2012/11/03 - 2012/11/05
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重兵衛さん
恒例の同期会のため、長州の萩に行くことになりました。
思い起こせば、幕末、南部藩は、無名の戦をしかけてきた自称官軍の長州・薩摩に対し、会津をはじめとする奥羽越列藩同盟に、義により参入し、官軍側の秋田藩と長州の連合軍と藩境で戦中、会津・仙台が降伏したため、最後まで天朝に刃向かったという汚名を着せられました(津軽は早々に寝返ってましたし)。その結果、家老は切腹、藩主は白石に転封、その後も官吏登用などで差別的待遇を受けてきました。
そういうこともあって、長州といえば、南部人からみれば、津軽に次ぐカタキということで、南部人は、長州に対して、対抗意識を持っているのですが、それでは、長州や長州人のことをどれだけ知っているかというと甚だ危うい。
そうだとすれば、今回の旅は敵情視察ということで、大変意義のある旅です。
ガイドブックは、いつもの通り、司馬遼太郎の「街道をゆく」と「歴史を紀行する」です。
行程としては、朝一番の新幹線で東京まで出て、羽田から飛行機、その後はレンタカーで移動。これだけで、距離の遠さを感じる。まあ、本州の端から端に行くわけだから、遠くて当然か。この新幹線に乗っている途中で、福島県内の地震により、まさかの停電。これも長州選出の原発推進の某党党首の陰謀か!?しかし、神仏は我に味方セリ。8分で運行再開。その後は、飛行機も揺れずに、無事宇部空港に到着。
新山口の駅で他のメンバーと合流。秋芳洞・秋吉台を経て、萩に到着。
萩の宿登茂枝で英気を養う。
翌日はいよいよ萩市内散策。
朝飯前の散歩で、野山獄跡、藩校明倫館を経て原敬が嫌い抜いた山県有朋の銅像を見る。これは、原敬でなくても嫌いになるかもというような大きい悪趣味な銅像。
チェックアウト後は、松陰神社、伊藤博文生家、桂生家、高杉生家跡などの武家屋敷街を散歩。
さらに、菊名海水浴場から萩城を望む。
昼食は道の駅萩往還で見欄牛のハンバーグを食べ、山口市内に戻り、瑠璃光寺の五重塔を見学。
空港で他のメンバーと別れて、宿に向かおうとしたところ、再びアクシデント発覚!翌日の移動を考えて山口市内にホテルをとったつもりが、なぜか防府のホテルを予約している。これもA党首の陰謀か⁉
しかし、防府はその名のとおり周防の国府ということで、歴史がある。
ここは災い転じて、防府見学をすることにする。
最終日は朝から雨。正午には空港に行かなければならないので、夜も開け切らないうちに、まずは鋳銭司の大村益次郎誕生地と墓へ。
防府にもどって、国衙跡、周防国国分寺を経て、毛利庭園へ。ここでは、国宝の雪舟の大作に出会う。最後は、防府天満宮を経て、帰途につく。
それぞれの感想については、写真欄に譲るとして、この旅で感じたこと。
まずは古いものを大事にしているな、ということ。
色々な条件が重なったとはいえ、日本六十余州のうち、唯一国衙の場所が特定されていたり、国分寺や日本最初の天満宮が今なお信仰を集めていること、大内氏が作った京風の文化を、継承者の毛利氏が守っていること。元就の言いつけを「親父の繰り言」と馬鹿にせずに守り抜き、豊臣時代から関ヶ原まで、毛利本家を存続させたこと。また、関ヶ原のあと、僻地の小城に押し込められて、苦しい生活を強いられたこと。こういうことが重なって、幕末の尊皇攘夷と討幕とういう反体制意識が矛盾なく融合したのでしょう。この辺りは、同じ関ヶ原の敗戦国の薩摩や米沢には見られない現象だと思います。また、維新後も、古い街並みを保存したり、松陰先生の教えを今でも伝えているところも驚きです。
岩手では、原敬、新渡戸稲造など、偉人として紹介しておきながら、その内面的思想まで小学校から教えるということはないと思います。また、外的要因も大きいものの、古代の自然崇拝、平泉の仏国思想、南北朝南部氏の尊皇思想なども、断絶しています。(そういえば、平泉を滅ぼした頼朝のブレーン、大江広元は、毛利氏の先祖だね。)
また、長州は、古いものだけを守るのではなく、大規模干拓や萩焼、塩、蝋、紙などの殖産興業、洋式兵法、国民皆兵の導入など、合理的なものなら新しいものでもどんどん取り入れる柔軟な思想を併せ持っているところが、会津などとは違うところでしょう。
以上の要因が、長州の強さでもあり、我々も見習わなければならないところでしょう。
現代では、長州のA党首は、復古的な憲法改正を唱え、再び戦争のできる国にしようとしながら、TPPや原発再開により日本の農業を破壊しようとし、他方で南部のO党首は政争に明け暮れています。
いまこそ、自然と共存するという日本人の古き良き精神と、これを実現する新たな制度や技術の革新ということで、一致していく時ではないかなと思います。
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- レンタカー JALグループ 新幹線
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
秋芳洞
日本一の鍾乳洞、ということだが、ただ広いだけで、神秘さのかけらもなく、龍泉洞の方が100倍まし。今年最大のがっかり。いや、札幌時計台、土佐のはりまや橋と並ぶ「日本三大がっかり」の最有力候補としてもよかろう。 -
秋吉台
阿蘇と並ぶ日本有数のカルスト大地。九州人曰く、「阿蘇と同じ風景だ」。その稜線美と、ところどころ白く輝く石灰岩は、秋の夕陽に照らされて、とても綺麗でした。なぜか、京都の化野念仏寺を思い出します。 -
松下村塾(松陰神社)
日の光の下、思った以上に立派な神社と、その境内に保存された松下村塾は、思っていた松陰先生の人柄のイメージとは違っていたので、ちょっとがっかり。きっとこれは、権威好きの山県あたりがやったことでしょう。
「松陰て、どんな人?」と問われて、「思想犯」と即答するあたり、我ながらどうかと思うが、神社のパンフの略歴をみると、やはりどう見ても確信犯的思想犯である。どんな思想でも、それを持つことは自由だが、思想を体現しなければ気が済まない(知行合一)陽明学の徒は、この人といい、大塩平八郎といい、思想犯だよね。(司馬さんはこういう人たちが好きですが)。でも、「私よりも公が大事」というのは、現代の政治家、官僚など、すべての公人に持ってもらいたいものだ。ところが、これを国民側に押し付けようというのが、昨今の流行りのようだ。 -
伊藤博文生家
伊藤博文は、きちんとした武士身分ではない(足軽だったかな)というから、どんなボロ家かと思いきや、案外広かった。まあ,半農半士だとこんなものかもしれません。
司馬さんは,伊藤や山縣を,革命の果実を拾っただけの小物であるかのように書いていますが,大久保,桂,西郷,坂本らに比べれば,派手さはないものの,興業より治世の方が大変だという一般論からすれば,維新後,政局を運営し,立憲国家にまでこぎ着けたことや,幕軍で最後まで闘った榎本武揚や暴れ馬みたいな陸奥宗光を従えるあたりの度量などからすれば,山県と違って一流の人物だと思います。
そういう伊藤の人柄を垣間見る思いがしたのは,生家跡に立つ銅像。思わず「ちっちゃ!」と言うほどの小柄なその像は,おそらく生前と同じ身長なのかも知れません。これが伊藤の意思(「死後も銅像は等身大以上はだめ」みたいな遺言とか)だとすれば,やはり伊藤はたいした人物だと思います。ちなみに,南部人である原敬も,確か胸像以上のものは作らせなかったかと思います。 -
イチオシ
瑠璃光寺五重塔
南北朝時代の武将,大内弘世が作った優美な塔。日本三名塔の一つなんだとか(あと二つは知らないが,個人的には信州の安楽寺と奈良の室生寺かな)。
これを作った大内弘世は,雪舟のパトロンだったり,ザビエルを保護したりと,文化事業については傑物だが,この塔は,「京都に帰りたい」と毎日泣いている奥さんのために,「それなら京都をこの地に作ろう」ということで立てたとか。
愛妻家なのかもしれないが,ちょっと方向性としてずれているような気がします。これに対する奥様の評価が残っていないので,何とも言えないところです。 -
大村益次郎墓所
大村益次郎(村田蔵六)は,長州軍の司令官として,第二次長州征伐の幕府軍を破り,戊申の役以降は官軍参謀として各地を転戦,特に上野戦争では薩摩の怒りを買いながらも,効率よく勝利する。
維新後は初代兵部大輔として,日本陸軍の祖となった。この合理的精神の持ち主が長生きしていたら,山県なんぞがしゃしゃり出ることもなければ,その後の日本陸軍の性格が,分けの分からん精神論に毒されることもなく,第二次世界大戦に日本が参戦しないか,参戦しても,もう少しましになったかであろう可能性があるが,歴史にifはない。
墓所には蔵六の好物とされる豆腐が供えているときもあるそうですが,今回はお酒のみでした。
隣には,奥様のお墓もあり,司馬さんの「花神」を読むと,男の一生の可笑しみが分かります。 -
大村益次郎生誕地
四辻駅の近く。以前は,ここと秋穂の二説あったそうだが,最近はこちらに統一されたらしい。要は,ここで生まれたあと,お父さんが転勤?して秋穂に移ったとか。 -
周防国衙跡
国衙とは,大和政権が,従来の地方分権(国造制)から中央集権へと転換した際に,国庁がおかれたところ。
いままでいろいろと歩いてきて,国分寺や一の宮は見たけど,国衙というのは見たことがないなあとおもっていたら,それもそのはず,現在まで,国衙跡がはっきり残っているのはここだけだとか。
平安時代には,貴族が任地に行くのを嫌がって,国司が代理人を派遣したり,現地役人に頼っているので,その実質は薄れていって,武家社会の守護がおかれるようになると,衰退していったらしいが,ここは,東大寺領であったため,武家の侵略などからも比較的守られたのでしょう。 -
毛利庭園と毛利邸
維新後,井上馨が旧主君の毛利氏のために建てた邸宅とお庭。大名庭園の傑作で,明治以降のものとしては,最大ではないかな。
盛岡にも南部邸と庭園があるけど,規模が違う。
ところで,この勇壮なお庭は,井上の趣味なのかな。山県もお庭造りはプロで,京都の無隣庵とか,素晴らしい感覚を見せるけど,こじんまりとしている。
両者(庭)の差は,もしかすると性格の差かも。 -
防府天満宮
日本最初の天満宮ということで,太宰府天満宮,北野天満宮と列ぶ三天満宮の一つ,と勝手に書いたら,本当に日本三大天神というのがあるんだね。(防府ではなく,大阪という説もあるが,それは大阪人が言っているに違いない。)
創建が菅原道真が亡くなった翌年だから,それは古いわな。
ちなみに,京都だと,来たのが最初ではなく,乳母の文子が創った文子天満宮というのが一番古いことになっている。
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