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三鷹・八幡大神社(みたか・はちまんだいじんじゃ)は旧下連雀村(現三鷹市下連雀)の「氏神社」で御祭神は應神天皇(第15代)となっています。<br /><br />説明によると明暦年間徳川4代将軍家綱の頃、いわゆる「振袖火事」と言い伝えられている神田連雀町の罹災者が代替地として新田開発農民となって、当地に移住して来たのが三鷹下連雀の起こりです。<br /><br />このあたりは徳川御三家の鷹狩場であったことから「三鷹」と呼ばれており、「下連雀」は彼らの出身地である神田連雀町から由来しています。<br /><br />寛文4年(1664)連雀村の名主は村の役職者と共に「氏神社 八幡大神社」の御鎮斎を幕府に請願、時の老中松平伊豆守は代官野村彦太夫に検地を命じその結果当地南北に神社の社地に約一万坪をまた併設の禅林寺の寺地に約二万坪を除地(課税対象外地)として与え創建に至ります。<br /><br />明治6年(1873)神仏分離により独立し村社となります。

武蔵三鷹 明暦大火で神田連雀町から罹災した住民の請願を老中松平伊豆守が社寺創建を支援した『八幡大神社』散歩

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2012/05/12 - 2012/05/12

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滝山氏照

滝山氏照さん

三鷹・八幡大神社(みたか・はちまんだいじんじゃ)は旧下連雀村(現三鷹市下連雀)の「氏神社」で御祭神は應神天皇(第15代)となっています。

説明によると明暦年間徳川4代将軍家綱の頃、いわゆる「振袖火事」と言い伝えられている神田連雀町の罹災者が代替地として新田開発農民となって、当地に移住して来たのが三鷹下連雀の起こりです。

このあたりは徳川御三家の鷹狩場であったことから「三鷹」と呼ばれており、「下連雀」は彼らの出身地である神田連雀町から由来しています。

寛文4年(1664)連雀村の名主は村の役職者と共に「氏神社 八幡大神社」の御鎮斎を幕府に請願、時の老中松平伊豆守は代官野村彦太夫に検地を命じその結果当地南北に神社の社地に約一万坪をまた併設の禅林寺の寺地に約二万坪を除地(課税対象外地)として与え創建に至ります。

明治6年(1873)神仏分離により独立し村社となります。

交通手段
JRローカル 徒歩

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  • 八幡大神社石碑<br /><br />

    八幡大神社石碑

  • 大鳥居<br /><br />鳥居をくぐり直線の参道をめざします。

    大鳥居

    鳥居をくぐり直線の参道をめざします。

  • 扁額<br /><br />大鳥居に掲載される「八幡大神社」扁額が見えます。

    扁額

    大鳥居に掲載される「八幡大神社」扁額が見えます。

  • 山門<br /><br />新たに造作された山門が堂々と佇んでいます。

    山門

    新たに造作された山門が堂々と佇んでいます。

  • 拝殿

    拝殿

  • 本殿<br /><br />拝殿に続く本殿周辺の景色が清清しいです。

    本殿

    拝殿に続く本殿周辺の景色が清清しいです。

  • 参道<br /><br />山門から振返って鳥居の方向を一望します。左の建物が神楽殿となっています。

    参道

    山門から振返って鳥居の方向を一望します。左の建物が神楽殿となっています。

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