2012/06/23 - 2012/06/23
407位(同エリア819件中)
滝山氏照さん
勝淵神社(かつぶちじんじや、東京都三鷹市新川)は織田信長の宿老で越前国北の庄で羽柴秀吉の攻撃を受け妻お市の方と共に自害した柴田勝家(しばたかついえ、1522-1583)の孫にあたる柴田勝重(しばたかつしげ、1579-1632)が祖父の勝家の兜を埋納した神社として知られています。
勝家はかつて日根野氏の娘を妻とし男子をもうけ長じて勝政(かつまさ、1557-1583)と言いますが賎ケ岳の戦いで戦死、勝政の遺児は母方の実家で育てられ成人となって勝重と呼ばれます。
時代は下り、柴田勝家の孫である勝重は慶長年間に於ける大坂冬の陣で徳川家康方旗本として軍功を挙げ、その功績により武蔵国仙川(現三鷹市新川あたり)を加増され勝重はこの地に陣屋を構え居館とします。やがて勝重は近隣の地に「遠祖」柴田勝家より北の庄自害時に与えた黄金の兜を以って祀り社号を「勝淵大明神」とします。
2022・01・18追記
境内掲示板には当該神社の由来について下記の通り記載されています。
「天正11年(1583)織田信長の重臣柴田勝家は賤ケ岳の戦いに敗れ北ノ庄城に於いて自刃したが、その折、孫の権六郎(3才)に愛用の兜を与え郎党を供に、上野国の外祖日根野高吉の元にのがす。権六郎16才にして元服、柴田三左衛門勝重と名乗る。
慶長4年(1599)徳川家康は勝重を召し出し、上野国群馬・碓氷両郡のうち2000石を与える。慶長5年(1600)勝重は関ケ原の戦いに初陣、更に慶長19年(1614)大阪冬の陣、翌年元和元年(1615)大坂夏の陣に従軍し、その戦功により武蔵国多摩郡上仙川村(現新川)・中仙川村(現中原)その他合わせて500石を加増される。
上仙川村に入村した勝重は村の中ほどの台地(現島屋敷)に陣屋を建て住居とし、それより北方の台地水神の森に社殿を建立し、その傍らに祖父勝家公より与えられた黄金の兜を鎮めて、神霊とし、社号を勝淵神社とした。
以来400年、当社は村の鎮守として村民の崇敬の念篤く代々の氏子会より護持されている。」
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 徒歩
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三鷹歴史・文化・自然地図
三鷹新川周辺地図により現在地がマ−クされています。 -
勝淵神社・紹介
写真にて勝淵神社が掲載されています。 -
勝淵神社
石柱で造られた寺社の境界が鮮やかです。 -
勝淵神社
石製の鳥居と石碑が控えています。 -
神社石碑
「勝淵神社」と刻された石碑が確認されます。 -
勝淵神社・由来
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勝淵神社(全景)
例大祭は毎年10月の第2日曜日(平成24年は10月14日)と決まっており、前日の宵宮は屋台が出て賑やかな境内に様変わりします。
例大祭の目玉は神輿巡行で地元住民と共に調布市住民も加わる大イベントになります。 -
勝淵神社・拝殿
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勝淵神社・兜塚(全景)
神社拝殿右奥に兜塚が在ります。
勝重が祖父から受領の兜を埋めたとする場所は時と共に不明となり、改めて地元有志により再興しています。 -
勝淵神社・兜塚(近景)
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兜塚再興石碑
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勝淵神社・境内
拝殿から境内を振返ります。
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