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新聞紙上では電力不足、計画停電と言う文字が踊っています。熱闘の阪神地区から逃避しなければ身が持たない!そんな不純な動機で、首都圏の奥座敷と称される鬼怒川・日光・草津ツアーに申し込みました。その後、ニュースを見ていると群馬県館林市で今季最高気温37℃…。旅程に拠れば、確かこの周辺にも立ち寄ります。選択肢を誤ったのでしょうか…。<br />今回の旅行の主たる目的は、次の3つです。<br />①日光東照宮に語り継がれる謎をこの目で確かめる。<br />②名湯に浸かって心身を癒し、明日へのエネルギーを充電する。<br />③華厳の滝、白根山湯釜等の自然の畏怖に触れ、自分を見つめ直す。<br /><br /><コース概要><br />第一日目:鬼怒川温泉 (ものぐさの宿 花千郷 泊)<br />     17:30頃宿へ到着。その後、個人的に五橋巡り散策。<br />第二日目:早朝 五橋巡り散策。<br />     日光東照宮拝観==華厳の滝==吹き割の滝==草津温泉<br />     (ホテル リゾート泊)<br />     夕食後、湯畑の夜景観賞<br />第三日目:熱の湯 湯もみショー見学--西の河原公園散策==白根山 <br />     湯釜見学==善光寺参拝<br /><br />今回は、最終章の長野 善光寺編をご紹介いたします。<br />

鬼怒川・日光・草津 湯煙情緒 ⑥善光寺編

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2012/07/27 - 2012/07/29

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montsaintmichel

montsaintmichelさん

新聞紙上では電力不足、計画停電と言う文字が踊っています。熱闘の阪神地区から逃避しなければ身が持たない!そんな不純な動機で、首都圏の奥座敷と称される鬼怒川・日光・草津ツアーに申し込みました。その後、ニュースを見ていると群馬県館林市で今季最高気温37℃…。旅程に拠れば、確かこの周辺にも立ち寄ります。選択肢を誤ったのでしょうか…。
今回の旅行の主たる目的は、次の3つです。
①日光東照宮に語り継がれる謎をこの目で確かめる。
②名湯に浸かって心身を癒し、明日へのエネルギーを充電する。
③華厳の滝、白根山湯釜等の自然の畏怖に触れ、自分を見つめ直す。

<コース概要>
第一日目:鬼怒川温泉 (ものぐさの宿 花千郷 泊)
     17:30頃宿へ到着。その後、個人的に五橋巡り散策。
第二日目:早朝 五橋巡り散策。
     日光東照宮拝観==華厳の滝==吹き割の滝==草津温泉
     (ホテル リゾート泊)
     夕食後、湯畑の夜景観賞
第三日目:熱の湯 湯もみショー見学--西の河原公園散策==白根山
     湯釜見学==善光寺参拝

今回は、最終章の長野 善光寺編をご紹介いたします。

同行者
カップル・夫婦
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
観光バス 新幹線
利用旅行会社
ツアー(添乗員同行あり)

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  • 善光寺 忠霊殿<br />バスを降り、案内人と言う宿坊の方に通されたのがここ。戊辰戦争から第二次世界大戦に至るまでに亡くなられた240万余柱の英霊を祀る、我が国唯一の仏式による霊廟です。御本尊は秘仏の善光寺如来様の分身仏です。ここでありがたい説教を聞き、その後、日光東照宮同様に営業トークが炸裂します。その後、本堂までの案内と参拝で滞在時間1・5時間の半分を取られてしまいました。<br /><br />善光寺が物部守屋の祟り封じの寺であることは、後述するように周知の事実です。第二次世界大戦で日本軍がハワイの真珠湾奇襲攻撃の成功を伝えた暗号電信に「トラトラトラ」があり、この意味は「ワレ奇襲ニ成功セリ」。この暗号は、聖徳太子が信貴山にて物部守屋討伐の戦勝祈願をした際、寅の年、寅の日、寅の刻に毘沙門天が聖徳太子の前に現れ、そのご加護によって物部氏に勝利したという伝説にちなむものです。これじゃあ、どんな日本通でも暗号を解読するのは無理ですね。 <br />

    善光寺 忠霊殿
    バスを降り、案内人と言う宿坊の方に通されたのがここ。戊辰戦争から第二次世界大戦に至るまでに亡くなられた240万余柱の英霊を祀る、我が国唯一の仏式による霊廟です。御本尊は秘仏の善光寺如来様の分身仏です。ここでありがたい説教を聞き、その後、日光東照宮同様に営業トークが炸裂します。その後、本堂までの案内と参拝で滞在時間1・5時間の半分を取られてしまいました。

    善光寺が物部守屋の祟り封じの寺であることは、後述するように周知の事実です。第二次世界大戦で日本軍がハワイの真珠湾奇襲攻撃の成功を伝えた暗号電信に「トラトラトラ」があり、この意味は「ワレ奇襲ニ成功セリ」。この暗号は、聖徳太子が信貴山にて物部守屋討伐の戦勝祈願をした際、寅の年、寅の日、寅の刻に毘沙門天が聖徳太子の前に現れ、そのご加護によって物部氏に勝利したという伝説にちなむものです。これじゃあ、どんな日本通でも暗号を解読するのは無理ですね。

  • 善光寺 忠霊殿<br />善光寺の御本尊は鎌倉時代の作品で、日本最古の仏様だそうです。ただし、インドから百済に渡り、552年に聖明王から献呈されたものとされる一光三尊阿弥陀如来像が今も「秘仏」として善光寺に眠っているというのは、日本仏教史上に於いて大いなる謎とされています。御本尊は、蘇我氏と物部氏の仏教を巡る争いの中、悪疫流行の禍根と見なされ、難波に放置されたそうです。善光がこの仏像を長野の飯田に持ち帰り、寺を建てたのが始まりで、642年に善光寺に移されたものです。忠霊殿にある掛け軸には、阿弥陀如来を中央、向かって右に観音菩薩、左に勢至菩薩の三尊が一つの舟型光背を背にしており、ノアの箱舟を彷彿とさせます。右手は上げた手のひらを開いて前に向けた施無畏印、左手は腕を下げて第二・三指を伸ばし、他の指を折り曲げた刀剣印。これは、上位から下位まで全ての人々を浄土へ導く印相だそうです。掛け軸の下方には本田善光とその奥方も描かれています。秘仏である由縁は、いくつか挙げられています。例えば、火事から御本尊を保護するため、毀損に備える、人によっては既に御本尊はないとも言われています。いずれにしても、御本尊の姿が見えないという神秘に引き寄せられる参拝客が多く、むしろ姿が見えないことにより善光寺が全国的にその信仰を広めたともいえます。善光寺の御開帳では、御本尊に代わって模して作られた前立本尊が公開されます。<br />御本尊は、戦乱によって数奇な運命を辿り、各地を転々と旅して終の棲家に帰ってきました。まず、武田信玄が深く善光寺如来に帰依し、1558年甲府に「新善光寺」を建てて御本尊を安置。次に織田信長が美濃国岐阜から尾張甚目寺(1582年)へ移します。この一年後、徳川家康が再び甲府新善光寺へ移動。次いで、豊臣秀吉が京都方広寺(1597年)へ移し、最終的に天海によって善光寺に納められました(1598年)。戦の度に為政者の戦利品となっていた御本尊が、本来あるべき信州信濃の地に戻ってきたのです。寄寓にも善光寺には、信玄と謙信が敵味方の違いを越えて大勧進の中で位牌を並べて供養されています。ちなみに、大宝寺の聖観音像、浅草の観音とともに日本三大秘仏の一つに数えられます。

    善光寺 忠霊殿
    善光寺の御本尊は鎌倉時代の作品で、日本最古の仏様だそうです。ただし、インドから百済に渡り、552年に聖明王から献呈されたものとされる一光三尊阿弥陀如来像が今も「秘仏」として善光寺に眠っているというのは、日本仏教史上に於いて大いなる謎とされています。御本尊は、蘇我氏と物部氏の仏教を巡る争いの中、悪疫流行の禍根と見なされ、難波に放置されたそうです。善光がこの仏像を長野の飯田に持ち帰り、寺を建てたのが始まりで、642年に善光寺に移されたものです。忠霊殿にある掛け軸には、阿弥陀如来を中央、向かって右に観音菩薩、左に勢至菩薩の三尊が一つの舟型光背を背にしており、ノアの箱舟を彷彿とさせます。右手は上げた手のひらを開いて前に向けた施無畏印、左手は腕を下げて第二・三指を伸ばし、他の指を折り曲げた刀剣印。これは、上位から下位まで全ての人々を浄土へ導く印相だそうです。掛け軸の下方には本田善光とその奥方も描かれています。秘仏である由縁は、いくつか挙げられています。例えば、火事から御本尊を保護するため、毀損に備える、人によっては既に御本尊はないとも言われています。いずれにしても、御本尊の姿が見えないという神秘に引き寄せられる参拝客が多く、むしろ姿が見えないことにより善光寺が全国的にその信仰を広めたともいえます。善光寺の御開帳では、御本尊に代わって模して作られた前立本尊が公開されます。
    御本尊は、戦乱によって数奇な運命を辿り、各地を転々と旅して終の棲家に帰ってきました。まず、武田信玄が深く善光寺如来に帰依し、1558年甲府に「新善光寺」を建てて御本尊を安置。次に織田信長が美濃国岐阜から尾張甚目寺(1582年)へ移します。この一年後、徳川家康が再び甲府新善光寺へ移動。次いで、豊臣秀吉が京都方広寺(1597年)へ移し、最終的に天海によって善光寺に納められました(1598年)。戦の度に為政者の戦利品となっていた御本尊が、本来あるべき信州信濃の地に戻ってきたのです。寄寓にも善光寺には、信玄と謙信が敵味方の違いを越えて大勧進の中で位牌を並べて供養されています。ちなみに、大宝寺の聖観音像、浅草の観音とともに日本三大秘仏の一つに数えられます。

  • 善光寺 乳牛親子像 <br />場違いのような、樹脂で作られた乳牛の親子「善子さん」と「光子さん」の像です。忠霊殿への階段手前から右手に伸びる狭い閑静な散策小路の途中に忽然と出現して驚かされます。「牛にひかれて善光寺参り」に登場する和牛とは異なるホルンスタイン種で、ベタな語呂合わせですが微笑ましい姿で親しまれているようです。<br />ちなみに、寄贈は森永乳業。森永乳業は森永製菓と合併した会社で、森永製菓の創業者・森永太一郎は熱心なクリスチャン。晩年はキリスト教伝道者として余生を捧げた人だったそうです。草葉の陰(クリスチャンではどう表現するのでしょうか?)から眉を顰めて見ているのでは!?偶然の賜物か、善子・光子というのが一昔前のクリスチャン・ホームに多い名前であるのが唯一の救いです。

    善光寺 乳牛親子像
    場違いのような、樹脂で作られた乳牛の親子「善子さん」と「光子さん」の像です。忠霊殿への階段手前から右手に伸びる狭い閑静な散策小路の途中に忽然と出現して驚かされます。「牛にひかれて善光寺参り」に登場する和牛とは異なるホルンスタイン種で、ベタな語呂合わせですが微笑ましい姿で親しまれているようです。
    ちなみに、寄贈は森永乳業。森永乳業は森永製菓と合併した会社で、森永製菓の創業者・森永太一郎は熱心なクリスチャン。晩年はキリスト教伝道者として余生を捧げた人だったそうです。草葉の陰(クリスチャンではどう表現するのでしょうか?)から眉を顰めて見ているのでは!?偶然の賜物か、善子・光子というのが一昔前のクリスチャン・ホームに多い名前であるのが唯一の救いです。

  • 善光寺 経蔵【重文】<br />1759年に建立された宝形造りのお堂です。内部中央には八角の輪蔵があり、その中には仏教経典を網羅した『一切経』が収められています。輪蔵に付属している腕木を押し回すことでこの『一切経』を全て読んだことと同じ功徳が得られるといわれています。また、経蔵内には輪蔵を考案した傅大士、並びに伝教・慈覚の両大師像が祀られています。<br />

    善光寺 経蔵【重文】
    1759年に建立された宝形造りのお堂です。内部中央には八角の輪蔵があり、その中には仏教経典を網羅した『一切経』が収められています。輪蔵に付属している腕木を押し回すことでこの『一切経』を全て読んだことと同じ功徳が得られるといわれています。また、経蔵内には輪蔵を考案した傅大士、並びに伝教・慈覚の両大師像が祀られています。

  • 善光寺 本堂【国宝】<br />人名を寺の名に使う特異性。仏塔がなく本堂が全ての特殊な伽藍配置。そして特定の宗派に属さない無宗派。こうした事実が重なると、善光寺が鎮魂を目的とした特別なお寺であることを思い知らされます。ご本尊の一光三尊阿弥陀如来像は、仏教の受容を巡っての崇仏・廃仏論争の最中、廃仏派の物部氏によって難波の堀江に放置されていました。後に、信濃国司の従者として都に上った若麻績東人 別名 本田善光が飯田へ持ち帰り、皇極天皇が642年に現在の地に遷座しました。実は善光寺は物部守屋鎮魂の為に建てられた寺でもあるそうです。物部氏は、丁未の乱(578年)で蘇我氏に滅ぼされます。最後の当主が守屋で、彼の霊魂は祟ったらしく、鎮魂のために特別なお寺が必要とされたのです。極楽浄土へ導く御本尊への信仰が再建を叶えたことは事実ですが、一方で守屋鎮魂のお寺が必ず存在し続けなければならなかったという背景も軽んずべきではないように思います。<br /><br />本堂は「妻入り」という奥行きのある造りで、1179年に焼失して源頼朝によって再建されました。現在の本堂は1707年の再建で、江戸中期を代表する仏教建築として国宝に指定されています。間口24m、奥行54m、高さ26mという国内有数の木造建築で、T字型の棟の形が鐘を叩く撞木に似ていることから「撞木造」と呼ばれます。屋根は総檜皮葺き。最奥に瑠璃壇があり、その地下で「お戒壇めぐり」をすることができます。これは全く光の入らない漆黒の暗闇の回廊を進み、中ほどにある極楽の錠前を探り当てることにより、秘仏である御本尊と結縁するという趣向のものです。

    善光寺 本堂【国宝】
    人名を寺の名に使う特異性。仏塔がなく本堂が全ての特殊な伽藍配置。そして特定の宗派に属さない無宗派。こうした事実が重なると、善光寺が鎮魂を目的とした特別なお寺であることを思い知らされます。ご本尊の一光三尊阿弥陀如来像は、仏教の受容を巡っての崇仏・廃仏論争の最中、廃仏派の物部氏によって難波の堀江に放置されていました。後に、信濃国司の従者として都に上った若麻績東人 別名 本田善光が飯田へ持ち帰り、皇極天皇が642年に現在の地に遷座しました。実は善光寺は物部守屋鎮魂の為に建てられた寺でもあるそうです。物部氏は、丁未の乱(578年)で蘇我氏に滅ぼされます。最後の当主が守屋で、彼の霊魂は祟ったらしく、鎮魂のために特別なお寺が必要とされたのです。極楽浄土へ導く御本尊への信仰が再建を叶えたことは事実ですが、一方で守屋鎮魂のお寺が必ず存在し続けなければならなかったという背景も軽んずべきではないように思います。

    本堂は「妻入り」という奥行きのある造りで、1179年に焼失して源頼朝によって再建されました。現在の本堂は1707年の再建で、江戸中期を代表する仏教建築として国宝に指定されています。間口24m、奥行54m、高さ26mという国内有数の木造建築で、T字型の棟の形が鐘を叩く撞木に似ていることから「撞木造」と呼ばれます。屋根は総檜皮葺き。最奥に瑠璃壇があり、その地下で「お戒壇めぐり」をすることができます。これは全く光の入らない漆黒の暗闇の回廊を進み、中ほどにある極楽の錠前を探り当てることにより、秘仏である御本尊と結縁するという趣向のものです。

  • 善光寺 本堂【国宝】<br />長野の俳人 小林一茶の「春風や牛に引かれて善光寺」という句があります。これは善光寺信仰の「牛に引かれて善光寺」に季語を冠しただけですが、味わいのある句いなっています。もとより、善光寺は女性参詣者が多いことで有名です。その理由は、大本願(浄土宗)が歴代尼寺(善光寺上人:122世 西栄)であることと「牛に引かれて」のエピソードが、女人往生の物語であることから来ているのではないかと思います。<br /><br />昔、信濃の国に心が貧しい老婆がおりました。ある日、軒下に布を干していると牛がやってきて、その角に布を引っかけて走り去りました。欲深い女は牛を追いかけますが、なかなか追いつきません。とうとう善光寺の金堂前まで来てしまいました。日が沈み、牛はかき消すように見えなくなりました。ところが善光寺の仏さまの光明が、あたかも昼のように老婆を照らしました。ふと、足下に垂れていた牛の涎を見ると、まるで文字のように見えます。<br />「うしとのみおもひはなち そこの道に なれをみちびくおのが心を」<br />と読めました。女はたちまち菩提の心を起こし、一晩中善光寺如来様の前で念仏唱えました。その時には、布を探そうとする心はなく、家に帰ってこの世の無常を嘆き悲しみながら暮らしていました。たまたま近くの観音堂にお参りしたところ、あの布がお観音さんの足下にあるではないですか。牛は、この観音菩薩様の化身だったと気づき、ますます善光寺の仏様を信じ、めでたく極楽往生を遂げました。そのお観音様は、布引観音といわれています。<br />

    善光寺 本堂【国宝】
    長野の俳人 小林一茶の「春風や牛に引かれて善光寺」という句があります。これは善光寺信仰の「牛に引かれて善光寺」に季語を冠しただけですが、味わいのある句いなっています。もとより、善光寺は女性参詣者が多いことで有名です。その理由は、大本願(浄土宗)が歴代尼寺(善光寺上人:122世 西栄)であることと「牛に引かれて」のエピソードが、女人往生の物語であることから来ているのではないかと思います。

    昔、信濃の国に心が貧しい老婆がおりました。ある日、軒下に布を干していると牛がやってきて、その角に布を引っかけて走り去りました。欲深い女は牛を追いかけますが、なかなか追いつきません。とうとう善光寺の金堂前まで来てしまいました。日が沈み、牛はかき消すように見えなくなりました。ところが善光寺の仏さまの光明が、あたかも昼のように老婆を照らしました。ふと、足下に垂れていた牛の涎を見ると、まるで文字のように見えます。
    「うしとのみおもひはなち そこの道に なれをみちびくおのが心を」
    と読めました。女はたちまち菩提の心を起こし、一晩中善光寺如来様の前で念仏唱えました。その時には、布を探そうとする心はなく、家に帰ってこの世の無常を嘆き悲しみながら暮らしていました。たまたま近くの観音堂にお参りしたところ、あの布がお観音さんの足下にあるではないですか。牛は、この観音菩薩様の化身だったと気づき、ますます善光寺の仏様を信じ、めでたく極楽往生を遂げました。そのお観音様は、布引観音といわれています。

  • 善光寺 本堂【国宝】 おびんずる尊者<br />お釈迦様の弟子で十六羅漢の筆頭に数えられる聖者です。正式には、賓度羅跋羅闍尊者と言われます。お酒が原因でお釈迦様の呵責を受けて涅槃を許されず、釈尊入滅後も衆生を救い続ける義務を負わされたそうです。それ故、本来は憤怒した厳しいお顔つきをされているそうですが、その片鱗を窺うことはできません。病人や怪我をした人が患部と同じところを擦ると治癒するという言い伝えが合ある仏像です。別名「撫で仏」。<br />ご覧のように引手数多です。<br />

    善光寺 本堂【国宝】 おびんずる尊者
    お釈迦様の弟子で十六羅漢の筆頭に数えられる聖者です。正式には、賓度羅跋羅闍尊者と言われます。お酒が原因でお釈迦様の呵責を受けて涅槃を許されず、釈尊入滅後も衆生を救い続ける義務を負わされたそうです。それ故、本来は憤怒した厳しいお顔つきをされているそうですが、その片鱗を窺うことはできません。病人や怪我をした人が患部と同じところを擦ると治癒するという言い伝えが合ある仏像です。別名「撫で仏」。
    ご覧のように引手数多です。

  • 善光寺 本堂【国宝】 閻魔大王像<br />死後の世界の大王として信仰される閻魔大王です。内陣の入口にある鏡は、人の嘘を映す閻魔様の鏡の象徴とされています。真っ赤な顔が強面で印象的です。<br /><br />対峙すると本物の閻魔大王の目前に引き立てられた気分になり、緊張感が漲ると共にこれからの人生の襟を正そうという気になるから不思議です。

    善光寺 本堂【国宝】 閻魔大王像
    死後の世界の大王として信仰される閻魔大王です。内陣の入口にある鏡は、人の嘘を映す閻魔様の鏡の象徴とされています。真っ赤な顔が強面で印象的です。

    対峙すると本物の閻魔大王の目前に引き立てられた気分になり、緊張感が漲ると共にこれからの人生の襟を正そうという気になるから不思議です。

  • 善光寺 山門(三門)【重文】<br />1750年に建立された二層入母屋造りの門です。屋根は大正年間の葺き替え時に檜皮葺きとなりましたが、平成大修理において、建立当時と同じサワラの板を用いた栩葺き(とちぶき)に復原されました。

    善光寺 山門(三門)【重文】
    1750年に建立された二層入母屋造りの門です。屋根は大正年間の葺き替え時に檜皮葺きとなりましたが、平成大修理において、建立当時と同じサワラの板を用いた栩葺き(とちぶき)に復原されました。

  • 善光寺 山門(三門)【重文】<br />正面から見た山門です。<br /><br />案内人がおっしゃるには、現在の善光寺の気温は35℃だそうです。<br />連日続く猛暑の中、熱中症による搬送者数は急増しています。日本が亜熱帯化しているという俗説を実感されている方も多いと思いますが、実は8月に限るとこの100年間の平均で、全国0.9℃、東京1.7℃の上昇に留まるそうです。気温と体感温度の乖離は、舗装道路からの輻射熱やビルによる風通しの阻害などによるヒートアイランド現象の寄与率が高いそうです。しかし、地球温暖化が叫ばれて久しいのに、ここへ来て真逆の地球寒冷化説が浮上しているのには驚愕です。<br />今年4月、国際研究チームが、太陽観測衛星「ひので」が従来とは異なる太陽の活動(磁場の反転)を世界で初めて確認したと発表。この現象は、170年前と370年前にも起きたそうで、その10年後には太陽の黒点の数が減り、地球が寒冷化したそうです。チームは、「今回観測された現象も、10年後の地球の寒冷化など、異常気象につながる可能性がある」としています。寒冷化は、別名「プチ氷河期」と呼ばれ、江戸時代の享保、天明、天保期などに大飢饉を招いたと言われます。今回観測された黒点の減少と気温変化との因果関係はまだ不明のようですが、世界レベルで見ればここ数年の間に極端に寒い冬が訪れるようになった地域も多く、すでに何らかの影響が出始めているのかもしれません。<br />

    善光寺 山門(三門)【重文】
    正面から見た山門です。

    案内人がおっしゃるには、現在の善光寺の気温は35℃だそうです。
    連日続く猛暑の中、熱中症による搬送者数は急増しています。日本が亜熱帯化しているという俗説を実感されている方も多いと思いますが、実は8月に限るとこの100年間の平均で、全国0.9℃、東京1.7℃の上昇に留まるそうです。気温と体感温度の乖離は、舗装道路からの輻射熱やビルによる風通しの阻害などによるヒートアイランド現象の寄与率が高いそうです。しかし、地球温暖化が叫ばれて久しいのに、ここへ来て真逆の地球寒冷化説が浮上しているのには驚愕です。
    今年4月、国際研究チームが、太陽観測衛星「ひので」が従来とは異なる太陽の活動(磁場の反転)を世界で初めて確認したと発表。この現象は、170年前と370年前にも起きたそうで、その10年後には太陽の黒点の数が減り、地球が寒冷化したそうです。チームは、「今回観測された現象も、10年後の地球の寒冷化など、異常気象につながる可能性がある」としています。寒冷化は、別名「プチ氷河期」と呼ばれ、江戸時代の享保、天明、天保期などに大飢饉を招いたと言われます。今回観測された黒点の減少と気温変化との因果関係はまだ不明のようですが、世界レベルで見ればここ数年の間に極端に寒い冬が訪れるようになった地域も多く、すでに何らかの影響が出始めているのかもしれません。

  • 善光寺 山門(三門)【重文】<br />楼上には輪王寺宮筆の「善光寺」と書かれた額が掲げられています。これは通称「鳩字の額」と呼ばれており、3文字の中に鳩が5羽隠されています。分かりますか?<br />善の角の部分(2箇所)、光の両脇の部分(2箇所)と寺の点の部分です。<br />更に「善」の一字が牛の顔の形に見えると言われ、「牛に引かれて善光寺参り」の信仰を物語っています。<br /><br />ちなみに、鎌倉の鶴岡八幡宮の「八」の文字も鳩文字です。鳩は八幡様の使いで、鶴岡八幡宮は別名『鳩宮』とも言われています。そして、鎌倉名物の『鳩サブレー』はこの鳩をヒントに作られたものだそうです。

    善光寺 山門(三門)【重文】
    楼上には輪王寺宮筆の「善光寺」と書かれた額が掲げられています。これは通称「鳩字の額」と呼ばれており、3文字の中に鳩が5羽隠されています。分かりますか?
    善の角の部分(2箇所)、光の両脇の部分(2箇所)と寺の点の部分です。
    更に「善」の一字が牛の顔の形に見えると言われ、「牛に引かれて善光寺参り」の信仰を物語っています。

    ちなみに、鎌倉の鶴岡八幡宮の「八」の文字も鳩文字です。鳩は八幡様の使いで、鶴岡八幡宮は別名『鳩宮』とも言われています。そして、鎌倉名物の『鳩サブレー』はこの鳩をヒントに作られたものだそうです。

  • 善光寺 ぬれ仏(延命地蔵)<br />1722年に水内群普光寺の真宋僧法誉円信が全国から喜捨を集めて建立した延命地蔵尊です。銅像坐像で、右手に錫杖を持ち、左手に宝珠を持っています。 恋慕より放火事件を起こし、後に歌舞伎や浄瑠璃の題材となった「八百屋お七」の冥福を祈り、恋人の吉三郎が立てたという伝説も手伝って女性の衆目を集める延命地蔵です。 

    善光寺 ぬれ仏(延命地蔵)
    1722年に水内群普光寺の真宋僧法誉円信が全国から喜捨を集めて建立した延命地蔵尊です。銅像坐像で、右手に錫杖を持ち、左手に宝珠を持っています。 恋慕より放火事件を起こし、後に歌舞伎や浄瑠璃の題材となった「八百屋お七」の冥福を祈り、恋人の吉三郎が立てたという伝説も手伝って女性の衆目を集める延命地蔵です。 

  • 善光寺 六地蔵<br />1759年に浅草天王町祐昌が願主となって造立しましたが、第二次世界大戦中に金物供出で解体されてしまい、現在の六地蔵は1954年に再興されたものです。六道という6つの世界があり、地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界のいずれかに人は転生します。<br />これら6つの世界で我々衆生を救ってくださるありがたい菩薩様です。一番右側のお地蔵さまは足を外して座っています。蓮台から片足を踏み出しているのは、一刻も早く衆生を救いに行こうというお気持ちの顕れを表現しているそうです。このように片足、または両足を蓮台の外に出す座り方の像は、半跏椅像と呼ばれています。<br />

    善光寺 六地蔵
    1759年に浅草天王町祐昌が願主となって造立しましたが、第二次世界大戦中に金物供出で解体されてしまい、現在の六地蔵は1954年に再興されたものです。 六道という6つの世界があり、地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界のいずれかに人は転生します。
    これら6つの世界で我々衆生を救ってくださるありがたい菩薩様です。一番右側のお地蔵さまは足を外して座っています。蓮台から片足を踏み出しているのは、一刻も早く衆生を救いに行こうというお気持ちの顕れを表現しているそうです。このように片足、または両足を蓮台の外に出す座り方の像は、半跏椅像と呼ばれています。

  • 善光寺 仁王門<br />仁王門は1752年に建立されましたが、善光寺大地震などにより二度焼失し、現在のものは1918年に再建されました。この門には善光寺の山号である「定額山」の額が掲げられています。  仁王像並びに仁王像背後の三宝荒神・三面大黒天は共に高村光雲・米原雲海の作であり、その原型は善光寺史料館に展示されています。<br />高村光雲は、上野公園の西郷隆盛像や皇居の楠木正成像を製作した人だそうです。<br /><br />

    善光寺 仁王門
    仁王門は1752年に建立されましたが、善光寺大地震などにより二度焼失し、現在のものは1918年に再建されました。この門には善光寺の山号である「定額山」の額が掲げられています。  仁王像並びに仁王像背後の三宝荒神・三面大黒天は共に高村光雲・米原雲海の作であり、その原型は善光寺史料館に展示されています。
    高村光雲は、上野公園の西郷隆盛像や皇居の楠木正成像を製作した人だそうです。

  • 善光寺 仁王門<br />仁王門近景。

    善光寺 仁王門
    仁王門近景。

  • 善光寺 むじな地蔵<br />仁王門手前の凛とした空気が漂う白蓮坊前の台座の上に、慈悲に満ちた表情のお地蔵様と無心に合掌するムジナのブロンズ像が目に留まります。自然界では、生き延びるために弱肉強食の世界を繰り広るのはある種の宿命。ところが、殺生して生きる自分の身を恥じ、後世は生まれ変わりたいと願うムジナがいました。善光寺にお参りをして灯籠を寄進すればきっと自分も望み通り生まれ変われると信じ、人の姿に化けてお参りにきました。白蓮坊に泊まって風呂に入ることにしましたが、安堵による気の緩みからムジナの姿で湯に入ってしまい、宿泊客にその姿を見つけられて追い出されてしまいます。それを知った住職はそのムジナを不憫に思い、1基の灯籠を立てます。今でも善光寺境内の経蔵北側に残っている「むじな灯籠」がそれだと伝えられます。<br /><br />そんな逸話を今に伝えるのがむじな地蔵です。仏様には四無量心といって、四つの限りない心があります。それは、他人の幸せを願う『慈』、他人の苦しみを取り除いてあげようと思う『悲』、他人の喜びを共に喜び合う『喜』、自分がしてあげたんだという思いを捨てる『捨』の四つです。<br />

    善光寺 むじな地蔵
    仁王門手前の凛とした空気が漂う白蓮坊前の台座の上に、慈悲に満ちた表情のお地蔵様と無心に合掌するムジナのブロンズ像が目に留まります。自然界では、生き延びるために弱肉強食の世界を繰り広るのはある種の宿命。ところが、殺生して生きる自分の身を恥じ、後世は生まれ変わりたいと願うムジナがいました。善光寺にお参りをして灯籠を寄進すればきっと自分も望み通り生まれ変われると信じ、人の姿に化けてお参りにきました。白蓮坊に泊まって風呂に入ることにしましたが、安堵による気の緩みからムジナの姿で湯に入ってしまい、宿泊客にその姿を見つけられて追い出されてしまいます。それを知った住職はそのムジナを不憫に思い、1基の灯籠を立てます。今でも善光寺境内の経蔵北側に残っている「むじな灯籠」がそれだと伝えられます。

    そんな逸話を今に伝えるのがむじな地蔵です。仏様には四無量心といって、四つの限りない心があります。それは、他人の幸せを願う『慈』、他人の苦しみを取り除いてあげようと思う『悲』、他人の喜びを共に喜び合う『喜』、自分がしてあげたんだという思いを捨てる『捨』の四つです。

  • 善光寺 むじな地蔵<br />ところで、よく見るとどこかで見たような…。実は、有名な「ゆるキャラ」の兄弟分です。そうです、平城遷都1300周年のマスコットの「せんとくん」のデザイナー藪内佐斗司 東京藝大・大学院教授の作品(2006年)。<br />「せんとくん」では物議を醸し、すっかり時の人になられました。白蓮坊の現住職は東京藝大卒だそうで、大学繋がりで童子で有名な薮内氏に作品を依頼されたのだそうです。<br />

    善光寺 むじな地蔵
    ところで、よく見るとどこかで見たような…。実は、有名な「ゆるキャラ」の兄弟分です。そうです、平城遷都1300周年のマスコットの「せんとくん」のデザイナー藪内佐斗司 東京藝大・大学院教授の作品(2006年)。
    「せんとくん」では物議を醸し、すっかり時の人になられました。白蓮坊の現住職は東京藝大卒だそうで、大学繋がりで童子で有名な薮内氏に作品を依頼されたのだそうです。

  • 善光寺 参道<br />参道の敷石は、1714年に完成したもので、安山岩の長方形の石が規則正しく並べられています。一部補修はされていますが、現在も大部分は当時のままです。<br />江戸中橋の大竹屋平兵衛の寄進によるもので、山門まで7777枚あるとも言われています。遠くから臨む二王門や山門は壮観です。 <br />

    善光寺 参道
    参道の敷石は、1714年に完成したもので、安山岩の長方形の石が規則正しく並べられています。一部補修はされていますが、現在も大部分は当時のままです。
    江戸中橋の大竹屋平兵衛の寄進によるもので、山門まで7777枚あるとも言われています。遠くから臨む二王門や山門は壮観です。

  • 善光寺 歴代回向柱<br />7年に一度開かれる御開帳のシンボルとして、前立御本尊と人々との架け橋となった回向柱は、御開帳終了後には経蔵裏手へ移動され、人々の思いと共に長い年月を経て土に還っていきます。<br />現在は1955年から2009年までの10本の回向柱があり、一番古い柱は30cm程になっています。<br /><br />ここも現地案内人のおかげで足早の見学となってしまいました。世尊院釈迦堂の釈迦涅槃像も拝みたかったのですが…。<br /><br />

    善光寺 歴代回向柱
    7年に一度開かれる御開帳のシンボルとして、前立御本尊と人々との架け橋となった回向柱は、御開帳終了後には経蔵裏手へ移動され、人々の思いと共に長い年月を経て土に還っていきます。
    現在は1955年から2009年までの10本の回向柱があり、一番古い柱は30cm程になっています。

    ここも現地案内人のおかげで足早の見学となってしまいました。世尊院釈迦堂の釈迦涅槃像も拝みたかったのですが…。

  • 駒ヶ根パーキングエリアから望む南アルプス 北岳<br />日本第二の高さを誇る秀峰 北岳(標高3193m)です。パーキングの最北端の展望台から樹木越しに拝むことができます。<br />ちなみに、日本で一番高いのが富士山で3776m、第三位が北アルプスにある奥穂高岳で3190mです。<br /><br />主人は、学生時代に冬山登山で北岳、間ノ岳、農鳥岳という白峰三山を縦走したそうです。

    駒ヶ根パーキングエリアから望む南アルプス 北岳
    日本第二の高さを誇る秀峰 北岳(標高3193m)です。パーキングの最北端の展望台から樹木越しに拝むことができます。
    ちなみに、日本で一番高いのが富士山で3776m、第三位が北アルプスにある奥穂高岳で3190mです。

    主人は、学生時代に冬山登山で北岳、間ノ岳、農鳥岳という白峰三山を縦走したそうです。

  • 駒ヶ根パーキングエリアから望む南アルプス <br />左手に頂きを覗かせているのが甲斐駒ケ岳(標高2967m)、右手の稜線の先のピークが仙丈ケ岳(3033m)です。<br /><br />主人は、いずれの山にも夏・冬季に登ったそうです。

    駒ヶ根パーキングエリアから望む南アルプス
    左手に頂きを覗かせているのが甲斐駒ケ岳(標高2967m)、右手の稜線の先のピークが仙丈ケ岳(3033m)です。

    主人は、いずれの山にも夏・冬季に登ったそうです。

  • 夕日に染まる積乱雲<br />夏の風物詩の代表と言えば積乱雲。夕日に染まる積乱雲は見応えがあります。でも雲の下では土砂降りなんでしょうね。

    夕日に染まる積乱雲
    夏の風物詩の代表と言えば積乱雲。夕日に染まる積乱雲は見応えがあります。でも雲の下では土砂降りなんでしょうね。

  • おまけ 1<br />我が家の暑いベランダで逞しく咲いたサギ草です。ラン科サギソウ属の多年生草本で、湿原などの湿地に自生しています。高山植物ですが、花屋さんで苗を見かけて買い求めたものです。5株買い求め、2株が花を咲かせ、他は枯れてしまいました。水分には強いそうですが、水道水(アルカリ性)に弱いそうです。雨水(弱酸性?)が良いようです。<br /><br />サギソウは、白鷺城と呼ばれる姫路城のある姫路市の市花となっているだけでなく、世田谷区の区の花に指定されているそうで、次のようなサギソウ伝説が残されています。<br />戦国時代のこと。世田谷城主 吉良頼康は、奥沢城主 大平出羽守の娘 常盤姫を側室に迎えた。やがて、常盤は子を身籠り、頼康はことのほか常盤を愛しむようになった。頼康には常盤の他に12人の側室がいた。彼女たちは、頼康を一人占めにする常盤をねたみ、「殿のお子かどうか疑わしい」などと、まことしやかに頼康に告げ口し、常盤への愛情を妨げようとたくらんだ。 <br />うわさを否定しながらも、心の中にはいつの間にか疑惑の霧がたち込め、常盤へも冷たい仕打ちをするようになった。とりなしてくれる者も無く、悲しみに暮れた常盤は、「いっそ死んで、身の潔白の証しにしよう」とまで思いつめた。奥沢城の父に宛てて遺書をしたためると、小さい頃からかわいがり、輿入れの際にも一緒に連れて来た1羽の白鷺の足に結びつけ、奥沢の方角へ放った。<br />主人のただならぬ様子を悟り、白鷺は奥沢城目指して飛び去った。ちょうどその頃、狩りをしていた頼康は、この白鷺を見つけ射落としてしまった。みると、足に何やら結び付けてある。不審に思って開いてみると、姫から父へ覚悟の自殺を報じた文であった。驚いた頼康は急ぎ城に戻ったが、時すでに遅く常盤は果てた後であった。傍らには、死産の男の子の姿があった。<br />疑いは晴れたが、もう常盤も子も戻っては来ない。深く後悔した頼康は、せめてもの償いに二人の霊を慰めようと、領内の駒留八幡宮に若宮と弁財天を祀ったのである。一方、使命半ばにして倒れた白鷺は、よほど無念だったのか、その地に鷺の飛翔する可憐な姿の花を咲かせるサギソウになったという。<br /><br /><br />

    おまけ 1
    我が家の暑いベランダで逞しく咲いたサギ草です。ラン科サギソウ属の多年生草本で、湿原などの湿地に自生しています。高山植物ですが、花屋さんで苗を見かけて買い求めたものです。5株買い求め、2株が花を咲かせ、他は枯れてしまいました。水分には強いそうですが、水道水(アルカリ性)に弱いそうです。雨水(弱酸性?)が良いようです。

    サギソウは、白鷺城と呼ばれる姫路城のある姫路市の市花となっているだけでなく、世田谷区の区の花に指定されているそうで、次のようなサギソウ伝説が残されています。
    戦国時代のこと。世田谷城主 吉良頼康は、奥沢城主 大平出羽守の娘 常盤姫を側室に迎えた。やがて、常盤は子を身籠り、頼康はことのほか常盤を愛しむようになった。頼康には常盤の他に12人の側室がいた。彼女たちは、頼康を一人占めにする常盤をねたみ、「殿のお子かどうか疑わしい」などと、まことしやかに頼康に告げ口し、常盤への愛情を妨げようとたくらんだ。 
    うわさを否定しながらも、心の中にはいつの間にか疑惑の霧がたち込め、常盤へも冷たい仕打ちをするようになった。とりなしてくれる者も無く、悲しみに暮れた常盤は、「いっそ死んで、身の潔白の証しにしよう」とまで思いつめた。奥沢城の父に宛てて遺書をしたためると、小さい頃からかわいがり、輿入れの際にも一緒に連れて来た1羽の白鷺の足に結びつけ、奥沢の方角へ放った。
    主人のただならぬ様子を悟り、白鷺は奥沢城目指して飛び去った。ちょうどその頃、狩りをしていた頼康は、この白鷺を見つけ射落としてしまった。みると、足に何やら結び付けてある。不審に思って開いてみると、姫から父へ覚悟の自殺を報じた文であった。驚いた頼康は急ぎ城に戻ったが、時すでに遅く常盤は果てた後であった。傍らには、死産の男の子の姿があった。
    疑いは晴れたが、もう常盤も子も戻っては来ない。深く後悔した頼康は、せめてもの償いに二人の霊を慰めようと、領内の駒留八幡宮に若宮と弁財天を祀ったのである。一方、使命半ばにして倒れた白鷺は、よほど無念だったのか、その地に鷺の飛翔する可憐な姿の花を咲かせるサギソウになったという。


  • おまけ 2<br />2輪目です。真っ白で可憐な花です。サギソウとはよく命名されたものです。風で揺れるのでマクロレンズがないとジャスピンにするのは難しいですね。ちなみに、この写真は400mm(35mm換算)ズーム+三脚で撮影したものです。上の写真は、無謀にも手持ちです。もちろん、400mmズームでも小さいので、トリミングして拡大しています。二つ蕾を持っていますので今後が楽しみです。<br /><br />

    おまけ 2
    2輪目です。真っ白で可憐な花です。サギソウとはよく命名されたものです。風で揺れるのでマクロレンズがないとジャスピンにするのは難しいですね。ちなみに、この写真は400mm(35mm換算)ズーム+三脚で撮影したものです。上の写真は、無謀にも手持ちです。もちろん、400mmズームでも小さいので、トリミングして拡大しています。二つ蕾を持っていますので今後が楽しみです。

  • おまけ 3<br />一つの株に3輪の花が咲き揃った、サギソウの三重奏です。一番上の花は少し小ぶりなので、親子の白鷺が楽しそうにランデヴーしているように見えます。図らずも、常盤姫の伝説を偲ばせる絵図らとなりました。<br />今回はRAW現像にチャレンジしてみました。花の色も見た目通り純白に近い仕上がりで、唇弁の質感もよく表現できていると思います。デジイチも侮れません。<br /><br />最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。恥も外聞もなく、備忘録も兼ねて徒然に旅行記を認めてしまいました。当方の経験や情報が皆さんの旅行の参考になれば幸甚です。どこか見知らぬ旅先で、見知らぬ貴方とすれ違えることに心ときめかせております。<br /><br />

    おまけ 3
    一つの株に3輪の花が咲き揃った、サギソウの三重奏です。一番上の花は少し小ぶりなので、親子の白鷺が楽しそうにランデヴーしているように見えます。図らずも、常盤姫の伝説を偲ばせる絵図らとなりました。
    今回はRAW現像にチャレンジしてみました。花の色も見た目通り純白に近い仕上がりで、唇弁の質感もよく表現できていると思います。デジイチも侮れません。

    最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。恥も外聞もなく、備忘録も兼ねて徒然に旅行記を認めてしまいました。当方の経験や情報が皆さんの旅行の参考になれば幸甚です。どこか見知らぬ旅先で、見知らぬ貴方とすれ違えることに心ときめかせております。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • さんぽさん 2014/07/12 09:32:41
    鬼怒川・日光・草津
    montsaintmichelさま

    おはようございます。

    善光寺は2〜3度行っていますが、その他は未開の地で何もわかりませんでしたが、一連のシリーズ、一通り拝見させて頂き、旅行の予備知識ができ助かりました。
    非常に丁寧に記述して有り、理解しやすかったです。
    ありがとうございました。

    さんぽ


    montsaintmichel

    montsaintmichelさんからの返信 2014/07/12 10:55:32
    RE: 鬼怒川・日光・草津
    さんぽ 様
    おはようございます。
    備忘録と旅行ガイドを兼ねた旅行記が趣旨ですので、長たらしくて申し訳ありませんでした。最後までお読みいただき大感謝です。
    東照宮は見所満載ですが、時間の制約があると思いますので効率的に回られることをお勧めします。特に、ツアーでは東照宮手前の輪王寺での営業トークが長いこともあるので、お写真を撮られるなら先回りされることをお勧めします。表門まではチケットなしで入れます。表門で網を張っておけば逸れることはないと思います。
    それでは気を付けて行ってらっしゃいませ!

    montsaintmichel

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