2012/06/30 - 2012/06/30
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ちびのぱぱさん
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「あさ10時前にビールっちゅうのは、ちょっと気が引けるね。」
「まだ、そんな時間か?!」
場所は滝川駅。
函館本線と、根室本線が出会うところです。
きょうは、朝、5時起きして家を出てきましたから、なんだかもうお昼な気分です。
JR北海道の「一日散歩きっぷ」をポケットに、ひがな鈍行列車に乗る旅がようやく根室本線に達したところなのです。
札幌から滝川までの道のりは、きのう書きかけて疲れて途中でやめてしまったので、「北海道が日本一暑かった日」という題名で登録してありますが、「富良野」のジャンルに登録したのに表紙の絵以外どこにも富良野がないという、ほとんど詐欺のような形になってしまいした。(汗)
滝川の街でそば屋の「まるかつ」の場所を尋ねた男性は、荷物運びの手を止めて、顔からしたたらせた汗をぬぐおうともせずに
「そこを左に行ったらすぐだよ。」
と、気さくに教えてくれました。
気温がぐんぐん上昇しています。
あさからビールを買い込んだ言い訳をするわけではないのですが、とても北海道のこの時期の午前中の暑さではありません。
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル
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-
この写真を見て相方は言いました。
「全く、東南アジアの汽車に乗っているのとおんなじだね。」
「うん、ほんとうに暑かったね。」とわたし。
「いや、そうじゃなくて、人間が。」
「はっ?」 -
この根室本線は1981年に石勝線ができるまで、札幌から釧路や根室といった道東方面に行く大動脈だったんです。
「釧路から札幌へ行く汽車は、峠の手前の新得駅で、機関車をもう一台連結して狩勝峠に備えてましたね。」
「に、二重連ですか。」
「いい眺めでしたよ、峠を越えるときは。」
「確か、日本三大車窓とたたえられたとか。」
「そうなんですか?知りませんでした。」
知り合いの釧路出身の元大学教授は、終戦後の根室本線の様子を懐かしそうに話してくださいました。
おんとし80才になられます。
今日は、キハ40の一両編成で出発です。 -
なかなか発車しないので、外に出てこんな写真や
-
こんな写真を撮っておりました。
-
やがて定刻になり、ディーゼル機関車特有の甲高い鹿の鳴き声のような汽笛を一声、思いの外に力強く走り出しました。
と思ったら、すぐに隣の東滝川駅に停車。
ここは、もと「幌倉駅」といい、新得から乗った特急の中にあったJRの車内誌の記事によれば、空知平野を後に日本有数の米どころにする北海幹線用水路の取水口「北海頭首工(ほっかいとうしゅこう)」の大工事に際して重要な役割を果たしたのだそうです。
時は大正13年、若き技師平賀栄治は恩師の上野英三郎帝大教授(忠犬ハチ公の飼い主)に勧められるまま世紀の大工事を託されました。
彼は数々の奇想天外なアイデアを駆使して、この難事業を成功に導きます。
たとえば、この東滝川駅(幌倉駅)に登別から12万個の間知石(けんちいし)を運ばせたのですが、そこから工事現場までの道のりをなんと、空知川の上を運ばせるという奇想天外な方法を用いました。
どうやって川の上を運んだのかというと、冬になって川の表面が凍るのを待って、その上を馬そりに積んで運んだというのです。
いやはや、アイデアというものは、そうでなければ解決できないような問題を、いとも簡単にしてしまうものだと思わされました。
今の日本だって、アイデアが救うのかも知れません。 -
キハ40の窓を開けると、さわやかな風が吹き込んできて、
「ようやく夏がやってきたんだねえ。」
っていうような会話を交わします。
90年も前、この川が凍ったその上を、無数の馬そりが間知石を積んで行き来したのでしょうか。
一両編成の我らが日本一のキハ40、2429D列車は、赤平や芦別という、かつて炭坑で栄えた街を、空知川に沿って遡上してゆきます。
時折、その空知川を鉄橋が渡ります。
気がついたのですが、鉄橋を渡る前とトンネルに入る前には必ず汽笛が鳴るのです。
特に、トンネルに入る前の汽笛には、大事な意味があるということを、後ほど気づかされました。 -
野花南(のかなん)という、なんともメルヘンチックな駅を過ぎると、汽車は長いトンネルに入りました。
たまたま、最後方の誰もいない運転席の後ろから過ぎ去る線路を見つめていたので、そのままトンネルを抜けるまでそこにとどまろうと考えたのですが、
いつまでたっても闇の中を進み続けます。 -
車両の中は、まるで夜行列車のようになっていました。
一分、二分と果てしなく続くかのような時間が流れます。
やがて、ほのかに明るくなって、ようやくトンネルと抜けたのかと思ったら、再び漆黒の闇の中に入ってしまいました。
後で調べてみると、一つ目のトンネルは滝里トンネルといい、5595mもあり、スノーシェルタが間に入って今度は島ノ下トンネルが2800m続くのです。
どーりで長いと思ったわけです、延々8キロ以上もトンネルが続くのですから。 -
汽車はようやく娑婆に戻り、窓の外には、夏の日差しがその強さを増していました。
「なんだか、トンネルに入る前より暑くなったかんじ。」
-
この鉄橋で何度目かの空知川を渡ると、
-
滝川発釧路行き普通列車は、富良野に到着いたしました。
この駅で、この釧路行き普通列車は二両編成に増結されます。
この列車に乗っていた撮り鉄とおぼしきお兄様たちは、その様子を熱心にカメラに納めていました。
う〜ん、やはり私にはついて行けない。
ごらんのように、この根室本線は、ここ富良野で旭川から来た富良野線と合流します。 -
上の陸橋から見ていると、折しも旭川方面から来た富良野線が入ってきました。
-
キハ150ですな。
「北の国から」に、しばしば登場したやつです。 -
-
私も北海道が長くなりましたから、富良野が北海道のへそを名乗り、それ故に有名な(?)へそ踊りが毎年開催されているのは知っておりました。
しかし、この説明を見ると、富良野は東経142度30分、北緯43度20分に位置し、明治43年に京大理学部の教授山本博士が星座などの研究のため、当地を選んで観察を行ったという、由緒正しい「へそ」の由来が記されております。
「へーそー。」
「ん?しゃれ?」
「いえいえ。」
むかし富良野の友人が、ひとり銭湯に入って仕事の汗を流していると、にわかに、奇妙なペイントをおなかにした親父たちがなだれ込んできて、あれよあれよという間にへそ集団に囲まれて面食らった、という話を聞きました。
ぎょっとする友人には見向きもせず、
「あーおわったおわった。」
とかいって、あっという間に、やせこけた彼ひとりを残して引き上げていったということです。
もちろん、へそ踊りの参加者たちだったのでしょう。 -
相方の要請に応じて、へそ踊りを演じます。
腹をだせって?
じょうだんじゃありません。
いくらディレクターの指示でも、そこまで自分を捨てられません。 -
お隣は布部駅。
1981年に、倉本聰の「北の国から」が始まったとき、主人公の三人が、この駅に降り立ったのだそうです。 -
今は、誰ひとり降り立つ人もいません。
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駅舎はむかしのまま……
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汽車は走ります。
残雪のあざやかな芦別岳1726mが、車窓を追いかけてきます。 -
金山の駅……
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短いトンネルを抜けると金山湖が一瞬、姿を現します。
きらめく青い湖面は、人工湖というより、ずっと昔からそこにいたような、不思議な深みを持っています。 -
汽車は次第に高度を上げ、あえぐようにしてクライマックスの新狩勝トンネルに突き進みます。
北海道を東西に分断する巨大な山脈に挑む我らがキハ40は、出会ったときのイメージと違い、なんだかとても頼もしく思えてくるのでした。
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