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徳川幕府の礎は家康、秀忠、家光三代で成し遂げられました。<br />その家光の乳母であり、大奥というシステムを構築した春日局の菩提を弔いに山道を歩きました。<br /><br />春日の局はテレビドラマや映画であまりにも有名です。<br />松平信綱、柳生宗矩と共に家光を支えた「鼎の脚」の一人に数えら、女性政治家として随一の存在であり、徳川政権を盤石にしたことで知られています。<br />そもそも一介の乳母にすぎなかった春日の局がこれほどまでに権力を掌握し、実力を発揮したことについては諸説あるようです。<br />しかし、家光を立派に「男に」仕立て、その後の太平の基礎を築くことに大いに寄与した事実は評価されるべきでしょう。<br />春たけなわの休日に、夫婦でこの有名な女傑の菩提寺にお邪魔しました。

徳川幕府を完成させた女傑、春日局ここにも眠る!?/長興山のしだれ桜に守られて

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2012/04/15 - 2012/04/15

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norisa

norisaさん

徳川幕府の礎は家康、秀忠、家光三代で成し遂げられました。
その家光の乳母であり、大奥というシステムを構築した春日局の菩提を弔いに山道を歩きました。

春日の局はテレビドラマや映画であまりにも有名です。
松平信綱、柳生宗矩と共に家光を支えた「鼎の脚」の一人に数えら、女性政治家として随一の存在であり、徳川政権を盤石にしたことで知られています。
そもそも一介の乳母にすぎなかった春日の局がこれほどまでに権力を掌握し、実力を発揮したことについては諸説あるようです。
しかし、家光を立派に「男に」仕立て、その後の太平の基礎を築くことに大いに寄与した事実は評価されるべきでしょう。
春たけなわの休日に、夫婦でこの有名な女傑の菩提寺にお邪魔しました。

同行者
カップル・夫婦
交通手段
私鉄 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 小田急線(箱根登山線)入生田駅を降りると近所のお祭りが催されていました。<br />この時期のお祭りは珍しいのでは!?

    小田急線(箱根登山線)入生田駅を降りると近所のお祭りが催されていました。
    この時期のお祭りは珍しいのでは!?

  • この通りには美しいお花のあるお宅がそこここにあります。<br />もしかしたら旧東海道なのでしょうか?

    この通りには美しいお花のあるお宅がそこここにあります。
    もしかしたら旧東海道なのでしょうか?

  • まるで街並みが江戸か明治のよう。<br />しかも清潔かつ粋に飾り付けられていました。

    まるで街並みが江戸か明治のよう。
    しかも清潔かつ粋に飾り付けられていました。

  • お玄関の右サイドの生け花。

    お玄関の右サイドの生け花。

  • 軒下にも素晴らしい花々が飾られています。<br />このあたりの方はこのお祭りを大事にしているようです。

    軒下にも素晴らしい花々が飾られています。
    このあたりの方はこのお祭りを大事にしているようです。

  • この格子にさりげなく架けられた花瓶、粋ですね。

    この格子にさりげなく架けられた花瓶、粋ですね。

  • 長興山紹太寺に到着します。<br />しかし、これは過去の本院ではありません。清雲院といいます・。<br /><br />菩提寺の長興山紹太寺は小田原藩主であった稲葉一族の菩提寺で、宇治万福寺から招かれた鉄牛和尚が開山したそうです。<br /><br />最盛時は七堂伽藍の大寺院で広大な庭園をもち、旅人から賞賛されたそうですが、幕末の火災によって建物が焼失し、現在では子院の清雲院が紹太寺の寺号を継いでいます。ですからこのお庭は狭いわけです。

    長興山紹太寺に到着します。
    しかし、これは過去の本院ではありません。清雲院といいます・。

    菩提寺の長興山紹太寺は小田原藩主であった稲葉一族の菩提寺で、宇治万福寺から招かれた鉄牛和尚が開山したそうです。

    最盛時は七堂伽藍の大寺院で広大な庭園をもち、旅人から賞賛されたそうですが、幕末の火災によって建物が焼失し、現在では子院の清雲院が紹太寺の寺号を継いでいます。ですからこのお庭は狭いわけです。

  • とは言え、歴史の香りのする山門をくぐり見学させていただきます。

    とは言え、歴史の香りのする山門をくぐり見学させていただきます。

  • 狭いお庭ながらも立派なしだれ桜が咲き誇ります。

    狭いお庭ながらも立派なしだれ桜が咲き誇ります。

  • 今が盛りでしょうか。

    今が盛りでしょうか。

  • カメラマンが一生懸命撮影していました。<br />もしかして4トラベラーでしょうか??(笑)<br />最近観光地や名所に行くと一眼レフかミラーレス一眼レフを持った熟年、中年のカメラマンがたくさんいらっしゃいます。男性、女性ともです。<br />その何割かは4トラベラーかも、などと夫婦でささやきます(笑)

    カメラマンが一生懸命撮影していました。
    もしかして4トラベラーでしょうか??(笑)
    最近観光地や名所に行くと一眼レフかミラーレス一眼レフを持った熟年、中年のカメラマンがたくさんいらっしゃいます。男性、女性ともです。
    その何割かは4トラベラーかも、などと夫婦でささやきます(笑)

  • そこを出て山道を歩きます。<br />あざやかな山吹雪です。

    そこを出て山道を歩きます。
    あざやかな山吹雪です。

  • 寄進されたお地蔵様が並びます。

    寄進されたお地蔵様が並びます。

  • 360段の石段を登ると息が切れます。<br />あちこちに巨石がありました。

    360段の石段を登ると息が切れます。
    あちこちに巨石がありました。

  • 東海道の石畳を思い出しました。<br /><br />ここはそれほどでもないのですが、全般にきつい登り坂です。<br />帰りがけに老夫婦に「まだ坂道は続きますか?」と問われました。<br />「残念ながらまだ半分ぐらいです」と答えると、少々がっかりされていました。ファイト!

    東海道の石畳を思い出しました。

    ここはそれほどでもないのですが、全般にきつい登り坂です。
    帰りがけに老夫婦に「まだ坂道は続きますか?」と問われました。
    「残念ながらまだ半分ぐらいです」と答えると、少々がっかりされていました。ファイト!

  • お地蔵さまではなく観音さまでしょうか?

    お地蔵さまではなく観音さまでしょうか?

  • 途中にも鮮やかな桜がーーー。

    途中にも鮮やかな桜がーーー。

  • 山道はいよいよ険しくなります。

    山道はいよいよ険しくなります。

  • 菩提寺の長興山紹太寺は小田原藩主であった稲葉一族の菩提寺で、宇治万福寺から招かれた鉄牛和尚が開山したそうです。<br /><br />その方のお墓?です。<br />かなり傷んでいますが、風格があります。<br />雨風の浸食作用は容赦ありません。

    菩提寺の長興山紹太寺は小田原藩主であった稲葉一族の菩提寺で、宇治万福寺から招かれた鉄牛和尚が開山したそうです。

    その方のお墓?です。
    かなり傷んでいますが、風格があります。
    雨風の浸食作用は容赦ありません。

  • 詳細解説です。

    詳細解説です。

  • ミカン畑を通り過ぎ、さらに登ると渓流があります。<br />ハイキング気分ですが少々汗ばんできました。

    ミカン畑を通り過ぎ、さらに登ると渓流があります。
    ハイキング気分ですが少々汗ばんできました。

  • 春日の局のお墓の前に巨大なしだれ桜も見学します。<br />これは道の途中の桜です。<br />染井吉野よりもピンク度合が強く鮮やかです。

    春日の局のお墓の前に巨大なしだれ桜も見学します。
    これは道の途中の桜です。
    染井吉野よりもピンク度合が強く鮮やかです。

  • 長興山紹太寺はむしろしだれ桜(樹齢約340年、高さ約13m、株元周囲約4.7mの大木です)です。訪れた時期がややおそかったため花はかなり散っていました。<br /><br />しかし、それだけではなく老齢からくる樹勢の衰えも感じずにはいられませんでしたーーー。<br />

    長興山紹太寺はむしろしだれ桜(樹齢約340年、高さ約13m、株元周囲約4.7mの大木です)です。訪れた時期がややおそかったため花はかなり散っていました。

    しかし、それだけではなく老齢からくる樹勢の衰えも感じずにはいられませんでしたーーー。

  • 老いたりといえども迫力があります。<br />

    老いたりといえども迫力があります。

  • 茶店のご主人もヒマそうに立ちつくしていました。<br />もう桜の季節は終盤です。<br />観光客も少なく、静かです。

    茶店のご主人もヒマそうに立ちつくしていました。
    もう桜の季節は終盤です。
    観光客も少なく、静かです。

  • そよ風にしだれ桜がなびきます。<br />人声も少なく、ただ鳥の鳴き声が響く空間です。

    そよ風にしだれ桜がなびきます。
    人声も少なく、ただ鳥の鳴き声が響く空間です。

  • 家光の乳母に抜擢された理由は、春日の局、即ち福の家柄、教養と、夫・正成の戦功が評価されたといわれています。一方、ある説では福は家康と親しい間柄になったため重用されたという説、あるいは公明正大に公募で選ばれたという説まで存在します。どれも今となっては確かめようもありませんが、とにかく選ばれし女性であったようです。なお、春日の局の息子の稲葉正勝も家光の小姓に取り立てられ、老中に抜擢され、1632年には相模国小田原藩主となったそうです。<br />そういうわけで春日の局はこの小田原藩の領地であった現在の入生田駅そばの紹太寺に葬られました。また別に東京都文京区の麟祥院にも祀られています。(徳川家康もそうですがえらーい方は複数のお墓があるのですね!)

    家光の乳母に抜擢された理由は、春日の局、即ち福の家柄、教養と、夫・正成の戦功が評価されたといわれています。一方、ある説では福は家康と親しい間柄になったため重用されたという説、あるいは公明正大に公募で選ばれたという説まで存在します。どれも今となっては確かめようもありませんが、とにかく選ばれし女性であったようです。なお、春日の局の息子の稲葉正勝も家光の小姓に取り立てられ、老中に抜擢され、1632年には相模国小田原藩主となったそうです。
    そういうわけで春日の局はこの小田原藩の領地であった現在の入生田駅そばの紹太寺に葬られました。また別に東京都文京区の麟祥院にも祀られています。(徳川家康もそうですがえらーい方は複数のお墓があるのですね!)

  • さて春日の局の最大の功績の上位二つは<br />①大奥というシステムを構築して徳川家の跡継ぎが絶えないようにした<br />②(問題のある)家光に何とか子宝をもうけさせた<br />といっていいでしょう。(全くの個人的評価ですーーー)<br /><br />特に②は大変だったようです。<br />諸説ありますが、大体のところ「家光の女嫌い」はなかなかだったようです。<br />正妻との不仲もありますが、幼少から化粧、女装を好んだようで、極端な表現では性同一性障害という方もいますが、これは極論ではないかと思います。そもそも戦国時代前後は武士の男色はそれほど珍しいことではなかったそうです。というのも結婚は多くの場合政略結婚などで自由意思=0ですし、男女間のおつきあいの自由度はよほどの権力者でなければ少ない時代です。<br />そういう時代背景のせいか、あるいは天性の嗜好なのか家光は男性の方に興味があったようです。<br />それを春日の局が当代最高の美女?を集めてなんとかお世継ぎ誕生作戦を成功させたそうで、これはなかなかの快挙でしょう。<br /><br />家康や秀忠は日本中の武将、特に秀吉子飼いの部下と死闘を繰り広げたわけですが、3代目になると突然ゆるきゃらになってしまうわけで、やはり会社でも商売でも3代続けさせるのは難しいというのは本当ですね!?

    さて春日の局の最大の功績の上位二つは
    ①大奥というシステムを構築して徳川家の跡継ぎが絶えないようにした
    ②(問題のある)家光に何とか子宝をもうけさせた
    といっていいでしょう。(全くの個人的評価ですーーー)

    特に②は大変だったようです。
    諸説ありますが、大体のところ「家光の女嫌い」はなかなかだったようです。
    正妻との不仲もありますが、幼少から化粧、女装を好んだようで、極端な表現では性同一性障害という方もいますが、これは極論ではないかと思います。そもそも戦国時代前後は武士の男色はそれほど珍しいことではなかったそうです。というのも結婚は多くの場合政略結婚などで自由意思=0ですし、男女間のおつきあいの自由度はよほどの権力者でなければ少ない時代です。
    そういう時代背景のせいか、あるいは天性の嗜好なのか家光は男性の方に興味があったようです。
    それを春日の局が当代最高の美女?を集めてなんとかお世継ぎ誕生作戦を成功させたそうで、これはなかなかの快挙でしょう。

    家康や秀忠は日本中の武将、特に秀吉子飼いの部下と死闘を繰り広げたわけですが、3代目になると突然ゆるきゃらになってしまうわけで、やはり会社でも商売でも3代続けさせるのは難しいというのは本当ですね!?

  • 今は稲葉一族のお墓も朽ちかけた階段の上にひっそりと佇んでいます。<br /><br />春日の局のお墓は中央近くに位置し、ひときは大きな石が使われています。<br /><br />「昔の光いまいずこーーーー」

    今は稲葉一族のお墓も朽ちかけた階段の上にひっそりと佇んでいます。

    春日の局のお墓は中央近くに位置し、ひときは大きな石が使われています。

    「昔の光いまいずこーーーー」

  • なお、解説によると春日の局のお墓は東京都文京区の麟祥院のほうが本墓であるようです。しかし、遺骨の一部あるいは遺髪などが収められているとの記事もありました。真相は定かではありません。稲葉一族としては、一族を引き上げてくれたこの女傑に最大限の敬意と思慕を表しているように思えます。<br /><br />とにあれ夫婦で手を合わせました。<br /><br />この女傑が築いた「お世継ぎ誕生成功間違いなしシステム」はピーク時には凄い数の女性が暮らしていたようです。明治維新での無血開城時にはここで働く女性の再就職が大問題になりました。それに尽力したのが島津藩出身の篤姫でした。<br />大奥の完成も、解体も有名な女傑が取り仕切ったようです。江に春日の局、篤姫に和宮。徳川幕府はその誕生期も終末期も度量と才覚のある女性に支えられていたようです。

    なお、解説によると春日の局のお墓は東京都文京区の麟祥院のほうが本墓であるようです。しかし、遺骨の一部あるいは遺髪などが収められているとの記事もありました。真相は定かではありません。稲葉一族としては、一族を引き上げてくれたこの女傑に最大限の敬意と思慕を表しているように思えます。

    とにあれ夫婦で手を合わせました。

    この女傑が築いた「お世継ぎ誕生成功間違いなしシステム」はピーク時には凄い数の女性が暮らしていたようです。明治維新での無血開城時にはここで働く女性の再就職が大問題になりました。それに尽力したのが島津藩出身の篤姫でした。
    大奥の完成も、解体も有名な女傑が取り仕切ったようです。江に春日の局、篤姫に和宮。徳川幕府はその誕生期も終末期も度量と才覚のある女性に支えられていたようです。

  • 入生田に戻ります。<br /><br />帰りの下り道は快適でした。

    入生田に戻ります。

    帰りの下り道は快適でした。

  • 駅近くの歩道橋から西を見ると超近代的な地球博物館がのぞめます。<br />400年前の春日局の活躍した時代はもちろん、その数万、数十万倍の歴史を披露する博物館です。<br />しかし、岩石や化石からは決して語れない生きた歴史は、道路を隔てたこの小さなお寺の山奥に、風化しつつある石塔と共にありましたーーー。<br /><br />歴史の重みに珍しく口数が少なくなって帰路についた夫婦でした。

    駅近くの歩道橋から西を見ると超近代的な地球博物館がのぞめます。
    400年前の春日局の活躍した時代はもちろん、その数万、数十万倍の歴史を披露する博物館です。
    しかし、岩石や化石からは決して語れない生きた歴史は、道路を隔てたこの小さなお寺の山奥に、風化しつつある石塔と共にありましたーーー。

    歴史の重みに珍しく口数が少なくなって帰路についた夫婦でした。

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この旅行記へのコメント (8)

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  • ミンさん 2012/05/07 20:37:53
    こちらにもおじゃましました。
    norisaさん、再び、こんばんは。

    実は、私、ここ、長興山紹太寺に2回行ったことがあります。
    しだれ桜も、見ました。散策もしました。

    普茶料理を食べに行きました。
    もう1度行きたいほどですが、3人以上(本当は4人)でないと食べられないです。

    ちょっと中華料理(野菜炒めふう)のお料理もあるボリュームのある精進料理でした。
    税抜きで、7000円のをいただきました。
    5000円のお料理もありました。
    お弁当は、もっと安いですが、、物足りないかなと思いました。


    あれで、狭いお庭なんですね。
    充分広いような・・

    歴史の勉強になるお寺さんですね。


    4月にお祭りなんですね。
    この時期だから、生け花をかざるのね、きっと。
    素敵ですよね。
    玄関先にお花を飾るお祭り、見たことないです。

    ミン

    norisa

    norisaさん からの返信 2012/05/07 21:43:30
    RE: こちらにもおじゃましました。
    ミンさん、

    おお!こちらにも!
    どうもありがとうございます。

    そうですか、長興山に行かれたことがありましたか。
    私は全くの初めてで道しるべを見ながら登りました。
    意外と大変でした。

    でも調べてみると深い歴史のひだが刻まれた名所ですね。
    ついつい桜のみに目を奪われてしまいそうですがーー。

    来年あたり是非ご再訪くださいね。

    では!

    norisa
  • n.arakiさん 2012/04/21 10:53:46
    いつも勉強になります。
    norisaさん、お早うございます。

    春日局拝見させて頂きました。

    いつも詳しく書いていらっしゃるので敬服いたしております。

    先日の美瑛も少しは花らしきもがあれば、より良かったんでしょうけれど。

    北海道ももう少しで綺麗な季節がやってきます。

         n.araki

    norisa

    norisaさん からの返信 2012/04/21 16:28:06
    RE: いつも勉強になります。
    n.arakiさん、

    どうもいつもありがとうございます。
    写真の腕もなくカメラもコンデジなので付録の文章で見ていただくしかないので予習、復習しております(爆)

    でもn.arakiさんの画像はコメントレスで素晴らしいのでうらやましい限りです。
    いつも新作をお待ちしています!!

    norisa
  • DANAさん 2012/04/21 09:06:35
    しだれ桜、いい風情ですね
    norisa様

     入生田近くに春日局のお墓があるなんて、知りませんでした。すごく勉強になりました。しだれ系の樹木が好きなので、とてもうれしかったです。ありがとうございました。

     江戸時代までの武士が男色を好む理由の一つとして、特に戦国時代は腹心の部下との関係性を強くして謀反を防ぐ効果もあったかのように聞いています。伊達政宗もそうだったようですね。武田信玄も。織田信長も。
    キリスト教的な倫理観が導入されて以来、日本では隠微な慣習になってしまいましたが。

    …なんて、ご夫婦の会話に割り込んでしまいました。スミマセン〜

    DANA

    norisa

    norisaさん からの返信 2012/04/21 16:25:25
    RE: しだれ桜、いい風情ですね
    DANAさん、

    早速のご訪問ありがとうございます。
    しだれ桜は盛りを大分すぎていましたが、それだけにすいていて良かったです。
    春日の局はとかくお局様などと揶揄されていましたが徳川家や稲葉家には大きな貢献をしたことがわかりました。

    またよろしくお願いいたします。

    norisa
  • わんぱく大将さん 2012/04/21 02:11:45
    じっくり読ませていただきました
    norisaさん

    こんな旅行記、好きですね。 じっくり読ませていただき、また、一緒に歩かせていただきました。

     大将

    norisa

    norisaさん からの返信 2012/04/21 06:45:44
    RE: じっくり読ませていただきました
    大将さん、

    早速の熟読ありがとうございました。

    超国際人の大将さんにそう評していただくと光栄ですね。
    しかし不勉強ながら住んでいる県に春日局のお墓があるとは知りませんでした。
    世界はもちろん日本の遠く離れた地域に行かなくても、かなり身近に歴史の名所があることを実感しました。

    norisa

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