2012/03/10 - 2012/03/10
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comevaさん
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久々の日帰り団体ツアーです。
朝から夜までの3ヶ寺巡りで少々きつかったけど何とか行ってまいりました。
○行程
倉敷(6:30)==岡山(7:00〜7:30)==山陽IC(8:10)==三木SA(9:10〜9:20)==吹田JCT(9:55)==近畿道・阪奈道==奈良==浄瑠璃寺:16番霊場(京都府木津川市:10:55〜11:45)==奈良公園(昼食:12:10〜13:10)==天理IC==香芝IC==石光寺:20番霊場(奈良県葛城市:14:05〜15:25==観心寺:25番霊場(大阪府:河内長野市:16:10〜17:15)==羽曳野IC(17:50)==吹田JCT==中国道・山陽道==龍野西SA(19:20〜19:40)==山陽IC(20:10)==岡山(20:35)==倉敷(21:15)
○浄瑠璃寺
見た目お寺も咲く花も質素で地味な感じのする浄瑠璃寺ですが、三重塔や本堂そしてその本堂に安置されている九体阿弥陀如来像等国宝や重文など歴史的にも貴重なお寺とされています。
アクセス 京都駅からJR奈良線「奈良」下車 奈良駅から奈良交通バス111系統「浄瑠璃寺前」下車
京都駅からJR奈良線「木津」(乗継ぎ)JR関西線「加茂」下車 加茂駅東口から奈良交通バス111系統「浄瑠璃寺前」下車
駐車場 バス 1500円 乗用車 300円
拝観料 小学生 150円 中学生 300円 高校生以上 300円
拝観時間 9:00〜17:00 12月〜2月10:00〜16:00
- 同行者
- 社員・団体旅行
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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浄瑠璃寺の所在する地区は当尾(とうの)の里と呼ばれ、付近には当尾石仏群と呼ばれる、鎌倉時代にさかのぼる石仏、石塔などが点在している。
行政的には京都府に属するが、地理的には奈良の平城京や東大寺からも近く、恭仁宮跡(奈良時代に一時期都が置かれた)や山城国分寺跡も近い。 -
本日最初の訪問地、浄瑠璃寺到着です。
バスの特大車ですと5〜6台位が限界でしょうか・・
駐車場 バス 1500円 乗用車 300円 -
参道入口付近
下車後、参道入口より山門へ(3〜4分程)
ご覧の通り参道は少々狭いです。 -
参道途中には無人販売所もあります。
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参道には15本ほどのアセビが満開でした。(正面は山門)
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3Mを超える大きなアセビ
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南天
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山門
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●浄瑠璃寺
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○鐘楼
山門をくぐりますとすぐにこちらの鐘楼が見えます。 -
三重塔と浄瑠璃寺庭園(特別名勝及び史跡:藤原時代)
池を挟んで左側には三重塔(国宝)が・・ -
○三重塔(国宝:藤原時代)
『浄瑠璃寺流記事』によると1178年(治承2年)、京都の一条大宮から移建したとするが、もともとどこの寺院にあったものか不明である。
構造上の特色は、初層内部には柱がないことで、心柱は初層の天井から立てられている。浄瑠璃寺に移築された後、初層内部に仏壇を置きその上に薬師如来像(重文、秘仏)が安置された。周囲の壁には十六羅漢像などの壁画が描かれている。 -
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そして池を挟んで右側には九体阿弥陀堂(本堂:国宝)があります。
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○九体阿弥陀堂(本堂:国宝)
※1107年(嘉承2年)の建立。9体の阿弥陀像を横一列に安置するため、横に細長い堂である。平安後期に建てられた九体阿弥陀堂は、藤原道長の造営した法成寺無量寿院をはじめ、記録に残るだけで約30棟あったとされるが、現存するものはこの浄瑠璃寺本堂のみである。寄棟造りで、内部は天井を張らずに屋根裏の構造をそのまま見せた簡素なデザインになる。正面は、池に面している。 -
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入堂受付、御朱印所
山門から入ってまず最初にこちらへ直行。
入堂料を払って御朱印があればこちらでお願いします。
九体阿弥陀堂(本堂)の入口(右)と出口(左)になっています。
※尚、関西花の寺専用の心華帖(納経帖)はご記帳と言う形でなく納経帖の最初のページにも書かれていますが、和紙に最初から記帳されたものを頂いて自分自身で貼ると言う形になっています。 -
当日は花説法がありましたので本堂(九体阿弥陀堂)へ入る前に先に本堂前にて住職の花説法を聞かせていただきました。
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九体阿弥陀堂
この本堂に9体の阿弥陀如来像を安置することから九体寺(くたいじ)とも呼ばれています。 -
○九体阿弥陀如来像(国宝:藤原時代)
九体阿弥陀堂、堂内には九体阿弥陀如来像(国宝:藤原時代)が安置されています(堂内撮影禁止:写真はパンフより)
※1つの堂に9体もの阿弥陀如来像を安置するという発想は「九品往生」(くほんおうじょう)思想に由来する。「九品往生」とは「観無量寿経」に説かれる思想で、極楽往生(人が現世から阿弥陀如来のいる西方極楽浄土へと生まれ変わる)のしかたには、仏の教えを正しく守る者から、極悪人まで9つの段階ないし種類があるという考えである。 -
○阿弥陀如来中尊像
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○薬師如来像(重文:藤原時代)右
浄瑠璃寺は九体阿弥陀如来を安置する寺として知られているが、創建当初の本尊は薬師如来であった。(九体阿弥陀如来像の60年前)
今は東の本尊、三重塔内に安置されています。
○吉祥天女像(重文:鎌倉時代)中央
五穀豊穣、天下泰平。豊かな暮らしと平和を授ける幸福の女神吉祥天。
○大日如来像(重文:鎌倉時代)左
灌頂堂のご本尊、智挙印を結ぶ。 -
○不動明王及び二童子像(重文:鎌倉時代)本堂右脇に安置。(右)
中尊像高99.5cm。檜材寄木造。玉眼。彩色。截金。
元護摩堂本尊であるこの三尊像は力強い表情、鋭い衣紋の彫り玉眼の光、見事な迦楼羅光背など鎌倉時代の特徴をよく顕した秀像である。
向かって右にやさしいこんがら童子、左に知恵の杖をもった力強いせいたか童子を従えている。
○木造四天王立像 ー前方:持國天、後方:増長天(国宝:藤原時代)本堂内
全部で4体あるが、他2体は広目天が東京国立博物館に多聞天が京都国立博物館にそれぞれ寄託。
四天王は元来世界の四方を守り、外から悪が入らぬよう、内の善なるものは広がるようにと言う力の神。
この寺の像は藤原期四天王の代表像で、特に全身に施された截金を交えた甘味の彩色は素晴らしい。
足の下に踏まれた邪鬼の表情も面白い -
○子安地蔵菩薩像(重文:藤原時代)
現在、本尊横に立つ子安地蔵と呼ばれる腹巻を巻いた地蔵様。
片手に如意宝珠を持ち、一方は与願の印を示す。 -
昼食は奈良の奈良公園、春日大社からもほど近い春日野で・・
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○吉野くず膳
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鴨キャベツ添え
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この旅行記へのコメント (2)
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- 義臣さん 2012/03/18 17:18:00
- 夢のよう
- 昭和30年代の浄瑠璃寺さんを思うと夢のようです。
近くには農家だけ、定観バスは有りましたが
駐車場はなかったような記憶です
此処を訪れる人はわずか、、
お正月の寒い日に 奈良から歩いた日を思い出します。
一昨年はレンタカーでこれで最後の浄瑠璃寺さんかと思いながら
義臣
- comevaさん からの返信 2012/03/21 00:07:25
- RE: 夢のよう
- > 昭和30年代の浄瑠璃寺さんを思うと夢のようです。
> 近くには農家だけ、定観バスは有りましたが
> 駐車場はなかったような記憶です
> 此処を訪れる人はわずか、、
> お正月の寒い日に 奈良から歩いた日を思い出します。
> 一昨年はレンタカーでこれで最後の浄瑠璃寺さんかと思いながら
> 義臣
義臣さん こんばんは。
ご訪問にコメントと有難うございます!
随分前の浄瑠璃寺を御存じなんですね。
駐車場等、約半世紀と言った時の流れが変えた光景なのでしょうか、お寺にしても建造物そのものの変化はさほどないと思われますが、花の寺のひとつと言う事で観光客が増え、また花説法などと言ったもの等当時から行われていたかどうかはわかりませんが・・時の流れと共に常に変わっていく光景
それにしても奈良から歩かれたとは、大変でしたね。
それが寒い時期であれば尚、記憶に残っているのかも知れませんね。
C
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