2013/01/20 - 2013/01/20
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Kオジサンさん
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名古屋からバスで向かい、5回で浜名湖を一周するバスツアーに参加して、11年11月から12年3月にかけて浜名湖の湖岸を歩きました。
短い距離の時は11キロ。ロングコースの時は15.4キロもありました。
もっぱら湖岸を歩くだけでして、沿線の旧跡に寄ることはありませんでした。時間の制約が有り、彼方此方を見学することは無理でしたので、改めて出かけ、じっくりと見て回りました。
ぐるり浜名湖一周ウオーク ② 「みかん街道を歩く」
http://blog.goo.ne.jp/nkataoka1948/d/20111223
ぐるり浜名湖一周ウオーク③ 「天浜線沿線を歩く」
http://blog.goo.ne.jp/nkataoka1948/d/20120122
天竜浜名湖鉄道佐久米駅
最初に訪ねた場所が佐久米駅です。
ここへは冬になるとユリカモメが訪れます。そんなユリカモメを目当てに観光客が訪れています。
天浜線の列車は1時間に1本しか有りませんので、駅を利用する乗客は少ないのですが、ユリカモメを見に駅へ訪れる人は多くいました。
私たちが訪ねた時は10人ほど人が来ていました。
この佐久米駅に来ると、ユリカモメを見れる事が定着してきたのでしよう。
天浜線の列車はこの駅で、2~3分臨時に長く停車する列車があるようです。
最後に
新居はかつては新居町でしたが湖西市に合併しました。
浜名湖を取り巻く自治体は浜松市と湖西市だけになりました。
これも時の流れなのでしょう。
ウォーキングの時に見る事が出来なかった場所を見て回る事が出来ました。
色々の場所を眺めてみて、当時を思う事が面白いです。
- 交通手段
- 自家用車
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天龍浜名湖鉄道の佐久米駅です。
天龍浜名湖鉄道。天浜線の駅はほとんどが無人駅となっています。
この駅は「かとれあ」と言う喫茶店ですが、そば屋やパン屋の駅も有ります。
知波田駅は歯科医院の駅となっています。
天浜線の駅舎は古く、どの駅もレトロで映画のロケに使えそうな雰囲気を持っています。 -
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線路にパンくずが散乱していました。
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佐久米駅のブラツトホーム。
ユリカモメが飛んでいますが、みんなのいるところへ中々寄って来ません。
腹が膨れているのか、人を怖がっているのか。
線路上にはパンくずが散乱していました。
おばあさんは、「餌を投げるからイカンのや」と言っていました。 -
群れで飛ぶユリカモメ。
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手を差し伸べユリカモメを誘いますが、中々食べに飛んで来てくれません。
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佐久米駅では、浜松から自転車で走って来たしと言う、初老の男性と言葉を交わしました。
浜名湖を大きく回り、80キロ走るのだそうです。
男性は駅のトイレで用を済ませ、颯爽と走っていきました。 -
奥浜名の猪鼻湖です。
強風で波立っていました。 -
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五味八珍
お昼に近い時間になりましたので、国道301号線沿いの五味八珍湖西店に入りました。
注文したのは旬の色々コース。2人前で1,869円で、これに浜松餃子を追加しました。
http://www.gomihattin.co.jp/menu/course.html#select01
五味八珍へ入ります。 -
上の左と右はコースに付いているサラダとギョーザです。
中の左はエビチリです。一品料理で、野菜炒め。唐揚げ。エビチリの内、一品選べましたので、エビチリを注文しました。
中の右はホイコーロー炒飯です。炒飯は五目炒飯とホイコーロー炒飯を選ぶ事が出来ましたので、ホイコーロー炒飯を頼みました。
ラーメンは醤油。豚骨。味噌を選べました。
カミさんが醤油ラーメン。私は味噌ラーメンを選びました。 -
豊田佐吉記念館の駐車場です。
豊田佐吉記念館
今日のトヨタの祖である豊田佐吉記念館を訪ねました。
古く大きな旧家があり、その横には展示室があって佐吉翁が若かった頃に織機を発明し、飛躍させていった過程が解説してありました。
入館者名簿が備え付けられ、トヨタ関係者の名がありました。新入社員の研修に訪れたのでしょう。
母屋の裏側は小高い山になっていて,センリョウやマンリョウなどの季節の木々が植えられていました。
一番高い場所は展望台となっていて浜名湖を臨む事が出来ました。
晴れていたら遠くに富士山が見えるようです。
休憩室には木製織機が備え付けてあり、体験操作が出来ました。カミさんは機織り機を操作してみました。
佐吉翁は母親が機織り繰っている姿を見ていたのですが、時間をかけ苦労して機織りをしても成果につながらない。
そのような母を見てみて、少しでも楽をさせてあげたいとの思いから、発明に取り組んだのだと思います。
佐吉翁の父親は大工で、大工仕事を手伝っていましたのですから、木製織機を発明するのは難しいことではなかったのでしょう。
その木製織機から改良を続け、飛躍的に発展させました。 -
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展示館の内部には、佐吉翁が発明を重ねた機種の解説がありました。
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裏の山の頂上からは浜名湖が一望でき、視界が良ければ富士山が見えたことでしょう。
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小山から降りて来て、生家を見学しました。
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生家の中に機で織る女性像が置かれ、佐吉とその母の姿がありました。
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休憩室では、女性に機織機の使い方を教えて貰いました。
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シャトルが右へ、左へ。
機織機の構造がわかります。 -
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新井関所。
これから関所を見学します。
新居関所
浜名湖ウォークで寄ってみたかった場所です。
江戸時代の入り鉄砲。出女を取り締まる関所です。この関所の場所は、かつては湖の岸辺となっていましたが、東側は埋め立てられ、湖に接していたことが想像できません。
関所の東部分に船着場を設けて、当時の姿を再現していました。関所を通して貰い、船で舞阪へ渡ったのです。
関所の建物の南東に大きな松の木があります。この松の木は街道を往来する人々を見下ろしてきました。
もしかしたら、清水の次郎長や森の石松の姿を見たかもしれません。
関所の横に資料館がありました。
館内の記録資料の中に、こんなものがありました。
安房の国(今の千葉県)の男が中間(チュウゲン)として使えていて、長崎から女と一緒に故郷へ戻る時、湖の北部で捉えられて牢にに入れられしまい、獄死しました。
遺骸を塩漬けにして運び、磔にしたと有りました。女が関所手形を持っていなかったことから関所破りをしたのでしょう。
幕府は磔にして、関所破りの見せしめとしたのです。磔になった男は百舌鳥の早ニエのように晒されたのでしょう。
塩漬けにして運んだのは樽でしょう。
死臭が漂う。そしてカラスが突っつく。骨になるまで、長期間遺骸が晒された。そんな残酷な場面が想像できます。
将軍家茂
将軍家茂が文久3年2月に上洛しました。江戸から京へ22日かけて上ったのです。
2月25日に浜松〜吉田。26日に吉田〜岡崎。27日に岡崎から熱田へ行列が通過しました。
その時の費用を今の金額に換算すると750億円となると説明がありました。
何千人と言う家臣がお供で歩いたのですが、莫大な金が使われました。
徳川の威信を高めるために行われた上洛ですが、その結果、幕府の崩壊が早まったのかも知れません。
新居関所資料館には江戸時代の旅の資料が多く有り、時間をかけて見ると面白いです。 -
関所の内部にはマネキン人形を使って、当時を再現していました。
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三体のマネキンの前に座り込んでみました。
人形なのですが、三体から睨まれている。
そんな気がしました。
当時なら、下のお白州でお調べを受けたわけです。
このような状態でも緊張してしまうのですから、当時、吟味を受けるとなると相当な物が有ったのでしょう。 -
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関所の東南に大きな松が残っていました。
松の向こう側が関所の資料を展示している資料館です。 -
旅籠紀伊国屋
新居関所の前に旅籠紀伊国屋がありました。
江戸時代、東海道を旅した人達が泊まった旅籠です。
昭和の頃までは、実際に客を泊めて営業していました。
風呂場の一角に風呂桶があり、由美かおるさんが訪れた写真がありました。 -
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紀伊国屋の説明板。
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紀伊国屋の室内。
かつては多くの旅客がここに寝泊りしました。 -
水きんくつがありました。
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由美かおるさんの写真とサイン。
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由美かおるさんと言うと、水戸黄門で入浴シーンが話題となります。
テレビの入浴シーンは京都の太秦撮影所で撮影された物ですが、つい、お風呂と言うと彼女のイメージ結び付けてしまいます。 -
紀伊国屋の南側に芸妓置屋だった小松楼があります。
紀伊国屋のご主人が小松楼へ案内してくれました。 -
小松楼は芸妓置屋として栄え、多くの客で賑わいました。
建物は残っていて、住民、観光客とのふれあいの場や機会を造り出す「小松楼まちづくり交流館」となっています。 -
新居まちネットのパンフレット。
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まちづくり交流館を紹介する新聞記事。
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往時をしのばせる写真の数々。
三味線も有り、太鼓の音とで、賑わったことだろう。 -
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小松楼のガラス。
解説してくれた人は、これを割ってしまったら、もう、代わりの品がありません。と話していました。 -
角火鉢。
「お富さん」出て来るような物でした。 -
襖の下張り。
かけ帳が襖の下張りに使われていました。
田中助市と言う人が遊びに来て散財しました。
説明では、住所は必要が無く名だけで、何処のどの人かわかるのだそうです。
漁師で、乗組員を連れて遊びに来た時のものだそうです。
拾六円となっていますが、今のお金に直すと、相当な物でしょう。
船の上で苦労し、一晩でバット散在したのでしょう。 -
小松楼の客。旦那衆が各地に遊びに行った時の土産だそうです。
北は日光から南は吸収までの土産が揃っているそうです。 -
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この後、「まんじゅうや」へ寄って菓子を買い求めました。
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新居は手筒花火の盛んなところです。
手筒と言う最中を買いました。 -
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新居の街中を東海道が通っており、至る場所に史跡があります。
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