2012/06/25 - 2012/06/26
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reposさん
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2012年6月25日(月)8時12分大阪駅発「JR特急サンダーバード5号」に乗車し、終点和倉温泉駅で降りました。見附島(軍艦島)、禄剛崎(能登半島の最先端)、窓岩と巡り、穴水駅から西岸駅まで「のと鉄道」にも乗車しました。
2012年6月26日(火)は、輪島朝市を散策し、白米千枚田を観光した後、高岡市の瑞龍寺(加賀藩主・前田利長の菩提寺)と高岡大仏を見学しました。
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 観光バス JR特急 JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- JTB
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8時12分大阪駅発「JR特急サンダーバード5号」(2号車)にて、12時6分に和倉温泉駅に到着しました。
ちなみに金沢駅到着前(10時54分頃)、切り離しのため、6号車から7号車への通り抜けができなくなりました。 -
七尾市に差し掛かったところで、「石崎奉燈祭」の看板がありました。
「石崎奉燈祭」は石崎八幡神社の納涼祭が度重なる大火が原因で、明治22年、網すき(網大工)の口添えで奥能登より古い「キリコ」を移入して始めたものであり、大火以前のお涼みは祇園系の山車だったといわれているそうです。 -
「道の駅能登空港」の看板がありました。能登空港は、空だけでなく地上の交通拠点として、全国の空港で初めてに登録されています。
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能登空港のすぐ隣りに、「日本航空学園輪島校」の建物が見えました。キャンパスの格納庫には大小さまざまな航空機やヘリコプターなどが展示されていて、航空博物館のように観光スポットになっています。
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珠洲(すず)道路は、奥能登の中心部を穴水町から珠洲市まで貫く幹線道路です。
初夏から晩秋にかけて、珠洲道路の当目地区から中斉地区は、真っ赤なサルビアの花が沿道に咲きます。
「サルビアロード」と呼ばれるこの区間は、長さ2.3km、4万本以上のサルビアが植えられていて、平成8年、天皇・皇后両陛下が珠洲市を訪れることになった際、それまでは当目地区と中斉地区に分かれていたサルビアロードがつながったとか…。ドライバーの心を和ませる素敵な道路です。 -
珠洲道路沿いに「菅原神社」が見えました。何かパワースポットのような雰囲気がして、気になりました。
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最初に能登内浦海岸を代表する景勝地の一つ「見附島(軍艦島)」を観光しました。
その昔、弘法大師が佐渡から能登へ布教に訪れた際に見付けたことからこの名前がつけられたそうです。また、形状が軍艦に似ていることから、地元の人々は「軍艦島」という愛称で呼んでいます。 -
見附海岸から恋路海岸までの約3kmを「えんむすびーち」と呼んでいて、写真の鐘を二人で鳴らすと、恋が成就するということで、恋人たちに人気の海岸です。
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引き潮の時間帯には歩いて見附島まで行けます。
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見附島へ続く石積みの道を途中まで歩いてみました。
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能登町の恋路から来た恋路椿。樹齢千年の見附千年椿もありました。網に囲まれていて、うまく写せませんでしたが、椿は珠洲市の花ということです。
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「狼煙(のろし)海岸」に着きました。
禄剛崎の南側から金剛崎あたりまでの海岸で、一帯は古代から狼煙台が置かれ、狼の糞を焼いて狼煙を上げたと伝えられている地です。狼煙の集落からは砂浜が続きます。 -
交流施設狼煙(道の駅 狼煙)のすぐ近くに「禄剛崎灯台」の登り口があります。
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「禄剛崎灯台」の登り口は最初は緩い上り坂です。
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途中からかなりきつい上り坂になり、黙ってひたすら歩くことになります。
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自然歩道「禄剛崎をめぐるみち」として、禄剛崎から木の浦までの約8kmを説明するパネルがありました。
断崖の上や荒々しい岩礁海岸、波静かに打ち寄せる穏やかな砂丘海岸など変化に富んだ地形をめぐることができるそうです。 -
禄剛崎灯台の周囲はさわやかな芝生の広がる公園になっていて、のんびりと景色を楽しむことができました。
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右側のパネルに次のような説明がありました。
“禄剛崎・・・ここは能登半島の最北端で、ちょうど外浦と内浦の接点にあたるところです。「海から昇る朝日」と「海に沈む夕日」が同じ場所から眺めることができることで有名です。また、晴れた日には、立山連峰や佐渡が島が見渡せます。この高台に立つ灯台は、明治16年にイギリス人技師が設計したものです。現在も禄剛崎のランドマークとして、この地の壮大なロマンを感じさせてくれます。” -
「日本の灯台50選」にも選ばれている白亜の灯台。明治16年に初点灯され、今も現役で海の安全を守り続けています。
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禄剛崎には主要都市までの方向と距離を示す案内標識があり、東京308km、上海1,598km、釜山783km、写真の正面の方向で写っていませんが、ウラジオストック772kmと直線距離が表示されていました。
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山口誓子が、昭和36年夏に狼煙を訪ねた際、禄剛埼灯台の台地に立って最果ての岬の感傷を詠んだ「ひぐらしが鳴く 奥能登の ゆきどまり」の句碑がありました。
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「日本列島ここが中心」と書かれた碑もありました。
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禄剛崎灯台の芝生広場で見かけたモニュメント「海風の灯」。宗教団体を連想したのですが、宗教団体とは関係がないようです。
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もっとゆっくりしたい気もしましたが、寡黙に登ってきた急坂を、今度は景色を楽しみながらゆっくり降りました。
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禄剛埼灯台から降りてきて、交流施設狼煙(道の駅 狼煙)で休憩しました。
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珠洲特産の「大浜大豆」と珠洲天然にがりを使用した地豆腐が販売されていました。ここでいただいた「豆乳ソフトクリーム」がとても美味しかったです。
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交流施設狼煙(道の駅 狼煙)の駐車場の隣りの建物です。
何を撮影したかったかというと、能登瓦です。今日ここに来るまでバスの車窓から美しい漆黒の瓦(能登瓦)が黒光りする家々を沢山見てきて、とても綺麗でしたので、能登瓦を近くで写したいと思いました。 -
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「揚げ浜塩田」を車窓から見ました。珠洲市に日本で唯一残された「揚げ浜式」と呼ばれる製塩法で使用される塩浜え、約500年前とほとんど同じ方法で、ミネラル豊富な天然塩が作られます。塩田とは、塩を作るための土地で、岩盤の上に粘土を敷き固め、その上に砂をかぶせてあるそうです。
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真浦海岸沿い、曽々木と珠洲市の境目にある「垂水の滝」は高さ約15mの断崖から海へ直接落ちる珍しい滝で、別名「吹き上げの滝」とも呼ばれています。冬は日本海から吹きつける強風のため、滝が空に向かって上り始め、時には、滝口からそのまま真っ逆さまに吹き上がり、滝でありながら水が落ちてこないという不思議な現象がみられるそうです。
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次に「窓岩」を観光しました。
曽々木海岸のシンボル的な存在で、板状の岩の真ん中に直径約2mの穴が開いている奇岩です。 -
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窓岩の前には「窓岩ポケットパーク」があり、色々なイベントが行われるようです。
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「塩田に百日筋目つけ通し(沢木欣一)」の句碑がありました。海をバックに記念撮影スポットにも良さそうです。
塩田句碑の由来・・・俳誌「風」の主宰で、俳句の社会性を唱えて、俳壇に新しい風を起こした沢木欣一が、昭和30年にこの地を訪れ、その祈りに得た『能登塩田二十五句』中の一句である。
能登の外浦海岸は加賀藩時代からの製塩の産地で、この句碑の建つあたり一帯も、夏期の百ヶ日あまりは、揚げ浜製塩の作業に明け暮れたところである。この句は、汗まみれで塩作りに励む塩士達への労働賛歌であるとともに、時代の推移とともに消えゆく能登塩田への鎮魂の句でもある。この地に塩田のありしことと、この絶唱の句を永世に残すべきとの声の昂まりにより、昭和41年に建立された。(塩田句碑建設委員会) -
国道249号・外浦街道を、輪島市街から東へ10kmほどの海側に「窓岩ポケットパーク」があります。能登の景勝地、曽々木海岸「窓岩」の道の駅で、駐車場は海に向かって少し傾斜していて、普通車区画は10台分しかなく、右折レーンもありません。
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穴水駅(駅愛称名:まいもんの里駅)に着きました。
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穴水駅の愛称「まいもんの里駅」は、能登弁で美味しいもの「まいもん」から来ています。
穴水の旬の味覚としては、「春のいさざ」「夏のさざえ」「秋の能登牛」「冬のカキ」があります。駅売店には「能登ワイン」がありました。 -
17時20分穴水駅発、七尾市方面に向かうローカル列車に乗りました。
穴水駅→能登鹿島駅→西岸駅までの2駅で、運賃は280円です。 -
のと鉄道七尾線、穴水駅発車時刻表(和倉温泉方面、上り)です。
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のと鉄道の車内の様子です。
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西岸駅(駅愛称名:小牧風駅)に着きました。小さな駅でした。
駅前に立つと、入り江をはさんだ高台付近を小牧台と呼び、七尾北湾が一望できることから「小牧風駅(おまきかぜのえき)」と言われています。 -
海岸沿いに牡蠣棚があるなぁと見ていたところ、西岸駅前に「焼かき」の看板が…。非常に心惹かれました。
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石川県七尾市の七尾湾を塞ぐ形で浮かぶ能登島は、面積46.78k?、周囲長71.9km。能登島側から能登島大橋を渡って、和倉温泉に向かいました。
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和倉温泉「日本の宿 のと楽(石川県七尾市石崎町香島1-14、TEL.0767-62-3131)」に泊りました。10階1001号室のお部屋です。
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「日本の宿 のと楽」10階1001号室の寝室です。
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「日本の宿 のと楽」10階1001号室のお部屋から撮影しました。写真左奥に写っているのが能登島大橋です。
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「日本の宿 のと楽」10階1001号室のお部屋から真下を撮影しました。
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夕食です。茶碗蒸し、ご飯、吸い物、デザートは後から出ました。天ぷらはありませんでした。
甘エビ、カニが美味しく、その他のお料理はごく普通の旅館食という感じでした。 -
1001号室のトイレの水が止まらないため、夕食をいただいている間に別のお部屋(903号室、天空)を用意していただきました。
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903号室(天空)は展望風呂付き特別室で、ジャグジーも付いていました。温泉に入ったので、このお風呂を使うことはありませんでした。広〜いお部屋を撮影した写真を削除してしまったのでUPできないのが残念です。
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部屋を移ることになったお詫びにと、ホテルからフルーツをいただきました。
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2012年6月26日(火)「日本の宿 のと楽」をチェックアウトしました。
解放感のあるロビーでした。 -
朝一番は、輪島の朝市を見学しました。
「あさいち交番(石川県輪島市河井町1-7-2、TEL:0768-22-6395)」を左手に見て、右側の道を直進すれば「輪島の朝市」に到着します。 -
一千年以上も前から続く輪島の朝市。活きのいい魚貝・海草を漁師町の女衆が売っています。高級な蒸しアワビ(1個6,000〜7,000円)は輪島朝市の名物で、薄くスライスして食べます。
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輪島に毎日朝市が立つようになったのは、明治の終わりから大正期にかけてだそうです。能登に観光客が増え始めた昭和30年代に一躍脚光を浴び、マイカーが目立つ昭和45年には午前8時から正午まで車両通行禁止の規制がしかれました。
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朝市の人出は9時30分から10時30分がピーク。早めだと品揃えが良く、遅めだと安くなります。輪島の町では、リヤカーでまわろ。魚の干物などを扱う行商のおばちゃんを多く見かけました。リヤカーのおばちゃんの店じまいは早そうでした。
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「朝市」は思ったより閑散としていました。
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「朝市」より「わいち通り」のほうをぶらぶらしてみたかったです。
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2009年4月にオープンした、「ハレンチ学園」「デビルマン」「キューティーハニー」などでおなじみの、輪島市出身の漫画家・永井豪の記念館です。
永井豪記念館
Tel:0768-23-0715
http://www.go-wonderland.jp/ -
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「国指定名勝 白米の千枚田」を見学しました。
「国指定名勝 白米の千枚田」について、“千枚田は、実際には1004枚ものミニ水田が連なっている。田の枚数が多いので千枚田と称するが、「狭い田」なので千枚田だという異説もある。最も小さい水田は、0.2?、現在、13戸の農家が幾多の労苦を重ねながら耕作を続けている。畔付けのため、毎年、高いほうの土手を削って田圃へ入れるので自然客土となっり、肥料も一般の田の半分ぐらいでよいといい、病害虫も少なく二石六寸くらいでよいといい、病害虫も少なく2石6斗の収穫があるという。米の味は特に優れており、消費者からは大いに歓迎されている。千枚田は、地すべりの急傾斜地であるが寛永15年(1638年)頃、能登小代官に赴任中の下村兵四郎(後の板屋兵四郎)が築造したという谷山用水もあり、水利に不安はない。平地が少なく狭い国土、勤勉な国民性など、千枚田は我が民族の象徴ともいえる。縄文土器をも偲ばせるその造型模様は美しく、平成13年1月、国の名勝に指定された。”と案内パネルに説明(日焼けにより読みにくい箇所あり)がありました。 -
「白米の千枚田」は絶好の撮影スポットです。
「国指定名勝 白米の千枚田」の説明パネルの続きです。
“白米村はかつて製塩も盛んであった。寛永12年(1635年)の記録によると出来塩1295俵とあり、延宝2年(1674年)の記録でも13軒のうち百姓数は6軒、他の7軒は塩士であったとある。また、当時、塩を収納したという御塩蔵跡も残されている。揚浜塩田は、その後の海岸浸蝕により水没、今は跡形もなくなっている。” -
「道の駅 千枚田 ポケットパーク」でブルーベリーソフトクリーム(300円)を食べました。
どちらかと言うと、昨日いただいた「豆乳ソフトクリーム」のほうが美味しかったです。 -
昼食前に「キリコ会館」を見学しました。
キリコ会館には、古くから能登地方の各地で夏から秋にかけて行われている、能登地方でしか見ることのできない伝統的な祭り、「キリコ祭り」で実際に使われているキリコが展示されています。
キリコとは、「切子燈籠(きりことうろう)」の略であり、「切籠」でキリコと読みます。
真ん中に写っている「蒙福徳(もうふくとく)」は、高さ12m、幅1.9mの迫力ある巨大な総黒漆塗りの中島屋の大キリコで、能登最古の江戸時代中期に作られたもので、「輪島市指定文化財」に指定されています。 -
キリコ会館1階のメイン会場「キリコの社」には、30基以上のキリコが、高々と立ち並び、大きいものでは高さ15m、重さ2tを超えるキリコ祭り最大級のものがあります。館内に祭りのBGMが流れる中、20数本のキリコが並び圧巻です。
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キリコ会館2階には「まんが 能登の祭り紀行 展示室」があり、漫画家の平野勲氏が2年間にわたり描き上げ、北国新聞に連載された能登のまつり絵99枚のうち80枚の原画が展示されています。
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続いて「能登奇祭 展示室」も見学しました。
能登の奇祭「もっそう祭」は、江戸時代に加賀藩の厳しい年貢の取り立てに苦しんだ農民が役人の目を盗んで隠し田をつくり、年に一度お椀に山盛りのご飯をお腹一杯食べたことが始まりとされています。 -
キリコ会館の2階には、大鏡餅に難癖をつける「いどり祭り」の展示がありました。
いどり祭りは、450年の伝統、宮座の慣習を今に伝える貴重な神事で、収穫祭の名残をとどめています。
祭りの当番を受け持つ名組の当元が、身を清め誠意を込めて奉納した餅(直径1.2m)を、当夜の祭典に参列した人々があれこれとケチ(いどり)をつけ、やがて神職が仲裁に入って、一同が納得して当受けをするというユーモアたっぷりの祭りです。
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この旅行記へのコメント (2)
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- chiinaさん 2012/07/02 10:50:14
- 始めまして!!
- repos様
本当に梅雨とは思えない青空の下での旅行よかったですね!!
私もちょうど昨年の6月に旅行に行きました。
70歳半ばの両親には狼煙灯台見学ははきつかつた事を
repos様の旅行記を拝見し思い出しておりました。
私が最初に能登を訪れたのは20代前半で
やはり両親と主人の4人でした。
25年以上経ち再び能登を同じ家族で旅行できた事が
大変嬉しく良い思いでとなりました。
これからもrepos様の旅行記楽しませて頂きます。
- reposさん からの返信 2012/07/05 00:30:14
- RE: 始めまして!!
- chiinaさん 様
こんばんは。reposです。ご覧いただきまして、ありがとうございます。
> 25年以上経ち再び能登を同じ家族で旅行できた事が
> 大変嬉しく良い思いでとなりました。
奥能登は、私にとっては今回初めて旅行する地ですが、
時を経ても、変わらぬ「能登の里山里海」。
古くから変わらぬ日本の原風景や生活の営みは心に響きますね。
ご家族お揃いでの楽しい旅行を思い出していただく一助になり
ましたならば、何よりの喜びに思います。
このようなメッセージをいただき、とても温かい気持ちになりました。
少しずつですが、UPできていない旅行についてもUPしていきます。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
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