2011/11/23 - 2011/11/24
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Weiwojingさん
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「浜松に近代建築・・・・!?」とお思いの方が多々いることとでしょう。小生もそう考えていました。ところが、いざ調べてみると、かなり近代建築と言えるような建物が存在することが分かりました。そこで浜松に用事があったついでに、それらの建築物を訪ねてみました。
先ずは、今回見て回ることが出来た建物は次の通リです。
① 旧浜松警察署(現浜松市役所鴨江別館)
浜松市中区鴨江町1
② 旧浜松銀行協会(現木下恵介記念館)
浜松市中区栄町3-1
③ 旧遠州銀行本店(現静岡銀行浜松支店)
浜松市中区田町322-7
太平洋戦争末期には浜松市の大部分が空襲によって破壊されましたが、わずかにいくつかの建物だけが破壊から免れました。それらの建物は今なお大事に守られています。機会があれば、これらの建物以外にもまだあるかもしれない建築物を求めて、訪れてみたいと思います。
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まず訪ねたのは旧浜松警察署だった「浜松市役所鴨江別館」です。1927年(昭和2)に長谷川太平により竣工した鉄筋コンクリート3階建ての建物です。
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随分古そうな感じですが、やはりすでに80年を超える歴史を持つ建物です。外観は至って簡素です。
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三蓮アーチ形の入口が素晴らしいです。
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これは数年前の写真ですが、このビルをよく見ると、建物に塔屋が付いています。しかし、現在は付いません。取り払われたのでしょうが、いつそうなったのかよくわかりません。
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建物の内部に入ってみました。
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内部は至って簡素な作りですが、所々手の込んだ装飾が見られます。
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アーチ形の壁のくぼみがあります。これも単なる装飾なのでしょうが、下に小さな物入れがあり、そのために付随してこのような飾りが作られたのかもしれません。
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何の飾りもない階段ですが、どっしりした落ち着きを見せ、この建物にふさわしい存在感を示しています。
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鴨江別館からすぐのところに「旧浜松銀行協会」があります。この建物は浜松市有形文化財に登録されています。スペイン風の白壁のある美しい建物です。現在は郷土の偉人を顕彰する「木下恵介記念館」となっています。
1930年(昭和5)、中村與資平(1880〜1963)設形、大蔵土木による施工で完成しました。 -
我が国を代表する映画監督として、また日本映画の黄金時代を築き上げた映画監督の一人として活躍した木下恵介は、1912年(大正元年)に浜松市に生まれました。
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玄関入口の部分です。外観は白く、屋根にはスパ二ッシュ瓦を使用し、ヨーロッパ風の明るい建物となっています。
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2階の丸窓が印象的です。
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次に訪れたのは、現在は静岡銀行浜松支店として使われていますが、かつての「遠州銀行本店」の建物です。この日は祭日だったので、残念ながら営業しておらず、中に入ることはできませんでした。次回はぜひ内部を見てみたいものです。
この建物は1928年(昭和3)、中村與資平の設形で、清水組によって建てられました。興資平は東京大学建築科を卒業後、辰野金吾の建築事務所に入り、京城の朝鮮銀行本店や大連の朝鮮銀行大連支店の設形等を手掛けました。 -
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正面にどんと構えた4本の円柱が2階まで延び、堂々とした姿を見せています。
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うまい具合に交差点から建物全体を撮ることが出来ました。
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この円柱は「イオニア式」と呼ばれるもので、柱の先端部分にアーカンサスの植物が刻まれています。
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列柱の基部の部分です。
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◆ 番外編 ◆
見学を終えて駅に向かう途中、ある建物の入口脇にこのような象の彫りものがありました。一体何なのかよくわかりませんが、鐘までついています。興味を覚え、写真に撮ってみました。
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この旅行記へのコメント (10)
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- 横浜臨海公園さん 2012/03/22 22:38:10
- 浜松
- Tamegaiさま、こんばんは。
浜松の近代建築の旅行記を拝見させて頂きました。
浜松市は昭和20年(1945年)に入り度重なる空襲と同年7月の米戦艦に依る艦砲射撃で、市内79.6パーセントが焼失し、全国第8位の被害が生じた街です。
それだけに、戦前の建築物は殆ど残存しておらず、旅行記で発表された建築物は極めて貴重な存在と言えます。
横浜臨海公園
- Weiwojingさん からの返信 2012/03/23 09:41:24
- RE: 浜松
- 横浜臨海公園様
いつも小生の旅行記を見てくださり、その上、票を投じていただき、
誠にありがとうございます。
この度は「浜松の近代建築」への書き込みをありがとうございます。
浜松には歴史的な近代建築はほとんどないと思っていたところ、いくつか
残されているということを知って、用事があったついでに見て回りました。
見て回りながら、どうして浜松にはこのような建物がないのだろうかと
疑問に感じていました。
横浜臨海公園様の説明に、1945年の空襲や米戦艦による艦砲射撃で
市内の79.6パーセントが焼失したとありましたが、やはりそうでしたか。
戦前の古い建物がない理由がわかりました。
どうして浜松がそんなに集中的に狙われたのでしょうか。軍事施設
が多かったのでしょうか。
またいろいろご教示いただければ、幸いです。
ありがとうございました。
Tamegai
- 横浜臨海公園さん からの返信 2012/03/23 10:48:10
- 拝復
- Tamegaiさま、こんにちは。
早速メッセージを賜りまして誠に有難うございました。
> 横浜臨海公園様の説明に、1945年の空襲や米戦艦による艦砲射撃で
> 市内の79.6パーセントが焼失したとありましたが、やはりそうでしたか。
> 戦前の古い建物がない理由がわかりました。
> どうして浜松がそんなに集中的に狙われたのでしょうか。軍事施設
> が多かったのでしょうか。
→大東亜戦争当時の浜松に存在する、ヤマハ発動機、カワイ楽器に於いて航空関係のエンジンや過給器を製造しており、更に、此れに付帯する様に陸軍航空関係施設が集中していた事と、国鉄浜松工場が存在し、該工場では蒸気機関車の全般検査だけでは無く機関車製造も可能な高度な設備能力を有していたなどから連合軍の主要攻撃目標とされ、終戦まで計4回空襲被害と室蘭や釜石と同様、戦艦艦隊の艦砲射撃1回を受けております。
現在の浜松駅は高架化され地上時代の痕跡は全く存在しませんが、地上時代の駅ホーム古軌条柱には艦砲射撃で飛んできた砲弾破片に拠る損傷部分が残存しておりました。
兎に角、静岡県内の東海道本線沿線では、沼津、富士、清水、静岡、及び、浜松は度重なり空襲被害を受け、戦前期以前の建築物が僅少なのは、戦争中の空襲で焼失した事が原因です。
横浜臨海公園
- Weiwojingさん からの返信 2012/03/24 08:11:22
- RE: 拝復
- 横浜臨海公園様、おはようございます。
疑問に思っていたことが詳しい説明をいただき、よくわかりました。
ありがとうございます。当時の悲惨な様子が想像できます。
静岡県の主要都市が同じように損害を受けていたのですね。
ところで、横浜臨海公園様の小生のブログ訪問が200回を超えました。
この場をお借りして、重ね重ねお礼を申し上げます。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
Tamegai
- 横浜臨海公園さん からの返信 2012/03/24 22:49:07
- 再拝復
- Tamegaiさま、こんばんは。
重ね重ねメッセージを賜りまして誠に有難うございました。
それから、先のメッセージを中で1件失念して事がございます。
浜松を砲撃した米戦艦群は、同年4月に沖縄本島を攻撃の後、日本本土上陸作戦一環として太平洋側各地を砲撃したもので、実は此の砲撃に参加した戦艦は、昭和16年(1941年)12月8日にハワイ真珠湾で日本海軍航空隊に攻撃され沈没した艦船です。
戦艦アリゾナと異なり、浅い海底に着底した為に浮揚工事を行い、併せて対航空攻撃防護の為に機銃を増設し、サイパン島攻撃から使用されたものです。
米戦艦主砲は最大35キロ先の攻撃が可能で、測距儀での距離測定での主砲砲弾は最大30メートル誤差で着弾可能だった事から、浜松市民は一過性の空襲とは異なり、地図上に次々と落下爆発する戦艦主砲弾に恐れおののいた事と思われます。
以上、小生の記憶にて。
横浜臨海公園
- Weiwojingさん からの返信 2012/03/25 20:53:47
- RE: 再拝復
- 横浜臨海公園様
重ね重ねご教示いただき、ありがとうございます。
1941年(昭和16)12月8日に日本海軍航空隊によって攻撃されて、沈没
した艦船が修復の後、浜松を砲撃した米戦艦群のこの作戦に参加した
という事実を知り、ただただ驚くばかりです。
歴史の深層を見て行くと、いままで気がつかなかった思わぬ事実がひそ
んでいるのですね。今回はそれを実感することが出来ました。
感謝多々。
Tamegai
- 横浜臨海公園さん からの返信 2012/03/27 00:42:29
- 再々拝復
- Tamegaiさま、こんばんは。
メッセージを賜りながら返事を差し上げるのが遅くなりまして誠に申し訳ございませんでした。
日本海軍航空隊に拠るハワイ真珠湾攻撃で、メリーランド、オクラホマ等々の戦艦が攻撃目標となり着底する羽目になりました。
アリゾナだけは被害甚大で浮上工事途中で艦内の砲弾が誘爆の危険大とされ放置と決定された以外の艦艇は浮揚させたものの、此れらの艦艇は、日本海軍の戦艦扶桑、及び、山城を相手に砲戦する為に建造された戦艦で、当時ですら低速、且つ、主砲が32センチ、最大23ノットと前代のシロモノであり、既に、対 大和武蔵級戦艦対抗用にワシントン級が完成直前だった為に、海軍省では戦艦としての本来の艦艇としての使用を諦め、海上砲台として活用させる事にさせ、サイパン島攻略戦から使用された経緯がございます。
正に、真珠湾の恨みを日本近海で敵を打った様な次第です。
横浜臨海公園
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- 熱帯魚さん 2012/03/22 13:39:04
- 懐かしい思い出…
- Tamegaiさん
こんにちは。
旅行記拝見させて頂きました。
私の故郷、浜松ということで、
あーあそこの建物だ!と思いながら
拝見しました。
特に一番最後の白い洋館は
幼稚園の頃、仲良しだった子が住んでいて、
毎朝幼稚園バスがこの前で彼女を乗せるために
停まるので非常によく覚えています。
地元に戻る時はタクシーで通りかかりますが
そのたびに懐かしい思い出が蘇ってきます。
もう人は住んでいないのでしょうか。
彼女は今一体どこにいるのだろう?
とふと思いました。
それでは!
- Weiwojingさん からの返信 2012/03/23 08:15:08
- RE: 懐かしい思い出…
- 熱帯魚さん、こんにちは。
「浜松の近代建築」を見ていただき、その上書き込みもありがとうございます。
まだ製作途中の段階で、何も書きこんでいない状態でした。
浜松はいつも通過点で、降りることはありませんでしたが、今回は
用事があり初めて降りてみました。かなり大きなところだという印象を
受けました。しかし、私が興味のある近代建築という点では、あまり残さ
れていないようです。太平洋戦争の空襲などがあったせいかもしれま
せんね。
浜松は熱帯魚さんのふる里ということで、恐らく見たことがある建物ばかり
だろうと、想像しながら取り上げてみました。やはり見覚えのある建物があ
りますか。あの白い洋館は今では映画監督・木下恵介記念館になっています。
木下監督は浜松生まれで、こよなく浜松を愛されたそうですね。
ところで、数日前ある本屋で「4TRAVEL」という雑誌を見ていたら、
熱帯魚さんの「重慶旅行」というのが紹介されていました。ご存知でしたか。
では、これで。ありがとうございました。
Tamegai
- Weiwojingさん からの返信 2012/03/23 08:15:09
- RE: 懐かしい思い出…
- 熱帯魚さん、こんにちは。
「浜松の近代建築」を見ていただき、その上書き込みもありがとうございます。
まだ製作途中の段階で、何も書きこんでいない状態でした。
浜松はいつも通過点で、降りることはありませんでしたが、今回は
用事があり初めて降りてみました。かなり大きなところだという印象を
受けました。しかし、私が興味のある近代建築という点では、あまり残さ
れていないようです。太平洋戦争の空襲などがあったせいかもしれま
せんね。
浜松は熱帯魚さんのふる里ということで、恐らく見たことがある建物ばかり
だろうと、想像しながら取り上げてみました。やはり見覚えのある建物があ
りますか。あの白い洋館は今では映画監督・木下恵介記念館になっています。
木下監督は浜松生まれで、こよなく浜松を愛されたそうですね。
ところで、数日前ある本屋で「4TRAVEL」という雑誌を見ていたら、
熱帯魚さんの「重慶旅行」というのが紹介されていました。ご存知でしたか。
では、これで。ありがとうございました。
Tamegai
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