2012/09/10 - 2012/09/10
558位(同エリア1142件中)
董事長さん
ちょっと大阪に用ができたので、宿泊プランを探したところ、JALダイナミックパッケージに、「日本航空(往復)+帝国ホテル大阪1泊(朝食付)」23700円というのを見つけました。別々に手配するより安いので早速申込み。
用は1時間程度ですむので、2日間観光することに。
初日は、今まで行ったことがなかった高野山へ、2日目は、京都へ行くことにしました。
【旅の概要】
9/10(月) 福岡→大阪
高野山観光 大阪泊
9/11(火) 京都観光
大阪→福岡
<本日の日程>
JAL2050 福岡国際空港(7:15)→大阪国際空港(8:20)
大阪国際空港→千里中央駅→難波駅→極楽橋駅→高野山駅→奥の院→金剛峯寺→壇上伽藍→霊宝館→大門→高野山駅→極楽橋駅→難波駅→梅田駅→帝国ホテル大阪
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豊予海峡が見えてきました。
左が四国、右が九州 -
佐田岬です。
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右下に伊方原発が見えます。
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伊予灘
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南海電鉄難波駅
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ケーブルカーで極楽橋駅から高野山駅へ
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なぜか標高634m地点の目印
634年ってなにがあったっけ?
仏教伝来は、538年だし。 -
勾配がきつい
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ケーブルカーは、二両編成です。
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麓が見えます。
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連絡バス車中から高野山駅
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バスで20分ほどで、奥の院前へ
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奥の院参道ガイドマップ
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いよいよ奥の院参道へ
弘法大師御廟まで通じる約2kmの参道両側には、何百年も経た老杉が高くそびえている。その老杉のもとには、少しでもお大師様の近くで供養されたいと願う数十万基を超える各時代の供養塔が建ち並び、高野山が日本一の霊場である事をあらわしている。
(以上、高野山宿坊組合・高野山観光協会公式ホームページより引用) -
ロケットの形をした新明和工業慰霊塔
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土木建築殉職者之墓
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「しろあり やすらかにねむれ」
社団法人日本しろあり対策協会 -
古墳みたいです。
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ヤクルトの慰霊碑
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紀陽銀行物故者慰霊塔
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個性的な慰霊碑が多いです。
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日産自動車物故従業員慰霊碑
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小松製作所慰霊碑
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UCC上島珈琲慰霊碑
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東日本大震災供養塔建立予定地
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阪神・淡路大震災物故者慰霊碑
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英霊塔
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楽書塚
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甲子園学院物故者慰霊塔
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キリングループ供養塔
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注意書があります。
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樹齢何年の木でしょうか。
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西洋人が多いです。
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伊予松山松平(久松)家墓所
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加賀前田家二代利長墓所
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参道
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安芸浅野家墓所
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安芸浅野家墓所の内側
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鳥居みたいなものがあります。
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左のほうへ行くと、奥の院へ
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階段を上ると豊臣家墓所があります。
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豊臣家墓所の説明
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豊臣家墓所
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豊臣家墓所からの眺め
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お堂
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この上に織田信長墓所があります。
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織田信長墓所
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織田信長墓所
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黒い仏像
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いよいよ奥の院へ
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御廟橋案内図
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御廟橋
この橋を渡ると大師御廟への霊域に入りる。参拝者は、橋の前で服装を正し、礼拝し、清らかな気持ちで霊域に足をふみ入れる。
この橋は、36枚の橋板と橋全体を1枚として37枚と数え、金剛界37尊を表していると言われ、橋板の裏には、仏様のシンボルの梵字が刻まれている。
橋の上で、あの苅萱道心と石童丸親子が初めてめぐり合ったとも伝えられている。従来、木の橋であったが、現在は原型通りの石橋に架け替えられている。
(以上、高野山宿坊組合・高野山観光協会公式ホームページより引用) -
玉川
御廟橋の下を流れる川は、奥の院裏山、霊峰楊柳山より流れ出る清水である。
川の中に立てられている卒塔婆は、流水灌頂と言い、水難事故や難産で、この世を去った人々の霊を水で清め追善供養する為に建てられている。
(以上、高野山宿坊組合・高野山観光協会公式ホームページより引用) -
これより先撮影禁止のため、望遠で撮影しました。
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弘法大師御廟
弘法大師御廟は、大師信仰の中心で聖陵である。転軸、楊柳、摩尼の三山の千年杉に周囲を囲まれ、奥深く厳かな、たたずまいを見せている。 お大師様は、西暦835年(承和2年)3月21日御年62歳で、予言通り入定した。
玉川の清流に沿った台地に、入定前には、既に納涼坊、総修堂が建立されており、大師自ら廟所と決めたとも伝えられている。入定後、弟子たちは、予定通りその場所に御廟を建立した。
(以上、高野山宿坊組合・高野山観光協会公式ホームページより引用) -
おもいっきり望遠
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お堂
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水向け地蔵
玉川の清流を背にして金仏の地藏菩薩や不動明王、観音菩薩が並んでいる。奥の院への参詣者は、御供所で水向塔婆を求めて、このお地蔵さんに納め、水を手向けてご先祖の冥福を祈る。
(以上、高野山宿坊組合・高野山観光協会公式ホームページより引用)
仏像に水をかけています。 -
仏像
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お堂
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お堂の内部
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お経を読んでます。
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浅野内匠頭墓所
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ピラミッドみたい
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高野山大学墓所
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アンボン島海軍特別陸戦隊戦士之碑
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従業員物故者供養塔
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参道
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ビルマ方面戦没英霊納骨塔パゴダ
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ビルマ方面戦没英霊納骨塔パゴダ
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長州毛利家墓所
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安芸浅野家墓所
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伊予大洲加藤家墓所
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パナソニック墓所
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松下電器物故者墓
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クボタ墓所
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森下仁丹墓所
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住友家墓所
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住友氏族墳
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北ボルネオ戦没者墓所
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汗かき地蔵
中の橋のそばにある地蔵堂には、汗かき地蔵が祀られている。
汗かき地蔵は、世の中の人々の苦しみを、お地蔵様が身代わりになり一身に受けるため、いつも汗をかいていると伝えられている。
(以上、高野山宿坊組合・高野山観光協会公式ホームページより引用) -
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南海電鉄創業者松本重太郎翁墓
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伊勢桑名城主本田忠勝墓所
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筑後久留米有馬家墓所
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覚恵上人修行之地
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石田三成墓所
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薩摩島津家初代家久二代光久綱久墓所
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福岡県老人クラブ連合会供養塔
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海軍整備科豫備練習生記念之碑
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伊達政宗墓所
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紀州徳川家二代光貞三代綱教四代頼職六代宗直墓所
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大師の腰かけ石
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紀州徳川家七代宗将墓所
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武田信玄・勝頼墓所
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武田信玄・勝頼墓所
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紀州初代藩主徳川頼宣墓所
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江崎グリコ墓所
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江崎利一墓
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高野山町石道
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伊予河野通直墓所
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景教碑
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航空殉難者之碑
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関東大震災供養塔
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司馬遼太郎文学碑
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司馬遼太郎文学碑
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薩摩島津家墓所
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阪口祐三郎翁墓所
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阪口祐三郎翁の像
著名人ではなく、ただの料亭の主人のようです。 -
空挺落下傘部隊将兵之墓
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奥州仙台伊達家墓所
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奥州仙台伊達家墓所
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一の橋
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一の橋
正式には大渡橋(おおばし)と言われるが、弘法大師御廟に向かう参道入口にあり、最初に渡る橋なので、「一の橋」と呼ばれる。昔から、お大師様が、ここまで送り迎えしてくれるとの言い伝えがある。今でも、この橋の前で合掌一礼してお参りする。
(以上、高野山宿坊組合・高野山観光協会公式ホームページより引用) -
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一の橋
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一の橋前のお土産屋さん
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千手院橋バス停付近
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高野山大学
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金蔵院
安養院 -
千手院橋バス停付近
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金剛峯寺へ
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駐車場完備
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金剛峯寺の案内
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金剛峯寺正面
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金剛峯寺
金剛峯寺は、元は真然大徳の住まいがあったところで、西暦1131年(天承元年)10月17日に覺鑁上人が鳥羽上皇の許を得て大伝法院を建立され、その後、豊臣秀吉公が亡き母の菩提を弔うために木食応其上人に命じて建立させた寺院である。
その後、再三の火災によって焼失したが、現在の本殿は西暦1863年(文久3年)に再建されたものである。
現在は、奥の院祖廟を信仰の中心として結成された、高野山真言宗三千余寺、信徒約1千万人の総本山として、高野山真言宗管長兼金剛峯寺座主の住いとなっている。
(以上、高野山宿坊組合・高野山観光協会公式ホームページより引用) -
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中に入る。
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大広間
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蟠龍庭
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蟠龍庭
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上壇の間
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真然廟
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台所
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煙突
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煙突
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昔の炊飯器
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壇上伽藍へ行こうとすると、僧侶の集団がいました。
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壇上伽藍へ
奥の院と共に、高野山の二大聖地である。大師様は、この地を賜った後、七里結界の法を修し、現在の大塔の地を中心に伽藍地鎮の式を行った。西暦819年(弘仁10年)5月3日、地主の神として、丹生、狩場両明神を勧請し、さらに壇上に大塔、金堂を初め諸堂、僧房の建立を計画した。
(以上、高野山宿坊組合・高野山観光協会公式ホームページより引用) -
左から順に、根本大塔、大会堂、東塔
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東塔
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左から順に、根本大塔、大会堂、東塔
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大会堂
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三味堂(左側)と東堂(右側)
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不動堂
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蓮池
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愛染堂(左側)と大会堂(右側)
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左から順に、愛染堂、大会堂、三味堂、東堂
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根本大塔
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大塔の鐘(左側)と金堂(右側)
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大塔の鐘
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金堂
高野山開創当時は講堂と呼ばれ、平安時代半ばから総本堂として重要な役割を果たしてきた。
現在の建物は七度目の再建で、西暦1932年(昭和7年)に完成した。
入母屋造りで本尊は高村光雲作の薬師如来。内部の壁画は木村武山画伯の筆。内陣の両側には、平清盛が自らの額を割った血で中尊を描かせた、通称「血曼荼羅」の模写が掲げられている。
(以上、高野山宿坊組合・高野山観光協会公式ホームページより引用) -
根本大塔
弘法大師、真然大?の2代で、816年から70年の歳月をかけて完成したと伝えられている。
弘法大師は、真言密教の根本道場のシンボルとして建立したので、根本大塔と言い、多宝塔としては、日本で最初のものである。
現在の建物は、西暦1937年(昭和12年)に再建されたものである。
(以上、高野山宿坊組合・高野山観光協会公式ホームページより引用) -
根本大塔の内部
本尊は、胎蔵大日如来が安置され、周りを金剛界の四仏が取り囲み、16本の柱には堂本印象画伯の筆による十六大菩薩が描かれ、四隅の壁には密教を伝えた八祖像も描かれ立体曼荼羅を構成している。
(以上、高野山宿坊組合・高野山観光協会公式ホームページより引用)
館内撮影禁止のため、外からの撮影になりました。 -
根本大塔から大塔の鐘を眺める。
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根本大塔から金堂を眺める。
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中門跡(修復中)
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根本大塔
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金堂
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山王院
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孔雀堂
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根本大塔
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三鈷の松
弘法大師が唐より帰国した時、真言密教を広めるのにふさわしい場所を求めるため、明州の浜より日本へ向けて三鈷と呼ばれる法具を投げたところ、たちまち紫雲たなびき、雲に乗って日本に飛行したと言われる。
後に大師が高野近辺を訪れたところ、狩人から夜な夜な光を放つ松があると聞き、早速その松へ行ってみると、唐より投げた三鈷が引っかかっていたため、この地こそ密教を広めるにふさわしい土地であると、決心したと言い伝えられている。
この松は、三鈷と同じ三葉の松で、聖木として現在も祀られている。
(以上、高野山宿坊組合・高野山観光協会公式ホームページより引用) -
御影堂
伝説の三鈷の松を前にして建つ宝形造りのこのお堂は、もと大師の持仏堂であったが、後に真如親王が描かれた大師御影を祀ったことから、御影堂と名付けられた。
堂内の外陣には十大弟子の肖像が大師の御影を守護するかの様に掲げられている。
現在の建物は、西暦1843年(天保14年)炎上後、西暦1847年(弘化4年)に再建されたものである。
(以上、高野山宿坊組合・高野山観光協会公式ホームページより引用) -
三鈷の松と御影堂
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蓮池
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蓮池
18世紀後期、旱魃がたびたび起こり、瑞相院慈光師が善女竜王像と仏舎利を寄進し、1771年(明和8年)春に蓮池の中島に小さな祠を建立してお祀りした。西暦1996年(平成8年)、祠とともに橋も修復した。
池の周りには四季折々の花木が植えられ、景勝地としても有名である。
(以上、高野山宿坊組合・高野山観光協会公式ホームページより引用) -
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1921年開設の高野山霊宝館、高野山内の貴重な文化遺産(国宝約4700点、重要文化財約14000点、県指定文化財約2800点)を保存・展示している。
入場料600円
残念ながら館内撮影禁止
霊宝館
http://www.reihokan.or.jp/ -
夏期特別展「清盛時代の高野山」(平成24年7月14日〜9月23日)が開催されていました。
目玉は、「両界曼荼羅図(血曼荼羅)」、「烏倶婆迦童子像・恵光童子像」、「白磁四耳壺(福建省民窯)」だそうです。 -
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大門
11世紀末頃に建てられた高野山の総門であり、現在の大門は、西暦1705年(宝永2年)に再建されたものである。 -
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正面桁行21.4m、梁間7.9m、高さ25.1mで、重要文化財に指定されています。
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阿形像は江戸時代の仏師・康意、吽形像は法橋運長による大作です。
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普賢院
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普門院
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高野山警察署
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南院
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浪切不動尊
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徳川家霊台の入口
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