2012/02/25 - 2012/02/28
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haoziさん
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今でこそ大連は副省級市となるまでに発展しているが、大連港が建設される以前は、金州が遼東半島の中心地であった。
そこには、ロシアや日本の侵攻を受ける以前の歴史遺構も残っているのではないか?
少し古い中国史にも触れたくて、大連駅から北東へ約30キロ、金州へ赴いた。
※以下の四部作で構成。
冬八九大連(1)定番の観光名所
冬八九大連(2)消えゆく老街
冬八九大連(3)都市の息吹
冬八九大連(4)金州半日旅行 *本編*
※タイトルの“冬八九”とは、冬至から八回目の九日間、寒さも大分やわらぐ頃の意。
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朝日を受ける大連駅
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3日目、2667次列車で金州まで小旅行。
切符は大連に到着した日に購入しておいた。3.5元。
現在の金州は、大連市に属する一つの区となっている。 -
大連駅始発列車到着時刻表
2667次 普快(以下停車駅抜粋)
大連 8:13発
金州 8:37着 24分 33km
瀋陽 14:40着 6時間27分 441km
長春 18:50着 10時間37分 744km
ハルピン 21:47着 13時間34分 990km
大慶 0:12着 15時間59分 1149km
漠河 20:16着 36時間03分 2184km
2012年7月にようやく、大連―ハルピン間の高速鉄道が開通予定らしい。現在ハルピンまで最短でも9時間以上かかるのが、3時間に短縮されるとか。
この列車の終点漠河は中国最北端の地。この鈍行列車では、なんと36時間かかる。私が明日の夕刻日本の自宅に到着する頃も、この列車はまだ漠河に向かって走っているということになる。おそるべし。 -
大連駅2階の待合室
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大連駅ホームを見下ろす。
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緑皮車
以前、NHKの「アジアンスマイル」という番組で、漠河で民宿を切り盛りする女の子を紹介していたことがある。あの子に会いに行きたいなあなんて思ったけれど、大変な道のりで、そう簡単に行ける所ではない。(漠河には一応空港もあるが) -
列車内
私の周りは、普蘭店や瓦房店といった近場までの人ばかりだった。
それでも、列車内には喜多郎のシルクロードのテーマ曲が流れ、旅情をかき立てられる。 -
30分余りで金州駅に到着。
途中のろのろ運転で、すでに時刻表の時間を過ぎている。しょっぱなからこんな調子で、この列車、本当に漠河までたどりつけるのだろうか。 -
金州駅
2008年に建て替えられた新しい駅舎。 -
駅前の広場
ここから103番バスで、中医院まで。 -
中医院のバス停近く。
立派な牌坊がある。
ここは“老街坊”と言われ、ちょっとした老街再現スポットになっている。 -
“金門故里”
“金門”とはまるで金門島のようだが… -
白壁には、“財”とか“旺”とか、俗っぽすぎるのでは?という文字が書かれている。
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曹氏驢肉
“想長寿多吃驢肉,想健康常喝驢湯”
(長生きのためにはロバ肉を、健康のためにはロバスープを) -
胖姐包子舗
ネーミングがナイス。 -
大連市中医薬学会
嗣和中医堂 -
金州古玩城
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前程小額貸款公司
消費者金融――前程无憂? -
民主街
焼芋屋さん、果物屋さん、旧紙幣買取り屋さん、靴修理屋さんなどで賑わっている。 -
高价回收人民幣
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修鞋
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人通りの少なくなった所にひっそりと佇むのが金州副都統衙門。
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金州副都統衙門は清代に置かれた役所。
アヘン戦争後の清道光22年(1843年)、海防を強化するために、熊岳から金州に移設された。
“副都統”(≒師団長)は“正二品”というかなり高い官位の地方官で、遼南地区全体の軍政を総轄した。 -
大連市重点保護建筑
原金州副都統衙門旧址
該建筑建于明代。清末副都統衙門。原有中式瓦房13棟66間。2001年重建,被列為大連市第一批重点保護建筑物。
大連市人民政府
2002年1月 -
大連市愛国主義教育基地
中共大連市委員会
大連市人民政府
2002年11月 -
金州に来た主な目的は、ここの見学。
しかし…
固く閉ざされた門扉。
貼紙には「修復のため閉館中。ご用の方は裏門まで」とある。 -
玄通齋
大門西側の建物(骨董品屋)
店のご夫婦が開店準備をしていたので、話しかけたら、ここでゆっくりしていきなさいと温かく迎えてくれた。
今は衙門には誰も入れないよ、との弁だったが、日本人のツアーでは正岡子規の句碑見学に来ているはずなので、裏門に回ってみる。 -
金匯花木中心とあるが…?
衙門が園芸屋さんに変身?
子犬が私を案内するかのように、扉の隙間から中に入って行ったので、後をついて行ってみる。 -
「無用の者入るべからず」の貼紙が。
と同時に、小さな文字で「旅行会社(日本人)正岡子規石碑見学はここからどうぞ。1人5元」とある。
門を押し開けて入ると、子犬がワンワン鳴き叫び、小屋からおじさんが現れた。
5元支払って、この門からすぐ目の前にある句碑を見る。 -
正岡子規は、日清戦争の従軍記者として1895年(明治28年)4月に金州にやって来た。しかし、その時には既に講和会議が始まっており、子規が上陸した2日後には下関条約が締結された。なんとも間抜けなタイミング。この俳句は、金州の料亭で慰労を受けた時に詠んだもの。
ちなみに、子規はこの時既に結核を患っており、帰りの船中で喀血、それから7年後の1902年に34歳の若さで亡くなっている。 -
「行く春の酒をたまはる陣屋哉」
金州城にて 子規
句碑は、1940年(昭和15年)に作られたという記録があったものの、ずっと見つかっておらず、1998年にようやく発見されたらしい。これは、2001年再建。
肩すかしを食らった子規の気抜けした俳句と、新しい句碑、そして句碑が置かれている場所ともに、なんだかなあという気がしないでもない。
それでも『坂の上の雲』(司馬遼太郎)がドラマ化されて脚光を浴びて以来、日本人の金州観光のメインスポットとなっている。 -
その後、園丁のおじさんに、「わざわざ日本から衙門を見に来たので、中を少しでも見せてもらうことはできないか?」とやや大げさに頼むと、OKが出た。やったー!
修復工事は休止中のようだ。
誰もいない衙門を独占見学。 -
裏門から入ったので、後方の建物から見学開始。
最後方は、副都統公館。 -
真ん中が、副都統の応接室。
東側が、執務室兼書斎。
西側が、副都統と家族の居室。 -
折辧房:上奏文の管理、取次ぎをする場所
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档房:文書を保管する場所
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大堂:重要な儀式を行う場所
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宝纛高懸輝玉宇
長城永固奠金甌
「清朝の八旗兵が辺境の地をしっかり守っている」ということを表しているのだと思う。 -
海疆重鎮
「沿海の要衝」 -
1894年11月、日清戦争で金州は陥落した。
衙門にも日本軍が進駐したが、1896年の三国干渉により、金州は再び清に返還された。
その後、帝政ロシアが金州を占領し、1900年に金州副都統衙門は57年間の歴史を終えることとなった。
日露戦争後は、日本が統治をはじめ、ここに金州警察署を設立した。 -
1945年日本撤退後は、公安局として使われていた。
1999年に公安局が移転した後、元の建物を取り壊し、2001年に元の位置よりも少し東寄りの位置に建て直したのが、今ある建物とのこと。
重点保護建築物に指定されていたが、これまでの管理方法には疑問を持たざるを得ない。なんと、中の建物には多くの骨董屋が店子として入り、随分と俗に流れた場所になっていたようだ。 -
陶陶居
広州の茶楼…ではない。
恐らく、ここに入っていた骨董品屋の名前だろう。 -
「骨董品、切手 高価買取」などという言葉が、壁に直接書かれている。こりゃいかん!
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思わぬ闖入者に驚く猫。
猫和haozi,二者対峙。 -
2001年再建の建物が、なぜここまでひどく傷んでいるのか不思議でもある。
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先ほど外から見た大門の内側。
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日本統治時代、警察署となっていた頃、建物は部分的に改修された。
しかし、2001年の再建では、建物の配置や形式など基本的に元のスタイルを踏襲している。
“硬山式”(≒切妻式)の屋根 -
“脊獣”
魔除けの意味を持つ。
北京故宮の“脊獣”は有名で、最も格式が高い大和殿には、9つの“走獣”プラス“仙人”、“行什”が並ぶ。
ここは“走獣”3つのみ。当然ながら、大分格下になる。 -
この地で、明清代の宮殿建築の象徴でもある“脊獣”に出会えたのは嬉しかった。
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園丁のおじさんによると、衙門は1年もかからずに、新しい姿に生まれ変わって、再度お目見えするとのこと。
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ネットで見つけた情報によると、今度は、元の衙門の姿により近づき、博物館のような資料展示の場も増えるらしい。
今はない大門の“八字門”も復元される予定。
今後は10年でボロボロになったりしませんように… -
衙門の東側は住宅団地。
その向こうは裁判所。
外に向けて“審判庭”の文字が掲げられていて、ドキッとした。 -
この後、金州東門站に残る古い駅舎を見に行こうと思っていたが、誰もいない寂しい場所のような気がしたのでやめた。
金州は、以前は城郭都市で、日本統治時代には城壁がまだ残っていたとのことだが、解放後に撤去されてしまったらしい。非常に残念。
他の観光スポットとしては、金州博物館、大黒山響水寺、南山日露戦争戦場跡などがあるようだが、少し離れているし、特別興味があるわけでもないので、金州の繁華街を冷やかしてから帰ることにする。 -
民主街×スターリン路
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スターリン路へ
ひときわ目立つ教会。 -
スターリン路
歩行者天国で程よい賑わい。 -
スターリン路
ウエディングドレス写真の店など。 -
向応広場
関向応(1902−1946)戎馬塑像
忠心耿耿,為党為国,向応同志不死。
(毛沢東) -
歴史のありそうな建物。
“金州区図書館”との文字が見えるが、手前にはバリケードのように広告が立てられている。今はもう使われていないようだ。 -
可愛らしい献血小屋。
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献血救人 功徳无量
郭美美事件で中国赤十字社はピンチ、献血する人はトンと減ったとの説もあるが… -
風船売りの二人。
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大商新瑪特(ニューマート)の中のフードコート
日本式ファーストフードを謳う“イ尓の便当”という店でやっとありつけたコレ↓ -
大連[火悶men4]子 5元
大連ならではの小吃。血受儿! -
この辺りは大型ショッピングセンター、デパートなどのビルが建つ。
金州、もう少し田舎の雰囲気を想像していたが、なかなかに栄えている。
“大大連”、“西拓北進”政策の成果か? -
解放広場から延びる道
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和平路を東へ。
英語、日本語、数学オリンピック、作文の学校。 -
仕事待ちの人々。
朝バスで通った時には、もっと多くの人があふれていた。
水道管工事、電気工事、壁の取り壊し、穴あけ… -
軽軌 和平路駅
軽軌は2002年開通。 -
和平路駅
ここから大連駅まで帰る。
6元 要45分
元来の鉄道路線よりも大回りのルートを通る。 -
開発区で乗り換え。
この先車内はかなり混んだ。
車窓には、多くの日本企業の社屋が見えた。
また、大連のベッドタウンとしても発展中のようで、新しいマンションがたくさん建っていた。近くにいた若い男女が、住宅の購入を検討しているようで、車窓を見ながら、しきりにこの辺りではどうかと相談する姿が、今の大連人の象徴のように見えた。 -
快軌大連站に到着。
大連―金州間は、列車、軽軌、バスの便も多くて便利。 -
軽軌の駅がある大連駅北側の双興商品城には、卸売市場が入っている。
ここで、ジャスミン茶3種と蝦皮を購入した。 -
大連駅を北側から見たところ
行きに駅待合室の本屋でほしい本を見つけていたので、再度中を通って購入し、南側に抜けてホテルに戻った。
今回の大連では、ぞんざいに扱われる歴史的な建築物(東関街、鳳鳴街、煙台街、旧ダーリーニ―市役所、ロシアログハウスなど)や、一方せっかく新しく造られたのにうまく運営ができていないもの(日本風情街、世貿大厦、テレビ観光塔など)に多く出くわした。
金州副都統衙門もその一例。2001年に再建したという建物が、既にひどく傷み、さすがにそれを見兼ねたのか、更に修復を施してまた新たな姿に生まれ変わらせようとしている。
部外者の勝手な感想だが、もう少し保全に重きを置いた都市建設を進めていく必要があるのではないかと感じた。
冬八九大連<完>
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