2012/06/23 - 2012/06/23
339位(同エリア842件中)
滝山氏照さん
京王電鉄仙川駅より徒歩約20分、大原山・春清寺(しゅんせいじ、東京都三鷹市新川)に織田信長の宿老で越前国北の庄の戦いで羽柴秀吉の攻撃を受け自刃した柴田勝家(しばた・かついえ、1522~1583)の孫である柴田勝重(しばた・かつしげ、1579~1632)の墓があります。
秀吉の攻撃を受け北の庄落城を前に、勝家はこの世の別れとし3歳になる孫に自らの兜を与え従者を付けて、母方の実家上野国日根野氏に生命を託します。
日根野氏により養育された孫は長じて元服し勝重と名乗り、慶長4年(1596)17歳で徳川家康に仕え、関が原の戦い並びに慶長20年(1615)大坂夏の陣にて戦功により加増を受け2千5百石余を以って武蔵国多摩郡上・中仙川2村(現調布市仙川町から三鷹市新川・中原にかけての一帯)を領有して当地に自らの館(仙川陣屋)を開きます。
寛永9年(1632)4月25日、勝重は52歳で死去し春清時に葬られます。
元禄11年(1698)勝重の孫勝門(かつかど、1643~1701)は更に加増されて3千5百石余を以って三河国額田郡に移され、当該陣屋は廃されます。
天明5年(1785)柴田勝家十世孫、柴田勝房(しばた・かつふさ、1752~?)が遠祖勝家の位牌を新たに作りこれを春清寺に奉安、その折勝房は勝家・勝政・勝重三代の事績をまとめた「柴田家先祖書」を作成し同寺に奉納しています。
内容の要旨としては下記の通りです。即ち
「織田信長に仕えた柴田勝家を遠祖とし彼の業績を記した後、孫勝重が大坂夏の陣の戦功によって仙川郷に知行され、当地に勝家の兜を祀りそれが勝淵神社である事。更に勝重が寛永9年死亡し春清寺に埋葬された事など柴田家の略歴が記されています。
更に天明5年秋に先祖勝家の位牌を新たに作り春清寺に奉安したがその理由を記録し位牌に添えるために当文書を作成した」とあります。
2022年7月27日追記
「三鷹市史」には次の如く説明されています。
『春清寺 大原山
慶長7年(1602)徳川の家臣青山百人組の大原文左衛門が創建した。開基は無徹玄心(寛永7年ー1630入寂)。柴田勝家の孫でこの地を知行した勝重以下三代の墓および寛政8年(1789)建立の柴田家々碑がある。』
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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