2012/05/20 - 2012/05/20
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ぶんちゃさん
JR名古屋駅から徒歩で円頓寺を通って名古屋城へ、そして文化のみちから徳川園へ。一日中歩きっぱなしで疲れました。ずっと名古屋に住んでいて知らなかったこと、見たことがないことがいかに多かったことか知らされました。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
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先ず最初は、名古屋駅から那古野の交差点を目指します。交差点の手前をちょっと入ったところにある桂芳院。
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山門を入ってすぐ左。愚痴聞き地蔵尊です。
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こちらがそのお地蔵さま。
お地蔵さまのまん前に座って話を聞いて頂けるように石が置いてあります。道路を通る人からは見えないようになっているので、気兼ねは要りません。
お賽銭をあげて、愚痴ってきました。いろいろと。なんかちょっとだけすっきりしたような気がします。 -
道路に面した所に五体のお地蔵さんがいます。
延命やら水子供養とか。 -
円頓寺商店街
名古屋で一番古い商店街で、かつては栄・大須と並ぶ名古屋の三大盛り場でした。昔の話ですけど、名鉄瀬戸線の堀川駅が近くにあったり、市電が走っていて便利だったので賑わったみたいです。でも今は一寸寂しい状況です。 -
商店街の途中に鳥居が。一寸入ってみます。
多賀宮です。
滋賀県の多賀大社の分社ですが、詳しい来歴はわかりません。 -
多賀宮の社殿です。
奉納された酒樽がたくさん。
社殿の前に重軽石。 -
そして円頓寺です。
名古屋城を造った時の余材で建築されたと言われています。
円頓寺商店街はこのお寺の門前町でもあったわけです。 -
山門を入ると
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本堂です。
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こちらは慶栄寺。
門が閉まっています。 -
門の隙間から覗いてみました。
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四間道(しけみち)です。
江戸時代元禄の大火後に延焼防止の為、四間(7.2m)に拡幅されたのでこの名がついたということです。 -
四間道の東側は土蔵がびっしり立ち並んでいます。堀川の舟運を利用していろんな物資を集積し、ここから名古屋城下へ供給する為、このように蔵がたちならんでいます。土蔵造りの倉が密集しているのは火災による延焼防止の目的もあったようです。
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趣があります。
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堀川に架かる五条橋。
清州越しの時は神社仏閣、町屋ばかりでなく橋まで引っ越してきました。
勿論この橋は何代目かでコンクリート製です。 -
浅間神社です。
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浅間神社の社殿
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美濃忠本店がありました。
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どなたのお屋敷でしょうか。黒漆喰で塗り固めた重厚な住宅でした。
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名古屋東照宮に着きました。
この鳥居は西向きに建てられています。このまままっすぐ行くと那古野神社の鳥居に行き当たります。 -
東照宮の社殿です。
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東照宮の社殿は戦災で焼失したので、大須の万松寺にあった尾張徳川家初代の奥さん、つまり春姫さんの霊廟を移築したものです。
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東照宮は元々城内三の丸にありましたが、明治になって尾張藩の藩校「明倫堂」があったところに引っ越しました。
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東照宮の隣に那古野神社があります。
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隣の東照宮と同様、明治時代に城内三の丸から明倫堂跡地に引っ越してきました。
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日柄が良かったのか結婚式です。
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那古野神社境内にある金山神社
金物を扱う人たちの信仰を集めていたようです。 -
外堀通りに出ました。
高架の左は三の丸の堀。右は産業貿易館。 -
本町橋交差点
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現在の産業貿易館のある場所は尾張藩の評定所と奉行所があったところです。
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本町橋です。三之丸の大手門だったようです。
ここを渡ると名古屋城三之丸になります。 -
三之丸郭内。
上級武士の屋敷があったところです。 -
愛知県護国神社
戊辰戦争以後の戦没者を祀っています。
明治になって東照宮や那古野神社は三の丸から追い出される形になりましたが、護国神社は逆にこの地に創建されました。 -
東側から入るようになっています。
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境内には戦役に纏わる記念碑が多くあります。
これはマリアナ戦での戦没者を供養するための碑。 -
本殿は最近建て替えられたようです。
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愛知県警本部。
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名古屋城到着。
加藤清正の銅像。右奥に天守閣が見えます。能楽堂の内外には奇抜な衣装(コスプレってんですか)を着た若者たちが大勢。
今回はこのまま通り過ぎます。 -
名古屋市役所を横目に更に東へ。
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清水橋を渡ります。橋の下は三の丸の空堀。これで三之丸を出たことになります。
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名古屋拘置所。
幸いまだお世話になったことはありません。 -
名古屋拘置所の南隣。
名古屋市政資料館。
名古屋控訴院・地方裁判所・区裁判所として使われてた建物を整備したものです。 -
花崗岩とレンガの重厚な造りです。
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金色の紋章は神の刀です。人が人を裁くということで厳粛公正な理念を現わしたということでしょうか。
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玄関ホール。ここは2階になります。
階段の手すりなどは大理石。豪華な造りです。
NHKの「坂の上の雲」のロケなんかもここで行われたそうです。 -
裁判所らしく秤をモチーフにしたステンドグラス。
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3階から見た玄関ホール。
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いろんな用途の部屋が並んでいますが、ここは検事長室。
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中は会議室になっていました。
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玄関にあった紋章のレプリカ。
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いろんな資料が展示してあります。
これは廃藩置県の触書の写本。
藩を廃して県を置く。ついては名古屋県とするということですね。 -
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裁判風景
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玄関ホールの裏から階下へ。一寸殺風景になります。
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ここは1階になります。留置所です。各房の内部はというと床は板張りの八畳くらい。壁はコンクリートで隅の方にトイレの跡。
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市政資料館から主税町3方向へ。
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主税町教会。
名古屋で最も古いカトリック教会。新しく見えますが明治37年に建てられたものです。 -
敷地奥にルルドのマリア。
その昔、スペイン国境に近いフランスのルルドに聖母マリアが現れた故事を再現したものだそうです。 -
国道41号線から東に入るとこのような景観が続きます。このあたりは江戸時代、中級武士の屋敷が並んでいたところです。明治以降、実業家などが屋敷を構え現在のような街並みになったようです。
現在では実際に住んでいる家よりも、道路に面した門や塀はそのままに、奥はマンションや料亭等に改装された家の方が多いような。 -
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豊田佐吉の弟の佐助の邸宅です。
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明治大正期に建てられた経済人の邸宅は、客を迎える正面は洋館。奥は日本建築というパターンが多いようです。
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北側には大きな土蔵が。その横は広い空き地になっていますが、この屋敷が使われていた頃は使用人の寮があったということです。
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豊田佐助邸の隣にある春田鉄次郎邸。
佐助邸の人に言って鍵を開けてもらいます。恐縮しました。 -
1階はレストランのように改造されています。結婚式の披露宴によく貸切で使われているようです。なので見学するときはお静かにとの注意書きがありました。
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2階の和室。
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料亭のようです。
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撞木館。有料です。
陶磁器商の井元為三郎が建てた邸宅です。
やはり、正面は洋風奥は和風になっています。 -
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輸出用の皿
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左はサンプルとして輸入した陶器の人形。右はいわばイミテーション。写真では判りづらいかもしれませんが、右の方が造りも細かく彩色も緻密です。
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竈はガスです。
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日蓮正宗妙道寺
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山門脇にわざわざ石碑が立っています。
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福沢桃介と川上貞奴が住んだ屋敷。大正時代に建てられたものを平成12年に移築整備して二葉館として公開されています。こちらも有料。
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豪華です。
しゃれたレストランのような雰囲気。 -
ステンドグラスもあります。
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貞奴のポスター
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貞奴が実際に着用した着物
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当時使われていた配電盤。
一般家庭に電気が普及しているといえない時代に、この家では自家発電装置まで備えていました。 -
いろいろおしゃれです。
この後、徳川園に向かいます。一寸疲れてきたのでバスで。 -
徳川園到着。
尾張徳川家の下屋敷 -
徳川美術館。
尾張徳川家の所蔵品が展示されています。
国宝の源氏物語絵巻とか、かなり貴重な資料も展示されていました。 -
展示室入口。
ここから先は写真撮影禁止。 -
1枚だけ(勝手に)撮らしてもらいました。
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こちらは徳川園。広大な日本庭園です。
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深山幽谷といった感じ。
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錦鯉がたくさん集まってきました。
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この庭を造ったのは2代藩主光友ですが、その頃は16丁櫓の船を浮かべていたそうです。
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徳川園を出て、蓬佐文庫をのぞきます。
こちらでは徳川家康の遺品として贈られた駿河御譲本を元に拡充して公開しています。 -
蓬佐文庫の建物。
これで今回のツアーは終わりとします。ここからルートバス・メーデルで栄に向かいます。 -
栄到着。
アナログ放送の役目が終わって、テレビ塔の上の方がすっきりしています。 -
オアシス21
今まで知らなかったのですが、この屋根の上に水が張ってあるのに気がつきました。たまたま屋根を見上げていたら人の足裏がいくつか見えて、掃除しているところでした。ふーーん。 -
地下鉄で帰宅。
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