2012/07/09 - 2012/07/09
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さすらいおじさんさん
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京都八幡市の単伝庵(たんでんあん)は別名「らくがき寺」として知られている。山門を入った正面には大黒堂という御堂があり、御堂の白い内壁が願いを託した落書きで真っ黒になっている。
後村上天皇行宮跡は単伝庵(たんでんあん)の近くにある。後村上天皇(ごむらかみてんのう1328−1368年)は、南北朝時代の第97代、南朝第2代天皇。
奈良の吉野・吉水神社(よしみずじんじゃ)、大阪の住吉大社の南、大社の歴代宮司の津守氏の住之江殿(正印殿)の中、石清水八幡宮などを行宮(あんぐう・かりみや)とした。
1333年鎌倉幕府が滅亡し、父・後醍醐天皇(ごだいごてんのう1288−1339年)が建武の新政を始めた。1335年に足利尊氏(あしかが たかうじ1305−1358年)が新政から離反し後醍醐天皇らは吉野へ逃れて南朝を成立させた。後村上天皇は1339年に後醍醐天皇から譲位され即位した。
八幡市の後村上天皇行宮には1352年に数ヶ月滞在し、南朝の楠木正成(くすのき まさしげー1336年)の3男・楠木正儀(くすのき まさのり−1389年)とともに北朝の足利尊氏、足利義詮(あしかが よしあきら1330−1367年)らと戦っていた。南朝は京都奪還を目指して戦うが足利義満(あしかが よしみつ1358−1408年)の将軍就任後の1368年に後村上天皇は住之江殿で崩御。南北朝時代は戦いの連続で後村上天皇は住まいを転々とせざるを得なかった。天皇の行宮所といっても神社内の粗末な建物だったのだろう。
後村上天皇行宮跡の碑は八幡市の観光ガイドにも掲載されておらず、住宅の間にひっそりと建っている。
(写真は単伝庵)
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
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単伝庵(たんでんあん)山門前の光景。
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単伝庵(たんでんあん)境内の光景。
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単伝庵(たんでんあん)山門前の光景。
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単伝庵(たんでんあん)境内の光景。
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単伝庵(たんでんあん)山門前の光景。
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単伝庵(たんでんあん)山門前の光景。
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単伝庵(たんでんあん)山門前の光景。
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単伝庵(たんでんあん)山門前の光景。
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単伝庵(たんでんあん)境内の光景。
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単伝庵(たんでんあん)境内の光景。
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単伝庵(たんでんあん)境内の光景。
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単伝庵(たんでんあん)境内の光景。
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単伝庵(たんでんあん)境内の光景。
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単伝庵(たんでんあん)境内の光景。
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単伝庵(たんでんあん)境内の光景。
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単伝庵(たんでんあん)境内の光景。
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単伝庵(たんでんあん)山門前の光景。
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後村上天皇行宮跡の光景。
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後村上天皇行宮跡周辺の光景。
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後村上天皇行宮跡の光景。
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後村上天皇行宮跡周辺の光景。
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後村上天皇行宮跡の光景。
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後村上天皇行宮跡周辺の光景。
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後村上天皇行宮跡の光景。
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後村上天皇行宮跡周辺の光景。
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後村上天皇行宮跡周辺の光景。
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後村上天皇行宮跡周辺の光景。
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後村上天皇行宮跡周辺の光景。
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