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和歌山県という位置からして、個人的には雪国という連想はありません。南紀白浜の白い浜辺や、鬱蒼と生い茂る熊野古道、水と緑が豊かな那智大社などがあるからだと思います。しかし、高野山はもはや別格。冬の高野山は、その土地柄が成しているのではと思うくらい、厚い雪に覆われています。<br />その日は全国的に晴れた一日。南海高野線の終着駅・極楽橋駅では、雪の面影などほとんどないくらいの、カラッとした冬晴れの気候に覆われていました。しかし、ケーブルカーに乗りかえり、数分の後に状況は一変。一面の銀世界に、世界はその様相を変えていきました。<br /><br />下界とは打って変わっての高野山の世界。幸い、雲が若干多めであるものの、概ね晴れていたので、劈くような寒さではありませんでした。しかし、予てから目に留めておきたいと思っていた、雪に覆われた高野山の姿を目にすることが出来て、何とも恐悦な思いがしました。<br />ケーブルカーの高野山駅から、壇上伽藍までの距離が少々あるものの、壇上伽藍や金剛峰寺に到着してから、奥之院までの距離は、思ったほど遠くは無く、予定を計画的に実施すれば、1日で回れる広さではないかと思います。それでも、ケーブルカーの車内放送でもあったように、高野山は、正にそれ自体が街。仏教系の学校もあり、(食料調達等は別として)高野山だけでも十分に完結した生活が出来るように思います。<br /><br />真冬の時期でしか見られない、雪で覆われた寺院に、ただただ魅入ってしまっていても、原則として、寺院内の暖房はありません。本堂の中に入っても、ほのかに蝋燭の灯りと温もりが感じられても、外気とそれほどの差は無いと思います。寒さが厳しくなれば、それこそ、一日中、手足が悴んでしまうのではないかと。<br />そんな、普通の人から見れば過酷ともいえる状況下でも、僧侶達は平然としていました。毎日の修行と鍛錬がそうさせているのかもしれませんし、観光客や修験者の手前、寒そうに悴んでいる姿を見せられまい、としているのかもしれませんが。<br />この僧侶達の姿を、見た当初はただ感心しただけだったのですが、現在の僕自身の状況と照らし合わせて、改めて感じたこと。それは『覚悟』。仏門に入ったが故、どのような過酷な状況下に置かれたとしても、自らの職務を、ただ全うする。誠意と、真摯を以って。思い返せば、僕は、そういった『覚悟』は勿論のこと、ただ自分の職務を全うすることに、『誠意さ』と『真摯さ』に、決定的に欠けていたと思うのです。<br /><br />ある文献(ネットですが)を拝見したところ、仏教では、我慢は『傲慢』の一種である、とのこと。我慢すること、つまり未来の投資をするために今を押し殺すことは傲慢である、ということを説いているのだそうです。僧侶達の修行は、一見すると我慢の連続に捉えられがちですが、それは決定的に違う。彼等は未来の自分のために頑張っているのではない。ただ今生きている、今の『自分』に対して向き合っている。彼等の修行は、我慢ですら値しない。当然の職務を、ただ黙々と全うしているだけである。自分が、今までどれだけ『今の自分』から目を背け、時代と世界を呪い、無駄な愚痴をこぼし続けていたか、打ちのめされた瞬間でもありました。<br /><br />当初、雪の高野山に赴きたい、という、観光目的であったものの、今の、そしてこれからの自分を向き合うことにもつながり、非常に掛け替えの無い旅になったのでは、と思います。<br /><br /><br />高野山 : http://www.shukubo.net/

これまでとこれからを考える旅

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2011/01/08 - 2011/01/08

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Cyber

Cyberさん

和歌山県という位置からして、個人的には雪国という連想はありません。南紀白浜の白い浜辺や、鬱蒼と生い茂る熊野古道、水と緑が豊かな那智大社などがあるからだと思います。しかし、高野山はもはや別格。冬の高野山は、その土地柄が成しているのではと思うくらい、厚い雪に覆われています。
その日は全国的に晴れた一日。南海高野線の終着駅・極楽橋駅では、雪の面影などほとんどないくらいの、カラッとした冬晴れの気候に覆われていました。しかし、ケーブルカーに乗りかえり、数分の後に状況は一変。一面の銀世界に、世界はその様相を変えていきました。

下界とは打って変わっての高野山の世界。幸い、雲が若干多めであるものの、概ね晴れていたので、劈くような寒さではありませんでした。しかし、予てから目に留めておきたいと思っていた、雪に覆われた高野山の姿を目にすることが出来て、何とも恐悦な思いがしました。
ケーブルカーの高野山駅から、壇上伽藍までの距離が少々あるものの、壇上伽藍や金剛峰寺に到着してから、奥之院までの距離は、思ったほど遠くは無く、予定を計画的に実施すれば、1日で回れる広さではないかと思います。それでも、ケーブルカーの車内放送でもあったように、高野山は、正にそれ自体が街。仏教系の学校もあり、(食料調達等は別として)高野山だけでも十分に完結した生活が出来るように思います。

真冬の時期でしか見られない、雪で覆われた寺院に、ただただ魅入ってしまっていても、原則として、寺院内の暖房はありません。本堂の中に入っても、ほのかに蝋燭の灯りと温もりが感じられても、外気とそれほどの差は無いと思います。寒さが厳しくなれば、それこそ、一日中、手足が悴んでしまうのではないかと。
そんな、普通の人から見れば過酷ともいえる状況下でも、僧侶達は平然としていました。毎日の修行と鍛錬がそうさせているのかもしれませんし、観光客や修験者の手前、寒そうに悴んでいる姿を見せられまい、としているのかもしれませんが。
この僧侶達の姿を、見た当初はただ感心しただけだったのですが、現在の僕自身の状況と照らし合わせて、改めて感じたこと。それは『覚悟』。仏門に入ったが故、どのような過酷な状況下に置かれたとしても、自らの職務を、ただ全うする。誠意と、真摯を以って。思い返せば、僕は、そういった『覚悟』は勿論のこと、ただ自分の職務を全うすることに、『誠意さ』と『真摯さ』に、決定的に欠けていたと思うのです。

ある文献(ネットですが)を拝見したところ、仏教では、我慢は『傲慢』の一種である、とのこと。我慢すること、つまり未来の投資をするために今を押し殺すことは傲慢である、ということを説いているのだそうです。僧侶達の修行は、一見すると我慢の連続に捉えられがちですが、それは決定的に違う。彼等は未来の自分のために頑張っているのではない。ただ今生きている、今の『自分』に対して向き合っている。彼等の修行は、我慢ですら値しない。当然の職務を、ただ黙々と全うしているだけである。自分が、今までどれだけ『今の自分』から目を背け、時代と世界を呪い、無駄な愚痴をこぼし続けていたか、打ちのめされた瞬間でもありました。

当初、雪の高野山に赴きたい、という、観光目的であったものの、今の、そしてこれからの自分を向き合うことにもつながり、非常に掛け替えの無い旅になったのでは、と思います。


高野山 : http://www.shukubo.net/

同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円 - 3万円
交通手段
新幹線 JR特急 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 主殿 (高野町 金剛峯寺)<br />Kongobu-ji in winter

    主殿 (高野町 金剛峯寺)
    Kongobu-ji in winter

  • 根本大塔 (高野町 壇上伽藍)<br />Danjo Garan in winter

    根本大塔 (高野町 壇上伽藍)
    Danjo Garan in winter

  • 雪の参道 (高野町 奥之院)<br />Okunoin in winter

    雪の参道 (高野町 奥之院)
    Okunoin in winter

  • 燈籠堂と御廟への道 (高野町 奥之院)<br />Okunoin in winter

    イチオシ

    燈籠堂と御廟への道 (高野町 奥之院)
    Okunoin in winter

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