2012/02/27 - 2012/02/27
335位(同エリア620件中)
滝山氏照さん
自らの足で全国を測量、ついに日本地図を作成した伊能忠敬(いのう・ただたか、1745~1818・千葉県佐原市)宅の地佐原を訪問しました。
いやあ、ものすごい人物ですね!
人生50年といわれた時代ですが、忠敬が55歳の時に家業を息子に譲り、若い時から好きだった天文学の勉強をするため江戸に赴きます。
勉強を進める中で「地球の直径を計る」ため蝦夷地(北海道)と江戸の距離を計ることになりますが蝦夷に渡るには幕府の許可が必要です。
当時は海外列強の日本近海出現で幕府は対応に頭を痛めているところで忠敬らは地図を作成の為として測量を申請、幕府の許可を得ます。
まずは東日本の地図を作り幕府の評価宜しく、続いて西日本への測量を続けますがそれぞれ100人規模の隊を組んでの作業でした。
幕府は測量に当り、測量地域の藩主に充分なる配慮をするよう予め書簡をだしますが、実際は無視されたり冷遇されたりで満足した作業ではなかったようです。しかも幕府は測量の許可を与えたものの、経費は出してませんから、忠敬の苦労は大変なものでした。
結果55歳から始めて70歳の1815年の2月19日に東京八丁堀で総仕上げとなります。忠敬は実に15年の歳月をかけて4万キロを踏破し素晴らしい金字塔を建てます。
同時に彼のすざまじい程の執念を感じては自分自身の人生を奮い立たせる気持ちになります。
現地「伊能忠敬記念館」で入手した伊能忠敬に関するパンフレットには下記の通り忠敬の活躍ぶりが描かれています。
『伊能忠敬は50歳で江戸へ出るまで佐原の名主・村方後見を務め、実家では酒造業等を営んでいました。
34歳の時松島への旅行では神社仏閣を訪ねる旅でしたが、48歳の時伊勢神宮への旅の途中には、緯度・方位観測を行っており、この頃から天文や暦学への興味を抱いておりました。
江戸で、天文方高橋至時(たかはしよしとき)の弟子になり勉強を本格的に始めます。55歳で北海道南岸の測量を行い、以後計10回に及ぶ日本全国の測量を71歳まで行いました。
忠敬は73歳で亡くなりますが、彼の没後3年にして日本全国は完成しました。』
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
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JR佐原駅
落着いた平屋造りの駅舎が印象的です。 -
忠敬橋と小野川
忠敬橋から小野川上流を望みます。 -
忠敬橋
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三菱館(旧三菱銀行)
煉瓦を使った2階建の洋館で、内部は吹き抜けになっているそうです。
写真でも確認できますが、正面建物の隅にド-ムが設置されています。
川崎銀行佐原支店(開業明治13年)として、清水建設の前身である清水組により建設され、本店(日本橋)と同時開業でした。現在は市に寄贈され観光施設として使用されています。 -
伊能忠敬旧宅案内板
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歴史的町並み
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伊能忠敬旧宅
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イチオシ
伊能忠敬旧宅
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伊能忠敬旧宅内部
地震の被害を受けて中には入れません。 -
伊能忠敬家訓書
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伊能忠敬旧宅
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伊能忠敬旧宅
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伊能忠敬像
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伊能忠敬旧宅
質素な建物にびっくりです。 -
伊能忠敬旧宅書院
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伊能忠敬旧記念館
当建物は廃され新しい記念館が小野川沿いにあります。 -
発掘調査現場
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発掘調査現場
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伊能忠敬旧宅を示す石碑
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古い町並み案内板
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通橋(とよはし)
小野川にかけられた通橋です。 -
小野川
通橋から小野川を見渡します。 -
通橋(とよはし)
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歴史的町並み
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伊能忠敬記念館
訪問した日は月曜で残念ながら休館でした。 -
伊能忠敬像
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歴史的町並み
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歴史的町並み
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小野川
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小野川に浮か観光小舟
船頭達が客待ちをしています。 -
歴史的町並み
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歴史的町並み
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小堀屋
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