2012/05/14 - 2012/05/14
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震災がなければ、行くこともなかったであろう宮城県女川町。震災がなければ、存在さえ知らなかったであろう北上川の大川小学校。現地に赴き、震災後の今の瞬間を、記憶と記録に留めたいと思います。
**情報は2012年5月のもの。
== 東日本大震災 被災地10ヶ所めぐり ==
その1 - 仙台滞在、荒浜地区、松島町
http://4travel.jp/traveler/sekai_koryaku/album/10670277/
その2 - 石巻市、門脇小学校
http://4travel.jp/traveler/sekai_koryaku/album/10670285/
その3 - 女川町、大川小学校 <==
http://4travel.jp/traveler/sekai_koryaku/album/10670287/
その4 - 南三陸町、大谷海岸、気仙沼市
http://4travel.jp/traveler/sekai_koryaku/album/10670289/
その5 - 陸前高田市、大船渡市、釜石市
http://4travel.jp/traveler/sekai_koryaku/album/10670292/
更新:
2013/05/10 - ストリートビューへのリンク追加
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[目次]
女川
- 女川への道
- 復興商店街
- 被災建造物めぐり
- 仮設住宅
- ガレキの山
大川小学校
南三陸への道
地図 - 今回のルート(黄色い線)。紫の点は下から、石巻、マリンピア女川、女川町、大川小学校(釜谷)、相川小学校(北上町)。 -
[女川 - 女川への道]
石巻から女川(おながわ)へは、海沿いに走る398号線(女川街道)を進んでいきます。電車でも行けますが、渡波-女川間が不通のため、JRの代替バスに乗り換えなくてはなりません。一日8往復。
私は車組なので、直接女川に向かって出発です。中洲を渡った後、石巻の東側の市街地を走り抜けます。この辺りも津波の被害が大きく、途中2つほど一階部分がベニアで目隠しされた学校を通過しました。
石巻の東側市街地を襲う津波。
http://www.youtube.com/watch?v=aAIj2fws5O4 -
[女川 - 復興商店街]
石巻から20分ほど走ると、左側に「マリンパル女川 おさかな市場」の建物(写真)が見えてきます。仮設トイレがあるので少し休憩することにします。目の前に広がる静かな海は万石浦。海苔やカキの養殖が盛んです(写真上)。ここは内海なので、多分津波の影響は少なかったんじゃないでしょうか。
マリンパル女川といえば、かつては女川町の遊覧船ターミナルそばにあった観光複合施設。そのうち、魚介類や水産加工品を販売する「おさかな市場」のみが、こちらで営業を再開しています。ツアー客頼みの面もあるので、町の復興と二人三脚です。 -
さらに5分ほど走り、女川町の市街地に入っていきます。この近辺には女川の地場企業である蒲鉾本舗・高政の本店があります。隣接したカマボコ工場の見学もでき、「石巻・女川」の復興ツアーではたいてい立ち寄ります。私も行ってみたかったのですが、すっかり忘れてました。
そのまま398号線を走り右手側の高台に高校が見えたら、手前の道を右折して女川バイパスの坂を登っていきます。しばらすくすると、県立女川高校のグランドだった場所に、「きぼうのかね商店街」(写真)が現れます。ちなみにこの高校は、2年後の2014年に閉校される予定です。
ここはオープンしたばかりの復興商店街で、50の店舗に加え、銀行や郵便局、交番も同じ敷地内に入居しています。回りには何もなく、一見、市の中心部から離れた辺鄙な場所に映りますが、ここは災害を免れた町の西側地域にほど近い場所。悪くないロケーションです。また、敷地が広いため、ゆったりとした作りになっています。 -
これが商店街の名前の由来にもなっている鐘です。JR女川駅前の広場に置かれていたカラクリ時計の一部で、かつては鐘の音で列車の到着を住民に知らせていました。4つあった鐘のうち、唯一音のなる状態で発見された「奇跡の鐘」です。これを女川復興のシンボルと位置づけ、この仮設商店街の名前にも採用したわけです。
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再び398号線に戻り、女川中心部に向かいます。途中、左側にも「女川コンテナ村」という小規模な復興商店街を見つけました(写真)。ここも、すぐ近くに津波を免れた住宅街があります。
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[女川 - 被災建造物めぐり]
いよいよ被害の大きかった町の中心部及び東部に入っていきます。図のように女川の町は東西両側で海に面していますが、被害が大きかったのは平地が多く外海に面した東側。このエリアに役所やフェリー乗り場などの施設が集まっていたため、津波で町の機能が一気に失われました。
女川町全体では、915人もの死者および行方不明者が出ています。人口が約1万人なので、犠牲者の割合は9%以上。これは全自治体で最高です。
地図: 水色 - 被災エリア。黄色 - 398号線。ピンク - 下から蒲鉾本舗・高政、女川高校(希望の鐘商店街)、女川コンテナ村、マリンパル女川(遊覧船ターミナル)、高台の病院、役場(左)、魚市場(右)、ガレキの山、運動公園。 -
先程の「きぼうのかね商店街」には、女川町観光協会も入居しています。そこで、面白いものを見つけました。震災後の女川町を詳しく描いた手書きのマップで、どこに何があるのか、まるで観光スポット案内のような作りになっています。私も一枚もらい、参考にさせてもらいます。
写真: その地図の一部。括弧付きのものは取り壊し予定の建物。 -
車を走らせ東側の湾岸に到着。この辺りはほとんど更地化されていますが、残った建物がすべて横倒しになっているという奇妙な風景になっています。その中、一番目立っているのがこの無名の建物。手前側が一階で、中の車は車庫に駐車されたままです。
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他にも、旧江島会館(写真)や旧女川交番も道路近くで横倒しになっています。ちなみにマリンピア女川は建て壊し中でした。次のビデオは、震災後波が引いた後に撮られた空撮。13秒頃に見える赤茶色の2つの建物がマリンパル女川です。
http://www.youtube.com/watch?v=f5Sutj12IGI -
これらの建物はすべて、遊覧船ターミナル近くにあります。そのすぐそばには山が迫っており、高台部分(写真)に病院などの大型施設が並びます。さらにそこから上の熊野神社に階段と斜面が続いています。こうして条件を並べてみると、実に理想的な避難所がすぐ裏にあるわけです。下の映像は、そこから見た津波の様子。津波は病院の敷地と同じ高さまで到達したようです。
http://www.youtube.com/watch?v=DngU0NJl3cY -
神社下の斜面には、「WE LOVE 女川」のメッセージが。さらには、地元出身である中村雅俊さんからの熱いメッセージもあります(写真)。
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さらに道路を進むと、奥の方に半壊の女川町役場が見えてきます(写真)。その後ろにあるのが白山神社。そこへ続く階段は今も壊れたままです。JR女川駅もこの付近にあったのですが、今ではどこかわからないほど更地になっています。
女川の被害状況
http://www.youtube.com/watch?v=CCSTYTq_mJQ -
[女川 - 仮設住宅]
海沿いの道から山の方へ進んだ場所に女川運動公園があります。ここには、野球場(写真左上)やサッカー場(写真左下)の中に仮設住宅が設置されています。白い部分はその屋根。また、この運動場は被災者の拠点としても機能しており、役場の仮庁舎や被災時に撮られた7万枚の写真アーカイブ(住民のみ利用可能)があります。 -
今回初めて訪れる仮設住宅。一体どんな感じなのでしょうか。サッカー場の方は、ごく普通にテレビで見かける仮設住宅で、プレハブ小屋に玄関を取り付けたタイプ。各棟の間隔が短いため、洗濯物はこんな狭い通路に干すしかありません。敷地の端には巨大な給水タンクがいくつも並んでいます。仮設住宅はただ建てて電気を引けばいいという訳ではないようです。
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一方、野球スタジアムの中の方は、三階建てアパート風の仮設住宅が並びます。後ろの青い壁はフェンスとスコアボード。
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しかしながら、こちらの住宅は何ともオシャレな外観です。近所のメゾネット・アパートと比べても遜色なし。しかも駐車場まで付いていて、これ本当に仮設住宅なの? でも、かっこいいのは外観だけで中は取り立てて広いわけではありません。このようなオシャレ仮設住宅を見たのは、後にも先にもここだけです。
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[女川 - ガレキの山]
運動場を後にし、内湾沿いの道まで戻ります。川を渡る橋のそばに女川のガレキ仮置き場(写真)がありました。数台のシャベルカーが、フル稼働でガレキの積み上げを行なっています。あれ、ちょっと待てよ。さっきの運動場の奥のエリアにもガレキがたくさんあったような..。ひょっとしてこれらのガレキはつながっていて、川沿いの平地を全部埋めてつくしているのでは..。 -
それを確認するために、川の右側にある高台に登って見ると..。やはりそうでした。ものすごいガレキの山。実はこの川沿いの平地にも家がたくさんあったのですが、津波ですべて流されてしまいました。今ではその面影はなく、巨大なガレキ置き場に変貌をとげています。
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私のいる高台の上には、なぜか工事用のネットが張られています。これは転落防止用なのか、それともあまりにすごいガレキを隠すための目隠しなのか..。いずれにせよ、すさまじいガレキの回廊です。
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再びメイン道路に戻り、女川最後の訪問地、魚市場へ。訪問時間が遅かったため、セリの様子は確認できませんでしたが普通に活動しているようです。ただ、荷揚げ場のプラットフォームはまだ壊れたままで、水中に沈んだガレキをショベルカーが引き上げていました。
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[大川小学校]
女川の次は、あの悲劇の現場 - 大川小学校です。大川小はこの398号線を25キロほど進んだ先にあります。仙台や石巻からだと、北上川沿いに行ったほうが早いかもしれません。
地図のピンクの点が大川小学校。河口から約5キロ。堤防と山を除けばほとんど海抜に近い平地です。 -
398号線を30分ほど走ると、北上川を渡る大きな鉄橋が出てきます。これが新北上大橋。この手前を右折して降りると、石巻市立大川小学校(写真)が見えてきます。ここは釜谷と呼ばれる集落で、震災前は普通に家が並んでいました。テレビでは、震災後の姿しか写ってないので、河原にポツンと建った学校と勘違いしている人がいるかもしれません。
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これが学校の前の置かれた慰霊碑。ひっきりなしに献花や見学に人が訪れます。ここでは、生徒の7割にあたる74人が死亡または行方不明になりました。現場にいた教員11人のうち生き残ったのは1人だけ。この惨事で学校側が叩かれるのは、もっとうまく避難できた可能性があるからです。なお、この近辺も石巻市の一部なので、北上川流域の犠牲者は石巻市にカウントされます。
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校舎の周りにはロープが張られ、「立入禁止 - 校舎が崩れる危険がありますので、関係者(ご遺族を含む)以外の方は立ち入らないで下さい」の注意書きが立っています。すでに窓や外壁がないので、中の様子は見えるのですが、詳しいところまではわかりません。
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市の教育委員会には申し訳ないですが、危険かどうかは自分で判断します。中に入って教室を見て回った印象は...とにかく部屋が広い! 大川小の当時の生徒数は108人。1クラス20人以下です。たまに田舎に不釣り合いなほどモダンな校舎がありますが、ここもそんな感じです。決して嫌味で言っているのではありません。私の実家の中学もそうでした。それは誰のせいでもありません。
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二階の床の一部が圧力で浮き上がっています。でも、ここ以外は、普通に安全そうです。
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二階から川のほうを見るとこんな感じです。繰り返しますが、この近辺は堤防まで普通に家屋がありました。
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これが山側、つまり川の逆側の風景です。プールや倉庫に続く渡り廊下は、今も折れ曲がったまま。
避難した生徒や近隣住民はこの校庭に集まりました。裏に見えている山に登るか、鉄橋のほうに行くかの議論に時間を使ってしまい、結果として逃げ遅れました。自らの判断で裏山に登った生徒のうち4人が助かり、集団で橋に向かった生徒の多くは、堤防から流れこんできた津波に巻き込まれ死亡しました。後知恵で「正しい判断」とされた裏の山ですが、私からみてもかなり急です。当日は雪も降っていました。
分析
http://www.e-flags.tv/greatman/inamura/3-1-1.html -
一方、三角地帯と呼ばれる鉄橋付近のエリアには、ゆるい坂道を登るだけ(写真)。200メートルも歩けば到着します。下からみれば高い場所ですが、堤防沿いの道路(5m)より少し高い程度。多くの児童は、この場所へ向かう途中に流されました。津波は橋を越える高さだったので早く出発しても結果は同じだったという人もいます。でも、水の勢いが違うし、もっと早めに水位を察知していれば、各自違った行動が取れたかもしれません。津波で校舎が飲み込まれた学校はいくつもありますが、多数の死者を出したのはここだけ。だから気の毒なほどバッシングされるのです。
新北上大橋を襲う津波の映像
http://www.youtube.com/watch?v=DW0dqWR4S7M -
この三角地帯は住民馴染みの場所らしく、坂の木の下に記念碑のようなものがいくつも建っていました(写真上)。この写真はそのひとつ「釜谷の街並み」の石碑から。在りし日の大川小学校と集落が写っています。残念ながら、この故郷の原風景は、すでに過去のものです。
テレビ報道 - 大川小の悲劇
http://www.youtube.com/watch?v=LbSu3sEhZr4 -
[南三陸への道]
続いて、大川小同様、悲しいストーリーを生んだ南三陸町へ。今いる場所からだと、やはり海岸沿いに398号線を走るのが最短です。約30キロですが一時間くらいかかります。仙台や石巻から直接南三陸(志津川)に向かうとすると、三陸自動車道と45号線を通るのが便利です。
まずは新北上大橋を渡り対岸へ。この頑丈そうな橋も津波で崩壊しました。その後、堤防上の道路(写真)を通って北上川を抜け、海沿いの道を走ります。 -
橋から数キロほど走り北上町へ。今は合併して石巻市の一部になっています。写真は、北上町十三浜の相川小学校。三階まで被災し、体育館の屋根は崩れ落ちています。石巻市は広いため、門脇小や大川小以外にも、被害が大きな学校がいくつもあるのです。
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ドライブしていると、時々立派な古民家が目に入ります。地元の名家でしょうか。被災した建物ばかり見てきた目には、一瞬の清涼剤です。
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道はリアス式海岸をグネグネと北上していきます。しばらく森の中を走った後、視界が開け海が見え、また森の中へ。これが繰り返えされます。たまに見える海はきれいなのですが、その近くに集落があれば即ち被災を意味します。静かな海にそこはかとない恐怖を感じながら、車は南三陸町を目指して走ります。
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[リンク集]
==国内旅行記一覧==
http://4travel.jp/traveler/sekai_koryaku/album/?dmos=dm&sort=when&view_mode=list
==海外旅行記一覧==
http://4travel.jp/traveler/sekai_koryaku/album?dmos=os&sort=when&view_mode=list
==震災関係 動画==
石巻の東側市街地を襲う津波
http://www.youtube.com/watch?v=aAIj2fws5O4
女川 - 病院のある丘から見た津波
http://www.youtube.com/watch?v=DngU0NJl3cY
女川 - 震災後 空撮
http://www.youtube.com/watch?v=f5Sutj12IGI
女川 - 被害状況
http://www.youtube.com/watch?v=CCSTYTq_mJQ
大川小 - 新北上大橋を襲う津波
http://www.youtube.com/watch?v=DW0dqWR4S7M
大川小 - 大川小の悲劇(テレビ報道)
http://www.youtube.com/watch?v=LbSu3sEhZr4
==ストリートビュー(2011年7-8月)==
女川 - 横倒しのビル (後ろから)
http://goo.gl/maps/idORw
女川- マリンパル女川 (解体前)
http://goo.gl/maps/Lriem
女川 - ガレキの回廊 (ガレキはまだ少なめ)
http://goo.gl/maps/mNc4E
大川小 - 新北上大橋手前+大川小遠景
(この時、車輌通行禁止のため、撮影カー入れず)
http://goo.gl/maps/INVij
北上町 - 相川小学校
http://goo.gl/maps/dEF6U
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