2012/09/25 - 2012/09/27
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hamunanaさん
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ポーランドのクラクフからワルシャワを通り、
リトアニア、ラトビア、エストニアのバルト3国を巡り
フィンランドのヘルシンキまでを10日間という
駆け足で回った、短い期間でしたが、
人の心の闇を深く考えさせられる、今までに無い旅になりました。
あまりにおぞましい残虐で恐ろしい事が、
ごくごく、普通の人間が行ったという事実。
それだけに、たとえ負の遺産でもここだけは人類の続く限り
未来の子供たちに戦争の愚かさを伝えるために
無くしてはならないと思いました。
いつもでしたら、旅から帰れば旅ログを書くのも
旅の延長で楽しいものでしたが、
今回だけは、心が凹んでしまってなかなか書き出せず、
3ヶ月経ってようやく書き始めました。
写真は
「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」と書かれたゲート。
でも自由は真っ赤な偽りで、死への門でしかなかった。
このゲートをくぐった人々の中で生き延びれたのは
僅か10%位だったそう…。
そして、ゲートをくぐることすら許されないで、
強制収容所到着直後の選別で「労働者」「人体実験の検体」、
そして「価値なし」などに分けられ、
70〜75%がなんら記録も残されないまま即刻ガス室に送り込まれたそうで、
その多くが「女性、子供、老人」でした。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 3.0
- グルメ
- 3.0
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- ターキッシュ エアラインズ
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
PR
-
1日目
関空発22時30分のTK047で
乗り継ぎ地のイスタンブールへ、
深夜なので、
左上夜食のモッツアレラチーズと
ワインを頂いてお休みなさい。
右上は朝食、サワーチェリーのジュースが美味しかった。
ギャレーにはサンドイッチとおむすびが、
σ(^¬^@)うまそぉ〜♪ -
約13時間で、イスタンブール到着。
2時間半のトランスファーの後ウィーンへ。
ツアーに一人参加なので
出発ゲートを確認したり、
食感が日本のゆべしに似ているロクムを試食したり、
ぶらぶら・・ -
日本からの便もそうでしたが、
イスタンブールからの飛行機にも
フライング・シェフさんが同乗してサーブしてくれました。
これは、今のところトルコ航空とオーストリア航空だけの
サービスですって。
以前乗った時には、こんなサービスは無かったと思う!?
下は2度目の朝食(笑) -
2日目
2時間20分のフライトでウイーンに9:30分着
ここから、長い々バスの旅!
バスが駐車しているNHホテルまで、
スーツケースを引いて、
一行16名がゾロゾロ (艸Д゜*)ゞ -
オーストリアのウイーンから、
途中チェコのブルノという町で、昼食をとり
チェコを南から北へ縦断して、
ポーランドのクラクフまで6時間半をひた走り! -
今は博物館になっている、『負の世界遺産』
アウシュビッツ収容所。
その入り口にある建物、
当時は囚人受け入れ所として使われていた。
初め怖がりやの私は、オシフィンチム(独アウシュヴィツ)
には行きたくないと思っていたのですが、
建物を目の当たりにした時、
ここに目を背けてはいけないという気持ちに、 -
アウシュヴィツはドイツ語読みで、
ポーランド語ではオシフィンチムという地名だと
はじめて知りました。
収容所が「人道的に」運営されていると主張するための、
カモフラージュの被収容者による「オーケストラ」が
組織されていて、
強制収容所到着直後の被収容者には明るい曲が、
これから強制労働に行くものには行進曲が
奏でられたといいます。 -
整然と並ぶレンガ造りの収容棟
収容所は
最初ポーランドの政治犯や犯罪者を収容する為に
造られたそうですが、
後になって、ナチスに逆らうもの、
ユダヤ人、ロマ(ジプシー)
精神・身体障害者、同性愛者など、
ピーク時にはアウシュヴィッツ全体で
14万人が収容されていました。 -
オシフィンチムは
ヨーロッパの中心部と言って良い位置にあり、
列車で被収容者を運び込むのに都合がよかったそうで(?)
北はノルウェーから南はギリシャなど28カ国ものくにから
犠牲者たちが、連日運び込まれました。 -
写真中央下が『オシフィンチム第一収容所』で、
左側の大きな囲みは『ビルケナウ第二収容所』。 -
周囲には鉄線が巡らされており、
強力な電流が流されていました。
絶望のあまり自ら高圧電流が流れる鉄条網に触れて
自殺する者もいたそうです。 -
アウシュヴィッツ収容所の所長だった、
ルドルフ・へスが絞首刑になった処刑台。
ヘスは、この右側にある官舎で奥さんと5人の子供と、
花壇を作って普通に暮らしていたといいます。
この左側にはガス室と死体焼却場があります。 -
アウシュヴィッツの被収容者にはシャワー室
と説明されたのガス室、
ここに続く死体焼却所と共に鬼気迫るものがあります。
後に強制収容所管理のための施設となったそうですが、
怖くなかったのかしら!?
戦後、ガス室として復元され、公開されています。 -
ガス室の上部にある毒ガス投入孔、
毒ガスの缶はドイツ兵が投げ入れたそうですが、
蓋を閉めた後、ドイツ兵は手を下す必要が無く、
彼らは良心の呵責に苦しまなくていい構造になっていたそうです。 -
残されていた毒薬チクロンBの空き缶。
この一缶で150人が殺された。 -
ガス室と死体焼却炉、
遺体を、焼却炉などに運び処分するため
同じユダヤ人の中から
「ゾンダーコマンド(特別労務班員)」という班を作り、
ドイツ人は自分たちが手を汚さなくてよかったので、
罪の意識が少なく、
そして、ゾンダーコマンドになった人々は、
口封じのため数ヵ月ごとに彼ら自身も処分されてしまった。 -
アウシュヴィッツから約3km離れた
『ビルケナウ第二収容所』
映画などによく出てくる死の門を内側からみた所、
口をあけた悪魔のように見えた。
ビルケナウはより効率良く大量虐殺をする事を
念頭において作られた施設で、
ユダヤ人を乗せた貨物列車がこの門から直接
収容所に入っていけるようになっていて、
アウシュヴィッツよりも多くの犠牲者がでている。 -
夕刻になっていた為、
入り口近くの木造のバラック棟だけを
見ることが出来ました。
元はポーランド軍の馬小屋だったらしい。 -
中は中央の暖房(?)を挟んで、
粗末な3段ベッドがあり、1つのベッドに2〜3人
詰め込まれていた。
冬は氷点下20度にもなったそうで、
本当に悲惨としか言いようがありません。 -
案内して頂いた、
アウシュビッツ唯一の公式日本人ガイドの中谷さん。
これらの残虐な行動をした人は、
何も特別な狂気を持った人でなく、
普通の家庭人であり社会人なのです。
そんな人たちが何故このようなことが出来たか、
ここに来たからこそ分かることがあって、
だから皆さんには一歩踏み込んで考えてほしい。
という言葉を聞いて、
自分の中にある『心の闇』を考えさせられました。
ここで起こったことを忘れてはいけないし
人の持つ狂気から目をそらしてはいけないのだと思います。 -
長い長い一日が過ぎ、
今日お泊りする、ノボテル・クラクフ・ブロノヴィッツェ。
精神的にも、体力的にも疲れました (´-ェ-`) -
ポーランドで始めて食べる食事。
ホテルでの夕食は、具沢山のスープ、
ジャガイモと牛肉の煮込み料理、
サラダはトマトとにんじんシリシリ(?)
デザートはアップルパイ
右下は朝食、ハムとクリームチーズが美味しかった。 -
3日目
クラクフ郊外にある世界遺産『ヴィエリチカ岩塩坑』へ
1996年まで操業が続いた世界最古の岩塩坑の一つで、
13世紀に開発され、深さは地下 327 m 、
全長は 300 km 以上に及ぶそうで、
現在一般に公開されているのはその3〜4%で
深さ135mまでの3.5kmの坑道です。
見学はガイドツアーのみで、
入場料49ZL -
入場するのに長い行列が出来ていましたが、
私たちツアーご一行は年長者が多かった?せいか、
長い378段の階段を降りずに、
別の入り口からエレベーターで、
実際抗夫の方たちが使っていたそうですが、
4つの狭いエレベーターが、上下2層になっている
今まで体験したことの無い、不思議なつくりでした。 -
構内には所々に、このような扉が、
風が強いため防風の役目を果たしていて
もう1つ先の扉が閉まらない限りこちらの扉は
開かないそうです。 -
採掘の様子を再現したジオラマ。
ここでとれた岩塩は「白い金」と呼ばれ、
ポーランド王国に大きな富をもたらしました。 -
このような順路を示す標識があちこちに、
中は迷路のようで、昔は迷子になって
出てこられない人もいたとか。 -
坑道内部、
-
馬も労働力として地下で暮らしていた。
人のマネキンよりもリアル (^▽^笑) -
ちょっと分かりづらいですが、
コペルニクスの像、
彼はここを訪れたことがあるそうです。
肉眼で見るとはっきりしているのですが、
カメラだと、なぜか半透明に見えてしまいます。 -
その昔、ハンガリーの王女キンガ姫が
ポーランド王家に嫁いだ時、
強い想いをこめて投げた指輪の示した場所が
ヴィエリチカであり、
そこから塩があふれるようになったという伝説があります。
そのキンガ姫に指輪を差し出している抗夫。 -
14世紀の王様カジミエルの像。
-
天井には、
滲み出てきた塩の結晶があちらこちらに、 -
マリア聖堂
私たちを案内してくれたガイドさんも
マリアさんといって、
日本語が堪能な美しい女性でした。 -
地下101メートルにある『聖キンガ礼拝堂』
この礼拝堂の祭壇も彫像も壁に彫られたレリーフ、
祭壇からシャンデリアにいたるまで、
全部が塩で出来ていて、
しかも、すべて鉱夫たちが彫った物だそうです。 -
壁に彫られたレリーフ。
日のあたらない地下で
長い間暮らさなければならなかった抗夫たちの
神の加護を願う心が偲ばれます。 -
塩の結晶で作られたシャンデリアと祭壇。
現在でもここでミサや結婚式などが行われています。 -
幻想的で深い緑がとてもきれいな塩の池。
-
世界遺産のマーク。
1978年、文化遺産として世界遺産に登録されましたが、
1989年、換気不良で坑内に湿気が溜まり岩塩製の像
などが痛んだため危機遺産リストに加えられました。、
しかし、換気装置が据えられ、
湿度が適切に保たれるようになったことから
1998年危機遺産リストからははずされました。 -
地下の休憩所。
右奥にあるエレベーターから
2階に上ってみました。 -
私が行った時2階には、
下の空間が見渡せる以外何もなく、
公開されていない部分の写真が飾って有るだけでしたが、
その中の一枚、
見学した坑道は修復されて綺麗でしたが、
昔の実際の坑道はこんな風だったのでしょう、
神に祈る気持ちも分かるような気がします。 -
休憩所にある売店にあった、
岩塩をくり貫いて作られた卓上ランプ。
とても綺麗 =*^-^*= -
その他、塩から作られた様々な品が、
-
見学の終点近くにあるレストラン
正式なフルコースがいただけるそうです。 -
帰りのエレベーターの手前にある
聖ヨハネ礼拝堂と、
空飛ぶ法皇と言われた、
ポーランドの多く人が誇りにしている
(ここクラクフ近郊の街ヴァドヴィツェ出身で
クラクフの大司教も務めた事がある、)
前法王、ヨハネ・パウロ二世が
訪れた時の写真。
左下はキンガ礼拝堂にあったヨハネ・パウロ二世
の像。
帰りもエレベーターで昇り、
出口でガイドさんが人数確認してから出ます。 -
ヴィエリチカ岩塩坑の斜め向かいにある
レストランで昼食を、
ポーランド料理で
発酵したビーツの上澄み汁を使ったバルシチという
赤いスープ。(ロシアのボルシチと見た目は似てる)
ピエロギと呼ばれるポーランド風水餃子。
中国からロシアを経て伝わりアレンジされたもの、
と言われていて、
皮が厚くて、かなりボリュームがあります。
デザートはアイスクリーム。
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この旅行記へのコメント (1)
-
- 夏子の探検さん 2012/12/27 05:02:35
- アウシュビッツは考えちゃいますよね・・・
- 旅行記に書けなかった気持ちは解ります。
でも、ポーランドのその地方には、必ず付き物の観光で・・・最近は、行きたくない方は、その部分だけ別行動でも、と言うツアーも出ているようです。
ナチのヒットラーも、色々伝記なり本も出ていますし、彼も洗脳された人間。
ドイツ兵達も、日本の「天皇陛下万歳!」と言って、ゼロ戦に乗り込んで云った若者達と同じように、いわゆる洗脳された同じ人間。
戦争は人間の心の闇です。だから平和条約も出来たんだけど、まだ戦争している国は有る。。。
私達女性たちって、何だか噂好きですよね・・・な方が多い・・・
これも、私は心の闇だと思いますよ。
自分が被害に有ったならまだしも、何も無かった人に対して、あーだこ−だと、ある事無い事、云う事等も、それらをあたかも、本当のように信ずる事も、洗脳されてる・・・って、考えた事はありますか?
人間人を殺さなくても、言葉は剣よりも強し。と言う言葉も有ります。
心の闇を持たない人間に成りたいですね!
穏やかに、暖房のある家で、一応健康に暮らせる有り難さ、感謝しながら1年を振り返りたいと思いました。
寒い日が続きます。どうぞ、お身体気をつけて、良いお年をお迎え下さい。
夏子
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