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トラピックス主催による「足立美術館・出雲大社・松江と天橋立・伊根の舟屋・倉敷の4日間」に参加してきました。昼食を兼ねて訪れた豊岡市・出石(いずし)はこじんまりとした但馬の小京都で、そば屋さんの多さに驚きました。

出石

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2012/09/24 - 2012/09/24

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キヌちち

キヌちちさん

トラピックス主催による「足立美術館・出雲大社・松江と天橋立・伊根の舟屋・倉敷の4日間」に参加してきました。昼食を兼ねて訪れた豊岡市・出石(いずし)はこじんまりとした但馬の小京都で、そば屋さんの多さに驚きました。

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  • 豊岡市・出石に向かって走るバスの車窓から「東経135度 北緯35度30分」の数字が記された時計塔が見えました。<br />豊岡市但東町中山、県道2号線(宮津八鹿線)の東側に設けられているコンクリート製の「子午線の塔」で、1962年6月に建立されたそうです。

    豊岡市・出石に向かって走るバスの車窓から「東経135度 北緯35度30分」の数字が記された時計塔が見えました。
    豊岡市但東町中山、県道2号線(宮津八鹿線)の東側に設けられているコンクリート製の「子午線の塔」で、1962年6月に建立されたそうです。

  • 出石に到着しました。<br />もとは出石町でしたが、2005年4月1日に豊岡市、城崎町、竹野町、日高町、但東町と合併し、新「豊岡市」に吸収されました。<br />出石を訪れたのは初めてですが、1995年10月にTBSテレビ系列で放送されたドラマ「浅見光彦シリーズ(5)城崎殺人事件」の舞台となったことで記憶にありました。<br />たまたまツアー近くに再放送されたこともあり、親近感が一層増しました。<br />

    出石に到着しました。
    もとは出石町でしたが、2005年4月1日に豊岡市、城崎町、竹野町、日高町、但東町と合併し、新「豊岡市」に吸収されました。
    出石を訪れたのは初めてですが、1995年10月にTBSテレビ系列で放送されたドラマ「浅見光彦シリーズ(5)城崎殺人事件」の舞台となったことで記憶にありました。
    たまたまツアー近くに再放送されたこともあり、親近感が一層増しました。

  • 駐車場横に出石城跡がありました。

    駐車場横に出石城跡がありました。

  • 出石城跡  <br />町の東の有子山の山裾に小出吉英が城を築いたのは1604年のこと。城山稲荷があり、37も立ち並ぶ朱色の鳥居とお城のコントラストが美しい。お城山とも呼ばれ、春には桜の名所としても人気です(但馬國出石観光協会HPより)。

    出石城跡 
    町の東の有子山の山裾に小出吉英が城を築いたのは1604年のこと。城山稲荷があり、37も立ち並ぶ朱色の鳥居とお城のコントラストが美しい。お城山とも呼ばれ、春には桜の名所としても人気です(但馬國出石観光協会HPより)。

  • 出石城跡と登城門 

    出石城跡と登城門 

  • 登城門<br />かつての出石城には7つの門がありましたが、明治維新の際に取り壊されました。これを何とか復元しようと、町民の寄付で平成6年11月に完成したのがケヤキ造りの登城門です。<br />昔、武士が登城に使っていたところから“登城門”と名づけられました。<br />同時に木造の登城橋が出来ましたが総工費は1億円です(但馬國出石観光協会HPより)。

    登城門
    かつての出石城には7つの門がありましたが、明治維新の際に取り壊されました。これを何とか復元しようと、町民の寄付で平成6年11月に完成したのがケヤキ造りの登城門です。
    昔、武士が登城に使っていたところから“登城門”と名づけられました。
    同時に木造の登城橋が出来ましたが総工費は1億円です(但馬國出石観光協会HPより)。

  • 出石の案内図です。

    出石の案内図です。

  • 辰鼓楼です。  <br />辰鼓楼は明治四年(1871年)旧三の丸大手門脇の櫓台に建設された鼓楼です。当時は一時間ごとに太鼓で時(辰)を告げました。明治十四年に医者、池口忠恕氏が大時計を寄付してからは、時計台として親しまれ、今では三代目の時計が時を刻み続けています(但馬國出石観光協会HPより)。 <br />

    辰鼓楼です。 
    辰鼓楼は明治四年(1871年)旧三の丸大手門脇の櫓台に建設された鼓楼です。当時は一時間ごとに太鼓で時(辰)を告げました。明治十四年に医者、池口忠恕氏が大時計を寄付してからは、時計台として親しまれ、今では三代目の時計が時を刻み続けています(但馬國出石観光協会HPより)。

  • 人気スポット、辰鼓楼前では大勢の人が記念写真に納まっておりました。

    人気スポット、辰鼓楼前では大勢の人が記念写真に納まっておりました。

  • 辰鼓楼横です。

    辰鼓楼横です。

  • 辰鼓楼の前をワンちゃんを乗せた車が通り過ぎました。

    辰鼓楼の前をワンちゃんを乗せた車が通り過ぎました。

  • 桂小五郎潜居跡です。<br />明治維新の立役者、桂小五郎が新撰組に追われ、1864年(元治元)広江孝助と名乗り、荒物屋を営みながら幾松婦人と出石に潜伏していました。いま、住居跡に記念碑が建てられています(但馬國出石観光協会HPより)。 <br /><br />

    桂小五郎潜居跡です。
    明治維新の立役者、桂小五郎が新撰組に追われ、1864年(元治元)広江孝助と名乗り、荒物屋を営みながら幾松婦人と出石に潜伏していました。いま、住居跡に記念碑が建てられています(但馬國出石観光協会HPより)。

  • お寺の屋根の端にハトの彫刻が飾られておりました。

    お寺の屋根の端にハトの彫刻が飾られておりました。

  • 出石のマンホールの蓋です。

    出石のマンホールの蓋です。

  • 出石にはそば屋さんが数多く軒を連ねておりました。<br />出石皿そば協同組合によると、加入者数は39ということです。<br />そのひとつ、「花水木」で昼食を取りました。

    出石にはそば屋さんが数多く軒を連ねておりました。
    出石皿そば協同組合によると、加入者数は39ということです。
    そのひとつ、「花水木」で昼食を取りました。

  • 食べた皿そばです。5枚の皿そばにチラシ寿司、刺し身こんにゃく、漬物が付いておりました。<br />テレビドラマの中でも店名は分かりませんが、浅見光彦役の辰巳琢郎が出石皿そばを10枚、光彦の母親役の加藤治子は5枚を食べたシナリオになっておりました。

    食べた皿そばです。5枚の皿そばにチラシ寿司、刺し身こんにゃく、漬物が付いておりました。
    テレビドラマの中でも店名は分かりませんが、浅見光彦役の辰巳琢郎が出石皿そばを10枚、光彦の母親役の加藤治子は5枚を食べたシナリオになっておりました。

  • そば屋さんが軒を連ねる出石の街並み。

    そば屋さんが軒を連ねる出石の街並み。

  • そば屋さんが軒を連ねる出石の街並み。

    そば屋さんが軒を連ねる出石の街並み。

  • 古美術展示場の看板を掲げたそば屋さんもありました。

    古美術展示場の看板を掲げたそば屋さんもありました。

  • 中央の店で焼きたてのアツアツのそばまんじゅうを試食させてもらいました。

    中央の店で焼きたてのアツアツのそばまんじゅうを試食させてもらいました。

  • 昔懐かしい浪花千栄子のオロナイン軟膏、大村崑のオロナミンCのホーロー看板広告が飾られていたお店がありました。浪花千栄子のオロナイン軟膏広告は、本名の南口キクノ(なんこう きくの)にちなんだそうです。どうでもいいマメ知識でした。

    昔懐かしい浪花千栄子のオロナイン軟膏、大村崑のオロナミンCのホーロー看板広告が飾られていたお店がありました。浪花千栄子のオロナイン軟膏広告は、本名の南口キクノ(なんこう きくの)にちなんだそうです。どうでもいいマメ知識でした。

  • 屋根の上にコウノトリの飾りを載せたそば屋さんもありました。

    屋根の上にコウノトリの飾りを載せたそば屋さんもありました。

  • 店先を色とりどりの傘で飾ったそば屋さんもありました。

    店先を色とりどりの傘で飾ったそば屋さんもありました。

  • そば屋さんが軒を連ねる出石の街並み。

    そば屋さんが軒を連ねる出石の街並み。

  • この通りはソフトクリーム屋さんが目立っていました。

    この通りはソフトクリーム屋さんが目立っていました。

  • ソフトクリーム屋さん

    ソフトクリーム屋さん

  • 注文したそばジェラートです。

    注文したそばジェラートです。

  • 出石の街並み

    出石の街並み

  • 出石の街並み

    出石の街並み

  • バスを見送ってくれた駐車場のおじさんです。

    バスを見送ってくれた駐車場のおじさんです。

  • 道路沿いに掲げられていたコウノトリの看板です。

    道路沿いに掲げられていたコウノトリの看板です。

  • 道の駅「あまるべ」。

    道の駅「あまるべ」。

  • 山陰本線の鎧・餘部間(単線)に架かる餘部鉄橋です。高さ41.45m、長さ309.42m。餘部鉄橋では1986年12月28日に突風にあおられた客車7両が転落し、真下のカニ缶詰工場を直撃。工場で働いていた5人と車掌の合わせて6人が死亡した。

    山陰本線の鎧・餘部間(単線)に架かる餘部鉄橋です。高さ41.45m、長さ309.42m。餘部鉄橋では1986年12月28日に突風にあおられた客車7両が転落し、真下のカニ缶詰工場を直撃。工場で働いていた5人と車掌の合わせて6人が死亡した。

  • 餘部鉄橋下のカニ加工工場のあった場所には慰霊の観音像が立っていました。合掌。

    餘部鉄橋下のカニ加工工場のあった場所には慰霊の観音像が立っていました。合掌。

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