2012/10/19 - 2012/10/19
310位(同エリア1141件中)
くまゆさん
熊野古道を歩きたいと思って、いろいろ調べましたが、個人で歩くのはかなり大変そうだと分かりました。
ツアーを調べて、「高野山・熊野古道の旅ならお任せ下さい」という「トレックトラベル」を発見しました。
いろいろなツアーがありますが、今回は70代の姉も一緒なので、「ツアーレベル① 町中を普通に歩けるなら、山歩きの経験や体力に自信がなくてもOK」の中で選ぶことにして、「高野山と熊野古道を歩く 2泊3日」に決めました。
去年の春高野山に行った時、「町石道(ちょういしみち)」を見つけて、いつか歩いてみたいと思っていたんです。
トレックトラベル
http://www.trektravel.co.jp/ttour.htm
2泊3日で、5万円ぐらいなので安くはないですが、車で効率よく廻って下さるので、なかなか行けない高野山の麓にある世界遺産にも行くことができました。ここ本当に世界遺産? と信じられないほど人がいないのですが、それだけに静かで、いい雰囲気を味わえる素敵な神社です。
歩くのも、歩いて楽しい道を適度な距離だけ歩くので、とてもいい気分で充実感があります。
500段の階段もあり、「町中を普通に歩く」より、もう少し覚悟が要りますが、ハイキング好きの方には絶対お薦めのコースですよ!
旅程(→は、電車や車での移動 ⇒は、徒歩)
1日目:新大阪→日根野駅→慈尊院⇒丹生官省符神社→丹生都比売神社→花坂⇒(町石道1時間)⇒車道出合→高野大門→奥の院口⇒(1.5時間)⇒奥の院前→宿坊
2日目:宿→壇上伽藍⇒金剛峯寺→龍神→本宮→発心門王子⇒(熊野古道3時間)⇒熊野本宮大社⇒大斎原→川湯温泉
3日目:宿→熊野速玉大社→神倉神社→大門坂→那智大社・青岸渡寺→那智の滝→紀伊勝浦駅→新大阪
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- その他
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス JR特急 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
-
新大阪、9:32発のくろしお5号に乗って、日根野駅10:15着。
日根野駅でガイドの中野さんに会って、ツアー開始です。
今回は、北海道のTさん、千葉のSさんと私たち姉妹の、女性ばかり4人のツアーになりました。
姉は家族の病気で一度キャンセルしたのですが、急に行けることになり、旅行前日にキャンセルをキャンセル出来るかと中野さんにお電話したところ、快くOKして下さいました。
おかげで4人の旅は本当に楽しいものになり、トレックトラベルさんには感謝・感謝です。
日根野駅から写真のミニバンで1時間ほど走り、慈尊院に着きました。 -
慈尊院(じそんいん)は弘法大師が創建したものです。
大師が高野山を開いた時、参詣の要所にあたるこの場所に高野山の寺務所と宿舎を置きました。
弘法大師の母が高野山を一目見ようと来ましたが女人禁制になっているため入れず、ここに滞在して弥勒菩薩を信仰していました。大師は母に会うため、20数キロの山道をひと月に9度も通ったため、この辺を九度山と呼ぶようになったそうです。
母の死後、大師は弥勒菩薩と母の霊を祀るため廟堂を建設し、弥勒菩薩の別名「慈尊」から、慈尊院と呼ばれるようになったそうです。
(なんちゃって、知ったかぶりしてますが、これを書くために勉強しなおしたんです。事前勉強も少ししたんですけど、全然身についてなかった。)
本堂弥勒堂が世界遺産に登録されていて、高野山町石道の出発地でもあります。 -
門の正面に赤い塔があり、その左奥にある階段を登って、町石道が始まります。
このやたら目立つ塔が、慈尊院のwikipediaには一言も書いてありません。
「慈尊院と丹生都比売神社」というサイトには、これと同じ形の塔があり、
「多宝塔」は弘法大師によって建立されたと伝えられているが、現存の多宝塔は寛永年間(1624〜1643)に再建されたものといわれている。
と、こころなし自信無げな記述がありますが、その写真はこの派手な赤い塔とは全然違う色の塔になっています。
これは、謎です。このサイトは2009年のもののようなので、最近塗りなおしたんでしょうか。
と、謎を問いかけたところ、ももであさんから解答がありました
2012年7月に、400年ぶりに改築され、当時の色鮮やかな色彩によみがえらせたのだそうです。
有り難う、モモペディアさん! -
右が拝堂、左が本堂の弥勒堂
-
拝堂をのぞくと、たくさんの吊り灯籠が。
-
さらに中を覗くと、正面に窓があいていて、後ろにある弥勒堂が見えるようになっています。
高野山奥の院と同じように、前の建物を通して弥勒菩薩を拝むようです。
それだけ大切にしているということなのでしょう。 -
弥勒堂
本尊「弥勒菩薩」は、弘法大師の作と伝えられていましたが、大師の母の死後60年になる寛平4年(892年)の銘があるそうで、大師の母が信仰していた弥勒菩薩ではないことになるようです。
でも、厳重な秘仏とされてきたため、光背・台座も当初のままで、平安前期彫刻の基準作として重要なものであり、国宝に指定されています。
弥勒堂は、ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として登録されています。 -
平山郁夫さん筆。
-
敬虔な祈りの場所に、ぎょっとするものが並んでいます!
弘法大師の母が入滅して弥勒菩薩に化身したという信仰があり、慈尊院は女人高野と呼ばれるようになったのですが、そのため女性の信仰が篤く、女性の厄除けに「乳房型の絵馬」が奉納されているのだそうです。
「羽二重で丸く綿をくるみ、中央を乳首のように絞りあげたもので、大師の母公と弥勒菩薩を祀る霊廟に捧げて、安産、授乳、育児を願う乳房の民間信仰であった。」(有吉佐和子「紀ノ川」より)
なるほど、お乳が出る出ないは、昔は大問題だったでしょうからねぇ。
それにしても、「おっぱい絵馬」、一度見たら忘れられません。 -
この階段を登っていくと、いよいよ「高野山町石道」が始まります。
町石道は「ちょういしみち」と読みます。 重箱読みですね。(そう自分に言い聞かさないと、すぐ忘れちゃうので)
階段は119段! -
階段の途中に180番目、最後の「町石」があります。
町石:慈尊院から高野山までの参道の一町(約109m)毎に建てられていて、180本あります。当初は木製の卒塔婆だったそうですが、1265年から石造りに変えられました。高さ約3mで、150本は創建当時のままだそうです。(さすが、石は強い!!)
町石は道標ですが、卒塔婆でもあり、かつて参拝者は一町毎に手を合わせ祈りながら登山したそうです。
町石道は、まさに祈りの道なんですね。
私たちも、合掌してスタートしました。 -
ここで、驚くべき記事を発見したので、入れ替えます。
「高野山町石道」というサイトの「司馬遼太郎街道を行くー高野山みち」という記事があります。びっくりの内容ですので、ここに載せます。
* * * * *
http://choishimichi.com/choishimichi01.html
慈尊院からの町石道は、司馬遼太郎「街道を行く - 高野山みち」を読むと『いまはほとんど廃道になっているらしい』とあり、この記事が書かれたのは1976年6月5日、6日の取材が元になっているのですが、そうすると、30数年前はかなり荒れていたようで、しかも、『十年ばかり前、高野山大学の若い先生と学生十人ほどが、ところどころ密林のようになっているこの旧道を登ったことがあるという。もはや人の通えるような道ではないと言われる』と、当時の凄い様が想像されます。さらに『旧道への入口は、まだ入口であるというのに、雑木で鬱然とし、樹々の下に木下闇ができていた。その木下闇を背にして、大きな花崗岩の町石が建っている。』と、180町石の横から町石道に入るあたりからすでに廃道然としていたようです。さらには、『ほんの十年ばかり前までは道の廃れとともに多くの町石が谷底にころがったり、人知れずに傾いていたりしたが、最近、文化庁の肝煎で谷底にころがっているのを滑車をつかってひっぱりあげ、その何基かを自動車道路の路傍に移したりして、近頃は人目につくようになった。』とあって、いつ頃からか戦後しばらくの間は町石道が顧みられることのない時期があったことが窺い知れます。現在の柿畑の中の舗装路がいつ頃にそのようになったのかは分かりませんが、かつての町石道との雰囲気とはガラリと変わっているのに違いありません。しかし、歴史への想いは想いとして楽しんで、現在を生きる我々は在りしままの町石道を歩くことになります。
* * * * *
なんと、1976年には、この旧道は入口から荒れ果てて人の通える道ではなかったというのです! 町石も谷底に転がっていたりした!!
びっくり、びっくりです。
それをここまで整備した文化庁さん、有り難う!!
おかげで世界遺産にもなれたんです。
これからも守っていきましょう!!! -
後ろを振り返ると、こんな急な階段が!
ちょっとくらっときます。 -
階段の上には、丹生官省符神社、二の鳥居
丹生官省符神社(にうかんしょうふじんじゃ)
空海が創建した当時は「丹生高野明神社」と呼んだそうですが、いくつか変遷があった後、官省符(特権を持つ正式な荘園)の総社として、丹生官省符神社という名前になったそうです。
イマイチよく分からん。 -
丹生官省符神社、拝殿。
一見、地味ですが、 -
奥を覗くと、とても綺麗です。
「高野町石道登山口」
「丹生官省符神社」
「世界遺産」
札も主張しすぎず、いい味です。 -
千葉のSさん、30代とお若いのですが、神社が大好きだそうで、祈る姿からは敬虔オーラが発しています。
その祈る姿の美しさに、煩悩だらけのわが身を恥じつつ、「ごめんなさい」と謝りつつ、神社の奥にカメラを向けてしまいます。
ごめんなさい。
でも、奥が本当に綺麗なんです。。。 -
この犬は、何??
空海が真言密教の道場を作る場所を探していた時、一人の気高い猟師に出会い、高野という山上の霊地のあることを教えられました。猟師は従えていた白・黒2頭の犬を放ち、空海を高野山へと導きました。
この絵は、
「当神社御祭神”狩場明神”(高野御子大神 タカノミコノオオカミ)と”空海”(弘法大師)との出会いの図」
だそうです。
Wiki によると、昭和の終わりから平成の始めの頃、参詣者を道案内する白い野良犬がいたそうです。
慈尊院の鐘の音からゴンと呼ばれたこの犬は、毎朝慈尊院を発って、夕方に高野山大門まで道案内し夜には慈尊院に戻る毎日を送っていました。
毎日20km強の道のりを往復することは負担が大きく、平成4年にガイド犬を引退して、14年に亡くなりました。
慈尊院住職は「弘法大師案内犬の生まれ変わり」と親しまれたゴンの碑を大師の像の横に建てました。
ガイドを引退してから10年も生きたなんて、随分若くして引退したのね。 それだけお仕事がハードだったってこと? 頑張ったんだねぇ、ゴン。
見たかったなぁ、ゴンの碑、残念 -
同行の信心深い二人が御朱印帖に書いてもらっている間にぶらぶらしていると、売店の方が「向こうに高野山が見えますよ」と教えてくれました。
-
アップにすると、なるほど、あの山かという山が見えます。
でも、お店の方は「高野山という山はないんですけどね。」と笑います。
え、そうだっけ?? -
そういえば、Wikiにもそう書いてありました。
地名としての「高野山」とは、八葉の峰(今来峰・宝珠峰・鉢伏山・弁天岳・姑射山・転軸山・楊柳山・摩尼山)と呼ばれる峰々に囲まれた盆地状の平地の地域を指す(行政上の字名としての「高野山」もおおよそこれと同じ地域である)。8つの峰々に囲まれているその地形は『蓮の花が開いたような』と形容されており、仏教の聖地としては「八葉蓮台」という大変良い場所であるとされている。転軸山・楊柳山・摩尼山の三山を高野三山という。なお、高野山という名称の山は無い。
それで、慈尊院にあった図の意味が分かりました。
八つの峰=蓮の花びらに囲まれた真ん中に高野山の伽藍があり、左の蓮の葉の位置に慈尊院があるという意味だったんですね。
なるほど、なるほどと深く感銘しましたが、いつまで覚えていられることやら。。。 -
二つ目の町石は、慈尊院の駐車場の横に。
ここから左に歩いていきます。 11:50 -
町石道の案内図
-
ここまで5分。
ここは、トイレでしたっけ?
ここから、車に乗ったんでしょうか、それとも歩いた??
一か月前なのに、記憶が。。。
教えてください、Sさん、Tさん、中野さん!! -
17分後には、こんな写真が。。
-
27分後には、こんな写真があって、
-
丹生都比売神社に着いています! 12:14
世界遺産:丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)
(絶対読めないよね!)
鳥居の向こうに、太鼓橋 -
太鼓橋の上から振り返って
-
桟がつけてありますが、それでも滑りそうでちょっと怖い!
-
太鼓橋、横から (気に入ったので、しつこく)
橋脚は石造りになっているそうです。 -
太鼓橋の上から見た景色
-
楼門
室町時代中期の再建で、重要文化財 -
第一殿:丹生都比売大神 丹生明神 一切のものを守り育てる女神
第二殿:高野御子大神 狩場明神 人生の幸福への導きの神
第三殿:大食都比売大神 気比明神 食べ物を司る神
第四殿:市杵島比売大神 厳島明神 財運と芸能の神、弁天様
狩場明神は、弘法大師を高野山に導いた神ですね。
そのほかは、みんな女神さま! -
Sさんに遠慮しつつ、奥を覗きますが、あまり見えないようになっています。。。
-
屋根、可愛い♪
すみません、不謹慎で -
Sさん、Tさんが御朱印帖に記帳してもらっています。
それを待つ時間が、とてもいいです。
駆け足感がゆるまって、気持ちがゆったりします。
それにしても、人がいません。
ここ、世界遺産ですよねと聞きたくなるほど、観光客がいません。
素敵なところなんですが。。
それにしても、こんな場所を世界遺産に指定した、その人たちが凄いかも! -
花坂ドライブインで昼食
-
うどんと柿の葉寿司を食べたんですけど、焼きもちが有名みたいですね。 残念
でも、うどんも、柿の葉寿司も美味しかったですよ。 -
車で矢立茶屋へ。
またここから町石道を歩きます。
その前に、スタンプを。 -
実は、始めに「高野山町石道押印帳」をいただいて、スタンプを押してきていたんです。
慈尊院:丹生官省符神社・丹生都比売神社と押して、4番目の神田地蔵堂には今回は行かないので、ここは5番目の「矢立茶屋」
この後、高野山大伽藍と奥の院納経所で押して、今回は7分の6達成!
なんだか嬉しいです。 -
茶屋の左の道を行きます。
13:30 -
巨大クモの巣、発見!
-
第60番 町石
もう3分の2、来たんですね。 -
こんな道を進みます。
結構登りがきついです。 ぜーはー。。 -
こがね虫、発見!
-
55町石の先に立て札があります。
弘法大師が袈裟を掛けたといわれる「袈裟掛け石」
ここから高野山の清浄結界になるそうです。
この石の下をくぐると長生きするそうですが、 -
はっきり言って、無理です!
-
またコガネ虫、発見!
お金持ちになれるかなぁ?
そういう話じゃなかったっけ。。 -
55町石のそばに「押上石」があります。
弘法大師の母親が結界を乗り越え入山しようとした時、激しい雷雨が母親を襲い、親孝行の弘法大師はこの大盤石を押し上げ母親をかくまったといわれている。
うーん、やるなーお母さん! (そっちか!) -
痛んだ町石は新しいものに取り換えられるようです。
-
不思議なシダを発見しました。
裏表が反対になっているみたいで、葉脈が上から見えます。 -
左の手に持っているのが裏ですが、どうみてもそっちが表に見えますよね。
-
沢ガニ、発見!
偉そうに言っても、シダ以外は、発見したのは中野さんです。
さすがガイドさん! -
車道との出合いの場所に出ました。 14:30
約1時間の楽しいハイキングでした。 -
町石道、案内図
ここから車で10分、大門に向かいます。 -
大門、到着
-
町石道を歩いてくると、ここに出るようです。
-
-
大門側からみると、看板の左が町石道の出口です。
-
大門は前にたくさん写真を撮ったので、今回は撮り損ねた仁王さんの筋肉だけ。
やっぱりピンポン玉でした。
大門は元禄年間に再建されたもの、金剛力士像は元禄16年作で、どちらも重要文化財です。 念のため。 -
屋根裏、きれい!
-
大門そばの町石 6番目だそうです。
ここからさらに慈尊院からの町石は続いて、壇上伽藍に1番目の町石があり、ゴールです。
ところが、壇上伽藍にはもう一つ1番目の町石があり、奥の院の御廟まで36町石続きます。
姉はここから奥の院まで歩くのは嫌だなと思ったそうですが、車で連れて行ってくださり、ほっとしていました。
高齢者にやさしいツアーです!
(もっと歩きたいという方には、他のルートでレベル③までありますし、ガイドが同行しないサポートツアーもあります。プライベートプランもリーズナブルなお値段ですよ。ね、中野さん)
奥の院は、次回
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (8)
-
- oneonekukikoさん 2013/03/15 22:30:58
- 熊野古道か屋久島か
- くまゆさん
お久しぶりです。
相変らず慌ただしくしております。
5月下旬にトスカーナ地方とチロル地方へのの旅が決まり
(おでぶねこさんのトスカーナが消えて、トスカーナのガイドがなくなってしまいました)
「ルネッスサンスの巨匠たち」と「レオナルド・ダ・ヴィンチ」
を再び読み返して
フィレンツェ研究にいそしんでいることを報告に来ました。
くまゆさん推奨のエルベ島に行けるかなぁ。
そしたら、熊野古道発見!
いつかは行きたい「熊野古道」と「屋久島」
どちらも魅力的。
行くことが本決まりになったら
またお邪魔してたっぷり研究させてもらいますね。
でも、物忘れが進んでいる事実を突き付けられ
愕然としています。
なんと、屋久島の旅に書き込みしてたんですねー。
すっかり忘れてました。
でも、くまゆさんが屋久島いらしたことだけは
覚えてましたよ。
またお邪魔します。
oneonekukiko
- くまゆさん からの返信 2013/03/16 23:04:12
- RE: 熊野古道か屋久島か
- oneonekukikoさん
本当にお久しぶりです。
「ルネサンス〜」だけでなく、「ダ・ヴィンチ」も読んでくださっているとのこと、感謝・感謝です!!
5月にトスカーナとチロル地方ですか。
羨ましいです!
私は、娘が帰国したこともあり、海外とはご無沙汰していて、その分、国内旅行にいそしんでいます。
「熊野古道」、素敵ですよ! (でも、まだ途中…)
その後の「寸又峡」も、まだ途中…
今、中途半端を3つも抱えていて、我ながら嫌になります。
春休みには、完成させるぞ! (クロアチア以外は…)
どこも素敵な所なので、ちゃんと完成して、また行けるように神様にお願いしないと。。
おっしゃるように、物忘れとの戦いの毎日でもありますし。
トスカーナ・チロル、楽しみにしていますね♪
くまゆ
-
- ももであさん 2012/11/30 19:35:25
- コガネムシは金持ちか?
- くまゆさん
へぇ〜、当たり前なのかも知れませんが、熊野古道にも
トレッキングのツアーがあるのですか。しかもわずか4人。
慈尊院の多宝塔は、400年ぶり改築されたそうですよ〜
当時の色鮮やかな彩色に復活!
中野さんがダメなら、ももであに聞いておくんなまし!?
神聖な雰囲気の中、世界遺産を歩けるって良いですね。
学生時代、山登りばっかりやってたので、歩くの大好き。
100キロ程度は平気です。熊本にある日本一の石段を
3往復、9,999段上ったこともありま〜す。
是非いつかコガネムシに会って、金持ちになります♪
ももであ
- くまゆさん からの返信 2012/11/30 20:45:50
- RE: コガネムシは金持ちか?
- ももであさん
今回のは、トレッキングというほどのものでもなかったです。
なんせ、レベル?なので。
ももであさんなら、吉野から熊野までの大峯奥駆道でも軽いんじゃないですか。
9,999段って、9が一つ多すぎやしません?
千段でもビビるのに、一万段とは!?!
羽をはやしてですか。(掲示板、覗きました。へへ。。)
慈尊院の多宝塔、改築されたんですね!
どう調べても分からなかったのに、どうして知ってるんですか!!
それにしても、私の旅行記までちゃんと読んでくださって、時間をどうやりくりしているんですか??
絶対、時間泥棒してるだろう!
さー、はきやがれ、モモ!!!
くまゆ
- くまゆさん からの返信 2012/12/01 10:28:03
- ももペディアさま
- 慈尊院の多宝塔、改築されたんですか?!?
どうも、色が違うだけでなく、正面の階段もなくなっていると思いました。
当時の色に戻したんですね。
派手ですけど、それほど違和感なかったですよ。
個人的趣味としては、前の色あせた方が好きですけど。。
それにしても、Wikiに、多宝塔のことが何も書いてないのはなぜでしょう?
400年前のものなら文化的意味は十分あると思うのですが、ゴンより価値は低い?
ま、Wikiも、「地球の這い方」と同じで、信じすぎちゃいけないってことですね。
それにしても、ももであさんはどこでそんな情報を得るんですか。
私はネットでいくら調べてもわからなかったのに!
くまゆ
- ももであさん からの返信 2012/12/01 19:19:50
- momopedia
- Wikipediaは、Encyclopediaと違って、その情報を良く知って
いる人が、任意でコメントしているだけですからね〜
情報に偏りがあるし、間違っていることも多いです。
そこで、中野さんにこっそり電話して聞きました。(嘘)
確かに“慈尊院 多宝塔”で検索しても何も分からなかった
ので、改築したことを前提に、“慈尊院 多宝塔 改築”
で検索すると、すぐに↓↓がヒットしました。
http://www.youtube.com/watch?v=UTV7hnzrhy0
投稿者の過去の投稿を見ても、20本が全て高野山関連。
つまり地元の人で、Wikiより信頼性は高いってことです。
ってことで今後とも、momopediaをご愛用下さい!?
- くまゆさん からの返信 2012/12/01 22:53:38
- RE: momopedia
- momopediaさまのご指示でクリックしましたが、なぜか飛ばない1
明日は、寸又峡に行かなきゃならないので(ならない??)、もう寝なきゃ!
検証は帰ってからにします。
それにしても、熊野もまだなのに、次の旅行?!
懲りない奴!
おやすみなさい。。。
- ももであさん からの返信 2012/12/02 20:50:50
- 白猫
- え、もう寸又峡ですか?
恐るべき行動力。紅葉がきれいなことでしょう。
「慈尊院 多宝塔 改築」で検索すれば、すぐに出てきますよ。
GoogleでもYahooでもトップに出てくるYouTubeです。
ここ最近、くまゆさんのプロフ写真にそっくりな白猫(野良)が、
2匹の小さな子供を連れて、うちにやってくるようになりました。
子供を守ろうと、親はずっと警戒して威嚇するのですが、今日
ようやく手のひらから餌を食べるまでになりました。
これから本格的な冬を無事乗り越えてくれると良いのですが。
ももであ
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
8
62