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<br /> 遠い日、いまよりはるかに生き急いでいた頃、パリのバスチーユ地区にある安宿に秋の終わりからパリ祭直前までのおよそ8ヶ月のあいだ暮らした。アーネスト・ヘミングウェイが『移動祝祭日』の中で「人生のある時期、パリに暮らした者には一生涯パリがついてまわる。なぜなら、パリは移動祝祭日だからだ」と書いたくだりを自分自身の眼と耳と鼻と舌と肌で検証しようというのが旅の動機だった。と言えば聞こえはいいが、当時、個人的に傾倒していたフランスの文学者、哲学者、思想家(モーリス・ブランショ、ロラン・バルト、ジャック・デリダ、ミシェル・フコ、ジル・ドゥルーズ、クロード・レヴィ=ストロース、ルイ・アルチュセール、ジャック・ラカンら)に直接会い、あわよくばインタビューしてやろうという無謀な試みを実行に移しただけのことである。さらには、彼らへのインタビューをまとめて出版化にこぎつけたいという密やかな企みもあった。当然のことながら、この身のほどをわきまえぬ「蛮行」は失敗に終わった。キラ星のごとき構造主義者たちとはただの一人も直接対面することはできなかった。もっとも、「顔のない作家」であるブランショがじかに他者と会うはずはないし、「悪しきパロール中心主義」から「戯れのエクリチュール」への脱却を標榜していたデリダがそもそもインタビューなんぞに応じるわけもない。しかも、相手は「極東の小島」の名も知らぬ小僧っこである。歯牙にもかけまい。そんなことはハナからわかっていた。わかってはいたが、「実存をさらけだせばもしや」の気持ちがなかったわけではないのもまた事実である。私の目論見はかなわなかったが、パリのど真ん中で、憧れのストラクチュアル・ギャング・スターズとおなじ空気を吸い、おなじパンを食い、おなじセーヌ川を眺め、かれらが歩いているとおなじモンマルトルやモンパルナッスやカルチェ・ラタンを歩き、おなじパリの雨に打たれ、おなじパリの空を見上げたことだけで、私はじゅうぶんに満足だった。面談の交渉のために訪れたエコール・ノルマル・シューペリウールやコレージュ・ド・フランスの学食で食べた昼飯はおそろしいほど安く、おそろしいほどまずかったことを憶えている。<br /> エッフェル塔や凱旋門にのぼり、またサクレクール寺院前の斜面に座り、パリの街を一望したときには、いま目の前にひろがるパリのどこかにフコやデリダやレヴィ=ストロースがいるのだということに思いいたり、胸に強く迫るものがあった。旅程表をつくりはじめ、私淑していた清水多吉先生に相談したところ、「ミッテランが大統領のうちに行ってきなさい」と激励され、数通の紹介状を書いていただいた。おかげで、当時、飛ぶ鳥を落とす勢いだったユルゲン・ハーバーマス教授にお会いできたばかりか、カルチェ・ラタンの小さなビストロでごちそうにまでなった。忘れえぬ思い出のひとつである。ハーバーマス教授は「あなたはいくぶんか物事を性急に片づけようとする面があるが、それもまた若さの特権でしょう」と言って笑い、食後の腹ごなしの散歩の際に、セーヌ川沿いの古本屋でみずから選び、買ったポール・ニザンの『アデン・アラビア』にその場でサインをし、プレゼントしてくださった。「『アデン・アラビア』には純粋無垢なる魂があります。ポール・ニザンの魂はあかむけなのです」というハーバーマス教授の言葉はいまも私の胸を打つ。以来、再会は果たされていないが、いつかいまだに生き急ぎ、物事を性急に片づけようとする面の改まらない私をおめにかけ、叱咤していただきたいものである。<br /><br /> さて、約8ヶ月間、パリ探索の拠点としたのは、「オテル・ド・フルクチュア・ネク・メルギチュール」という名の木賃宿だった。ホテルをうたってはいたが、どう贔屓目にみても下宿屋に毛の生えたようなぼろ宿だった。もちろん、料金はおどろくほど安く、ユースホステルやYMCA系列の施設に泊まるより、はるかにふところにやさしかった。もっとも、私が宿を「オテル・ド・フルクチュア・ネク・メルギチュール」に決めた理由は単に宿代の安さだけではない。「オテル・ド・フルクチュア・ネク・メルギチュール」という名前に魅かれたからである。日本語にすれば、「漂泊不沈旅籠」とでもなるだろうか。「漂泊不沈」すなわち、「漂えど沈まず」という言葉は私が師と仰ぐ人物から教わったが、以来、きょうまで私の座右の銘となっている。「漂えど沈まず」は古いラテン語の成句で「FLUCTUAT NEC MERGITUR」といい、パリの市民憲章ともなっている。シテ島対岸のパリ市庁舎正面玄関にはFLUCTUAT NEC MERGITURと刻まれた大理石のプレートが掲げられ、「魂の不服従」をしめすシンボルとなっている。パリがまだルテチアと呼ばれていた頃、パリの街一帯はローマ帝国による支配下にあった。だが、行政上の支配を受けてはいても、志、魂はけっして何者にも売りわたさない、屈服しないという決意をこの言葉はあらわしている。パリ暮らしの日々が本稿の目的ではないので、話はパリを去る日にまで飛ぶ。パリの街は7月14日の革命記念日(パリ祭)をひかえて慌ただしく、装いをあらたにしようと活動的になっていた。革命記念日は翌週に迫っていたが、私は旅装をととのえ、次の目的地リスボン行きのチケットを買った。シャルル・ド・ゴール空港までのリムジン・バスの車中、私は別れがたいパリへの思いを断ち切ろうと、あえて窓外を見ず、パリ北駅の売店で買ったフィガロ紙を隅から隅まで読んでいた。その中に時計メーカーのフェスティナの広告をみつけた。<br /><br /> 旅人とともに時を刻む。フェスティナ。<br /><br /> けっしてできがよいとはいえないキャッチコピーに苦笑したが、私をひきつけたのは「Festina Lente」と刻まれた石の彫刻の写真だった。「Festina Lente」とはギリシャ語で、「ゆっくりと急いで」を意味する。古代ギリシャの劇作家ソポクレスの『アンティゴネー』第231節に由来する言葉である。私ははっとした。悠々としすぎたのではないか。旅はまだなかばまでにもいたっていない。いつか旅の円環は閉じられるとしても、悠長な旅などとは無縁であろうと決めてはじめた旅ではなかったか。急いていては本来見るべきもの、聴くべきもの、味わうべきもの、触れるべきものを逃してしまう。しかし、急がなければ先へは進めないのだ。<br /> 私はシャルル・ド・ゴール空港につくやいなや、デイパックひとつに入るものだけを残して、ディナー用のフォーマル・スーツやネクタイ、ドレスシャツ、テストーニの靴、さらにはパリ漂泊中に集めに集めた「パリ土産」の数々をすべてゴミ箱に放りこみ、ついにはスーツケースも置き去りにして、必要最小限の旅装に改めた。「パリの日々」の痕跡はことごとく失われ、デラシネ同然だったが、心は信じがたいほどに軽やかでおだやかで、冬のパリの空のように晴れわたっていた。悠々として急ぐ者はちょっとやそっとのことで動じてはならないのである。<br /><br />(a suivre→ser continua)

漂えど沈まず、悠々として急げ #1

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1980/11/26 - 1981/07/07

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ディオゲネスの犬

ディオゲネスの犬さん


 遠い日、いまよりはるかに生き急いでいた頃、パリのバスチーユ地区にある安宿に秋の終わりからパリ祭直前までのおよそ8ヶ月のあいだ暮らした。アーネスト・ヘミングウェイが『移動祝祭日』の中で「人生のある時期、パリに暮らした者には一生涯パリがついてまわる。なぜなら、パリは移動祝祭日だからだ」と書いたくだりを自分自身の眼と耳と鼻と舌と肌で検証しようというのが旅の動機だった。と言えば聞こえはいいが、当時、個人的に傾倒していたフランスの文学者、哲学者、思想家(モーリス・ブランショ、ロラン・バルト、ジャック・デリダ、ミシェル・フコ、ジル・ドゥルーズ、クロード・レヴィ=ストロース、ルイ・アルチュセール、ジャック・ラカンら)に直接会い、あわよくばインタビューしてやろうという無謀な試みを実行に移しただけのことである。さらには、彼らへのインタビューをまとめて出版化にこぎつけたいという密やかな企みもあった。当然のことながら、この身のほどをわきまえぬ「蛮行」は失敗に終わった。キラ星のごとき構造主義者たちとはただの一人も直接対面することはできなかった。もっとも、「顔のない作家」であるブランショがじかに他者と会うはずはないし、「悪しきパロール中心主義」から「戯れのエクリチュール」への脱却を標榜していたデリダがそもそもインタビューなんぞに応じるわけもない。しかも、相手は「極東の小島」の名も知らぬ小僧っこである。歯牙にもかけまい。そんなことはハナからわかっていた。わかってはいたが、「実存をさらけだせばもしや」の気持ちがなかったわけではないのもまた事実である。私の目論見はかなわなかったが、パリのど真ん中で、憧れのストラクチュアル・ギャング・スターズとおなじ空気を吸い、おなじパンを食い、おなじセーヌ川を眺め、かれらが歩いているとおなじモンマルトルやモンパルナッスやカルチェ・ラタンを歩き、おなじパリの雨に打たれ、おなじパリの空を見上げたことだけで、私はじゅうぶんに満足だった。面談の交渉のために訪れたエコール・ノルマル・シューペリウールやコレージュ・ド・フランスの学食で食べた昼飯はおそろしいほど安く、おそろしいほどまずかったことを憶えている。
 エッフェル塔や凱旋門にのぼり、またサクレクール寺院前の斜面に座り、パリの街を一望したときには、いま目の前にひろがるパリのどこかにフコやデリダやレヴィ=ストロースがいるのだということに思いいたり、胸に強く迫るものがあった。旅程表をつくりはじめ、私淑していた清水多吉先生に相談したところ、「ミッテランが大統領のうちに行ってきなさい」と激励され、数通の紹介状を書いていただいた。おかげで、当時、飛ぶ鳥を落とす勢いだったユルゲン・ハーバーマス教授にお会いできたばかりか、カルチェ・ラタンの小さなビストロでごちそうにまでなった。忘れえぬ思い出のひとつである。ハーバーマス教授は「あなたはいくぶんか物事を性急に片づけようとする面があるが、それもまた若さの特権でしょう」と言って笑い、食後の腹ごなしの散歩の際に、セーヌ川沿いの古本屋でみずから選び、買ったポール・ニザンの『アデン・アラビア』にその場でサインをし、プレゼントしてくださった。「『アデン・アラビア』には純粋無垢なる魂があります。ポール・ニザンの魂はあかむけなのです」というハーバーマス教授の言葉はいまも私の胸を打つ。以来、再会は果たされていないが、いつかいまだに生き急ぎ、物事を性急に片づけようとする面の改まらない私をおめにかけ、叱咤していただきたいものである。

 さて、約8ヶ月間、パリ探索の拠点としたのは、「オテル・ド・フルクチュア・ネク・メルギチュール」という名の木賃宿だった。ホテルをうたってはいたが、どう贔屓目にみても下宿屋に毛の生えたようなぼろ宿だった。もちろん、料金はおどろくほど安く、ユースホステルやYMCA系列の施設に泊まるより、はるかにふところにやさしかった。もっとも、私が宿を「オテル・ド・フルクチュア・ネク・メルギチュール」に決めた理由は単に宿代の安さだけではない。「オテル・ド・フルクチュア・ネク・メルギチュール」という名前に魅かれたからである。日本語にすれば、「漂泊不沈旅籠」とでもなるだろうか。「漂泊不沈」すなわち、「漂えど沈まず」という言葉は私が師と仰ぐ人物から教わったが、以来、きょうまで私の座右の銘となっている。「漂えど沈まず」は古いラテン語の成句で「FLUCTUAT NEC MERGITUR」といい、パリの市民憲章ともなっている。シテ島対岸のパリ市庁舎正面玄関にはFLUCTUAT NEC MERGITURと刻まれた大理石のプレートが掲げられ、「魂の不服従」をしめすシンボルとなっている。パリがまだルテチアと呼ばれていた頃、パリの街一帯はローマ帝国による支配下にあった。だが、行政上の支配を受けてはいても、志、魂はけっして何者にも売りわたさない、屈服しないという決意をこの言葉はあらわしている。パリ暮らしの日々が本稿の目的ではないので、話はパリを去る日にまで飛ぶ。パリの街は7月14日の革命記念日(パリ祭)をひかえて慌ただしく、装いをあらたにしようと活動的になっていた。革命記念日は翌週に迫っていたが、私は旅装をととのえ、次の目的地リスボン行きのチケットを買った。シャルル・ド・ゴール空港までのリムジン・バスの車中、私は別れがたいパリへの思いを断ち切ろうと、あえて窓外を見ず、パリ北駅の売店で買ったフィガロ紙を隅から隅まで読んでいた。その中に時計メーカーのフェスティナの広告をみつけた。

 旅人とともに時を刻む。フェスティナ。

 けっしてできがよいとはいえないキャッチコピーに苦笑したが、私をひきつけたのは「Festina Lente」と刻まれた石の彫刻の写真だった。「Festina Lente」とはギリシャ語で、「ゆっくりと急いで」を意味する。古代ギリシャの劇作家ソポクレスの『アンティゴネー』第231節に由来する言葉である。私ははっとした。悠々としすぎたのではないか。旅はまだなかばまでにもいたっていない。いつか旅の円環は閉じられるとしても、悠長な旅などとは無縁であろうと決めてはじめた旅ではなかったか。急いていては本来見るべきもの、聴くべきもの、味わうべきもの、触れるべきものを逃してしまう。しかし、急がなければ先へは進めないのだ。
 私はシャルル・ド・ゴール空港につくやいなや、デイパックひとつに入るものだけを残して、ディナー用のフォーマル・スーツやネクタイ、ドレスシャツ、テストーニの靴、さらにはパリ漂泊中に集めに集めた「パリ土産」の数々をすべてゴミ箱に放りこみ、ついにはスーツケースも置き去りにして、必要最小限の旅装に改めた。「パリの日々」の痕跡はことごとく失われ、デラシネ同然だったが、心は信じがたいほどに軽やかでおだやかで、冬のパリの空のように晴れわたっていた。悠々として急ぐ者はちょっとやそっとのことで動じてはならないのである。

(a suivre→ser continua)

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
グルメ
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
100万円以上
交通手段
鉄道 レンタカー 自転車 タクシー 徒歩
航空会社
エールフランス
旅行の手配内容
個別手配

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