので引き返しぐるぐる探し回り、やっと出会えたV2ロケット。
このような岩塩坑跡で作られていたようですね。
こちらはアポロ計画まで話が繋がるくらいに重要な発明だった様です。 -
このようにありありと内部構造が見れます。
170センチの僕が二人以上入るデカさ。
近代の航空や宇宙技術のルーツはナチスドイツの兵器から生まれているというのは有名ですが、それだけの技術と知恵がある国が戦争に負けるというのは皮肉としか思えません。 -
イチオシ
雑談
1月のヨーロッパは日本や中国のように正月が無いので、このようにどこかクリスマスの余韻を残している感じでした。
思わず買ってしまいそうな綺麗な花々は日本で見かける物よりも、地味に見えます(褒めてる)。日本で良く見かける派手な花はあまり好きになれません。
この日は東西分断の歴史を学びながら、好きな戦闘機やザントマンに触れられた日になりました。ヨーロッパらしい風景を見て回るのも良いですが、歴史に触れる事で心底ドイツが好きになれたと思います。
この日からもう一度ドイツに来たいなぁと感じ始めていました。
さて、三日目は二日目に見そこねたポツダム広場を中心に博物館巡りをします。
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