2012/02/25 - 2012/02/28
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haoziさん
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この地は19世紀末までは「青泥窪」という小さな漁村にすぎなかった。1898年、ロシアが清より租借権を得ると、ここにパリを模した放射線状の街路を持つ町「ダーリニー」(ロシア語で遠方の意)を建設し始めた。そして、1905年日露戦争の後、日本がロシアの都市計画を引き継ぎ、「大連」という無国籍な異国情緒を漂わす町が形成されたのである。
歴史上、日本と切っても切れない関係の大連。時代が変わった今も、日本人駐在員が多く生活し、また日本語を学ぶ中国人も特別多い町。
6年ぶり、2度目のこの町で、今度は何を感じるだろう。
今回は、格安ツアーに参加しての訪問。4日間の日程の内、はじめの2日間は観光つき、あとは自由行動。
前回は自分でウロウロしただけで、大連のガイディングを聞いていないので、今回はちゃんと大連のことを教えてもらおう。そして、そのあとまた自分でウロウロしよう。
※以下の四部作で構成。
冬八九大連(1)定番の観光名所 *本編*
冬八九大連(2)消えゆく老街
冬八九大連(3)都市の息吹
冬八九大連(4)金州半日旅行
※タイトルの“冬八九”とは、冬至から八回目の九日間、寒さも大分やわらぐ頃の意。
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お昼過ぎ、大連周水子国際空港に到着。
そして、日本人の大連観光は、やっぱりここからスタート。
大連賓館(旧ヤマトホテル)
中山広場4号
満鉄が1909年に建設開始、1914年竣工。
2006年に来た時には、屋上に巨大スクリーンが設置されていたが、今は外されている。当然、ない方がよい。 -
全国重点文物保護単位(“重点文物”=「重要文化財」)
大連中山広場近代建築群
大和旅館旧址
中華人民共和国国務院
2001年6月25日公布
遼寧省人民政府立 -
建物を見上げる。
ヤマトホテルは、満鉄が経営した高級ホテルブランド。
長春(新京)、瀋陽(奉天)、旅順、ハルピンなど満鉄沿線の各都市に建設されたが、中でも大連のヤマトホテルが最も格式が高かったとのこと。 -
クラシカルなホテルの中を見学。
迎賓庁
もとはヤマトホテルの宿泊者が客に会うための場所。今は大連市のお偉方とVIP客との会見に使われる。中曽根元首相、竹下元首相、村山元首相が大連市長と会談したのもここだったらしい。 -
迎賓庁の周りの壁は、花梨の一枚板。
その他、溥儀さんも宿泊した部屋(208号室)などを見学。
(満州国の皇帝に即位するべく、日本軍によって天津の静園から旅順へ護送される途中に泊まった部屋なのかと思ったが、どうやら違うらしい。溥儀は、後に二度大連港から日本へ行っているが、恐らくその時に泊まったのではないかと思う) -
大連賓館から右方の眺め。
中山広場(旧ニコライフスカヤ広場→大広場)
現在地下鉄建設中のため、中山広場にはシートが張られ、せっかくの景観が今ひとつ。
なお、地下鉄工事は2013年末には完成する計画だが、複雑な地質構造のため、難航しているらしい。
中国工商銀行(旧大連市役所)
中山広場5号
1919年竣工
中国交通銀行(旧東洋拓殖株式会社)
中山広場6号
1936年竣工
ほど近い場所に世界貿易ビル。
このビルの上から中山広場を見下ろしたかったのだが… -
ガイドは今も開放していると言っていたし、58階までのエレベーターも動いていたので、夜一人で行ってみたのだが、人っ子一人いなくて、閉じ込められたらどうしようかと思った。
もしや大変な穴場なのでは?と淡い期待を抱いて行ったが、展望台は閉鎖中だった。
一応、58階まで“到此一游”の証拠写真。 -
人民文化倶楽部
中山広場8号
1951年竣工
中山広場に面する10区画の内、最後に建てられたもの。これは日本による建築ではない。
近々ここで久石譲のコンサートがあるらしい。(ポスターあり)
中国では、宮崎駿のアニメ作品を通じて、久石氏を知る人が多い。 -
中国銀行(旧横浜正金銀行大連支店)
中山広場9号
1909年竣工
横浜正金銀行は、貿易金融、外国為替に特化した銀行。東京銀行(現在の三菱東京UFJ銀行)の前身。
現在横浜で、神奈川県立歴史博物館として使われている旧横浜正金銀行本店の建物とよく似ている。それもそのはず、共に妻木頼黄氏による設計。
近年造られた後ろのビルとのコントラストも美しく、うまくマッチしている。 -
同じ場所の夜景。
イルミネーション輝くこのビルの写真をよく見かけるが、この時ライトアップされていたのは、後ろのビルのみであった。
中国銀行は今年で成立100周年。
“百年中行 全新起航”という文字がきらめいていた。 -
中国銀行横、上海路(旧大山通)
プラタナスの並木道
勝利橋(旧日本橋)、ロシア風情街方面へと続く。 -
大連市郵政局(旧関東逓信局)
中山広場10号
1925年竣工 -
中国工商銀行(旧朝鮮銀行)
中山広場1号
1922年竣工 -
夜にはライトアップされ、コリント式オーダーが並ぶ姿がより美しく見える。
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大連市重点保護建筑
関東銀行旧址
該建筑建于1922年,日本侵占時期為日本朝鮮銀行行大連支店。欧美近代古典主義建筑風格。被列為大連市第一批重点保護建筑物。
大連市人民政府 2002年1月
中山広場を取り囲む近代建築群は、どれも大連市の重点保護建築とされていて、大切に手入れ、管理されている。 -
シティバンク、遼寧省対外貿易局(旧大連警察署)
中山広場2号
1908年竣工 -
中山広場から魯迅路(旧東公園町)を少し行くと…
大連鉄道有限責任公司、満鉄旧蹟陳列館(旧満鉄本社)
満鉄の正式名称は、南満州鉄道株式会社。1906年(明治39年)設立、1945年(昭和20年)消滅。
鉄道のみならず、極めて広範囲にわたる事業を展開し、満州経営の中核となった特殊会社。
本社はここ関東州大連市だが、後に満州国が成立すると新京に本部が置かれ、そちらが事実上の本社となった。 -
ロシアが建設中だった建物に、日本が継ぎ足しをして、3棟の建物になっている。
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マンホールも満鉄のロゴ入り。
ちなみに、「マンホール」は、中国の東北方言で“馬葫芦(mahulu)”と言う。
日本語から取り入れられた語。
manhole→マンホール→馬葫芦 -
大連図書館魯迅路分館(旧満鉄大連図書館)
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南山日本風情街
ここは日本統治時代の高級住宅地だったらしいのだが、当時の住宅はもう見られない。
七七街やハルピン街には、古い家屋がいくらか残っているが、それもどんどん改築中。
この通り(楓林街)には着物を着た人形などがポツポツ置かれていて、少し妙な雰囲気に。 -
古い家屋は姿を消し、すっかり新しい高級住宅街に作り変えらている。
しかしその結果、価格が高すぎて買い手がつかず、空家だらけだという。
生気のない空虚感漂う町…
ここは2006年すでにこんな状態だった。ずっとこのまま放置しておくのだろうか? -
意味不明のオブジェ。
この犬は本が読めるのか。 -
陽だまりの猫。
不管黒猫白猫還是花猫,抓到haozi心就是好猫。 -
犬の散歩
リードをつけている人はまずいない。 -
日本風情街のマンホールは桜マーク入り。
一日本人として、日本人形オブジェよりも、目立たないこちらの方が嬉しかったりする。 -
望海街
張作霖が住んだとされる“小洋楼”。 -
今は“官邸”というレストランになっている。
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2日目の観光
星海広場:アジア最大の広場
1997年、香港返還を記念して作られた。
中央の華表は高さ19.97m、直径1.997m。
(その巨大さは薄熙来の野望の表れと見る向きも)
その向こうに更に広がる世界博覧広場は、2007年から夏季ダボス会議(世界経済フォーラム)の会場となっている場所。 -
盛世大鼓――今年は壬辰年。
その隣にある街灯は、アカシアの花をモチーフとしたデザイン。 -
大連百年紀念城雕
大連市100周年(1899-1999)を記念して作られたもの。
旧時代の纏足婦人の足形から、現代に生まれたばかりの赤ちゃんの足形まで、1000人の足形が連なる。 -
中国語、英語、日本語での紹介文がある。
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一本翻開的大書。
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活溌可愛的孩子憧憬着大連走向世界,走向美好未来。
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“一九二九不出手,三九四九冰上走,
五九六九沿河望柳,七九河開,八九雁来,
九九加一九,黄牛遍地走”(九九消寒歌)
この日は、八九第四天。もう春だねえ…
一人で写真撮影に来ていた地元のおじさんと、そんな言葉を交わした。
黄海に“八九雁来”ならぬ“八九鴎来”の図。 -
大連には、夏になるとロシア人観光客が多く訪れるらしい。
美羊羊の遊具に乗っているお年寄りはロシア人かな? -
広い広場でお兄さんが実演販売していて、よく目立っていたリモコンカー。
同じツアーのメンバーが290元でお買い上げ。
お兄さん、デパートでは490元すると言っていたが、確かに帰りの空港では同じ物が690元で売られていた。 -
大連自然博物館
黒石礁の海岸近くに建つ。
1998年オープン。 -
覇王龍(ティラノサウルス)頭骨化石
白亜紀の“暴龍”、最強の恐竜。
頭部骨格が異様に大きく、丈夫なあご、太くて長い歯を持つ。
遼寧省の約1億2千万年前(白亜紀前期)の地層からは、全身が羽毛に覆われていたと見られるティラノサウルスの化石が発見されている。
前回、この博物館で、菊石=アンモナイトという単語を覚えた記憶があるのだが、今回は見当たらなかった。博物館の学芸員(販売員?)について超特急で見て回ったので、展示内容を鑑賞するゆとりは全くなし。 -
北大橋
姉妹都市の北九州市の協力で造られた橋。1987年竣工。
ガイドの話では、一方北九州市には「大北橋」があるとのことだったが、確認できず。 -
北大橋の上から見えた風車。
ただの飾り物らしい。 -
老虎灘
群虎雕塑
六匹の虎は、“福”、“六六大順”を表す。 -
福娃の生みの親でもある韓美林による作品。
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労働公園 緑山展望台
テレビ塔のふもとまで行かないと眺めは今一つ。
労働公園にはアカシアの木が多く、この中央の木もアカシアだそうだ。 -
大連京劇院(旧東本願寺)
ひときわ異彩を放つ建物。
日本の寺院風の建物に、極彩色の彩色が施されている。
前回来た時、何も知らずに歩いていたら、突然この建物が現れてびっくりしたことを覚えている。 -
大連外国語学院
日本統治時代、ここには大連神社があった。戦後ご神体は日本に持ち帰られて、下関に大連神社が再建されたとのこと。
2006年に一週間滞在した大学。そして、今回のガイドZさんも大外出身だった。
しかし… “零負団費”では良いガイドは育たないと実感。
最低限、通り一遍のガイディングで、あまり興味ある話は聞けなかった。しかも、私がカモにはなりえないと見てとると、とたんに離団を促して来た。
私みたいのが紛れているとやりにくいのはわかるけど、あなたの話を人一倍楽しみにしていたのも私なのよ。
中国の旅行業界を憂える。 -
ロシア風情街
大連芸術展覧館
1902年頃竣工、1996年再建
ロシア時代は東清鉄道汽船会社、日本時代は大連民政署、大連倶楽部、日本橋図書館として使用された。
北九州市門司港で、1994年この元の建物を模して実物大のレプリカを造り(国際友好記念図書館)、そのレプリカの落成を待って、ここの元の建物も解体して再建したという経緯がある。 -
ロシア風情街は、2000年に観光用に全面的に改修された。
レプリカの建物が多く、歴史情緒は感じにくいが、日本風情街よりはずっとよい。
夏目漱石の『満韓ところどころ』に、1909年当時の大連の描写がある。漱石が泊まったヤマトホテル、満鉄総裁邸宅、大連倶楽部、日本橋、北公園などは全てこの辺りに集中している。 -
紅磨坊(=ムーランルージュ)
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紅場(=赤の広場)がKTVに?!
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“大連金太陽博物館”と掲げられているが、今は使われていない様子。
この屋根の形は、旅順駅に少し似た感じ。 -
やっとレプリカでない、保存建築の登場。
大連船舶技術学校
団結街1号
1900年竣工
朝ここを通った時には、この学校の学生らしい男性たちが大勢中に入って行くところを見かけた。
ロシア時代はダーリニー市長邸。
ダーリニー市長のサハロフは、東清鉄道の技師長でもあった。
東清鉄道は清国とロシアの合弁事業で、中国では“中東鉄路”と呼ばれる。
日本時代は満鉄総裁邸。漱石曰く「(中村)是公の家」。 -
旧ダーリニー市役所
煙台街1号
1900年竣工
ロシア時代はダーリニー市役所、日本時代は満鉄本社、ヤマトホテル(漱石も泊まった)、満蒙資源館とさまざまな用途で使われてきた。言わば、大連の歴史の証人。
解放後1959年からは自然博物館となっていたが、1998年に黒石礁の自然博物館に移転してからは使用されていない。
重点保護建築に指定されているにも関わらず、廃墟のような雰囲気を漂わせている。ちょっと心配… -
ここは、ロンドンの半地下のテラスドハウスみたいな感じ。
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オリジナルの絵ハガキなども売っている。
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ロシア風情街(団結街)
北西から勝利橋方向の眺め
正面には世貿大厦も見える。
右のクレーンは煙台街の再開発工事中か? -
珍珠縁商城
屋根の尖塔下の作りが凝っている。 -
おきまりのマトリョーシカ。
ロシア帽≒雷鋒帽も。 -
あらま、これはかわいそう。
でも、勝利広場でも同様のマネキンを見かけた。
もしかして、これがスタンダードスタイル? -
夜に再びロシア風情街へ。
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ちょっと幻想的な雰囲気。
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旧ダーリニー市役所
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金帆賓館
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3日目の午後
今回のツアーでは大連港が入っていなかったので、自分で行ってみた。
大連港務局(旧満鉄大連埠頭事務所)
1926年竣工
7階建て。当時大連で最も高い建物だったらしい。 -
大連市重点保護建筑
大連港務局ban4公楼
該建筑建于1916-1926年,日本侵占時期為大連埠頭事務所。近代折衷主義欧式建筑。被列為大連市第一批重点保護建筑物。 -
このビルの屋上から港を眺められると聞いていたので、恐る恐る訪ねて行くと、警備員のおじさんが愛想よく迎えてくれた。
私一人のために、係員のお姉さんが出てきて、丁寧に解説もしてくれた。ここを見学に来るのは日本人ばかりだから、日本語もできるようだ。その歓待ぶりに感激していたのだが、残念ながら、それは最後まで続かなかった… -
大連港客運站候船庁(大連港第二埠頭船客待合所)
当初の半円形の待合所は1924年竣工。
ロシアはこの不凍港を求めて、大連にやって来たのだ。
4本ある埠頭の内、一番右はロシアによる建設、その他はロシアの設計を引き継いで日本が建設。
終戦後は、ここから27万人の日本人が引揚げたとのこと。(大連よりも葫芦島からの引揚船に乗った人の方が多く、105万人に上るとされる) -
屋上では、古い写真の展示などで歴史を紹介している。
上段左から2番目の写真が、当初の待合所。 -
第一埠頭のそばには高層マンションが台頭。
“海景房”
(万達公館:55階190m、2011年12月入居開始、一戸平均300平米、30000元/平米) -
これは韓国船のようだ。
今大連では、大窯湾に新港を建設中で、そちらが完成すれば、こちらの港は使用をやめて、観光資源として保存するそうだ。
そして、お姉さんの解説は、大連の海で取れる鮑真珠の話になり、屋上に設置されていた売店へと案内された。私が買い物をしないと、明らかに不機嫌になり、入場料として20元を請求された。“不歓而散”後味が悪い。 -
708番バスで、碼頭から人民広場へ。
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バス車内。
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人民広場(旧長者広場→スターリン広場)
大連市人民政府(旧関東州庁舎)
1937年竣工。それ以前、関東州庁は旅順に置かれていた。
薄熙来は90年代の大連市長。薄氏失脚のニュースは、大連市民にとっても衝撃だったはず。“不求最大,但求最佳”の理念で大連市の発展を進めた薄氏だったが、自身の失脚は大きいものを求めすぎた結果か? -
大連市公安局(旧警察訓練所)
1936年竣工 -
大連市中級人民法院(旧関東州地方法院)
1933年竣工
この建物は、東京大学安田講堂をモデルに造られたそうだ。 -
そして、4日目午前、再び同じ場所を訪問。
人民広場で9:30から大連女子騎馬警察隊による行進が見られるかもしれないとのことだったが、残念ながら、この日は現れなかった。
この近くにお勤めのOL風の人に尋ねたら、騎警はいつ来るのか全くわからない、自分たちも見る機会はそう多くはない、特に冬場はめったに来ないとのこと。どうも予定を事前に確認するすべはなさそうだ。
どうしても見たければ、“大連女子騎警基地”という施設に行けば、毎日観光客向けの実演があるらしい。 -
憧れの女騎警に会えず落胆…
代わりに交通整理の婦警さんを撮影。ちょっと着ぶくれしているが、この人もなかなかかっこいい。
大連の婦警さんは、モデル学院出身の人が多く、スタイル抜群の美人揃い。
後方にそびえているのは、テレビ塔(観光塔)。 -
今回、主だった観光スポットは大体網羅した。
心残りはやはり、騎警を見られなかったことと、中山広場を上から眺めることができなかったこと。
この二点は、また次回期することとしよう。
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