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<北の町アルハンゲリスクのメゼーニ絵柄><br /><br /> 9月にアルハンゲリスク(Архангельск)に行ってきました。<br /><br /> アルハンゲリスクはロシアのヨーロッパ部に属しているので、そんなに遠くないイメージですが、モスクワから1200キロ以上離れているので、なかなか頻繁には行けません。列車で24時間、飛行機だと約2時間かかります。

まちを歩いてみれば(4)

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2012/09/25 - 2012/09/25

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JIC旅行センター

JIC旅行センターさん

<北の町アルハンゲリスクのメゼーニ絵柄>

 9月にアルハンゲリスク(Архангельск)に行ってきました。

 アルハンゲリスクはロシアのヨーロッパ部に属しているので、そんなに遠くないイメージですが、モスクワから1200キロ以上離れているので、なかなか頻繁には行けません。列車で24時間、飛行機だと約2時間かかります。

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  • ■対ヨーロッパ貿易の港町として繁栄<br /><br /> 町の名前は、昔この地に作られたミハイル大天使修道院にちなんでいます。ロシア語で、大天使はархангел(アルハンゲル)と言います。1553年にイギリスのエドワード6世は、インドへの北回り航路を探そうとして、3隻の船を北極海に送りました。そのうちの一つの船が、白海のセーベルナヤ・ドビナ川の河口に着きました。思いがけずインドではなくロシアに到着したことがわかり、船長はロシア皇帝と面会しました。当時のイワン雷帝は喜んでイギリスと貿易関係を結び、セーベルナヤ・ドビナ川の河口に新しい町を作るように命じました。<br /><br /> そのころ、バルト海の海岸はスウェーデン領で、黒海海岸はトルコ領でした。ロシアは北の白海・バレンツ海経由でしか貿易できなかったため、17世紀にアルハンゲリスクは貿易の町として大いに栄えました。18世紀に入るとペテルブルグが創立され(1703年)、イギリスや西ヨーロッパとの貿易は、ペテルブルグからバルト海を経由するようになりました。そのためアルハンゲリスクの役割は減少しました。そうして、アルハンゲリスクをはじめとする北ロシアの諸都市は、ロシアの伝統文化の淵叢となっていきました。

    ■対ヨーロッパ貿易の港町として繁栄

     町の名前は、昔この地に作られたミハイル大天使修道院にちなんでいます。ロシア語で、大天使はархангел(アルハンゲル)と言います。1553年にイギリスのエドワード6世は、インドへの北回り航路を探そうとして、3隻の船を北極海に送りました。そのうちの一つの船が、白海のセーベルナヤ・ドビナ川の河口に着きました。思いがけずインドではなくロシアに到着したことがわかり、船長はロシア皇帝と面会しました。当時のイワン雷帝は喜んでイギリスと貿易関係を結び、セーベルナヤ・ドビナ川の河口に新しい町を作るように命じました。

     そのころ、バルト海の海岸はスウェーデン領で、黒海海岸はトルコ領でした。ロシアは北の白海・バレンツ海経由でしか貿易できなかったため、17世紀にアルハンゲリスクは貿易の町として大いに栄えました。18世紀に入るとペテルブルグが創立され(1703年)、イギリスや西ヨーロッパとの貿易は、ペテルブルグからバルト海を経由するようになりました。そのためアルハンゲリスクの役割は減少しました。そうして、アルハンゲリスクをはじめとする北ロシアの諸都市は、ロシアの伝統文化の淵叢となっていきました。

  • ■メゼーニ絵柄の民芸品<br /><br /> とくに、ロシア正教で異端とされた古儀式派の人々は、迫害を避けるためにロシア中心部から北の森林地帯に逃れて、独特な芸術文化の担い手となりました。アルハンゲリスクを訪れて、私がとくに印象を受けたのは、木の絵付けです。昔の農民は、食器や糸車など木製の生活道具によく絵を描いていました。<br /><br /> アルハンゲリスク州には10種類以上の伝統的な絵柄があります。一番有名なのはメゼーニの絵柄です。メゼーニ(Мезень)とは、アルハンゲリスク州を流れる川と、その川の畔にある町の名前です。絵柄の特徴は、星、十字架、菱形などの枠内に馬と鹿が黒と赤で描かれていることです。昔は、糸車はすべての農家が持っていましたし、結婚するときに糸車をプレゼントする習慣もあったので、絵柄は美しく洗練されていきました。もちろん、メゼーニの絵柄は食器などにもつけられました。<br /><br /> 現在は、誰も糸車を使わないので、メゼーニの絵付けは主にお土産用になっています。アルハンゲリスクでは、2カ所の工場でメゼーニ絵柄の民芸品が製造されています。古い絵柄の糸車は、郷土博物館で見ることができます。最近では、メゼーニ絵柄にヒントを得た現代的なデザインも多く見られるようになりました。メゼーニ絵柄をはじめとするアルハンゲリスクの芸術作品を是非、見に来てください。

    ■メゼーニ絵柄の民芸品

     とくに、ロシア正教で異端とされた古儀式派の人々は、迫害を避けるためにロシア中心部から北の森林地帯に逃れて、独特な芸術文化の担い手となりました。アルハンゲリスクを訪れて、私がとくに印象を受けたのは、木の絵付けです。昔の農民は、食器や糸車など木製の生活道具によく絵を描いていました。

     アルハンゲリスク州には10種類以上の伝統的な絵柄があります。一番有名なのはメゼーニの絵柄です。メゼーニ(Мезень)とは、アルハンゲリスク州を流れる川と、その川の畔にある町の名前です。絵柄の特徴は、星、十字架、菱形などの枠内に馬と鹿が黒と赤で描かれていることです。昔は、糸車はすべての農家が持っていましたし、結婚するときに糸車をプレゼントする習慣もあったので、絵柄は美しく洗練されていきました。もちろん、メゼーニの絵柄は食器などにもつけられました。

     現在は、誰も糸車を使わないので、メゼーニの絵付けは主にお土産用になっています。アルハンゲリスクでは、2カ所の工場でメゼーニ絵柄の民芸品が製造されています。古い絵柄の糸車は、郷土博物館で見ることができます。最近では、メゼーニ絵柄にヒントを得た現代的なデザインも多く見られるようになりました。メゼーニ絵柄をはじめとするアルハンゲリスクの芸術作品を是非、見に来てください。

  • <エストニア第二の都市、タルトゥの玩具博物館><br /><br /> エストニア第二の都市、タルトゥ(Tartu)を紹介します。<br /><br /> タルトゥは、エストニアの南東部、首都タリンから180キロくらいのところにあります。人口はわずか9万5000人。1030年にキエフ公国のヤロスラフ賢公が町を創立しました。最初の町の名前はユーリエフ(Юрьев)でした(ユーリはヤロスラフ公のロシア正教名)。<br /><br />■エストニアの歴史を刻む古都<br /><br /> 1223年にドイツ人がこの地に侵入し、町の名前はドルパート(Dorpat)に変えられました。このドイツ語の名前は、元々その辺りにあったエストニア人の村タルバトゥ(tarvas=牛)から来ています。 以来、この土地の支配者と国の名前は次々と変わりました。リヴォニア騎士団、ポーランド・リトアニア共和国、スウェーデン王国、ロシア帝国、エストニア、ソビエト連邦を経て、現在は1991年から独立したエストニア共和国の町になっています。<br /><br /> タルトゥで有名なのはタルトゥ大学です。スウェーデン王グスタフ2世により1632年に「アカデミア・グスタヴィアナ」として創立され、ウプサラ大学につぐ当時のスウェーデン第二の大学でした。ヨーロッパでも最も長い歴史を持つ大学の一つです。タリンと同じように、タルトゥには旧市街があり、役所の建物を中心に奇麗な歴史的建造物が並んでいます。快適な雰囲気のカフェも多いです。<br />

    <エストニア第二の都市、タルトゥの玩具博物館>

     エストニア第二の都市、タルトゥ(Tartu)を紹介します。

     タルトゥは、エストニアの南東部、首都タリンから180キロくらいのところにあります。人口はわずか9万5000人。1030年にキエフ公国のヤロスラフ賢公が町を創立しました。最初の町の名前はユーリエフ(Юрьев)でした(ユーリはヤロスラフ公のロシア正教名)。

    ■エストニアの歴史を刻む古都

     1223年にドイツ人がこの地に侵入し、町の名前はドルパート(Dorpat)に変えられました。このドイツ語の名前は、元々その辺りにあったエストニア人の村タルバトゥ(tarvas=牛)から来ています。 以来、この土地の支配者と国の名前は次々と変わりました。リヴォニア騎士団、ポーランド・リトアニア共和国、スウェーデン王国、ロシア帝国、エストニア、ソビエト連邦を経て、現在は1991年から独立したエストニア共和国の町になっています。

     タルトゥで有名なのはタルトゥ大学です。スウェーデン王グスタフ2世により1632年に「アカデミア・グスタヴィアナ」として創立され、ウプサラ大学につぐ当時のスウェーデン第二の大学でした。ヨーロッパでも最も長い歴史を持つ大学の一つです。タリンと同じように、タルトゥには旧市街があり、役所の建物を中心に奇麗な歴史的建造物が並んでいます。快適な雰囲気のカフェも多いです。

  • ■必見は玩具博物館<br /><br /> 中でも、タルトゥに行ったら絶対に訪問する価値があるのが、玩具博物館(Tartu M?・nguasjamuuseum)です。この博物館は、旧市街の古い木造の建物を使って、1994年に創立されました。エストニアのあらゆる歴史時代の玩具、フィン・ウゴル民族の伝統的な玩具、全世界の玩具が展示されています。常設展示の外に、アニメ展示室、遊戯室、工房があり、大人にも子供たちにも楽しく過ごせるようになっています。工房には、「気が利く玩具」、「自分の楽器」、「博物館オリエンテーション」、「魔法のテーブルクロス」など、子供たちの勉強に役立つコースがあります。<br /><br /> エストニアの有名人の幼い頃の顔写真と彼らが遊んだ玩具が展示されているコーナーもあります。 別館には劇場があり、いろいろなイベントが開催されています。もちろん、お土産屋さんもあります。<br /><br /> タルトゥへの行き方はいくつかあります。エストニアの首都のタリンからバスか電車でほぼ3時間、ロシアのプスコフからもバスで3時間ぐらいです。ペテルブルグからだと5時間、リガからは4時間かかります。

    ■必見は玩具博物館

     中でも、タルトゥに行ったら絶対に訪問する価値があるのが、玩具博物館(Tartu M?・nguasjamuuseum)です。この博物館は、旧市街の古い木造の建物を使って、1994年に創立されました。エストニアのあらゆる歴史時代の玩具、フィン・ウゴル民族の伝統的な玩具、全世界の玩具が展示されています。常設展示の外に、アニメ展示室、遊戯室、工房があり、大人にも子供たちにも楽しく過ごせるようになっています。工房には、「気が利く玩具」、「自分の楽器」、「博物館オリエンテーション」、「魔法のテーブルクロス」など、子供たちの勉強に役立つコースがあります。

     エストニアの有名人の幼い頃の顔写真と彼らが遊んだ玩具が展示されているコーナーもあります。 別館には劇場があり、いろいろなイベントが開催されています。もちろん、お土産屋さんもあります。

     タルトゥへの行き方はいくつかあります。エストニアの首都のタリンからバスか電車でほぼ3時間、ロシアのプスコフからもバスで3時間ぐらいです。ペテルブルグからだと5時間、リガからは4時間かかります。

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