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「ドイツ人」というのは夫のことです。なぜこんなタイトルなのかということについては、どうぞこちらの「アウシュビッツ編」をご参照ください。http://4travel.jp/traveler/emilia/album/10661112/<br /><br />クラクフの街には三泊し、そのうちの一日目に上記のアウシュビッツへ、二日目に街を散策し、シンドラーの工場跡と旧ユダヤ人街を見学、三日目にヴィエリチカ岩塩坑を見学しました。<br />そのため市街でゆっくりできたのは実質一日だけで、個人的には、三日目のヴィエリチカをやめてもう一日この街でのんびりした方が良かったかな…と、思うほど、素敵な街でした。<br /><br />一番印象深かったことは、それなりの規模の街なのに、外国人がほとんど…というか、わたしたち以外、全く見当たらないことです。イースター休暇期間だというのに、観光客すらいません。ドイツではどこでも見かけるイスラム教徒の人々も、ついに一度も目にしませんでした。<br /><br />そして、にもかかわらず、街の人々から一切ジロジロ見られないということにも、正直驚きました。今住んでいるベルリンでは、移民や外国人だらけの大都市なのに、日本人が歩いていたら立ち止まってジロジロ睨まれることなんてしょっちゅうですが、この街では、肌の色の違う日本人に対しても、複雑な歴史的背景のあるドイツ人に対しても、何の偏見も感じませんでした。<br /><br />クラクフに限らず、ポーランド国土のほぼ半分を車で走り通して思ったことは、何故か「日本と似ている、懐かしい!」ということ。しかも、ドイツ人の夫は夫で「故郷のヴェストファーレンの景色に似ている!」と思っていたそうです。…実際には、日本や西ドイツとは歴史も文化も何もかも違う、典型的な東欧の風景なのに…誰の心にも、まるで故郷のように寄り添える風景なのです。<br /><br />この国を故郷に持ったなら、きっとどんな形ででも愛さずにはいられないんだろう、と、強く感じました。その意味では、日本ととても似た国なのかもしれません。海外に住んでいて出会う日本人は(わたしも含めて)、皆、日本に対してとても強い執着心、というか、愛情を持っていますが、ドイツで出会う他の外国人で、この感覚に最もよく似た「愛郷心」を持っているのは、わたしの感覚ではポーランド人だけです。…その理由が、今回の旅行で少しわかったような気がしました。

ドイツ人と見たポーランド~クラクフ編

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2012/04/10 - 2012/04/13

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エミリア☆R

エミリア☆Rさん

「ドイツ人」というのは夫のことです。なぜこんなタイトルなのかということについては、どうぞこちらの「アウシュビッツ編」をご参照ください。http://4travel.jp/traveler/emilia/album/10661112/

クラクフの街には三泊し、そのうちの一日目に上記のアウシュビッツへ、二日目に街を散策し、シンドラーの工場跡と旧ユダヤ人街を見学、三日目にヴィエリチカ岩塩坑を見学しました。
そのため市街でゆっくりできたのは実質一日だけで、個人的には、三日目のヴィエリチカをやめてもう一日この街でのんびりした方が良かったかな…と、思うほど、素敵な街でした。

一番印象深かったことは、それなりの規模の街なのに、外国人がほとんど…というか、わたしたち以外、全く見当たらないことです。イースター休暇期間だというのに、観光客すらいません。ドイツではどこでも見かけるイスラム教徒の人々も、ついに一度も目にしませんでした。

そして、にもかかわらず、街の人々から一切ジロジロ見られないということにも、正直驚きました。今住んでいるベルリンでは、移民や外国人だらけの大都市なのに、日本人が歩いていたら立ち止まってジロジロ睨まれることなんてしょっちゅうですが、この街では、肌の色の違う日本人に対しても、複雑な歴史的背景のあるドイツ人に対しても、何の偏見も感じませんでした。

クラクフに限らず、ポーランド国土のほぼ半分を車で走り通して思ったことは、何故か「日本と似ている、懐かしい!」ということ。しかも、ドイツ人の夫は夫で「故郷のヴェストファーレンの景色に似ている!」と思っていたそうです。…実際には、日本や西ドイツとは歴史も文化も何もかも違う、典型的な東欧の風景なのに…誰の心にも、まるで故郷のように寄り添える風景なのです。

この国を故郷に持ったなら、きっとどんな形ででも愛さずにはいられないんだろう、と、強く感じました。その意味では、日本ととても似た国なのかもしれません。海外に住んでいて出会う日本人は(わたしも含めて)、皆、日本に対してとても強い執着心、というか、愛情を持っていますが、ドイツで出会う他の外国人で、この感覚に最もよく似た「愛郷心」を持っているのは、わたしの感覚ではポーランド人だけです。…その理由が、今回の旅行で少しわかったような気がしました。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
ホテル
4.5
グルメ
5.0
ショッピング
5.0
交通
5.0
同行者
カップル・夫婦
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
レンタカー
旅行の手配内容
個別手配
  • クラクフの街並みは、チェコやハンガリー、あるいは旧東ドイツに似た典型的な東欧の街並み…と、わたしには思われました。

    クラクフの街並みは、チェコやハンガリー、あるいは旧東ドイツに似た典型的な東欧の街並み…と、わたしには思われました。

  • でも、旧東ドイツなどと違うところは、街のあちこちでとても敬虔なカトリックの信仰を感じることです。あの、共産主義体制下でも決して揺るがなかった彼らの信仰心に、頭が下がる思いがします。<br /><br />(写真は市内の教会です。)<br /><br />とりあえず、ぶらぶら歩きをしながら中央広場へ向かいます。

    でも、旧東ドイツなどと違うところは、街のあちこちでとても敬虔なカトリックの信仰を感じることです。あの、共産主義体制下でも決して揺るがなかった彼らの信仰心に、頭が下がる思いがします。

    (写真は市内の教会です。)

    とりあえず、ぶらぶら歩きをしながら中央広場へ向かいます。

  • こちらが中央広場です。<br />四月なので、イースターの飾りで溢れていました。<br />写真に写っているのは聖マリア教会です。

    こちらが中央広場です。
    四月なので、イースターの飾りで溢れていました。
    写真に写っているのは聖マリア教会です。

  • こちらはその向かいにある織物会館です。

    こちらはその向かいにある織物会館です。

  • 中に入ると、巨大なお土産屋台街が広がっています。「アレルヤ」と書かれているのは、イースター期間だからだそうです。<br /><br />ポーランドは琥珀の一大産地でもあるので、琥珀製品がたくさんあります。値段はドイツの蚤の市などに比べてかなり安いと感じましたが、それでも「ポーランドにしては」高めかもしれません。<br /><br />また、一番よく売られているのはカトリックのロザリオ、メダイなどの宗教小物で、敬虔なカトリックの街だということを感じさせます。わたしも金のメダイをお土産に買おうかなぁ…と思いましたが、なんとなく決められずにまたの機会に…。<br />

    中に入ると、巨大なお土産屋台街が広がっています。「アレルヤ」と書かれているのは、イースター期間だからだそうです。

    ポーランドは琥珀の一大産地でもあるので、琥珀製品がたくさんあります。値段はドイツの蚤の市などに比べてかなり安いと感じましたが、それでも「ポーランドにしては」高めかもしれません。

    また、一番よく売られているのはカトリックのロザリオ、メダイなどの宗教小物で、敬虔なカトリックの街だということを感じさせます。わたしも金のメダイをお土産に買おうかなぁ…と思いましたが、なんとなく決められずにまたの機会に…。

  • 面白い!と思ったのが、ユダヤ人の木彫りの人形が大量に売られていたことです。ユダヤ人に典型的なもみあげを生やし、独特の帽子をかぶり、なんと片手には「ユダヤ商人」の象徴であるターラー金貨を持っています。「ドイツでこんなものを売っていたら、たぶん人種差別で訴えられるだろう」と夫は驚いていましたが、ドイツに帰ってからユダヤ人の友達にこの話をしたら、「なんでお土産に買ってきてくれなかったんだよ!!」…とのこと。。<br /><br />金のメダイと共に、買えば良かった!!と後悔した、クラクフ土産です。<br />この街には、何度も来そうな予感がするので、次こそは是非!!

    面白い!と思ったのが、ユダヤ人の木彫りの人形が大量に売られていたことです。ユダヤ人に典型的なもみあげを生やし、独特の帽子をかぶり、なんと片手には「ユダヤ商人」の象徴であるターラー金貨を持っています。「ドイツでこんなものを売っていたら、たぶん人種差別で訴えられるだろう」と夫は驚いていましたが、ドイツに帰ってからユダヤ人の友達にこの話をしたら、「なんでお土産に買ってきてくれなかったんだよ!!」…とのこと。。

    金のメダイと共に、買えば良かった!!と後悔した、クラクフ土産です。
    この街には、何度も来そうな予感がするので、次こそは是非!!

  • この広場の近くに、ドイツ領事館があります。<br /><br />ポーランドに来る前、歴史的背景などから、現地の対独感情は悪いだろう…と思い込んでいましたが、夫と旅をしてみて思うことは、ポーランド人のドイツやドイツ人に対する感情は、むしろすこぶる良い!ということです。<br /><br />あの、アウシュビッツでも、ドイツ語のわかるポーランド人の方々にすごく親切にしていただき、クラクフの街でも英語で話しかけても片言のドイツ語で返事をしてくれたり、「ドイツに親戚がいる」と、親しげにドイツ語で世間話をしてくれたお店の店員さんもいました。<br /><br />また、ドライブしていて気付いたことは、ポーランド人の運転が日本人と似ているということです。「譲り合い」の精神が生きているのです。ヨーロッパで、こんな国、初めてです!旅行前、夫のドイツ人の同僚から「ドイツナンバーの車でポーランドに行ったらぶつけられるんじゃないの?」などと言われましたが、まさにその正反対。車線変更や左折の際、あり得ない場所で止まって、譲ってくれます。

    この広場の近くに、ドイツ領事館があります。

    ポーランドに来る前、歴史的背景などから、現地の対独感情は悪いだろう…と思い込んでいましたが、夫と旅をしてみて思うことは、ポーランド人のドイツやドイツ人に対する感情は、むしろすこぶる良い!ということです。

    あの、アウシュビッツでも、ドイツ語のわかるポーランド人の方々にすごく親切にしていただき、クラクフの街でも英語で話しかけても片言のドイツ語で返事をしてくれたり、「ドイツに親戚がいる」と、親しげにドイツ語で世間話をしてくれたお店の店員さんもいました。

    また、ドライブしていて気付いたことは、ポーランド人の運転が日本人と似ているということです。「譲り合い」の精神が生きているのです。ヨーロッパで、こんな国、初めてです!旅行前、夫のドイツ人の同僚から「ドイツナンバーの車でポーランドに行ったらぶつけられるんじゃないの?」などと言われましたが、まさにその正反対。車線変更や左折の際、あり得ない場所で止まって、譲ってくれます。

  • さて、クラクフの街にはあのオスカー・シンドラーの工場が今も残されています。シンドラーは、ナチス党員のドイツ人で、エナメル製造工場の経営者でしたが、「工場で働かせる」という名目で、多くのユダヤ人を虐殺から救い出した人物です。スピルバーグ監督の映画「シンドラーのリスト」の主人公です。<br /><br />この工場のある地域には、今でもドイツ系の企業・工場がたくさん建ち並んでいて、ドイツとポーランドの経済的結びつきの強さも感じさせます。<br /><br />そして、この日はドイツからの大型観光バスが入口に乗りつけていました。<br /><br />シンドラーの工場は、現在では博物館となっており、見学できます。

    さて、クラクフの街にはあのオスカー・シンドラーの工場が今も残されています。シンドラーは、ナチス党員のドイツ人で、エナメル製造工場の経営者でしたが、「工場で働かせる」という名目で、多くのユダヤ人を虐殺から救い出した人物です。スピルバーグ監督の映画「シンドラーのリスト」の主人公です。

    この工場のある地域には、今でもドイツ系の企業・工場がたくさん建ち並んでいて、ドイツとポーランドの経済的結びつきの強さも感じさせます。

    そして、この日はドイツからの大型観光バスが入口に乗りつけていました。

    シンドラーの工場は、現在では博物館となっており、見学できます。

  • …中はどうなっているのかと言うと…<br /><br />単なる「ホロコースト博物館」ではありません。<br />ナチス占領時代のクラクフの街を、市民の目線で体験できるような展示がなされています。そして、驚いたのが、ドイツ側の史料が豊富なこと!ドイツ本国では絶対に公共の場に展示できないようなものまで堂々と展示されています。<br /><br />写真はポーランドに侵攻してきたドイツ軍の武器類。

    …中はどうなっているのかと言うと…

    単なる「ホロコースト博物館」ではありません。
    ナチス占領時代のクラクフの街を、市民の目線で体験できるような展示がなされています。そして、驚いたのが、ドイツ側の史料が豊富なこと!ドイツ本国では絶対に公共の場に展示できないようなものまで堂々と展示されています。

    写真はポーランドに侵攻してきたドイツ軍の武器類。

  • こちらはハーケンクロイツの旗と、ドイツ軍のピストル。オリジナルです。

    こちらはハーケンクロイツの旗と、ドイツ軍のピストル。オリジナルです。

  • これはドイツ軍のヘルメット。<br /><br />…余談ですが、夫が子供の頃(90年代です)、近所の廃坑の中で子供仲間と遊んでいて、このようなオリジナルのドイツ軍のヘルメットを見つけたそうです。喜んで家に持って帰った所…「こんなものを俺の家に持ち込むな!」と父親から大目玉をくらったそうです。<br /><br />そういった事情で、ドイツ国内では当時のドイツ軍の備品などは見つかり次第処分されたりしているため、あまり多く残っていません。それが、被害国であるポーランドで、このように堂々と展示されているのは非常に興味深いことだと思いました。

    これはドイツ軍のヘルメット。

    …余談ですが、夫が子供の頃(90年代です)、近所の廃坑の中で子供仲間と遊んでいて、このようなオリジナルのドイツ軍のヘルメットを見つけたそうです。喜んで家に持って帰った所…「こんなものを俺の家に持ち込むな!」と父親から大目玉をくらったそうです。

    そういった事情で、ドイツ国内では当時のドイツ軍の備品などは見つかり次第処分されたりしているため、あまり多く残っていません。それが、被害国であるポーランドで、このように堂々と展示されているのは非常に興味深いことだと思いました。

  • このようなミニ戦車も展示されています。

    このようなミニ戦車も展示されています。

  • こちらはヒットラーユーゲントの短刀だそうです。<br />現代のドイツでは、このような形でこういったものが展示されるというのは、あり得ないことです。<br /><br />そのほか、あまりに強烈なので写真を載せることははばかられますが、当時の公共施設そのままのように、巨大なハーケンクロイツ旗が何枚も垂れ下がっている展示室もあります。まるで、本当に当時のクラクフにタイムスリップしてしまったような気分になります。

    こちらはヒットラーユーゲントの短刀だそうです。
    現代のドイツでは、このような形でこういったものが展示されるというのは、あり得ないことです。

    そのほか、あまりに強烈なので写真を載せることははばかられますが、当時の公共施設そのままのように、巨大なハーケンクロイツ旗が何枚も垂れ下がっている展示室もあります。まるで、本当に当時のクラクフにタイムスリップしてしまったような気分になります。

  • このように、当時のクラクフ市民に次々と布告された占領軍からの通達が、壁一面に貼られています。すべて当時のまま、ドイツ語です。「ユダヤ人は自転車に乗ってはならない」「ユダヤ人は公園に出入りしてはならない」「ユダヤ人は日没後外出してはならない」「ユダヤ人は公共交通機関に乗ってはならない」…に始まり、ついにゲットーへの強制移住が始まります。…が、これはアウシュビッツへの序章に過ぎませんでした。<br /><br />これらを全て読んでいると、本当に憂鬱な気分になっていきます。<br />余談ですが、ドイツのお役所からの通達の書面って、現在もほとんんど変わっていないのだ…ということに気付きました。…それを考えると、普通に生活していたら、突然、こんな通達が郵便受けに舞い込んでいた…という、当時のユダヤ系市民たちの恐怖が自分のことのように感じられます。

    このように、当時のクラクフ市民に次々と布告された占領軍からの通達が、壁一面に貼られています。すべて当時のまま、ドイツ語です。「ユダヤ人は自転車に乗ってはならない」「ユダヤ人は公園に出入りしてはならない」「ユダヤ人は日没後外出してはならない」「ユダヤ人は公共交通機関に乗ってはならない」…に始まり、ついにゲットーへの強制移住が始まります。…が、これはアウシュビッツへの序章に過ぎませんでした。

    これらを全て読んでいると、本当に憂鬱な気分になっていきます。
    余談ですが、ドイツのお役所からの通達の書面って、現在もほとんんど変わっていないのだ…ということに気付きました。…それを考えると、普通に生活していたら、突然、こんな通達が郵便受けに舞い込んでいた…という、当時のユダヤ系市民たちの恐怖が自分のことのように感じられます。

  • この部屋では、「SS(ナチス親衛隊)によって逮捕される大学教員」の立場を体験できます。<br /><br />「逮捕状」を読み上げるSS将校の声が聞こえてきます。「嘘だろ、バカバカしい、君はそんなことを本気で言っているのか?」と、目の前に立っている(であろう)SS将校に言ってやりたくなります…が、実際、誰もが「嘘だろ、バカバカしい…」と思っていたようなことが、次々と現実になっていった時代があったのだ…ということが身に沁みます。

    この部屋では、「SS(ナチス親衛隊)によって逮捕される大学教員」の立場を体験できます。

    「逮捕状」を読み上げるSS将校の声が聞こえてきます。「嘘だろ、バカバカしい、君はそんなことを本気で言っているのか?」と、目の前に立っている(であろう)SS将校に言ってやりたくなります…が、実際、誰もが「嘘だろ、バカバカしい…」と思っていたようなことが、次々と現実になっていった時代があったのだ…ということが身に沁みます。

  • 街の風景もどんどん変わっていきます…

    街の風景もどんどん変わっていきます…

  • こちらはドイツ軍の徽章類。

    こちらはドイツ軍の徽章類。

  • そして、当時のプロパガンダ本の数々です。<br />ドイツ国内では、ほとんど処分されてしまい、オリジナルを見ることはほぼ、ありませんが、被害者側が、貴重な史料として中立の立場で大切に保管しているということに、頭が下がる思いがします。

    そして、当時のプロパガンダ本の数々です。
    ドイツ国内では、ほとんど処分されてしまい、オリジナルを見ることはほぼ、ありませんが、被害者側が、貴重な史料として中立の立場で大切に保管しているということに、頭が下がる思いがします。

  • そして、いよいよ、ユダヤ系市民の財産没収とゲットーへの強制移住が始まります。<br />ここでは、「ユダヤ人身分登録」を体験できます。

    そして、いよいよ、ユダヤ系市民の財産没収とゲットーへの強制移住が始まります。
    ここでは、「ユダヤ人身分登録」を体験できます。

  • SSのオフィスに積み上げられたユダヤ系市民の家財道具。

    SSのオフィスに積み上げられたユダヤ系市民の家財道具。

  • ちなみにドイツのオフィスって、今でもこんなです。<br /><br />ゲットーに押し込められたユダヤ人たちの間に、どこからともなくこんなうわさが流れてきます…<br />「Lipowa四番地のオスカー・シンドラーの所へ行け!」

    ちなみにドイツのオフィスって、今でもこんなです。

    ゲットーに押し込められたユダヤ人たちの間に、どこからともなくこんなうわさが流れてきます…
    「Lipowa四番地のオスカー・シンドラーの所へ行け!」

  • そしてこちらが、シンドラーの社長室。

    そしてこちらが、シンドラーの社長室。

  • これは、シンドラーが実際に使っていた机と、タイプライターです。

    これは、シンドラーが実際に使っていた机と、タイプライターです。

  • シンドラーの工場で、実際に生産されていたエナメル製品です。<br /><br />元弁護士、元教師、元芸術家…皆、生き残るために、シンドラーの工場で労働者として働き、そしてシンドラーは、彼らを守るために全財産をナチスの高官たちに賄賂として送り続けました。

    シンドラーの工場で、実際に生産されていたエナメル製品です。

    元弁護士、元教師、元芸術家…皆、生き残るために、シンドラーの工場で労働者として働き、そしてシンドラーは、彼らを守るために全財産をナチスの高官たちに賄賂として送り続けました。

  • シンドラーの工場からは、旧ユダヤ人街への自転車人力車(?)による観光ツアーが出ています。<br /><br />わたしたちは、車でユダヤ人街へ向かうことにしました。<br /><br />あいにく、雨が降り出してしまいましたが、現在のユダヤ人街は、ちょっとオシャレなお店やギャラリーが立ち並ぶ、ちょっとした観光名所になっています。アンティークショップや、現代の作家作品を扱うお店などもあります。

    シンドラーの工場からは、旧ユダヤ人街への自転車人力車(?)による観光ツアーが出ています。

    わたしたちは、車でユダヤ人街へ向かうことにしました。

    あいにく、雨が降り出してしまいましたが、現在のユダヤ人街は、ちょっとオシャレなお店やギャラリーが立ち並ぶ、ちょっとした観光名所になっています。アンティークショップや、現代の作家作品を扱うお店などもあります。

  • これはシナゴーグです。<br /><br />ここの敷地内に、ユダヤ人協会の建物があり、「Information」と書いてありました。そこで、入ってみると、どうやら必ずしも観光客向け「Information」ではないようです…。が、にもかかわらず、受付に座っていた若い男性が、快く現在のクラクフのユダヤ人についての質問を受け付けてくれました。<br /><br />それによれば、現在、クラクフに住んでいるユダヤ人は300人程。ナチスによって徹底的に破壊されるまで、独特のユダヤ文化が存在したクラクフですが、現在ではユダヤ人口はほんの僅かです。しかも、そのうちの3分の2の人々は、戦争中に身分証や家系図等を奪われたり紛失していたりするため、書類上、「ユダヤ人の血統である」ということを証明できない状態にあるのだそうです。<br /><br />ユダヤ人は母系で判断されるため、「祖母がユダヤ人である」ということが認められればユダヤ人であることが証明できるのだそうです。その、祖母の世代の身分証が、多くの場合、戦争で失われてしまっているのだそうです。

    これはシナゴーグです。

    ここの敷地内に、ユダヤ人協会の建物があり、「Information」と書いてありました。そこで、入ってみると、どうやら必ずしも観光客向け「Information」ではないようです…。が、にもかかわらず、受付に座っていた若い男性が、快く現在のクラクフのユダヤ人についての質問を受け付けてくれました。

    それによれば、現在、クラクフに住んでいるユダヤ人は300人程。ナチスによって徹底的に破壊されるまで、独特のユダヤ文化が存在したクラクフですが、現在ではユダヤ人口はほんの僅かです。しかも、そのうちの3分の2の人々は、戦争中に身分証や家系図等を奪われたり紛失していたりするため、書類上、「ユダヤ人の血統である」ということを証明できない状態にあるのだそうです。

    ユダヤ人は母系で判断されるため、「祖母がユダヤ人である」ということが認められればユダヤ人であることが証明できるのだそうです。その、祖母の世代の身分証が、多くの場合、戦争で失われてしまっているのだそうです。

  • かつてそこに生き生きと存在した一つの社会・文化が、ほんの数年の間に、そこに生きた人々の生命と共に本当に根こそぎ失われてしまったのだという事実に、改めて、深い悲しみを感じました。<br /><br />ちなみに、ユダヤ人協会お勧めのユダヤ料理のお店が、このすぐ近くにあり、「Olieve Tree」というのだそうですが、残念ながら今日はお休みとのことなので、別のポーランド料理のお店に入ってみます…。

    かつてそこに生き生きと存在した一つの社会・文化が、ほんの数年の間に、そこに生きた人々の生命と共に本当に根こそぎ失われてしまったのだという事実に、改めて、深い悲しみを感じました。

    ちなみに、ユダヤ人協会お勧めのユダヤ料理のお店が、このすぐ近くにあり、「Olieve Tree」というのだそうですが、残念ながら今日はお休みとのことなので、別のポーランド料理のお店に入ってみます…。

  • こちらは有名な「ボルシチ」。<br />赤い色は、赤カブだそうです。

    こちらは有名な「ボルシチ」。
    赤い色は、赤カブだそうです。

  • そして、これも有名なポーランド料理なのだそうですが…。<br />すみません、名前を失念しました。<br /><br />ポーランドの良いレストランには、驚いたことに大抵ドイツ語のメニューがあります。

    そして、これも有名なポーランド料理なのだそうですが…。
    すみません、名前を失念しました。

    ポーランドの良いレストランには、驚いたことに大抵ドイツ語のメニューがあります。

  • 次の日は最終日、ドイツへ向けて出発…その前に、こちらも世界遺産になっているヴィエリチカ岩塩坑に寄って行きます。<br /><br />実は、前日雨で不完全燃焼だったユダヤ人街にもう一度行こうか、それとも当初の予定通りヴィエリチカへ行こうか迷っていたのですが、結局ヴィエリチカへ行くことに。結果的には、「ユダヤ人街にしておけばよかった(涙)」…でも、ヴィエリチカも、一応は貴重な経験と言うことで、よしとします。<br /><br />これが、そのヴィエリチカ岩塩坑への入り口です。<br />クラクフからは、くるまですぐそこです。

    次の日は最終日、ドイツへ向けて出発…その前に、こちらも世界遺産になっているヴィエリチカ岩塩坑に寄って行きます。

    実は、前日雨で不完全燃焼だったユダヤ人街にもう一度行こうか、それとも当初の予定通りヴィエリチカへ行こうか迷っていたのですが、結局ヴィエリチカへ行くことに。結果的には、「ユダヤ人街にしておけばよかった(涙)」…でも、ヴィエリチカも、一応は貴重な経験と言うことで、よしとします。

    これが、そのヴィエリチカ岩塩坑への入り口です。
    クラクフからは、くるまですぐそこです。

  • 中は全て岩塩です。<br /><br />ここで大失敗だったのが、「ガイドツアーに参加しないと入場できない」ということを調べておかなかったことです。そしてさらに、言語によってツアーガイドの時間が違うため、時間の関係で英語のツアーに参加することになってしまったこと。…というのは個人的事情なのですが、英語よりもドイツ語がよかった(涙)。そして、例のごとく英語ツアーは満員盛況、ものすごい人数で、狭い場所には全員入りきれないことも…。<br /><br />本来は、ポーランド語、英語、ドイツ語、ロシア語、イタリア語、スペイン語があり、ちゃんと時間を調べてから行くべきでした。

    中は全て岩塩です。

    ここで大失敗だったのが、「ガイドツアーに参加しないと入場できない」ということを調べておかなかったことです。そしてさらに、言語によってツアーガイドの時間が違うため、時間の関係で英語のツアーに参加することになってしまったこと。…というのは個人的事情なのですが、英語よりもドイツ語がよかった(涙)。そして、例のごとく英語ツアーは満員盛況、ものすごい人数で、狭い場所には全員入りきれないことも…。

    本来は、ポーランド語、英語、ドイツ語、ロシア語、イタリア語、スペイン語があり、ちゃんと時間を調べてから行くべきでした。

  • 岩塩を使った様々な彫像があり、このようにポーランドの歴史的場面を再現したものもあれば、ディズニーみたいな「小人の庭」などもあり、全体的に、どちらかと言えば、子供向け。実際、子供連れの観光客がとても多かったです。

    岩塩を使った様々な彫像があり、このようにポーランドの歴史的場面を再現したものもあれば、ディズニーみたいな「小人の庭」などもあり、全体的に、どちらかと言えば、子供向け。実際、子供連れの観光客がとても多かったです。

  • わたしのカメラの腕前と年代物デジカメではこれ以上の画質は望めないのかもしれませんが(って低すぎですか←)、折角の聖人像に、子供騙しのようなライトアップがなされています。<br /><br />実際のヴィエリチカ岩塩坑は、子供を含め、多くの人々が危険な重労働に従事し、定期的に発生する毒ガスや爆発事故などで多数の死者を出した場所です。…ちなみにここを出たら、直りました。<br /><br />…あまり変なことは言いたくありませんが、途中からカメラがおかしくなってしまい、撮る写真撮る写真、みんなおかしな火の玉(?)のようなものが大量に写っていて、ちょっとここには載せられません(汗)<br /><br />「心霊写真」…とは思いたくありませんが、機械音痴と古いデジカメのせいだと信じています←

    わたしのカメラの腕前と年代物デジカメではこれ以上の画質は望めないのかもしれませんが(って低すぎですか←)、折角の聖人像に、子供騙しのようなライトアップがなされています。

    実際のヴィエリチカ岩塩坑は、子供を含め、多くの人々が危険な重労働に従事し、定期的に発生する毒ガスや爆発事故などで多数の死者を出した場所です。…ちなみにここを出たら、直りました。

    …あまり変なことは言いたくありませんが、途中からカメラがおかしくなってしまい、撮る写真撮る写真、みんなおかしな火の玉(?)のようなものが大量に写っていて、ちょっとここには載せられません(汗)

    「心霊写真」…とは思いたくありませんが、機械音痴と古いデジカメのせいだと信じています←

  • 当時は、この岩塩の柱一本で、豪邸が二軒建ったそうです。<br /><br />ただし、ここで危険な重労働に従事した人々には、そのような富が分配されることはありませんでした。<br /><br />ヴィエリチカについては、上記の「カメラトラブル」のせいで、まともな写真がほとんど手元に残っておらず、これ以上のことは何も紹介できませんが、口コミにも書きましたが、見学後に地上へ上がるエレベーターに辿りつくまでさんざん待たされ、非常に嫌な思いをしました。<br /><br />エレベーターに乗れるのはほんの数人で、しかも恐らく大人数のグループは後回しにされるらしく、英語グループは後から来る他のグループにどんどん追い抜かされ、最終的には立ったままで一時間ほど待たされました。…ううん、まるで某ネズミの国のアトラクションの様。…そして内容も…子供連れには良いかもしれませんが、大人の旅行にはちょっと…あくまで個人的感想ですが。<br /><br />この場所の、かつての危険な重労働現場としての暗い歴史にスポットを当てた大人向けの展示を予想していたので、ちょっと期待外れでした。

    当時は、この岩塩の柱一本で、豪邸が二軒建ったそうです。

    ただし、ここで危険な重労働に従事した人々には、そのような富が分配されることはありませんでした。

    ヴィエリチカについては、上記の「カメラトラブル」のせいで、まともな写真がほとんど手元に残っておらず、これ以上のことは何も紹介できませんが、口コミにも書きましたが、見学後に地上へ上がるエレベーターに辿りつくまでさんざん待たされ、非常に嫌な思いをしました。

    エレベーターに乗れるのはほんの数人で、しかも恐らく大人数のグループは後回しにされるらしく、英語グループは後から来る他のグループにどんどん追い抜かされ、最終的には立ったままで一時間ほど待たされました。…ううん、まるで某ネズミの国のアトラクションの様。…そして内容も…子供連れには良いかもしれませんが、大人の旅行にはちょっと…あくまで個人的感想ですが。

    この場所の、かつての危険な重労働現場としての暗い歴史にスポットを当てた大人向けの展示を予想していたので、ちょっと期待外れでした。

  • でも、全体としては大満足のポーランド。<br /><br />アウシュビッツやユダヤ人街など、暗い歴史と向き合うと同時に、現在のポーランドの人々の何の偏見も持たない親切さに胸を打たれました。<br /><br />この、道端に宣伝用に捨て置かれたソ連時代のトラックを最後に、今回のポーランド写真はおしまいです。

    でも、全体としては大満足のポーランド。

    アウシュビッツやユダヤ人街など、暗い歴史と向き合うと同時に、現在のポーランドの人々の何の偏見も持たない親切さに胸を打たれました。

    この、道端に宣伝用に捨て置かれたソ連時代のトラックを最後に、今回のポーランド写真はおしまいです。

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