2013/01/18 - 2013/01/18
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前回見損なった「真間の井」を見に行きました。手児奈霊神堂の北側にある亀井院の中にあります。昔、真間の手児奈が水を汲んだという伝説が残されています。
この辺りは海に近かったので、井戸水も塩分が強かったのですが、この真間の井は国府台真間山の台地の真下にあるためにいつも清水がわき出て、水を汲む村人の後が絶えませんでした。手児奈もその一人でした。麻布をまとい裸足でしたが、満月のような顔立ち、花のような笑みを浮かべる美人でした。多くの男性に恋われましたが、悩んだ末に真間の浦に身を投じてしまいました。真間の手児奈霊神堂に祀られています。
市川駅の北口を出て、まっすぐ北に歩き15分ほどで着きます。途中、千葉街道と京成電車の踏切を横切り、手児奈橋で真間川を渡ります。
その日は、少し脇道にはずれて、京成真間駅構内にあるという鏡石を見ました。鏡石は、かつて国府台から国分寺への道を行く、平川にかかる石橋のそばにありました。石のくぼみにたまった水が鏡のようだったので、鏡石と名づけられたとのことです。女性の性器を型どったものと考えられていて、田植えや稲刈りの時期には、村民ここに集まり豊作祈願と収穫感謝の行事をしたそうです。鏡石は、要石、夫婦石とも呼ばれ、「江戸名所図会」にも書かれた名所でした。
真間の井から真間山の坂を上り、持国坂を下り、道なりに行き、真間と国分の境の角にある理髪店を左に曲がると平川の石橋跡に着きます。今は暗渠になっていて、跡形もありません。持国坂からのこの道は、国府と国分寺を結ぶ古代の道でした。
更にまっすぐ、ショッピング・フジキの先にある石堂坂を登り切って、国分寺に着きました。正面に朱塗りの天平様式の仁王門が見えます。創建当時は、七重塔がそびえ、金堂、講堂などがある大伽藍でした。
市川駅―亀井院―持国坂―平川石橋跡―石堂坂―国分寺 約2キロの道のりでした。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
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市川駅から先ずは京成真間駅に。ここに鏡石があるはずです。
「弘法寺(ぐほうじ)より国分寺へ行く方の田畔、石橋の際の水中にあり。この石根地中に入る事その際をしらず。故に一に要石とも号くといへり。(土人、この石橋は国府台にある所の石棺の蓋なる由云ひ伝ふ。)
按ずるに、国分寺古伽藍の石材なるべし。」(「江戸名所図会」本文)
「鏡石 真間の弘法寺より国分寺へ行方の田畔石橋の傍に溝の中にあり 土人云 此石根地中に入事其際を志らす 依要石とも号くるとなり」(江戸名所図会」挿絵)
「鏡石、国分寺より南約四町許に小字石橋あり。昔時は里見氏廟所の棺の蓋なりしが、何時の頃からか石橋として架せりと伝ふ。
夫婦石、鏡石の西北凡そ二間、民有水田中にあり、石を掘り出さば血雨を降らすと伝ふ。」(「東葛飾郡誌」国分村誌)
このように鏡石、要石、夫婦石、石橋とキャストが多く、少し分りにくいですが、
市川市教育委員会などの整理を基にすると、男女性器をかたどった石を夫婦石と云い、豊作祈願のために平川石橋のたもとに祀りました。昔は村人が集まって、田植えや稲刈りの時期には豊作や収穫感謝の祭をしたそうです。鏡石は夫婦石の片割れ(女性の石)です。地中深く入った石が男性の方でしょうか。石を動かしてはいけないので要石と言われているとのことです。夫婦の間柄は不動であるべしという意味もあるのでしょう。
豊穣(生産)と子孫繁栄は、昔も今も変わらない人類の願いです。結婚し子どもができ、家族が繁栄することは人生最大の祝福事でした。そんなことを考えると、うら若き身で入水した手児奈が一層哀れに思われます。 -
鏡石が京成真間駅構内にあると聞いたので、見に行きました。駅員さんに聞いたら、改札を入って探していいよと云うので、失礼して、ホームを探しました。なかなか見つからず、やっと上りホームの南側にあるのを見つけました。今週降った大雪が石を隠して気がつかなかったようです。
雪に覆われて石が少ししか見えません。残念です。
駅員さんに在りましたとお礼を言ってご報告。向こうもにっこり。駅員さんも親切です。 -
雪が解けた頃にあらためて写真を撮りに行きました。想像通り、くぼみに水が溜まり鏡のようです。
実は、この夫婦石は、平川が暗渠になった後にあちこちと転々として、弘法寺下の石屋さんに、また鏡石の方が京成真間駅構内にありましたが、高架工事の際に行方知れずになってしまいました。現在の鏡石は二世だそうです。 -
京成真間駅構内の鏡石の説明板に書かれた「江戸名所図会」の鏡石と平川に架かる石橋の絵です。
石橋は、国府台の明戸古墳の石棺の蓋との言い伝えがあります。確かに平なので石棺の蓋にぴったりです。(「江戸名所図会」、「東葛飾郡誌」)
「江戸名所図会」で「国分寺古伽藍の石材なるべし」といっているのは、鏡石のことでしょうか。そういえば、大きさと形が寺院の柱の礎石に似ています。 -
京成真間駅を出で北に。本屋のショーウィンドーを見ると真間の郷土本が並んでいました。歴史研究家・千野原靖方著「手児奈伝説」と亀井院住職・西川智泰著「真間の里」の二冊を買っちゃいました。この手の地方出版物は大手の本屋でもなかなか手に入らないレア本です。店内に「まちかど博物館 真間山かいわい見て歩記」というイラストマップがあり、これも買ってしまいました。この地図は非常に役立ちました。
買いながら、店主と市川の話を。
「市川は松が多いですが昔はもっと松が多かったそうですね。」
「この辺は昔砂州だったので、砂地のため松しか育たないのですよ。」
「市川は歴史が残っていていいところですね。さっき京成真間駅で鏡石を見てきました。平川の石橋にあったのでこれから見に行きます。」
「そこは今は暗渠になっていて何もありませんよ。昭和40年代に市川も随分変わりました。特に東京オリンピックからは。子どもの頃は江戸川の岸部は葦が生えていて、カニをとって遊んだものです。それにかつては料亭が多かったです。国府台に連隊があったので、軍人のために料亭が多かったのでしょう。近くに陸軍中将が住んでました。」
そういえば、来るときに千葉街道沿いにも料亭らしき建物があったな。御主人、お話ありがとうございます。 -
本屋を出るとすぐ近くに料亭らしき建物がありました。でも名前からすると開業はそう昔ではなさそう。
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こちらは正真正銘の料亭「栃木家」。ネット情報では創業明治17年とか。千葉街道沿いにあります。ランチもやってるみたい。黒塀に平日昼食時の「料亭のお弁当、うな膳、○○○円」という張り紙がありました。
栃木家 グルメ・レストラン
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真間川に出て橋を渡ったら川沿いを歩きました。左の森は浮島弁天という神社。この先に架かる手児奈橋のたもと、真間小学校の角を右に曲がりました。
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手児奈橋から手児奈霊神堂はすぐ。真間稲荷の鳥居を潜り境内に。稲荷社のとなりに手児奈霊神堂があります。
手児奈霊神堂―真間の手児奈の奥津城ところ by traveldogさん手児奈霊神堂 寺・神社・教会
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手児奈霊神堂です。
昔、真間に手児奈と云う乙女がいました。
麻衣を身にまとい、髪も梳らず、履もはかないが、
望月のような顔立ちに花のような笑みを浮かべて立つ手児奈の姿には、
錦綾を着て神に仕える斎子でさえ比べようもなかった。
そんな手児奈に、男たちは、夏虫が火に入るように、水門に多くの舟が入るように行き通った。
人間いくばくも生きられない、何をすることもできない身であると悟って、手児奈は波の音の騒ぐ湊に身を沈めてしまう。
二人の男に恋い慕われて自害してしまう話としては、桜児や菟原処女(うないのおとめ)の物語が万葉集にあります。
手児奈が水に潜らず、天に登ると竹取物語のかぐや姫になるな。手児奈霊神堂―真間の手児奈の奥津城ところ by traveldogさん手児奈霊神堂 寺・神社・教会
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御堂のとなりに、いかにも手児奈が身を投げたかのような池がありました。真間の入江の名残りでしょうか。
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真間の井がある亀井院です。鈴木院(れいぼくいん)とも云い、以前は瓶井院とも称しました。
元禄9年(1696)に檀家鈴木修理長頼が亡父を弔う際に、亀井院を修理したことから、戒名鈴木院に因み鈴木院と呼ばれたとのこと。
亀井院は、井戸から霊亀が現れたことによるとされ、また清水が瓶に満ちるように湧き出たため、瓶井院と云われたそうです。(『真間の里』)手児奈が水を汲んだという真間の井がある亀井院 by traveldogさん亀井院 寺・神社・教会
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鈴木修理長頼が亀井院修築記念に建造した「真間の井顕彰碑」です。
3つの顕彰碑(真間の井、継橋、真間の娘子の墓)があります。手児奈が水を汲んだという真間の井がある亀井院 by traveldogさん亀井院 寺・神社・教会
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鈴木修理長頼が建造した「真間の継橋顕彰碑」です。
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亀井院の本堂のわきに渡り廊下があり、その下にくぐり戸がありました。開いてましたが、それから先はプライベート空間のようで、足を踏み出すのがためらわれました。玄関の呼び鈴を押して、真間の井を見たい由告げると、右にくぐり戸があるから入ってくださいとのこと。やっと入りました。
手児奈が水を汲んだという真間の井がある亀井院 by traveldogさん亀井院 寺・神社・教会
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戸を潜ると庭があり、その奥に手児奈も使ったという真間の井がありました。
勝鹿の真間の井見れば立ち平し水汲ましけむ手兒名し思ほゆ(高橋虫麻呂)
今でこそお寺の奥深くにありますが、昔は自由空間の公共広場だったのでしょう。長屋のおかみさんたちが集まる井戸端会議のような場所です。ここも女性たちの社交場だったはずです。
色々なところで井戸を見てきたが、佃島や本郷菊坂のくみ上げポンプ井戸など多くは家の前の通路際にありました。だれでも使えるオープンな場所でした。
そう云えば、
もののふの八十乙女らが汲み乱ふ寺井の上の堅香子(かたかご)の花
という大伴家持の歌があります。 -
真間の井の亀井院を後にして、持国坂から国分寺を目指しました。
真間山弘法寺の右手の坂を上ると持国坂の上に出ます。
坂の途中に「急傾斜地崩壊危険区域」という千葉県の標識がありました。 -
持国坂上に「文化5辰年5月吉日」の道しるべがありました。
国分寺へ5町(約545m)とあります。実際ここからはそんなものです。正確です。右側には、総寧寺と六所大明神が記され、左側は真間山、市川、八わた?と記されています。
六所大明神(六所神社)の下に「二」とあり、その下が基礎固めしたコンクリートに隠れて残念ながら見えません。2町なら約218mで、現在スポーツセンター内にある下総総社(六所神社)跡碑の辺りです。文化年間には明らかに六所神社は国府台にありました。
この道しるべは、国府や六所神社のあった場所を知るために大切です。でも字がコンクリートに隠れているなんて・・・ -
ここからは持国坂を下ります。正面の下り坂が持国坂です。
持国坂の云われは、かつて国分寺の持国天を祀った御堂があったからとも、また、国府から国分寺への使者がここで時刻を待ったからだともいう。
国府から国分寺に至る古代の道です。万葉人の足音が聞こえてきそうです。国分寺 寺・神社・教会
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持国坂をまっすぐ下ると、右手に理髪店があり、ここを左に曲がると国分寺方面です。
このあたりが真間と国分の境になります。右に曲がると須和田公園の方に行きます。国分寺 寺・神社・教会
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ここが昭和30年代ころまで平川という川が流れ、石橋が架かっていた場所です。暗渠になっていて知らなければ通り過ぎてしまいます。
前後の道が平川で、左右の道が持国坂から右に国分寺に行く道です。
ここに石橋があり、鏡石がありました。鏡石は女性を表す石で男性の石を合わせて夫婦石と称しました。昔はここに田植えや稲刈りの時期に村人が集まって、豊作や収穫感謝の祭をしたそうです。
この石橋は、国府台の明戸古墳の二基ある石棺のうちの一つの蓋と伝えられています。どこに行ってしまったのでしょうか。 -
上の写真が国府台にある明戸古墳の石棺2基です。蓋がありません。
下の写真が国府台にある夜泣き石です。この台座の石が一方の石棺の蓋とのことです(現地案内板、市川市教育委員会)。
平川の石橋が残っていれば二つそろうのになあ。国府台駅 駅
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正面の高台を登ると国分寺です。
右にショッピング・フジキというスーパーがありました。
フジキという名に引っ掛かるものがありました。
かつて国分の名主には、石橋、藤城、栗山の三家がいましたが、そのうちの藤城が「ふじしろ」と読みます。
みかんを安く売っていたので、買いがてらレジの人に、フジキはどういう漢字を使うのか聞きました。すると字は「藤城」とのことで、名主だった藤城さんが経営を始めたので、フジキとつけたとのこと。
何でも聞いてみるものと痛感しました。国分寺 寺・神社・教会
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国分寺に出る石堂坂という坂を上ります。左に仙元宮という小さい祠があり、猫がいて、こちらを向いてニャーと鳴いていました。
国分寺 寺・神社・教会
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国分山国分寺の仁王門です。真言宗豊山派の寺院。戦後発掘の結果、金堂、七重塔、講堂を持つ、法隆寺様式の伽藍配置であることがわかりました。
近くには国分尼寺跡も公園として整備されています。
国分寺の傍には農家が数件残っており、宝珠院、経王寺などの寺院もあって、高度経済成長以前のこんもりした屋敷林に囲まれた農村の面影が残っています。
しかし、国分寺から東の御堂坂を下った辺りは、新しい住宅が開発され、外環道の高速道路が工事中でかなり変わりつつあります。国分の原風景が消えてなくなるのも時間の問題のようです。国分寺 寺・神社・教会
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変わりつつある市川国分(国分2-24) 御堂坂の上から。御堂坂は、見通し坂とも云うそうです。地名はごろ合わせのように変化して面白いです。
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変わりつつある市川国分(国分5-2) 御堂坂の下から見上げる。坂の下では、外環道の工事中でした。これからは随分と騒々しくなりそうです。
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最後に京成真間駅近くの地蔵山墓地の松林です。
東京近くの町とは思えない圧巻の松林です。
このような万葉の真間の入江を偲ばせる風景が何時までも残っていてくれたらと願わずにはいられません。
(おしまい)
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