2012/04/10 - 2012/04/13
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エミリア☆Rさん
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「ドイツ人」というのはいつもわたしの旅の必須パートナーである夫のことです。本来国籍は旅行とはあまり関係ないのかもしれませんが、今回の旅の目的地は、あの、アウシュビッツを含む、ポーランド。普通の観光旅行とは少し違う旅になることを覚悟して、あえて「ドイツ人の視点」という意味のタイトルを付けました。
ナチスの戦争犯罪のことだけでなく、ドイツとポーランドの間には非常に複雑な歴史とそれに纏わる根深い国民感情が存在します。だからわたしたちも、この旅行の初めのうちはなんとなくドイツ語は封印して、人前では英語や日本語で話していたのですが…「ドイツから来た」ということは、車のナンバープレートや言葉の訛りや(夫の場合)外見で一目瞭然。初日に国境を越えた直後に立ち寄ったバーで、既に地元の男性たちから「ゲルマンスキーだ!ゲルマンスキーだ!」と囁かれる始末。。
…にもかかわらず、ドイツ人とわかって接しているであろうポーランド人の親切なこと!英語で話しかけても、笑顔でドイツ語で答えてくれたり、わたしが「ドイツから来た日本人」だとわかると、日本語で話しかけてくれる人までいました。複雑な歴史のあるドイツ人に対しても、肌の色の違う日本人に対しても、何の偏見も持たない素朴な対応に、涙が出るほど感動しました。
アウシュビッツではドイツ語のツアーに参加しましたが、ビルケナウへ向かうバスの中で一緒になったドイツ語のわかるポーランド人のお客さんたちから、とても親身に助けていただき、人間の残虐さを明かす場所で、人間の温かさが心に沁みました。
わたしたちの参加したドイツ語ツアーは、他の言語に比べて特に内容が濃かったようで、英語ツアーが素通りしている場所まで懇切丁寧にじっくり解説しながら回って行くので、非常に時間がかかりましたが、もう一つ、同じようにじっくり回っているツアーがあり…服装と見た目ですぐにわかりましたがイスラエルから来たグループでした。この二つのグループが、同じペースなのでしょっちゅう鉢合わせし、最初はお互いジロジロ見合っていましたが、ガス室の前まで来た時、どちらも言葉を無くして立ち尽くしていました。
…その時、イスラエルグループにいた一人のユダヤ人男性がそっと近づいてきて、ガス室跡の前で呆然としているドイツ人グループの写真をこそっと撮って帰って行きました…人間の作った地獄を前に、全く同じように反応しているドイツ人の姿が印象深かったのかもしれません…そう、この紛れもない歴史の事実を前にすれば、もはやドイツ人もポーランド人もユダヤ人も、そして日本人も関係ないのかもしれません。同じ人間として、ただただこの事実を成すすべもなく共に受け止めるしかないのかもしれません。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
ベルリンから、一路、アウトバーンでポーランドへ…。
写真の道ではありませんが、ベルリンからポーランドへはかなり太いアウトバーンが通っています。実はこれ、ヒトラーがポーランドを侵略するために築いた戦車道が基になっているのだそうです。
ポーランドは2004年にEUに加盟したため、国境に検問はありませんが、ポーランド側に入った途端に道はガタガタに…。道のど真ん中に大穴が空いていたり、コンクリートの塊が転がっていたり、車は馬車並みに揺れ、ずっとこの調子だったら腰痛で動けなくなりそうだと焦りましたが、40分ほど走った後で「この道路はEUの援助によって整備されました」という看板が現れ、なんとかまともな道に入りました。 -
この日はクラクフに一泊し、翌日にアウシュビッツに向かいます。
クラクフのポーランド料理レストランで食べたこの鴨肉、とっても美味でした!
ポーランド料理は、一品ずつ別々のお皿で運ばれてくるので、お肉料理を頼んだら、お肉しか出てきません。なので、ポテトやサラダなどの付け合わせを一緒に注文する必要があります。 -
次の日、遅めの朝食を済ませ、午前11時頃にアウシュビッツに向けて出発しました。
-
途中、通りかかった小さな村の教会前広場に蚤の市が出ていたので、立ち寄ってみました。
ポーランドは物価が安いので、国境付近に住んでいるドイツ人は、わざわざ国境を越えてポーランド側に買い物に行ったりすることもよくあるそうです。
英語はさっぱり通じませんでしたが、ドイツナンバーの車を見てカタコトのドイツ語で話しかけてくる人もいました。…そして、英語もドイツ語も全く通じなかった若い女性の売り子さんに思い切ってロシア語で話しかけてみたら…通じました!が、同時に周囲の人たちから一斉にジロッと見られました…。なので、なんとなく空気を察して以後、通じないドイツ語・日本語・ポーランド語で「会話」。身ぶり手ぶりを交えながらも、安い日用品をゲットできました。 -
不思議なのは、わたしたち以外、外国人は全く一人も見かけないというのに、通りかかる地元の人々から一切ジロジロ見られないことです。
わたしたちの住んでいるドイツなんかでは、例えベルリンのような都市でも日本人が歩いていたら立ち止まってジロジロ睨まれたりすることがあります。が、外国人旅行者なんていそうもないこんな小さな村だというのに、怪訝な視線は一切感じません。
そして、ポーランド語のわからないわたしたちを一切邪険にすることなく真剣に接してくれる地元の人々…。 -
旅行前気にしていた「対独感情」も、全く悪いとは思えません。むしろ、「ゲルマニーか?」と人懐こく話しかけてくる人が結構います。
また、西欧諸国ではよく感じる、日本人に対する「うわ〜、アジア人だぁ!!」という視線・態度もここでは一切感じませんでした。
ポーランドは、ヨーロッパ諸国の中で唯一、ネオナチがほとんど勢力を伸ばせていない国なのだそうですが、そのことも関係しているのかもしれません。
本当に良い国です。 -
こちらは教会墓地。
ポーランド人は、先祖のお墓をとても大切にするそうで、例え自分の家が貧しくても、家族のお墓だけは立派な花とお供えでいつも豪華に飾り立てるのだそうです。
…なんだか日本人に少し似ているような気もします。 -
あまりに美しいポーランドの自然と田舎の景色と、そして途中立ち寄った村々の人々の温かさ、素朴さに、ついついアウシュビッツに向かっているのだということを忘れて休暇気分に浸ってしまった…ということをここで告白します。
-
アウシュビッツ強制収容所跡のある街、オフィチエンシムについても、まだ、なんとなく、ピンと来ません。
正直、予備知識はかなりあるつもりでした。
夫は、言わずもがな、ナチスの犯罪については物心ついた時から学校や家庭でそれこそトラウマになるほど詳細に渡って繰り返し頭に叩き込まれてきました。
一方、わたしは大学院でドイツ近現代史を研究した元ドイツ語通訳。アウシュビッツで亡くなった方々や生き残った方々の手記も、親衛隊員の証言集も、アウシュビッツに関する研究書も、何冊も読みました。
特にアウシュビッツで亡くなったある女性の手記を高校生の時に読んで以来、人生が変わるほどの感銘を受けました。…そして、わたしの本名(の一部)は、アウシュビッツで亡くなったカトリックの聖人の名からきています。だから、アウシュビッツには、ドイツ人の夫と同じくらいかあるいはそれ以上の強い思い入れがあります。 -
…それが、この門をくぐった途端、春の陽気の中、観光客が歩き回るのどかな光景に、愕然としました。
…あの、被害者の方々の手記の中で何度も何度も描写され、まるで自分が体験したことのように強烈に脳裏に焼き付いていたこの場所が…
今はこうなっているのか…と思うと、膝がガクガク振るえました。
ですが同時に、ここで死んでいった人々が皆、生前語っていたこと…「全てが終わって、生き残ることができたら、このことを全世界に語り伝えよう。ここを公開して、彼らのしたこと全てを、わたしたちが証言しよう!」という声が、頭の中をぐるぐる回りました。 -
これはチクロンBの空き缶です。
まだ「GIFTGAS!(毒ガス)」と書かれているラベルがはっきりと読めます。
この缶に入っていたのは固形物で、水に加えると即座に毒ガスが発生する仕組みになっていました。チクロンBが開発されるまで、一酸化炭素や青酸カリなど様々な毒物が試験的に導入され、毒ガス開発の実験台にされた人々は、亡くなるまで二日間もガス室の中で苦しんだそうです。 -
これは連行されてきた人々が持って来た食器類。
当時、連行されてきた人々は、「外国の労働キャンプに行くのだ」という程度の情報しか与えられておらず、ほとんど何も知らない状態でアウシュビッツに辿りついたのだ…と、ポーランド人のガイドさんが語っていました。打ち捨てられた大量の食器類は、ここに連れてこられた人々が、むしろ「新天地」で新たな生活をするつもりで「旅支度」をしていたのだということを物語っています。 -
この靴を見た時、まさしく心臓が止まりそうになりました。
わたしも、これとそっくりな靴を持っているんです。ドイツで買った靴です。踵が高いから、石畳のヨーロッパの街は歩きにくいけれど、ちょっとオシャレをしてお出かけするときにはよく履いている靴…。
きっと、当時は最先端のオシャレな靴だったに違いありません。
この靴の持ち主だった女性も、きっとオシャレをして、ここに来たんだ…と思うと、涙が出そうになります。 -
これは連行されて来た人々が持ってきた鞄類。
ユダヤ系の名前とドイツ語の住所が痛々しいです。ここで殺された人々の多くはベルリンから連行されてきたそうです。
わたしたちと同じように、「異邦人」として、あるいは「ドイツ人」として、ベルリンでごく普通の生活を営み、そして、ある日突然ここに連れて来られ、殺されて行った何十万もの人々…この辺りから、既にもう一言も言葉が出なくなりました。 -
死体焼却場。
ただし、オリジナルは破壊されたため、こちらは復元されたものになります。復元なので、煙突とは繋がっておらず、実際に使用できる構造(という表現もおぞましいのですが)にはなっていません。 -
これは、ここの所長だったルドルフ・ヘスが処刑された場所です。
わたしたちは、この男の証言集を読みましたが、それなりに人生の苦労を味わったごく普通の妻子ある男です。その男が、まるで普通のサラリーマンが「どうやったらもっと売り上げを伸ばせるだろうか?」と思案するのと同じような感覚で、「どうやったらもっと効率よく殺せるだろうか?」と思案するのです。
もしもナチスの犯罪に係わった者たちの「人間心理」に関する後世の研究書を読んだだけだったなら、むしろこの男やその「同僚」たちの心理というものも、なんとなく「理解」できたかもしれません。ですが、実際に生々しい証拠類がそのまま残されたこの「現場」を前にしてみると、ますますわからなくなる一方です。…一体何が起これば、ごく普通の人間が、同じ人間に対してこういうことができるようになるのだろうか?…と。 -
アウシュビッツ第一収容所から車で5分程の所に、ビルケナウと言われる第二収容所があります。
第一収容所から、30分おきくらいにバスが出ているのですが、ガイドさんに言われた発車時刻まで時間があったので、わたしだけ先にバスに乗り、夫は一時車に戻りました。
…が、バスはみるみる満員になり、出発時刻10分前頃には一人も乗り込めない状態に…。運転手さんが、バスのドアを閉めて早々に出発しようとエンジンを駆けたので、近くにいたドイツ語のガイドさんに「夫がまだ来ていないんですが…」と伝えました。
すると、傍に居た何人かのドイツ語のわかるポーランド人のお客さんたちが、何やらポーランド語で運転手に抗議を始めました。「出発時刻前なのに発車するのはおかしい。待つべきだ。」と言ってくれているのだとか。
そのうち、抗議していたポーランド人のお客さんたちが、「今乗っている人たちをビルケナウで降ろした後、同じバスがご主人を迎えに戻ります。10分くらいかかります。ドイツ語のガイドはご主人が来るまで待ってます。」と伝えてくれました。
…見ず知らずの外国人にとても親身になってくれた彼らの優しさと、辛い歴史のコントラストが胸に痛いです。 -
そして到着したのが、ビルケナウ。
正直、こちらの収容所跡の方が、より、生々しさというか、ぞっとするような戦慄を感じさせるようにわたしには感じられました…。 -
これは、人々をここに運んで来た貨車です。
戦後、ドイツ本国から展示のためにここに運ばれてきた、オリジナルだそうです。 -
小さな煙突が何本も突き出た建物は台所だそうです。
ガイドさんによれば、この収容所に、ネズミが大量に発生し、死体を喰いあさって巨大化し、猫ぐらいの大きさにまでなったのだそうです。これらのネズミは人間を恐れず、棒で叩いても叩いた人間を噛みつき返したそうです。 -
この一段に、五人が寝るようにと設計されたのだそうです。冬はマイナス20度前後にもなるポーランド。死体焼却が優先され、暖房用には一バラックにバケツ一杯分の木炭しか与えられなかったそうです。
-
ドイツ語グループの内訳は様々で、わたしたちと同じように、ご主人がドイツ人で奥さんが外国人のご夫婦が二組、若い女性グループが一組、家族旅行が一組、その他、年代様々なご夫婦やカップルなど。皆、一様に言葉もなく呆然とガイドさんの話に耳を傾けていました。
このグループは、他の言語のグループに比べてガイドさんの話の内容も濃いようで、英語グループなどが素通りしている場所も逐一丁寧に説明され、後から来たグループにどんどん追い抜かれていきました。
一方、同じペースでゆっくり時間をかけて回っているグループが一つだけあって…それが、イスラエルから来たヘブライ語のグループ。この二つのグループが、ビルケナウで頻繁に鉢合わせし、お互い気になってじろじろ見あったりしていました。 -
ですが、破壊されたガス室の前まで来た時、どちらのグループも同じように言葉を失くして呆然と並んで立ち尽くしていました。
この、人間が作った地獄が確かにここに存在したという事実を前にしては、もはやドイツ人もユダヤ人もポーランド人も、そして日本人も、そんな区別は無意味なのかもしれません。 -
「脱衣場」→「ガス室」→「焼却室」と続く殺人工場跡。破壊されたとは言え、そこに何があったか、はっきりと見て取れます。まさにルドルフ・ヘスが証言した通りの規模、形、そのままに、残されています。
ガイドさんによれば、これらの施設は、ソ連軍による解放直前に、証拠隠滅のために親衛隊によって破壊されたもの、そして、生き残ったユダヤ人によって破壊されたものがあるそうです。 -
これらの施設を見ていた時に、ヘブライ語グループにいた一人のユダヤ人男性が、そっと近づいてきて、呆然と立ち尽くしているドイツ人の写真をパチリと撮って戻って行きました。…同じように、なすすべもなく史実と向き合っている彼らの姿が、印象深かったのかもしれません。
ベルリンに戻ってから、夫の同僚でもあるユダヤ人の友人に、アウシュビッツを見て来たことを話しました。
これまで学校やいろいろな場面で嫌と言うほど教えられてきたことや、巷で言われている様々な言説、全てがけし飛んでしまうほど衝撃的な体験だった…という夫の話に、ユダヤ人の彼は、「君らが自分の意志で、興味を持って見に行ったことはすごくいいことだと思うよ。」と一言。「これを、“ドイツ人とユダヤ人の間に起こったこと”で終わらせてしまうべきではないよ。」…と。
本当に、その通りだと思います。
アウシュビッツの後の世界では、第二の、第三のアウシュビッツと言われる悲惨な殺戮が、何度も繰り返されています。それらの多くは、語られることも、調査されることも、当事者同士が共通の歴史認識を持って未来に伝えられることもなく、歴史の闇に葬り去られています。
むしろアウシュビッツは、当事者双方の「二度とこのようなことが繰り返されてはならない」という共通の認識の下、「負の遺産」として世界に公開された、貴重な例なのかもしれません。
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この旅行記へのコメント (4)
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- 一歩人さん 2013/01/27 09:48:51
- 人間の罪と罰でしょうか。
- エミリア☆Rさんへ
なかなか、かなかな。冷静さがいいですね。
人間の、正義や悪、罪と罰、被害者でありながら加害者と変わっていく、
人間の本姓でしょうか。今も、昔も、社会や家庭で巻き起こる変わらぬ人間の営み。昨日が歴史であり、今や将来も、歴史と変わっていくのでしょう。
ふ、ふ、哲学的かしらね。でも、リアルな旅行記でとても感動しました。
ふ、ふ、アンテークは、いいですよね。私は、歌舞伎ファンで押絵羽子板の
コレクションを少し集めました。自分でも歌舞伎十八番のうち2点に挑戦しました。アンテークのある暮らしが大切です。なんてね。
ありがとうございました。失礼しま〜す♪
- エミリア☆Rさん からの返信 2013/02/11 07:30:49
- RE: 人間の罪と罰でしょうか。
- 一歩人さんへ
重いテーマの旅行記になってしまいましたが、読んで頂き、ありがとうございました。
とても繊細なテーマだったので、うまく伝わるかどうか不安でしたが、嬉しいコメントを頂き、わたしの方こそ感動しました。
一歩人さんは歌舞伎ファンなのですね!
わたしは子供の頃から日本舞踊をやっているので、歌舞伎も時々母と見に行きました。押し絵羽子板は、「羽根のかむろ(漢字変換が出ませんでした)」と「幻お七」を踊った時に小道具で使いましたよ。ずっしり重くて、細かい細工が本当に美しくて、コレクションされたらさぞ素敵でしょうね。
こちらこそ、またよろしくお願いいたします!
-
- まーきゅりーさん 2012/06/08 16:50:05
- 私も是非、訪れたいです
- 旅行記、拝見させていただきました
以前からアウシュビッツは、是非訪れたいとずっと思ってました
来年に行こうと計画を立て始めているのですが、何せ語学力にものすごい不安がある上、情報量の少ないポーランド
ポーランドの人は親切と聞いていましたが、この間行ったドイツでも皆、親切だったので、そのドイツのかたが言われるので安心しました
エミリアさんのコメントは、本当に共感できます
エミリアさんの旅行記を拝見して絶対に行かなくちゃという気持ちにかられます
私も、けっこう調べたつもりでしたが、ベルリンから送られたユダヤ人が多かったとは、知りませんでした
もっと勉強しなきゃあいけませんね
また、色々と教えを請うことがあると思いますが、宜しくお願いします
まーきゅりー
- エミリア☆Rさん からの返信 2012/06/10 00:00:48
- コメントとご投票、ありがとうございました。
- まーきゅりーさん
旅行記へのご投票と書き込み、ありがとうございました。
ポーランド旅行記、見た物が重過ぎたのと、どうしてもドイツから見に行ったという事情に重点を置きたかったのでちょっと癖のある内容になってしまいましたが、共感していただき、温かいコメントまでいただき、すごく嬉しかったです。
わたしも、アウシュビッツを含めたポーランドへは中学生の頃からずっと行きたいと思っていたのですが、やっと実現できたという感じです。
まーきゅりーさんの仰る通り、情報量が少なく、出発前はいろいろと不安でしたが、旅行に困らない程度は英語が通用し、それ以上に人がとても温かいので非常に旅行しやすい良い国でした。アウシュビッツやその他の気分が重くなる内容の「観光」をしても、周囲の人々の温かさに励まされ、全体的には良い思いをして帰ってこられると思います。
まーきゅりーさんが、ドイツの人は親切だったと言ってくださって、なんだかわたしもとても嬉しい気持ちになりました。ドイツ人は、冷たく思われることが多いようなのですが、根は、みんな親切で、地図を開いてうろうろしていると、「どこに行きたいんだ!」とそれこそ怖い顔で怒鳴りながら近づいてくるおじさんによく遭遇しますが、怒っているのではなく、助けてあげようとしているだけだったりするんですよ(笑)。
アウシュビッツやナチス時代の歴史に関しては、わたしもまだまだ全然勉強不足で、これからいろいろ知らなければいけないことが山のようにあると思います。アウシュビッツのユダヤ人の多くはベルリンから移送された人たちだったというのも、現地のガイドさんから聞いて初めて知った事実です。また、今住んでいるベルリンの最寄り駅が、かつてユダヤ人がポーランドの収容所に移送されるときの拠点となった駅だったらしいのですが、そのことも、最近やっと知って驚きました。
まだまだいろいろ勉強しないと…
とても嬉しいコメント、ありがとうございました。
エミリア
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