2012/05/15 - 2012/05/15
140位(同エリア203件中)
世界攻略者さん
- 世界攻略者さんTOP
- 旅行記213冊
- クチコミ2件
- Q&A回答0件
- 2,510,492アクセス
- フォロワー71人
石巻市周辺を離れ、南三陸エリアを北上していきます。その中心、南三陸町の志津川は、大川小と並んでメディアの注目を集めた悲劇の場所。さらに、これまた多くの被害を出した気仙沼市も訪れます。被災風景はもう見慣れてきたはずですが、道の途中で目にする橋桁のない橋や折れ曲がった線路に目を奪われます。極めつけは、道路にたたずむ大きな船! 多くの建物が解体された今でも、震災の爪痕は実にアイキャッチングな形で、我々に訴えかけるのでした。
**情報は2012年5月のもの。
== 東日本大震災 被災地10ヶ所めぐり ==
その1 - 仙台滞在、荒浜地区、松島町
http://4travel.jp/traveler/sekai_koryaku/album/10670277/
その2 - 石巻市、門脇小学校
http://4travel.jp/traveler/sekai_koryaku/album/10670285/
その3 - 女川町、大川小学校
http://4travel.jp/traveler/sekai_koryaku/album/10670287/
その4 - 南三陸町、大谷海岸、気仙沼市 <==
http://4travel.jp/traveler/sekai_koryaku/album/10670289/
その5 - 陸前高田市、大船渡市、釜石市
http://4travel.jp/traveler/sekai_koryaku/album/10670292/
更新:
2013/05/10 - ストリートビューへのリンク追加
-
[目次]
南三陸への道(陸前戸倉)
南三陸
- 概要
- 志津川病院
- 防災対策庁舎
- 復興商店街
歌津
大谷海岸
気仙沼
- 概要
- 旧市街
- 高台(気仙沼中学)
- 鹿折(第18共徳丸)
まとめ
地図: 黄色い線 - この旅行記のルート。ピンクの点 - 下から石巻、女川、大川小、陸前戸倉、南三陸(志津川)、歌津、大谷海岸、気仙沼。 -
[南三陸への道(陸前戸倉)]
大川小から398号線を沿岸沿いに北上。25キロほど走ったあたりで45号線と合流します。ここは陸前戸倉と呼ばれる場所で、すでに南三陸町の一部です。この標識の1キロほど手前には戸倉小学校(写真)があり、こちらも激しく被災しています。 -
合流地点にはプレハブのセブンイレブン(写真)もあります。復旧工事の進む被災地区にあり、交通の要所でもあるため、結構繁盛しています。外見はプレハブですが、コピー機やATMもあるフルスペックのセブンイレブンです。
-
このセブンイレブンの近くには、JR気仙沼線の陸前戸倉駅がありました。この駅周辺も壊滅的な打撃を受けていて、線路の上にはコンクリートの壁が覆いかぶさったままです(写真)。現在、この1つ前の陸前横山駅から気仙沼駅までが不通になっており、路線バスでの振替輸送が行われています。
-
ここから45号線を500メートルほど進むと、水門の隣に半壊した戸倉公民館が現れます。これも震災後注目を浴びた建物の一つですが、すでに業者による取り壊しが決まっています。
-
さらに海岸沿いに車を走らせると、ホテル観洋(写真)が見えてきます。南三陸町を代表する大型ホテルで、高台にあるのが幸いして、いち早く営業を再開させています。このホテルは海を眺める大露天風呂で有名。入ってみたいのですが、日帰り湯が2100円と少々高めです。
ホテル観洋:
http://www.mkanyo.jp/
仙台からの無料送迎バスあり。 -
[南三陸 - 概要]
ホテル観洋から2キロほど走り、南三陸町の中心・志津川に到着です。震災直後、住民の約半数に当たる8000人が安否不明と報道され、大騒ぎになったのを覚えているでしょうか。想定外の高波が来たため、ここもかなりの被害に見舞われました。それでも、最終的な死者および行方不明者の数は845人(人口比4.85%)と想像していたよりは低く収まっています。この町は被害規模に加え、職員の献身的な行動でメディアの注目を集めました。
地図: 水色 - 被災地域。ピンクの点 - 下から志津川病院、防災対策庁舎、復興名店街。 -
[南三陸 - 志津川病院]
その舞台となったのが公立志津川病院と防災対策庁舎。同じ被災地でも、津波の高さはかなり違います。3メートル程度の町もあれば、10メートルを越えたところもあります。ここ志津川の場合、15メートルという全く想定外の津波が来たため、市街地の避難指定所はほとんど無力でした。
写真: 志津川病院東棟。隣は5階建ての西棟。 -
まずは78人の犠牲者を出した志津川病院へ。東棟の正面玄関を入ると中央に慰霊碑があるのに気づきます。よく見ると付近に立入禁止のロープはなく、自由に出入りできてしまいます。最初は遠慮して入らないつもりでしたが、計画変更。病院内へと進んでいきます。
-
中は驚くほど何もありません。一部固定の手術台などがありますが、基本的には何もなし。病室のベットも備品もすべて撤去されています。ここまできちんと事後整理された建物はここが初めてです。末処理なのは、二階の裏屋根に引っかかっている船をどけることくらい。
-
屋上に上がってみます。フェンス越しに眺めた海方向の景色はこんな感じ。海までわずか400メートル。すぐ手前に大きなデパートがありますが、津波の緩衝にはなりませんでした。左下はプレハブで営業するガソリンスタンド。
よく見ると、海岸近くのガレキ置き場の横に、蒸気機関車が寝っ転がっています(写真下)。どうも、このエリアは公園だったようで、恐らくそこに展示されていたものでしょう。 -
地震発生後、病院の医師や職員は患者を屋上や5階に上げようと全力を尽くしました。自力で歩けない高齢者の患者が多かったため、全員を避難させることはできず、15メートルの津波が4階の病室まで飲み込みました。犠牲者の中には4人の病院スタッフも含まれます。
-
こちらは山側の眺め。鉄筋だけ残った三階建てのビルが、津波が来る直前まで避難アナウンスを続けた防災対策庁舎です。その奥の山には小学校や中学があり避難所になっています。今から思えば、防災庁舎は津波フリーで見通しのいい山の上にあるべきだと思うのですが、後の祭りです。誰もこの規模の津波を予想してなかったのですから。
-
[南三陸 - 防災対策庁舎]
病院を後にし、防災対策庁舎に行ってみます。こじんまりとしたビルですが、屋上に伸びたアンテナ群がその面影を残しています。防災放送の担当だった女性は二階の部屋から、「6メートルの津波が来ます。避難してください」と津波の直前まで放送し続けました。他の職員に促され屋上に避難したものの、15メートルの津波が屋上をさらい命を落としました。アンテナなどに掴まってなんとか生き延びた職員は30人中たった10人でした。 -
ここも主要な慰霊ポイントで、訪問客がひっきりなしにやってきます。建物の鉄筋はきれいに残っているので、何かに再利用できるかもしれません。
-
[南三陸 - 復興商店街]
防災対策庁舎近くにある川沿いの道を山の方に進むと、左側に半壊した合同庁舎と仮設商店街が出てきます。商店街は志津川復興名店街(別名、南三陸さんさん商店街)という名前で、30近い店が並びます。周りに何もないような場所に見えますが、後で確認すると仮設住宅のある志津川中と津波を免れた山の裏の集落がすぐ近くにあります。 -
町全体が破壊されたため、まともにお店があるのはこの場所くらい。そういうわけで、震災ツアーの車もここに来て休憩します。私も南三陸名物のキラキラ丼を食べて微力ながら復興を後押しすることにします。
主に地元向けの商店が並ぶ中、一つ特徴のあるお店を見つけました。それは佐良スタジオという写真店。この店では、アマチュア写真家である主人が撮りためたかつての南三陸の風景を、クリアファイルや写真集などにして販売しています(写真)。 -
店主の佐良さんは、震災当日も志津川中付近の避難所から津波の様子を撮り続けました。その貴重なショットは、[南三陸から」というタイトルの写真集として店頭で販売されています(アマゾンでも購入可能)。
この写真は防災対策庁舎(中央)の屋上に避難した職員達の様子。この時点では、まだ一番高い津波が到達していません。これとは別に、津波が志津川病院の4階を通り抜ける衝撃的な写真もあります。 -
これは震災後、自衛隊員や避難住民が町を眺める様子。何もかもなくなりました。
-
次にJR志津川駅があった場所に行ってみます。そこには駅のホームだけが残り、駅舎や線路はもうありません。この写真はプラットホームからの眺め。ロータリーそばには回収されたコンクリートの枕木が積んであります。電車は不通ですが、駅前にバス停があるため、バスは頻繁にやってきます。駅前で降りたところで、まわりに何もありませんが..。写真中央に見えるプレハブ小屋は、バスの待合室です。
-
[歌津]
今日は朝から石巻、女川、大川小、南三陸とすでに4ヶ所も回っています。もう少し志津川を散策したいところですが、時間がないので先を急ぎます。次の目的地、気仙沼へは45号線を北上するだけ。途中にある歌津大橋(写真)が不通なので、そこだけ近くの迂回路を通ります。鉄道と違い道路の復旧は早く、修復されていない区間はここくらいなもの。ところで、この歌津も南三陸町の一部。やはり被害は大きく、橋近くの家屋は跡形もありません。
写真: 歌津大橋。橋脚を残して崩壊。 -
[大谷海岸]
気仙沼に向かう途中、大谷海岸に「道の駅」があったので寄ってみました。ここにあるメインの建物(写真)は今も閉鎖中ですが、同じ敷地内にある小さな食堂と売店は普通に営業しています。 -
その閉鎖中の建物の内部をチェックしてみます。中は天井がダメになっているくらいで、それほど悪い状態には見えません。むしろよく片付いており綺麗なほうです。写真は二階のレストラン。
-
この道の駅は、「大谷海岸」というJRの駅も兼ねています。写真は3階の展望台からの眺め。駅から伸びる線路は一見正常な状態に見えますが、50メートルほど先で途切れています。
-
写真はこの線路が被災した時の様子。ねじれ曲がった線路が印象的です。海岸沿いにある限り、無傷ではいられません。
-
[気仙沼 - 概要]
南三陸から41キロ、1時間ほど45号線を走り気仙沼に到着です。気仙沼は石巻以来の大きな町。場所によって被害に大きな差があります。最もひどいのは市の南側にある埋め立て地区。建物が根こそぎ崩壊しました。統計によると、気仙沼市の死者及び行方不明者は1,356人。人口比では1.85%となっています。
地図: 水色 - 被災地域。ピンクの点 - 下から南気仙沼駅、河北新報ビル、魚市場、気仙沼中、気仙沼横丁、フェリーターミナル、南町紫市場、第18共徳丸、復幸マルシェ。 -
気仙沼といえば日本有数の漁業の町。その埋め立て地区の一部に陣取っていた魚市場や多数の加工工場は津波により大きな打撃を受けました。写真はその時の様子。魚市場はすでに再開済みながら、加工工場の回復度は会社によりまちまちです。
-
[気仙沼 - 旧市街]
まずは旧市街の中心、フェリーターミナルをチェックしてみます。乗り降りの設備は壊れたまま放置されているものの、大島便は元気に運行中。 -
ターミナルすぐそばには、老舗酒造メーカー・男山の本店がありました。歴史のある木造建築でしたが、一階と二階部分がだるま落としのように崩壊しました。
-
ターミナルの向かいに「復興屋台村 気仙沼横丁」という食堂街ができていました。店舗は全部で22軒。大島から帰ってきた観光客も気軽に訪問できるナイスなロケーションです。敷地内の広場にあるポールは、津波の高さ(8m)を示しています。
-
屋台村から少し山側に行ったところに、別の復興商店街 - 南町紫市場(写真)があります。道路をまたいで二階建てプレハブが7棟。狭い敷地に50店が入居しています。飲み屋が多いところを見ると、この南町近辺で被災したお店が主に入居しているようです。このエリアも大きな被害を受けましたが、南の埋め立てエリアほどはひどくありません。例えるなら、半壊と全壊の違いです。
-
[気仙沼 - 高台(気仙沼中)]
埋立地区の被害を上から眺めるため、気仙沼中学のある高台に登ってみました。ところで気仙沼中ですが、グランドにアスファルトが敷かれ、無残にも仮設住宅に転用されていました。ここから少し南に歩いたところに、埋立地エリアを見下ろせる場所、というか畑があります。
写真: 気仙沼中近くの仮設住宅。仮設セブンイレブンあり。 -
そこからの眺めはこんな感じ。まあひどいものです。埋立エリアにあったJR南気仙沼駅は駅舎が破壊され、今はホームが残るのみ。少し内陸部にある気仙沼駅が普通に営業しているのとは対照的です。気仙沼市の惨状を確認したところで、次の目的地陸前高田に向かいます。
-
[気仙沼 - 鹿折(第18共徳丸)]
旧市街に戻り、34号線を北上。気仙沼の鹿折地区(ししおり)を通過します。しばらく走ると道路脇に大きな船が出てきました。何じゃあれは? 何の予備知識もないのでびっくりです。これは、津波で打ち上げられた漁船で、今は倒れないように鉄骨で支えられています。
実はここも、大川小、南三陸防災庁舎、陸前高田の一本松と並ぶメジャー被災スポットのひとつ。観光客を載せたバスがやってきては写真を撮って去っていきます。 -
ほとんどの人は、船の周囲をまわり、いろいろ角度を変えながら写真を撮るのですが、私は違います。いつもの癖でつい高いところに登ってしまいます。ここでも、線路向こうの山に登って上から船を見下ろします(写真)。
下に見える駅はJR鹿折唐桑駅。ご察しの通り、現在も不通です。船の横を通る道路にはバス停(鹿折唐桑駅前)があり、市バスが一日数本通過します。 -
鹿折を襲った津波が高かったこともあり、この船は港から900メートルほど内陸に流れてきました。他にも流された船舶が多数ありましたが、現在残っているのはこの船だけ。他は多額の費用をかけて港に戻されたか、泣く泣くその場で解体されました。この辺りも埋立地だったようで、平らな市街地は南気仙沼駅周辺と同じくらい壊滅的です。
-
このシュールな陸の船も、震災時はこんな感じでした。私が海外をふらついている間、自衛隊が懸命に捜索し、私が家でブラブラしている間に業者がガレキをすべて片づけました。地元住民にとって、この一年というのは想像を絶する密度の濃い時間だったに違いありません。
-
この船から少し進むと、別の復興商店街「復幸マルシェ」(写真)が出てきます。この後、すぐに右折して45号線に合流。陸前高田方面へと道は続きます。
-
[まとめ]
再び更地になった埋立地、線路のない鉄道駅、ベットのない病院、鉄骨だけ残った防災庁舎。津波は、これまで積み上げられてきた多くのものをリセットしてしまいました。でも、ゼロになったわけではありません。各地で復興への兆しと活力のようなものを感じました。被災の当事者たちの再出発は、決して簡単なことではありませんが、力強く前へ進んで行ってほしい、と切に思います。 -
[リンク集]
==国内旅行記一覧==
http://4travel.jp/traveler/sekai_koryaku/album/?dmos=dm&sort=when&view_mode=list
==海外旅行記一覧==
http://4travel.jp/traveler/sekai_koryaku/album?dmos=os&sort=when&view_mode=list
==ストリートビュー(2011年7-8月)==
陸前戸倉 - 戸倉小学校
http://goo.gl/maps/3bfQ1
陸前戸倉 - 戸倉公民館
http://goo.gl/maps/g1uTM
南三陸 - 志津川病院
http://goo.gl/maps/fygMK
南三陸 - 防災対策庁舎
http://goo.gl/maps/KGg0J
南三陸 - 松原公園。倒れた蒸気機関車
http://goo.gl/maps/4Pfe6
大谷海岸 - 道の駅
http://goo.gl/maps/W3cp5
気仙沼 - 南気仙沼駅
http://goo.gl/maps/r63IM
気仙沼 - 男山本社
http://goo.gl/maps/konmA
気仙沼 - 第18共徳丸
http://goo.gl/maps/u6RUZ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
40